トンチャリ
目が覚めると外がブーブー騒がしい。いつもの朝だ。
二階角部屋の我が家からは朝の喧騒がよく聞こえる。
私はまだ目覚めきらない体をゆっくりと起こし、布団から抜け出した。
隣に寝ている息子と夫はまるっきり同じ体勢で眠っている。腕の角度、足の曲げ方、ちょっと間の抜けた感じに開いた口まで同じ。
私はその光景にくすりと笑い、キッチンへ向かった。
コンソメスープとサラダを完成させ、フライパンを温める。スクランブルエッグを作るためだ。
そして食パンをトースターにセットしてから寝ている二人に声を掛ける。
目覚めの良い息子はすくっと起き上がり、今まで寝ていたのが信じられないほどのハイテンションで部屋の中をバタバタと駆け回る。
かたや夫は私の声に何の反応も見せず、駆け回っている息子に足を踏まれても寝返りをするだけだ。
「とし君、パパを起こして」
後は息子に任せて、私は焼けたパンを皿に乗せた。
「パパー」
子供の声を聞きながらフライパンの中の玉子を手早く混ぜる。そして出来上がったスクランブルエッグをパンの横に沿えた。
「ママ、パパ起こしたよ」
いつもの事なのに今日も息子は得意げに私に報告すると自分の席へと着く。
「朝から元気だな…」
ぼさぼさの頭を掻きながら夫も食卓に着いた。
「さ、頂きましょう」
両手を合わせて「いただきます」と家族三人声をそろえて食べ始める。
夫はまだ寝ぼけ眼で胃に物を詰め込む準備ができておらずコーヒーにだけ口をつけていた。
「ママ、あのね…」
今まで口の中に食べ物を詰め込んでいた息子が急にしおらしく私に話しかけてくる。
「なぁに?」
「僕も“トンチャリ”が欲しい」
「え!?」
私は夫の顔を見、助けを求めた。だがまだ目覚めていない彼の頭は私たちの会話などまるで理解していない。
「でも、危ないでしょ」
「だって、ゆう君もみっちゃんも持ってるんだよ。ちゃんと大事にするから。ねぇ、いいでしょ?」
息子は私の腕を掴んで揺さぶる。
「ちょっと、パパからも何か言ってよ」
まだ寝ぼけている夫に「俊樹が『トンチャリが欲しい』って言ってるのよ」と息子との話を説明する。
「俊樹、お前乗れるか?トンチャリ」
夫は息子を覗き込む。
「練習すれば乗れるようになるもん」
からかわれたと感じてか、息子は顔を真っ赤にしながらそう答えた。
「良いんじゃないか?本人もやる気だし。それに俊樹は今度小学生だろ?必要になるかもしれない。何よりトンチャリを買えば政府から補助金が出るじゃないか」
「ちょっと、簡単に言うの止めてよ。トンチャリが家に来たら私が手入れすることになるのよ」
「大丈夫だろう。政府は『動物移動法案』に力入れてるみたいだし、どうにかなるさ」
動物移動法案。
総理が鳴り物入りで決めた法案だ。
当初は自動車を馬、バイクをポニー、農業特殊車を牛、自転車を豚に置き換えるという法案だった。そして動物の利用年数に応じその肉を食用とするとのことだ。
つまり若いうちは移動手段として、ある程度育ったら食料にするというものだ。
もちろんその法案が出たとたんに各団体が反対運動を起こした。
経団連は自動車業界を守ろうとしたし、農水省は牛の使用は作業効率を下げて国内自給率の低下を招くと反論した。
もちろん動物愛護団体は動物虐待だと大騒ぎ。
次に総理が出してきたのは自転車を豚にするという案はそのままだが自動車・自動二輪車・農業特殊車に関しては現状利用しているものを優先するとした。一番組織の小さかった自転車協会の声は完全に無視されたのだ。
各団体は自分の業界に被害が及ばないと判るとさっさと手を引き、動物愛護団体も結局の被害は豚だけだからか声が小さくなった。
総理は気をよくして「この法案は地球環境を守り、食肉の国産自給率を上げるのだ」と声高に訴えた。
だが自転車が豚に変わってもエコだとは思えない。
マスコミは【『犬公方』徳川綱吉の再来。生類憐みの令以上の愚策】などと騒いだが、半年も経つと他の話題へとすっかり紙面を変えてしまった。
そして法案成立後二年目に入った今では豚が外を走り回っている。
まあ意外な効果としては定職率の上昇があった。
駐輪場が駐豚場となり、豚の世話をするための人員が増えたためだ。他にも道の掃除要員や放置豚の保護など自転車が豚に変わったことによって人手がかかるようになった。
「でも…」
だからといって納得できるわけがない。私は動物が苦手なのだ。あまり関わりたくなくて未だに買い物には歩いて行っている。
「大丈夫だって、世話はマンションの駐豚場のおじさんに頼めば良いことじゃないか」
夫はのんきにそう答えた。
「それに情を移さないように自分で世話しない方が良いらしいぞ。同僚の田中いるだろ。あいつの奥さんは自分で世話してたもんだからトンチャリが精肉場行きになったとき大変だったらしいしな」
変な法案も年月が経てば国民の意識はこうも変わるのか。
私の気持ちを知ってか知らずか、外ではまたブヒッと声がした。




