第1010話 ライトの内なる決意
再び食堂のテーブルに座ったライト達は、レオニスの口から語られる様々な話をじっと聞き入っていた。
冒険者ギルド総本部でマスターパレンと話していたら、ラグナ神殿から救援要請が来たこと、取るものもとりあえず駆けつけたら、ハリエット達ウォーベック伯爵家の人々がラグナ神殿前にいたこと。
事件が起きたとされる聖堂は、かなりの音量の爆発音が起きたにしては火事は起きていないこと、しかし建物のあちこちに罅が入っていて、建物自体がかなり危険になっていること。
そして事件当時、聖堂の中に司祭と四人の子供がいたこと、その四人の子供とはジョゼ、イヴリン、リリィ、イグニスであること、レオニスがラグナ神殿に駆けつけた時には医務室で寝ていたこと。
四人の子供のうち、イグニスを除く三人は既に目を覚まして親とととに帰宅したこと、だがイグニスだけは未だ目覚めず、意識不明のままラグナ神殿医務室にて療養継続中であること等々。
今日の出来事を順を追って話すレオニスに、話を聞いていたライト達はずっと絶句していた。
特にイグニスが意識不明の重体と聞き、三人とも顔が青褪めている。
「そ、そんな……イグニス君が、どうして……」
「ペレのおやっさんとこのイグニスが、意識が戻らないだなんて……」
「ペレ鍛冶屋さんのイグニス君、すごく明るくてとても良い子なのに……」
ライト達が悲痛な顔で小さく呟く。
ラグーン学園の同級生であるライトだけでなく、ペレ鍛冶屋と親交があるラウル、そしてラウルとともに何度かペレ鍛冶屋を訪れたことがあるマキシもまたイグニスのことをよく知っている。
それだけに、今回の事件で意識不明に陥ってしまったことが皆ものすごくショックだった。
中でもペレ鍛冶屋でいつもイグニスと顔を合わせていたラウルは、一際強いショックを受けたようで、縋るような目でレオニスを見つつイグニスの容態を問うた。
「なぁ、ご主人様よ……何故イグニスは、目を覚まさないんだ? ラグナ神殿には治癒魔法に長けた者が多くいる、と聞いたことがあるが……そいつらでも治せないような、瀕死の重症を負ったということなのか?」
「それは俺にも分からん……というか、ラグナ神殿側も何故あの子だけが目を覚まさんのか分からんらしい。他の子の倍以上は治癒魔法をかけ続けていて、身体にはもう傷一つなくて、普通ならもうとっくに起きていいはずだそうだが……それでも未だ眠ったまま起きんのだと」
「………………」
「というか、しばらく様子見するしかない、とも言われた。事件に巻き込まれてからまだ半日も経ってないし、明日明後日になれば起きる可能性も十分にあるそうだ」
「…………そうか…………そうだよな」
レオニスの答えに、力なく項垂れるラウル。
実際イグニスが倒れてからまだ数時間しか経過していない、ということもあり、しばらく様子見するというのは妥当なところだ。
もちろんそれはラウルにも理解できている。
だが、もしかしたらそのまま一度も目を覚ますことなく、イグニスが死んでしまうのではないか―――そんな不安に駆られるのも無理はなかった。
そしてそれはライトも同じだった。
『どうして……どうしてイグニス君だけが目を覚まさない? あの子はただの人間じゃない、BCOのNPCだぞ? それも単なるモブ店員なんかじゃない、あの【破壊神イグニス】だぞ?』
『BCOでは鍛冶による装備品強化という重要な役割を持ち、それ故に数多のユーザーから憎まれ続けて……遂には鍛冶屋なのに【破壊神】なんて二つ名までつけられて、さらには臨時討伐任務対象にまでなった、それこそ『殺しても絶対に死なないNPC』の代表格だったってのに……』
『まさか……このままサイサクス世界から、イグニス君が消える……なんてことにはならない……よな?』
ライトは必死に考えるが、あまりにも想定外のこと過ぎて訳が分からない。
ゲームの中でキャラクターが死ぬ、というストーリーは数多あるし珍しいことではない。でもそれは、大抵が物語において途中退場する定めにある人物だ。
そしてそれは、間違ってもNPCが担うような役割ではない。少なくともBCOのNPCには、そうした役割は一切求められていなかった。
しかし、ここはBCOとは似て非なるサイサクス世界。
魔物や強大な敵がそこかしこにいて、非力な人間なんていとも簡単に死んでしまう。
こんな非情な弱肉強食の世界で、NPCだからといって絶対に死なない保証が一体どこにあるというのか。そんなもの、どこにもありはしない。
BCOでは単なる一ユーザーに過ぎなかったライトには、このサイサクス世界の未来など知る術もなかった。
一度ライトの頭の中に浮かんでしまった不吉な未来が、どうしても拭い去ることができない。
ライトの眦に、次第に涙が溜まっていく。
もし……もしもイグニス君が、このまま死んでしまったら―――
そんなの絶対にBCOじゃない!
破壊神イグニスのいないBCOなんて、俺は絶対に認めない!
そりゃBCO時代には、破壊神イグニスに散々散々煮え湯を飲まされ続けてきたが……だからって、こんな未来を望んだ訳じゃない!
このサイサクス世界のイグニス君は、とても元気で明るくて素直で……こんな異質な俺にだって、将来立派な鍛冶師になって世界一の武器を作ってやるぜ!って笑いながら約束してくれるような、すごく心根の優しい子で……
こんな、訳も分からないまま死んでいい子じゃないんだ……!
ライトの胸中には、イグニスに対する様々な思いが去来する。
それはかつてのBCOの苦い思い出よりも、今のこのサイサクス世界で同級生として出会ったイグニスとの心温まる場面の方が多かった。
ライトが職人の街ファングに行く度に、イグニスから彼の父母への手紙を預かっては、当日のうちに返事をもらって後日イグニスに渡す。
ライトにしてみれば、出かけたついでにしてきただけのことなのに、その都度イグニスはとても喜んでライトに礼を言ってくれた。
その時のイグニスの、ニカッ!とした本当に嬉しそうな笑顔ばかりが思い浮かぶ。
そしてライトは、次第に自分を責めるようになっていった。
もし今日、皆といっしょに俺もラグナ神殿に行っていたら―――例え爆発事故が起きたとしても、こんなことにはならずに皆を助けて無事に帰ることができたかもしれない。
俺が臆病風に吹かれて、ラグナ神殿に行くのを躊躇った挙句に断りさえしなければ―――そんな思いばかりがライトの頭を過る。
ずっとそんなことを考えていたせいか、思わずライトの口からも後悔の念がぽろりと溢れた。
「ぼくが……ぼくが皆といっしょにラグナ神殿に行っていたら……こんなことにはならなかったかも知れないのに……」
その言葉を聞いたレオニスが、血相を変えてライトを窘める。
「馬鹿なことを言うんじゃない!もしあの事件の渦中にライトがいたとしても、お前一人の力でどうこうできる問題じゃない!」
「レオ兄ちゃん、どうしてそんなことが言えるの!? そりゃぼくなんてまだ全然弱いし、そもそも冒険者登録すらできない子供で、レオ兄ちゃんの足元にも及ばないけど……!」
「……いや、別にこれはお前の力が弱いからだとか、侮ったり低く見積もって言ってる訳じゃないんだ」
「じゃあ、どうして……?」
己を否定されたと思ったライトが思わず反論するも、レオニスの言いたかったことと齟齬が生じているらしい。
ならば何故?とでも問いたげなライトの悲しげな瞳に、レオニスははぁ……と小さなため息をついた。
「このことは、あまり大っぴらにはできんのだが……皆、絶対に誰にも言うなよ?」
「うん。何なら今ここで、皆で誓約魔法を使おうか?」
「いや、そこまでしなくてもいい……ただし、この屋敷の外では絶対に話すな。もし誰かに聞かれても、一切合切知らぬ存ぜぬを貫き通せ」
「うん。ラウルもマキシ君も、レオ兄ちゃんとの約束を守れる?」
「もちろんだ」
「はい!僕も決して言いません!例えカイさん達に聞かれたとしても、絶対に言わないです!」
即座に他言無用を誓う三人。
その固い決意に満ちた表情に、レオニスもその重い口を開いた。
「……今日のラグナ神殿の爆発騒ぎには、聖堂に祀られていた負の聖遺物【深淵の魂喰い】が関わっている」
「!?!?!?」
「で、だ。負の聖遺物の【深淵の魂喰い】が事件に関わっている、これがどういうことを指すか―――ライトに分かるか?」
「……もしかして……廃都の魔城の四帝の【武帝】が外に出てきた……ってこと……?」
「ああ」
「「…………ッ!!」」
レオニスの口から【深淵の魂喰い】、そしてライトの口からという『廃都の魔城の四帝』というとんでもない単語が飛び出してきたことに、ライトだけでなくラウルとマキシもまた言葉を失った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「聖堂から爆発音が響いた直後に、謎の黒い靄がラグナ神殿内をしばらく漂っていたことが目撃されている」
「この黒い靄は、薬草園の薬草に覆い被さって枯らしたり、対処しようとした騎士達にも襲いかかって力を奪っていった、という報告が上がっててな」
「最終的には、その黒い靄と偶然鉢合わせた総主教のホロが【武帝】の残滓……残りカスであると判断し、ホロの最上級浄化魔法によって完全に殲滅されたらしい。……とはいえ、まだ油断はできんがな。数日は様子を見なきゃならんだろう」
ラグナ神殿で起きた爆発騒ぎ、まさかそれに廃都の魔城の四帝【武帝】が関与しているとは思わなかったライト達。
思わずライトは食いつくように、レオニスに質問を投げ続けた。
「た、確かにラグナ神殿の聖堂の祭壇には魔剣が祀られてて、その魔剣の中には【武帝】がいるはずって話だったけど……何をどうしたら爆発なんてことになるの?」
「それはまだ分からん。一応明日イヴリンちゃん達三人の家に、冒険者ギルドの方から事情を聴きに行くことにはなってるが……聖堂の中でイヴリンちゃん達が発見された時には、全員床に倒れてて気絶してたらしいからな。聖堂で一体何が起きたのか、誰も覚えていない可能性もある」
「ていうか、どうして魔剣から【武帝】が出てきたの? 魔剣が爆発して、中にいた【武帝】が逃げ出したってこと?」
「それもまだ分からん。調査中としか言えん。……が、魔剣の中に潜んでいた【武帝】が逃亡せざるを得なくなるような、何かが起きた……ってところだろうな」
ライトの矢継ぎ早の質問に、レオニスが冷静に答えていく。
そしてレオニスの答えを聞いたライトの中に、次第にある一つの仮説が浮かび上っていった。
『【深淵の魂喰い】……魔剣……イグニス君……』
『……まさか……破壊神と【武帝】が直接対決したのか!?』
『……ぃゃぃゃ、そんなはずは……だってイグニス君はまだ鍛冶師になってもいないし、そもそも小さい子供だからって理由で鍛冶場に入ることすら許されていなかったはず……』
『だけど……長い間ずっと魔剣に潜んでいた【武帝】を、無理矢理外に引き摺り出すような力なんて……レオ兄以外で、そんな理外の力を持つ者なんてこの世にいるのか?』
『もしいるとしたら……それこそ破壊神くらいしか……』
ライトの中でバラバラだったパズルのピースが、ものすごい勢いで組み立てられていく。
そうして出来上がった完成図は、『破壊神 vs. 【武帝】』という正解に繋がっていった。
しかし、ライトにはそれが正解かどうかは分からない。それを裏付けるような証拠は一切なく、まだ推測の域を出ていないからだ。
それに、イグニスの中に【破壊神イグニス】というBCO由来の存在がいるということは、この四人の中ではライトしか知らない。
というか、こんなこと誰にも話せやしない。
もしライトが『イグニス君の中には【破壊神イグニス】という別人格が潜んでいるんだ!』なんて訴えたところで、あまりにも荒唐無稽過ぎて誰も信じないだろう。
しかし、ライトの中にはそれが正解だという確信めいたものがあった。
もしイグニスの中の破壊神が何らかの理由により聖堂で目覚めて、そこに祀られていた【深淵の魂喰い】と戦ったとしたら、火も煙もない爆音だけが轟いたというのも頷ける。
何しろ【破壊神イグニス】は、武器防具を壊すことにかけては無類の強さを誇る。彼の持つ大鎚は、魔剣と呼ばれし聖遺物にも十分通用するであろう。
破壊神と【武帝】が戦い、爆発音にも似た轟音を出しながら激闘を繰り広げた末に【武帝】が負けて、黒い靄となって逃げたのだ、と考えれば全てに納得がいく。
そしてそれと同時に、聖堂内にいた四人の子供のうちイグニス唯一人だけが眠りから目覚めないことの説明もつく。
如何に破壊の権能を持つ【破壊神イグニス】であっても、廃都の魔城の四帝の一角である【武帝】と直接対決して無事に済むとは思えない。
そもそもイグニスの本体は、まだ鍛冶師になれる歳ではない。成長前の未熟な子供の内に宿るうちは、【破壊神イグニス】とて万全の状態ではないのだ。
もっともそれは【深淵の魂喰い】に宿る【武帝】も同じことで、本体ならともかく魔剣に宿る分体如きでは【破壊神イグニス】を打ち破るに至る力はなかった訳だが。
いずれにしても、【破壊神イグニス】は【武帝】との戦いで深い傷を負い、それが故に昏睡状態となっているのだ、ということがライトにも想像できた。
しかしそうなると、今後のイグニスの容態がますます心配になってくる。
もしこれが正解なら、普通の治癒魔法などの治療では決してイグニスを完全に治すことはできないだろう。イグニス少年本体の怪我や病気ではなく、【破壊神イグニス】の方の負傷を治さなければ快復は見込めないからだ。
とはいえ、イグニスが未だ目覚めないのは、【破壊神イグニス】の方が重傷を負っていて昏睡状態になっているから、なんて推測は誰にも話せない。
理由は判明していても、【破壊神イグニス】自体がBCO由来の存在なので、誰にもそれを相談することができないのだ。
何とももどかしいことではあるが、埒内の者達にBCOの存在を明かしたところで理解が得られるとも思えないので、こればかりは致し方ない。
ならばこの先は、自分一人で動くしかない。
このサイサクス世界で、イグニス君の中に息づく【破壊神イグニス】を救えるのは、きっと俺しかいない———ライトは心の中でそう決意する。
朧げながらも見えてきた事件の全貌を前にして、ライトは今後どう動くべきか、己が何を成すべきかを真剣に考えていた。
ライト達がレオニスの口からラグナ神殿での事件を聞かされる回です。
特にイグニスの件については、ライトだけでなくラウルやマキシも顔馴染みで親交があるだけに、皆大ショックです。
というか、イグニス含むライトの同級生の安否と【深淵の魂喰い】に巣食っていた【武帝】の末路を出すだけで既に6000字近くに…( ̄ω ̄)…
おかげで復元魔法の話までは詰め込めず、次回に持ち越しですぅ_| ̄|●
……でもまぁね、第992話から始まったこの事件。その日ラグナ神殿内で起きた事件部分だけで十三話かかってますしね……
話をする方も聞く方も、たくさん言いたいこと伝えたいことがあり過ぎて、一話では収まりきりませんでしたぁ><




