第97話 地獄のリンス
「やった。リンスが勝った」
「勝ったぞー」
「リンス」
「リンス」
「リンス」
死闘を終えてただ一人立ち上がった少女に大観衆は大歓声を上げてその勝利を称えた。いつしか日は傾き闘技場に立つ少女の影を長くしていた。
「法務長官、最後の勝ち名乗りを」
興奮した表情のレンブルが唖然とする王国法務長官を促した。
貴賓席最前列の王国法務長官が立ち上がると、勝ち名乗りを聞こうと観客席が静まった。
王国法務長官が声を出すより早く、貴賓席のシュメルが立ち上がって怒鳴った。
「作戦開始。斬って斬って斬りまくれ」
観客席に座っていた男たちが立ち上がり次々とマントを脱ぎ捨てた。マントの下は金ピカに輝くハーフメイルだった。シュメルの私兵隊だ。観客席のあちこちに紛れ込んでいた60人の私兵隊士たちが剣を抜いて市民たちに無差別で斬りかかった。
隣に座る男の肩を斬り下げ、逃げようとした老人の背中に剣を刺し込み、悲鳴を上げる婦人の腹を薙ぐ。観客席は逃げ惑う市民たちに襲い掛かる私兵隊によって阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。蛮行を働く金色のハーフメイルに夕陽が反射して不気味に輝いた。
「何をやっている、シュメル。止めさせろ」
温厚な子爵が叫び剣を抜いた。その前をホセ隊長を中心に警護隊が並んで子爵夫妻とレンブルを守った。ナント卿の前にも防衛隊長のドドロギが剣を構えて防ぎとなっている。
薄ら笑いを浮かべたシュメルも剣を抜いて言った。
「どうやら子爵の施政に不満を持った市民が暴動を起こしたようだ」
「ふざけるな、シュメル。大切な市民になんという事を。これは明らかな反逆行為で無差別殺人だ。父上、シュメルを討つご決断を」
「おい、ナント。そんな事を言っている間も市民たちは命を失っているのだぞ。大切な市民なんだろ、救援に向かわなくていいのか」
シュメルを囲む私兵隊は15人、子爵たちを守るのは警護隊の5人にホセ隊長とドドロギ防衛隊長の7人だけだ。迂闊に動けなかった。騒ぎを聞きつけて地下の西側控室を監視していた警護隊士たちと東側控室を担当していたラシードが観客席に向かったが逃げようとして出口に殺到した市民たちが邪魔になって前へ進めない。
円形闘技場内のリンスも異変を目の当たりにして呆然としていた。
エドガーを倒して全ての戦いが終わったはずだったのに今度は観客席で殺戮が始まったのだ。客席で金色のハーフメイルを着た私兵隊士が市民に斬りつけている。
助けなきゃ
リンスは手についた油を拭って、逃げ惑う市民の背中を斬ろうとしている私兵隊士に指を向けて唱えた。
「ファイアーショット」
指の先から発射された火の弾丸が客席の私兵隊士に向かって一直線に飛んだが闘技場と観客席の間に張り巡らされた物理・魔法防壁の青白い光膜に当たって消えた。
失敗した。直接狙ってもダメなんだ。
リンスは天に向けて指を伸ばしてファイアーショットを放った。
火の弾丸は薄暗くなった空をグングン上昇し、50mはある光膜を超えると急激にターンして下へ向かった。そして今にも市民を斬ろうとしている私兵隊士の脳天に撃ち込まれてこれを斃した。
次の敵を撃とうとしたリンスは思いとどまり自分のMPを確認した。
MP:30/82
MP30ではファイアーショットを6発しか撃てない。敵はまだ何十人もいてこれじゃ全然足りない。
エドガーを倒してまたレベルが上がったけど回復するわけじゃないし、さっきMPエクスポーションを飲んだばかりで30分以内にもう1本飲んでも意味が無いんだ。
どうしたらいいのか分からずにいる間も悲鳴や絶叫がリンスの耳に届く。自分を応援して危機が迫った時も教えてくれた親切な人々が次々と凶刃に倒れていく。目の前で繰り広げられる凶行になす術のないリンスだったがその目はちっとも諦めてはいなかった。
お父さんは言っていた、諦めたらダメだって。はぐれゴブリンに襲われた時だって諦めなかったから倒すことができた。強敵のエドガーだって諦めないで戦ったから勝つ事ができた。今度だって諦めなければ皆を助けられる。
残りのMPは30。これでファイアーショットを撃っても6人の敵しか斃せない。アロップと戦った時に実感したのは自分のファイアーショットが魔法士長という地位にあるアロップの同級土魔法であるストーンショットよりも強力だという事だ。だから敵の動きを止めるだけならもう少し威力を弱めても大丈夫のはず。
威力が強くても弱くても一発のファイアーショットで消費するMPは5ポイントで変わらない。それなら一発のファイアーショットを発射後に分割すればいいんじゃないかな。私のファイアーショットなら10分の1の威力でも敵の動きを止める事ができる。
リンスは指を空に向けてイメージした。撃った後に1発が10発に分かれるファイアーショットだ。決して力んだりせず、それが出来るのが当然だというイメージで頭を一杯にした。火は固形物じゃないんだから途中で分離したって全然不思議じゃない。当たり前なんだ。頭の中でそう確信してリンスは魔法の引き金を引いた。
リンスの指先から飛び出した火の弾丸は暗くなった空を駆け昇り物理・魔法防壁を超えると10個に分裂した。分裂してやや小さくなった火の弾丸は剣を振る私兵隊士たちを目掛けて駆け降りてその腕や肩や足に命中して10人の敵を戦闘不能に陥れた。
>>> 新魔法「多連装火弾」を創作しました
>>> 固有スキル【魔法創作】を覚醒しました
リンスは指を上げたまま多連装火弾を4連射した。
打ち上げ花火のように夜空に撃ち上がった4発の火の弾丸は上空に達するとそれぞれが10発に分裂し、40発の小さな火の弾丸が市民を襲う私兵隊士らを次々に捉えていった。
僅かな間に50人の私兵隊士が戦闘不能となったことで逃げ惑っていた市民たちは混乱から回復して反撃に転じ、残り10名となった私兵隊士たちを追い詰め遂には全員を捕らえた。
貴賓席で子爵たちと対峙していたシュメルと私兵隊はその様を見て余裕だった表情を一変させていた。シュメルの顔は悔しさで歪み、私兵隊士たちは圧倒的に不利になったことを悟り青くなった。観客席の私兵隊を鎮圧した市民やそれに合流した警護隊とラシード、騒乱を知って突入したナントの防衛隊が貴賓席に向かおうとすると、シュメルの周りを固めていた私兵隊士たちは武器を置いて降伏した。
「こんな馬鹿な事があるか。あのガキの魔法は何なんだ。何故俺が負けるんだ。おい長官、お前が証言しろ。俺は何もしていない。俺は悪くない。そうだろ」
「はて、見た所、シュメル殿の悪行は明白。王国の法に照らしても有罪は免れぬであろう」
「なんだと。お前に幾ら渡したと思っているんだ」
「はて、何の事ですかな。証拠はおありか。領収証を見せてもらおう」
「くそっ、どいつもこいつも馬鹿にしやがって。全員斬って捨てる」
シュメルは剣を振り上げて子爵たちに突進したが素早く身を寄せたドドロギの剣の柄を腹に受けてその場に昏倒した。
「ドドロギ、よくやった。ホセ、その者を拘束せよ」
シュメルと私兵隊士らは全員が拘束された。
客席で被害に遭った市民は200名以上いたが決闘をするリンスの為に救護班を用意していのが効いて死者は4名と少なかった。負傷者たちもポーションや回復魔法が効いて重篤になる者はいなかった。
一方の私兵隊は70名のうち負傷した者が55名、降伏して無傷だった者が10名、死者は5名だった。生き残った私兵隊士らは回復させた数日後に子爵の職権により即決裁判が開かれ鉱山での終身労働の刑が言い渡され即日連行された。
シュメルも即決裁判により貴族籍のはく奪とオーウイル家からの除籍、鉱山での終身労働が宣告された。シュメルも私兵隊士らも劣悪な環境で死ぬまで働かされることとなる。彼らが送られる鉱山は短い者は数十日で、長い者でも数年で命を失うと言われている。その鉱山に連行される時、泣き叫んで許しを乞う息子をオーウイル子爵は一顧だにしなかった。
ちなみに、王都へ戻った王国法務長官はその後、多方面からの収賄が明らかとなって全財産を没収のうえ国外追放処分となる。
円形闘技場での事件から1ケ月が経過したある日、リンスは旅装束で懐剣を手に子爵夫妻の部屋をノックした。
コンコン
「リンスっす」
「入りなさい」
部屋には子爵夫妻とレンブル、執事のゴーランドがいた。夫妻はテーブルでお茶を飲み、レンブルはソファーで木剣を眺めている。
「リンス、本当に行っちゃうんだな。せっかく俺様の魔法長と隊長と隊士にしてやったのに。俺様を置いていくなんて許さんぞ、いざ尋常に勝負勝負」
この子は全然変わらないな。ソファーに座ったまま目も合わせず木剣を眺めながらそんな事を言うなんて……やっぱりアホなんだ。
「レンブル様、寂しいのは私も同じですぞ。ですが男は涙など見せずに笑って送り出すものです」
ゴーランドがハンカチで目を押さえながら言った。
そう言われてみるとレンブルの目も潤んでいる。そうか、泣いているのを誤魔化しているんだ。
リンスは胸に熱いものがこみあげてくるのをぐっと我慢してテーブルのタリアに向いた。
「タリア様、お預かりしていた懐剣の研ぎが出来上がったっす」
リンスはそう言って奢侈な袋に入った懐剣を両手に持って差し出した。
「リンスちゃん、それは貴女にあげた物なのですよ。きっとこれからも守ってくれます。そのまま持っていてね」
「でも、これはタリア様のお婆さまからお母さまへ、お母さまからタリア様へ代々伝わって来た物っす」
「そうね。だからこそリンスちゃんに持っていて欲しいの。貴女のあ母さんはアーシアさんだけど私ももう貴女の母のつもりです。それともリンスちゃんは私が母では嫌かしら」
「そんな事はないっす。嬉しいっすよ」
「なら決まり。それはリンスちゃんの物よ。ここを貴女のお家だと思っていつでも戻ってきなさい」
子爵もウンウンと頷いている。リンスも頷くと懐剣を大事そうに仕舞った。
ソファーから立ち上がってレンブルがトコトコと歩いてリンスの前に来て言った。
「街の皆がリンスの事を何て呼んでいるか知ってるか」
「知らないっすよ」
「レンブル、何て呼ばれているんだ」
「地獄のリンス」
「なんだそれは」
「まあ、怖い。どうしてまた……」
夫妻が驚いて目を丸くした。
「ふふふ、どうだリンス、驚いたろ」
「……」
「レンブル、どうしてそんな風に呼ばれているんだ。リンスは皆を助けてくれたのだぞ」
「父上ご安心ください。呼び名の由来は、地獄に現れた救世主のリンス。略して地獄のリンス、なのです。俺様が広めました」
どうだ、と言わんばかりに胸を張るレンブルとは対照的に子爵夫妻は頭を抱えながら呟いた。
「それなら救世主リンスだろ、普通」
「私は」
リンスがとても悲しそうに喋りだした。
「私は救世主なんかじゃ無いっす。お父さんとお母さんを救えなかったっす。私が人質にならなければ、私がちゃんと戦えていたら、お父さんもお母さんも死ななかったっす。お父さんとお母さんが死んだのは私のせいっす。私がいなければお父さんもお母さんも生きて……楽しく生きていたっす」
そう言って泣きそうになるリンスに子爵が穏やかに話し掛けた。
「リンス、それだけは絶対に違うよ。親思う心にまさる親心といってね、お前がどれだけ親の事を思っていても、親がお前を思う心はそれ以上なんだよ。ご両親はリンスが元気に今を生きている事をどれほど嬉しく思っているか、親である私にはよく分かる。リンスの活躍を天国で笑って見ているよ」
リンスはそう言われて少しだけ気持ちが楽になった。
父親としてとても辛かったろうに息子のシュメルを終身刑にした子爵はやっぱり立派な人なんだ。
リンスは皆に丁寧にお礼を言って辞去した。
城の前には王都行きの駅馬車が停まっており、ラシードもいる。これからの事を聞かれたリンスが、両親が生まれた王都へ行くと言うと子爵が駅馬車の席を取ってラシードを護衛に付けてくれたのだ。駅馬車の周りには城で一緒に働いた人達やレンブルを通じて仲良くなった街の人々が見送りに来ていた。
「リンス元気でな」
「リンスちゃん、お菓子を焼いたから馬車で食べてね」
「リンス、寒いといけないから毛布を持っていきな」
優しい人々が渡してくれる様々な物をメイド長が取りまとめて馬車に積んでくれる。頼りになる人だ。
「ありがとう、地獄のリンス」
「また来るんだぞ、地獄のリンス」
皆が笑顔で見送ってくれるなか、逞しい御者がドアを開けてくれた。あれ、御者さんの手がプルプルと震えている。
「地獄のリンス、元気でな」
うん、いつかレンブルを殴ろう
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