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喫茶風花

植木さんと喫茶店

作者: 原めぐみ

カラン、と入り口のベルが音を立てた。

結女は待ち人が現れたのを認めて、左手を挙げて合図した。

ダークスーツの青年だ。

結女よりは10歳年長だから、28歳なのだが年齢以上に落ち着いた見た目である。

結女のお気に入りのこの喫茶店には似合いの風貌だ。


「お待たせいたしました」


「いいえ?時間より早いぐらいですよ。植木さんはコーヒーでいいですよね?こだわりは?」


ない、とのことだったので、結女は顔見知りの店員、というより友人にブレンドをひとつオーダーする。


「お忙しいところすみません」


一応、断りを入れるけれど、


「これが私の仕事ですので問題ありません」


もちろんそう返ってくるのだ。

結女はこの実直で有能な祖父の秘書のことを存外気に入っている。


「先日、お嬢様が候補として挙げられた大学から勝手ながら2つに絞らせていただきました」


「ええ、それはお願いしたことですから構いません」


「本当に今月中に引っ越されたいとご希望なのですね?」


「はい」


笑顔で答えると、植木は少しだけ呆れたような様相を見せた。


「下見に行く必要があります。大学自体はまだしも、お嬢様が生活をなさる環境は確認をさせてください。この件に関しては私に一任されています。お嬢様のご都合次第ではありますが、来週中には場所を決めたいのですがいかがですか」


「卒業式も終わってますし、わたしは明日からでも大丈夫です。来週の予定もずらせますし」


表情にこそ出さなかったが、多分呆れられてるし、諦められている。


「少しお待ちいただけますか」


植木が机の上にノートパソコンを取り出して何かを始めるのを見守りながら、結女は先日のことを思い出す。


大学の合格発表の日だ。

稜上大学は結女の好きな人が在学している。

結女が入学したら、彼は四年なので会うことはほとんどないだろうけれど、それでも同じ大学なのは嬉しいだろうと受験したのだ。

合否は特に心配していなかったし、結果はもちろん合格だった。

そして、その日に会う約束をしていた彼にもう会えない、と告げられたのだ。

薄々知ってはいたし覚悟もしていたし仕方がないことだと思っている。

元々、結女が付きまとっていたのに近い。

彼にちゃんと好きな人ができたのだから、結女はもう近くにいてはいけないのだ。


ああ、これで別にもうここにいなくてもいいんだ


それが結女が1番に思ったことだ。


別に稜上大学に通う必要はないし、ここに住んでいる必要はないし、元々、日本に来た用事も済んでしまったし、だったら日本にいなくてもいい。


海外で放浪生活を10年ぐらい過ごしていたので、多少の閉塞感を覚えていた。


それでも祖父母への義理はある。

よって、結女はその日に祖父に連絡し、海外の大学に行くことを告げた。

候補となる大学を伝え、その中から祖父が安心できる場所を選んでもらうことにした。


そして、今日だ。


「手配をしましたので、明日14時にお迎えに参ります」


「さすが、お仕事早いですね」


結女の感嘆の声には表情を変えなかった。

植木はようやくコーヒーを飲んで、それから目を瞬かせた。

ゆっくりと店の様子を眺めて、結女を見た。


「お嬢様、こちらのお店はご紹介いただけたと思ってもよろしいですか」


「植木さんは気にいると思ってました。わたしもしばらく来られないし、代わりに来てください」


そのあと、植木の生活の中にこのお店がしっかり加わったことを結女が知るのは何年も後の話だ。

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