とりあえずここが天竺(インドっぽいなにか)ということで。
インドの皆様ごめんなさい。
居間に姉と、姉の幼馴染がいた。
「秀ってキモいよね」
「すっごくキモい。ヤだ、そいつの名前とか聞くだけで蕁麻疹出ちゃう」
「ギャハハハハ、そのキモい弟の部屋に入ったらさ。茜の写真とか飾ってたのよ、小学生の頃の! ゲーッ、こいつ高校生のくせにロリコーン! やだよ身内に性犯罪者いるじゃーん!って逃げ出した。慰謝料としてデジカメと自転車をネトオクで売ったけど、あたし悪くない。美少女無罪」
「秀キモいし、息してるだけで死刑確実だから慰謝料まだ足りないと思う。同級生やってる私こそ慰謝料が必要」
「えー、茜ってば秀からトモダチ料を毎月もらってるって聞いたけど。足りてないの? あいつ父親の勤め先でアルバイトしてるんですけどー?」
夜逃げ(?)してインドに移り住む前に聞いた二人の会話は、日本への未練を吹っ切るのに丁度良い内容だった。
◇◇◇
夜逃げ。
正確には、拉致。
父の勤め先である仙刻商事にいつものようにバイトに行ったら「小早川くううん、君インド語できたよねえええ」と営業二課の羽柴課長に捕まり、肯いたばっかりにインドに送られた。
修学旅行に備えてパスポートを作っていたのがアダとなった。
インド。
たぶん、インド。
住民の大半が褐色肌だから、きっとインド。
香辛料畑あちこちにあるし、食べ物もカレーっぽいから多分インド。
万が一の可能性としてスリジャワワルダナプラコッテ。
「シユウ、現実を見ろ」
でっかい盾と蛮刀振り回して三十秒くらい滑空しながらアパトサウルス似の巨大爬虫類の首を叩ききった褐色肌の男が、流暢なインド語と共に着地する。祖霊だか神霊だかに捧げる勝利の剣舞も欠かさない。天パ気味の癖の強い長髪が非常にセクシー。
やっぱりインドじゃねーか。
日本にいた頃に観たインド映画のノリである。あれはフィクションなんかじゃなかったんだ。
巨大爬虫類? この辺は年中温暖だし温泉も湧いてるから、爬虫類は際限なく大きくなるんだよ。あちこちにバナナ生えてるしな。バナナを主食にしたトカゲの肉は意外と美味いんだよ。
「うむ。シユウの会社が提供してくれた仙鉄の斬魔刀は凄まじいばかりの切れ味だ。あらゆる鋼を弾き返す樹脂亜竜の首を一刀両断したのだからな」
「へ、へー」
「それと誤解があるようなので言っておくが、亜竜とは呼んでいるがアレは植物と粘菌の共生体に近い。適度に間引きせねば森も畑も菌糸に覆い尽くされ水源まで汚染されてしまう」
褐色の男──ガネイシアが、刃こぼれ一つない蛮刀を俺に見せる。
刃に付着しているのは血液ではなく白く粘り気のある乳液だ。独特の甘い香りは、うちの会社で取り引きしてる香料に似ている。
「樹脂亜竜の体液を乾燥させたものは傷口の腐敗を防ぎ、鎮静作用を持つ薬となる。回復薬と共に服用すると、全身に転移した腫瘍すら治癒するであろう」
「すげー、インドすげー」
「シユウは時々訳の分からぬ単語を口にする。インドとは何かの武術流派なのか?」
「あ、うん。極めると火を噴いたり瞬間移動できる」
そういやガネイシアはフツーに火を噴いたり瞬間移動してたわ。
インド怖い。
虫除けの香料を練り込んだカラフルな土で身体の各所を化粧したガネイシア達は、俺の言葉に相槌を打ったり笑ったりしながらも巨大爬虫類キノコもどきを解体している。食用にはならないけど薬の材料として需要が高いので、村に持ち帰るそうだ。
ところで俺たち、近くの川で沐浴するインド娘達を覗き見に来たんだよね。正確にはガネイシア達に無理矢理付き合わされた訳なんだけど。
「シユウ、我等は祖霊の導きに従い樹脂亜竜の躯を集落に運ぶ。貴様は偉大なる精霊の導きに従い、寄肉の多寡に狂う鬼達の荒ぶる魂を鎮めてくれ」
「うむ。これほど大きな樹脂亜竜であれば、次の市が立つ折には小麦兌換紙幣の入手量も増大するであろう」
「某は大麦の麦芽酒が恋しいぞ。甘く焦がした麦芽を原料とした墨色の麦酒は、小盾海老の甲羅揚げと相性が良いのだからな!」
すっきりした顔でガネイシアと仲間達が解体した巨大爬虫類キノコもどきを抱えて走り去り……百メートルも進まぬ内に落雷の直撃を受けて吹っ飛んだ。
割と日常茶飯事。
巨大爬虫類キノコが焼け焦げて甘い香りが辺りに漂う。ガネイシア達はさすがインド人だけあって天パの長髪がもっこりアフロになった程度で済んでいる、ただし身動きとれずに痙攣しているが。
これも日常茶飯事。
「──近頃の覗き見ネズミは随分と頑丈ですね。黒鉄勇士の鉄槌を浴びせても焦げ目ひとつつかないなんて。
シユウ、貴男はもう少し交友関係に注意を払う方が良いと思うわ」
オゾンの臭いが漂う藪が吹き飛ぶように散らされて、物騒な発言と共に現れたのは年齢不詳のインド美女に率いられたインド少女達。あわてて着替えたのか髪や肌の各所が濡れているけど、なにしろインドなので直に乾くだろう。
インドにしては露出高めの民族衣装姿なのは目の保いやいや故郷で女性不信になりかかった身としては刺激が強すぎる。
特に電撃を放った先頭のインド美女は、なんというか、身体の幾つかの部位が生物学の常識とか重力とかそういうものに対して真っ向から喧嘩を売っている。なんでそのサイズでノーブラなのに全く垂れないどころか上向きなの、とか考えたりしない。真夜中に泣きながら洗濯するのは懲り懲りなのだ。
「えっとですね、ラクサーシアさん」
「サーシャと呼ぶことを許します」
インド美女、サーシャさんが微笑む。
知ってる、これ営業スマイル。横浜のバイト先でも、元特撮ヒロインやってた係長さんが素敵な営業スマイルの後にセクハラかました取引先の延髄に見事なローリングソバットぶちかましたもの。
あの乳は凶器だ。
あの尻も凶器だ。
いわんやフトモモは。
他のインド少女達は、未だ痙攣しているガネイシア達をサンダルで幾度も幾度も踏んでから巨大爬虫類キノコもどきの残骸を運んでいく。よくある光景だ。少なくともインドに送り込まれてから十回以上は目撃している。
「サーシャさん。俺は確かにガネイシア達の誘いを拒み切れませんでした。結果として未遂に終わったけど、水辺でキャッキャウフフで百合百合しいインド美少女達の艶姿を見ないなんて選択肢は俺にはありません。そして悔いもない!」
「少しは反省しなさいな!」
顔を真っ赤にしながら俺の耳を強く引っ張るサーシャさん。
痛い、痛いけど柔らかいものが当たったり当たったり埋まったりしてナニこれ御褒美タイムですか待って待って待って今夜も真夜中に洗濯タイム不可避なんだけど。
「こ、こっちだと男の人はそういう態度をとるのがマナーだって聞かされたんすけど」
「それは改めるべき旧弊です! 普段は礼儀正しく慎み深いシユウが、どうしてガネイシアのような悪童達と愚かな振る舞いを繰り返すのか、理解に苦しみます!」
痛い痛い痛い、柔らかい柔らかい柔らかい、すごい良いニオイが待って待って待って。インドだけにコブラツイストとかベタすぎるわ!というかフトモモとフクラハギが交互に前後にセイシュンのデリケートゾーンをシュッポ☆シュッポ★シュッポ☆シュッポ★って、んはあああああっ般若心経おおお────っ!
太陽の下で洗濯するのも乙なものだよね。ぐすん。
◇◇◇
インドにおける俺の仕事は、契約した農場や業者からの買い付けが中心だ。
唐辛子系統だけで優に三十品種を越え、それが生・乾燥・塩蔵・油漬・酢漬・乳酸発酵と様々な加工が施されている。香辛料というよりも生薬として扱うべき植物も多数あるが、日常の食材として盛んに消費されているのが驚きだ。
いや、さすがインドというべきか。
「支店の裏庭に生乾きのパンツが吊してあったけど、ありゃあ何かのマジナイかい?」
「魔除けの一種っす」
地球の反対側から買い付けに来たアロハシャツ姿のお得意さんが、俺の答えに苦笑いする。
インドではなかなか耳にすることのできない日本語での会話。
見た目は俺よりもずっと年下──それこそ小学生でも通用しそうな背丈に童顔の「店長さん」は、色々と察したようだ。首から「私は淑女にあるまじき逆セクハラを行いました」という札をさげて集落の入り口で立たされているサーシャさんの姿を見ていれば、大凡のことは察してくれるだろう。
「唐辛子全種に、常備してる香辛料も定時の分量で。面白そうなのを市で見かけたと聞いたけど」
「はいっす。森の中で養蜂を営むコスプレ一族の人たちが採集してる蘭の一種で、大きな豆鞘を乾燥発酵させて加工してるからバニラ系だと思うんですけどね。
コスプレ一族の人たちが言うには、牛系の乳に極少量加えることで甘酸っぱい風味のチーズを作れるんだそうです」
実際に試作したのがこれっす。
支店備え付けの冷蔵庫から取り出したのは、レアチーズケーキによく似た味と食感の固形物。違いがあるとすれば一舐めしただけで濃厚な蜜の味と香りが口の中に膨らむこと。チーズと言うよりもジャムに近い代物で、地元では酸味の強い果実酒の肴として好まれてるとか。
試食した「店長」も驚いている。
「単純に凝乳酵素って代物じゃないね。製菓材料として有望じゃないか」
「そう思って、簡単ですけどクレープ生地と重ねてみたっすよ」
続けて冷蔵庫から取り出したのは、ミルクレープもどき。
支店のある集落は、インドらしく麦の粉を練って鉄板で焼く無発酵パンが主食だ。蕎麦粉のガレットみたいなクレープ料理も存在するので薄焼き生地自体は真新しいものではなく、ミルクレープに良く似た菓子も存在する。日本にいた頃、姉と姉の幼馴染に何度も作らされた菓子なので、ちょっとばかり自信があるのだ。
「いいねえ」
ご実家はカレー屋だけど奥さんがケーキ屋を営んでいるという「店長」さんは、俺の作ったミルクレープもどきを見て感心していた。
「チーズの甘酸っぱさに負けないように、クレープ生地を工夫しているんだね。精白度の低い麦粉の生地を所々に挟んで、ヨーグルトに漬けて戻したドライフルーツを細かく刻んだものをチーズに練り込んである。あくまでチーズの味を確かめるためのものだから、シロップもデコレーションも無し。
この辺りで作られる甘味一辺倒の揚げ菓子には食傷気味だったから、喜ばれると思うよ」
誰に、とは訊ねない。
俺は「店長さん」の視線の先、支店の窓から顔を出しているサーシャさんの、オアズケを喰らった猟犬みたいなギラギラとした貌が怖い。食欲と理性が正面衝突し、理性が敗北しつつある美女とか何の罰ゲームだ。
「それじゃあ、お邪魔虫は退散するってことで」
「待ってください店長さん、紹介したいものは他にもあるっす。というか今夜こっちに泊まりません? に、日本の話題とか知りたいなー! オリンピックとか超ウルトラ面白カッコ気になりますよ、真面でマジで!」
「諦めろ。ラクサーシアが鶏の生首片手に踊り始めた、ありゃあ彼女の部族で不退転の戦いに挑むため祖霊に捧げる奉納舞だ。酒瓶片手にここに押し掛ける気満々だったガネイシア達が軒並み吹っ飛ばされてる」
「が、ガネイシアダイーン!」
王族の御落胤疑惑が定期的に持ち上がる濃厚イケメン達が、サーシャの激しいダンスと共に繰り出されたパンチとキックで沈んでいく。都から流れてきたチンピラ集団をムーンウォークとマイコーダンスで蹴散らしたガネイシア達が、手も足もでない。
いつの間にかサーシャと一緒に沐浴していたインド娘達がバックダンサーとしてガネイシア達に追い打ちをかけている。
むごい。
あ。猫耳とか犬耳のカチューシャを装着したコスプレ一族がバックダンサーに加わった。例のバニラっぽい香料を売ってくれた養蜂家の人達だ。今回の取引が上手くいったら追加発注しようと思ってたので渡りに船だけど、掘り出した地蜂の巣を抱えながら踊るのはやめてほしい。
「シユウ! 祖霊と神霊が騒いでいる、貴男には天地鳴動を鎮める崇高なる儀式に甘味を捧げる使命が下された。集落に住まう三百と七十八名の麗しき御霊に、天駆ける狗星が認めし甘露の麗しき雫を、さあ!」
踊る、おどる。
支店の入り口を塞ぐようにサーシャとインド少女達が踊りまくる。
ガネイシアどころか「店長さん」の姿も既に無い。
昼間なのにホラー映画かよ。
◇◇◇
件名 みんな怒っています
差出人 小早川優
宛先 小早川秀
本文 帰国した父さんから大まかな事情を聞きました。退学届は破棄しました。これでも前生徒会長なので。現生徒会長(茜ちゃんが圧倒的得票数で選ばれました)も同意しています。
一時期ですが茜ちゃんは「私のせいだ」と本気で落ち込み、不登校寸前まで自分を追い詰めていました。あの日、秀がバイトから帰ってきたら茜と二人で土下座するつもりでした。全裸で。まさか拉致同然に日本から姿を消すとか信じられず、翌々日に開催予定だった秀の誕生パーティーも流れてしまいました。クラスメイトもショックから立ち直れていない子が結構いるようで、量通の届かないド田舎送りされた秀を心配しています。
なお茜ちゃんは週末になると秀の部屋で引きこもっているけど、大目に見てあげてください。彼女は私の幼馴染ではあるけど、秀にとっても小学校からの同級生なのです。見ててイライラするけど。
◇◇◇
インドでの仕事は最低でも半年はとどまってほしいと説明を受けた。
実践レベルでインド語を話せるスタッフの確保が難しいことと、消化器が逞しい人材がそれ以上に稀少という事情があるらしい。本来インド駐在員として赴任すべき父は今もインド語研修で苦戦中。羽柴課長の話では俺がインド適性が高すぎるだけで、おかげで社としては助かっていると感謝された。
なるほど。
考えてみるとインド送りになってから腹痛に苦しんだのは数えるほどもない。ガネイシアと一緒にインド少女達と食事会に行って、ヘビ脱皮の肉詰めを食べた時か。腹痛の原因は今も不明だけど、物陰から飛び出してきたサーシャが血相変えてインド正露丸を飲ませてくれた。
インドなのに正露丸。
正式名称は別にあるのかもしれないけど、インド正露丸。サーシャさんの手作りと知ったのは三日後。それまでずっとトイレの住人だったからね。
インド語はなかなか難しい。
大きな街に行けば英語も通用しそうだが、俺が住んでる集落ではインド語オンリーという環境だ。言葉が通じない相手には踊ったり歌ったりすると理解してくれることもある。通用しない場合も多いが。
インドは多民族国家と聞いたことがある。
民族の数だけ独自の文化や風習があると考えた方がいい。
たとえば森に住み養蜂を営む部族は精巧な猫耳のカチューシャに尻尾を民族衣装としてどんな時も装備している。昔の日本人達が髷を結っていたようなものなのだろう。
ガネイシアやサーシャさん達も、独特な風習がある。
彼らは耳の先が細長くなっている。笹蒲鉾みたいな形で、イヤリングやピアスで綺麗に装飾しているインド女子は多い。歌と踊りを特に好むのも、このササカマ族の特徴だ。喧嘩したり感極まったりするといきなりミュージカルが始まるので、彼らと待ち合わせする際にはスケジュール通りに物事が運ばないことを念頭に入れておく必要がある。
さすがインド。
凄いぞインド。
極まったヨガの使い手は中国超人拳法の達人に匹敵すると聞いたことがある。現存する格闘技やスポーツの源流が中国超人拳法であることは誰もが知るところだが、歴史の奥深さではインドも負けてはいない。伊達に世界七大文明、通称ビッグセブンの一柱として君臨しているわけではないのだ。
「わかってきたぞ小早川秀。君、学業成績が残念な人だろう」
「高校で評価された記憶はないっすね」
インド転勤の話を受けた時にどう考えても出席日数も卒業単位も足りないので退学届を郵送したら、最近になって功夫服のおっさんが来た。
「おっさん言うな老師と呼びなさい」
「非常勤だからって天下一番を決めるような武闘大会で優勝決めそうな衣装で漢文の授業する中年コスプレイヤーを教師と呼ぶ法律はインドには存在しないっすよ?」
たぶん日本にも無いと思うけど。
張林山先生。
決してスーツ姿にならないチャイナ服教師。ただし中華服のドレスコードは守っているようなので、ジャージ姿でゲハゲハ笑う体育教師よりはマシであると風紀委員が諦めた口調で話していたのを覚えている。
インドの濃さに負けないチャイナの風格を全身から放っている張林山先生だが、出身地は鳥取で教員免状は島根の大学で取得したらしい。
でもチャイナ。
違和感なくチャイナ。
あたりに漂うカレー風味の香辛料ですら、張林山先生の周りでは五香粉に変化する。
「小早川君の学籍は、保留されている。前会長の姉君と、現会長の石田君からの指示という形ではあるが『秀っちが退学とかインドで永久就職したりすると、俺たち新旧生徒会長に殺されるっす』という趣旨の嘆願書が山ほど届いてな。ともかく身元の安全を確認するために吾輩が派遣された次第である」
自前で用意したプーアル茶をすすりながら、張林山先生は窓を見る。
すっかり恒例となった、生乾きのパンツが吊されている。
日差しが強いので簡単に乾くと思いきや、油断していると強風が吹き荒れて紛失してしまうのでパンツの補充が追いつかない。
「ここでの仕事に目処が立ったら日本に戻り、学業を再開する意思はあるとみて良いのであるか?」
「バイト先が正社員として雇用してくれるって話っす。一応任期はあと半年の予定すけど、日本に戻ったとしても復学し」
答えようとして、テーブルに置いた携帯端末が勝手に起動した。
件名 秀くん?
差出人 石田茜
宛先 小早川秀
本文 帰ってくるよね?
「ひいっ!」
悲鳴を上げたのは俺だ。
張林山先生は背中から木刀を引き抜いて、窓から飛び込んできた不審者と切り結んでいる。
「シユウ! どういうことですか、貴男は我らが部族の試練を見事に乗り越えて誇りある入り婿の地位を手に入れたではありませんか! 婚姻祖霊公認! 地域の信頼も篤く、長老衆も貴男ならば複数の嫁を娶っても問題なしと! ですから次の満月に行われる逆夜這既成事実婚祭では筆頭巫乙女をはじめとして数多の美少女達が!」
「ぬわっ! ふぬおっ! 何という剣速、何という一打の重み! 舞踊に見せかけて全身のバネを回転に換えて淀みなき連打の曲を奏でおる!」
あ、すげえ。
ガネイシア達だったら即座に吹き飛ばされてるサーシャさんの大蛮刀回転切りを、張林山先生は木刀と掌打で捌ききった。
鼻が三つ叉に分かれた超巨大なマンモス象をぶったぎりした技なんだぜアレ。全高二十メートル近かった。東京湾で見た○ンダム像よりも大きかったから間違いないはずだ。
「断罪する光牙の閃光よ、成就の妨げとなる慮外者に愛の裁きを!」
「屋内で広範囲殲滅術式など展開するでないわあ!」
気合い一閃。
張林山先生の振るった木刀がサーシャさんを吹き飛ばす、というか木刀の切っ先がサーシャさんの服を引っかけて建物の外に放り出した。サーシャさんの持ってた大蛮刀が深紅の光に包まれていたから、彼女は宇宙大戦争で黒装束に身を包み中間管理職を任される才能があるのかも。
すげえなインド。
さすが映画大国である。
窓の外から謎の爆発音とガネイシア達の悲鳴が聞こえてるけど、いつもの話なので多分大丈夫だろう。
件名 秀くん?
差出人 石田茜
宛先 小早川秀
本文 ねえ、今の女の人って誰?
携帯端末が勝手に起動していたが、俺も張林山先生も着信音に気づかないことにした。
◇◇◇
レポート提出と通信による定期的な面談で、インドで仕事しつつも高校に籍を残すことが認められた。
父の勤め先でアルバイトを始めた頃から部活は辞めていた。進学するにせよ就職するにせよ家を出ていくことは前々から決めていたし、その事については父にも相談していた。
件名 ねえ、卒業後の進路は?
差出人 小早川優
宛先 小早川秀
本文 もちろん日本だよね?
最近、携帯端末には触れていない。
とっくの昔にバッテリー切れを起こしている筈なのだが、気づくと勝手に充電されている。恐るべしインド。電脳最先端技術のひとつと呼ばれているだけはある。
「シユウ、現実を見ろ」
「HAHAHA★ 現実ってなんすっかねガネイシア? 今日はインドのお祭りで、日本から取材がやってくるかもしれないんだよお」
「取材というのは、集落の女共が自重せずに組み立てた婿取独身覇界竜のことか。それとも、婿取独身覇界竜の頭上でラクサーシアの姐御と殴り合ってる異邦の少女のことか?」
樹脂亜竜を瞬殺してのけるガネイシア達が、鮫映画の犠牲者みたいな顔で震えている。普段は市場のマダムたちをうっとりさせるバリトンボイスも、今は乙女ゲームの攻略対象みたいな艶を帯びたテノールに変化していた。
ガネイシア達が婿取独身覇界竜と呼ぶのは、青森のねぶた祭りを連想させる、極彩色の巨大な立体行灯。怪獣王みたいな二足歩行の大蜥蜴に巻き付き締め上げる下半身が蛇体の女神様を模したデザインで、女神様が頭上で掲げる櫓では独身の娘たちが好いた男の気を惹くべく情熱的な踊りを披露する──というのが本来の仕様らしい。
ただし頂点である櫓で踊ることを許されるのは女子力を極めた一握りの乙女のみ、そこに至らぬ少女達はスロープのように巻き付いている蛇身や怪獣王の頭上でアピールするのだとか。
インド、ぱねえっす。
行灯の大きさはその年の独身乙女達が婿取りにかけた情熱の強さに比例するらしく、今年は近隣の集落と合同で過去最大級のシロモノが完成したとガネイシア達が震えている。
「もうだめだ」「俺たちの独身時代は終焉を迎えるのだ」「冒険の旅に出て巨人の国を目指すという大望を果たすことなく家庭に縛られるのか」「慎ましく可憐な花のような少女と穏やかに日々を過ごす夢が」
言いたい放題か。
確かにガネイシア達は集落でも有望株の独身若手青年団。覗きやナンパなどで折檻を受けることも多々あるが、想いを寄せる娘達は多い。俺の店にもガネイシアの好みを聞き出そうとしたり、香辛料を仕入れにくるガネイシア達と偶然出くわした体を装って店の常連となった少女達は少なくない。
少なくないというか、たぶん集落の独身女性の大半がガネイシア達に気があるよな。
ははは、もげろ。
「がんばれガネイシア」
「天辺の櫓でラクサーシアと殴り合ってる女子高生、さっきから小早川君の名前を連呼してるんだけど」
「いやあああああ店長そんな空耳を口にしないでくれっすうううう!」
お祭りにあわせて仕入れにきていた「店長」さんからの非常な指摘。
鉄板で焼きそばを作ってはご近所の家族連れに振る舞っている。そんな「店長」さんも地上二十メートルのステージで殴り合ってる光景には視線を向けようとしない。というか誰も直視しようとしない。
だって舞踊がメインだもの。
求婚の、舞踊。
間違っても拳の先端が音速を超えたり、目から怪光線を放ったり、謎の金属生命体が強化外骨格となって女子高生に装着されたり、北斗七星を象った覆面姿の謎のチャイナ服おっさんが「やめんか馬鹿弟子がーっ!」と上空二百メートルくらいの空から後方伸身十五回転四千回ひねり北極星キックを櫓に炸裂させて巨大行灯を木っ端微塵に蹴り砕くことはない。
うん。悪は滅びた。
件名 そういや日本は今日から三連休で
差出人 小早川優
宛先 小早川秀
本文 茜ちゃんがすごい気合い入れたオシャレしてインド行ったよ
姉よ。
あなたの幼馴染はサーシャさんとダブルKOという快挙を成し遂げましたよ。
ところで、インド式の女子力に馴染みすぎた姉の幼馴染、誰が引き取るんだろうね。っておいガネイシア、回収してこっちに運ぶな。なんでサーシャさんも一緒なんだよ! ちょっと「店長」ぉ、ニヤニヤしながら帰り支度始めないで! あとそこの変態覆面教師、なに「ワシ、やりとげました」って態度で茶ぁ飲んでるんだよ! 今期から風紀委員会の顧問に就任したって姉からのメールにあったんだぞ!
ステイ。
ステイ、ステイ、ステーイ!
今日は婿取り祭りなの!
独身男が家に女性を迎えたらインド的にアウトな伝統祭りなの! 人生の墓場的な! 日本の法律とか倫理観とかそういうのが通用しないの! そこのマダム、全部わかってます的な微笑みで差し入れありがとうございます! インド式の精力剤ですね、バカヤロウ!
◇◇◇
翌朝。
羽柴課長から扶養手当に関する通知が届いた。そろそろ父をいっぺん殴るべきかと思うのだが、父のインド語研修は遅々として進んでいないようだ。
窓の外には今日も生乾きのパンツが干してある。
【登場人物紹介】
・小早川秀
主人公。多感な(主に海綿体が)16歳。色々あって無自覚シスコンだったが、姉からのキモい発言で傷心。学校を辞める勢いでインド(コロンブス的な)行きを決意する。敏感(海綿体が)。バイト時代はインド語のオペレーターとして電話対応などしていた。自分が派遣されたのがインドどころか地球ですらないことを理解しているが、インドで押し通すことにした。洗ったパンツが乾く暇がないほど青春している。
・小早川優
主人公の姉。18歳。前生徒会長。弟をキモいと陰口を叩いたが、逆上した弟に【検閲】されたい願望があった。学内ではほぼ全員が彼女の性癖に気付いている。実は主人公失踪直後にニューデリーまで殴り込みをかけ、弟がインドにいないことを確認していた。
・石田茜
主人公の同級生。16歳。新生徒会長。姉の幼馴染というポジションをアピールし、主人公に興味ないという体でストーキングを日課としていた。心ない言葉で傷ついた主人公を時間差で追いかけた後でコンビニエロ漫画誌みたいな展開でラヴクラフトする予定だったが、主人公は既にインド(?)に拉致されていた。国連平和維持軍特務第三課と契約しているフリーランスの魔法少女でもある。
・羽柴課長
株式会社仙刻商事の第二営業課の課長。突拍子もない人脈とアイディアで様々な商機を生み出すが、彼の発想と手書きメモを人類言語に翻訳できる人材がほぼ存在しないという欠点を持つ。スーダラ系を自称しているが部下はマトモな人が多い。インドに営業所を作るべく企画書を書いたら通ってしまったので慌てて主人公を派遣した。
・ガネイシアと愉快な仲間達
南アポロジア大陸に住む南方系大陸妖精族の若者。ダークエルフではない。舞踊と歌曲によって祖霊と精霊の力を宿し超人的な体術を発揮する戦闘部族のエリートであり、血筋としては王家に連なる貴い身分でもある。立場を超えて主人公と友誼を結ぶ。婿取り祭の犠牲者。
・ラクサーシア(サーシャ)
南方系大陸妖精族の筆頭巫女。呪術と体術に優れ、精霊の力を引き出すという点では大陸有数の実力を持つ。不老長寿であることもあり大抵の男性が最初からあきらめてしまう系の美人。立場とか何も知らずに接してくれる主人公を逃すと向こう千年は婚期はないぞと祖霊に警告されていた。主人公がパンツを夜中に洗う原因の八割。そのサイズで垂れないのは物理的におかしいでしょ!と喧嘩を売られやすい。
・森の中で養蜂を営むコスプレ一族の皆さん
いわゆる獣人族。特に猫系の獣人によって構成された集落で、プラントハンターでもある。主人公は大のお得意様なので今後のためにも嫁を送り込もうとして阻止された(サーシャに。拳で)。
・「店長」
秘密結社ユニオンプロジェクト壊滅の立役者の一人。因素汚染により現世への干渉が出来なくなった仙界の使い走りをしたり、造物主の尻を蹴ったりする。天狗星。影法師っぽいもの。
・張林山老師
通称、文科省の秘密のままにしておきたい兵器。鳥取生まれの島根育ちというのは教職免許を取得するために戸籍を捏造した際の情報。少なくとも二百年前から今の姿であるという証言や記述が多数。極星・柄杓星(+伴星)の九つを守護星とする九星宝龍拳という独自の武術を駆使する。通称・北斗七星仮面。ヒゲでチャイナ服のおっさん。師の名前は林甫。
・インド
インドではない。アポロジア大陸南部にある南方系大陸妖精族の自治区であり、独自の生態系と文化が発達している。香辛料や生薬が豊富であり、主な交易品として扱われている。生活必需品等の調達のため商人を欲していたら、異世界から来た商社(羽柴課長)との知遇を得て営業所の開設に至った。
主人公を逃す気はない。
・姉に売り払われた自転車
祖父の形見であり「お城の」という枕詞がつく英国製ハンドメイド小径自転車。バイト代をためて少しずつパーツを集めていた。なお売上金は「将来のため」の口座に振り込まれた模様。後日、売却額と評価額の落差でネットの自転車板が炎上した。
なお主人公は祖父の形見の自転車を完成させるため全国のマニアと連絡を取りつつパーツを手に入れていたためネトオクに自転車が売られた時には多くの関係者が保護返還に動いたという微笑ましいエピソードが存在する。
「まさかダブルパイロンがギャンガー並みの即決価格で売りに出されるとは思いませんでした」
とは落札した英国紳士の弁。