第96話 最終戦
デガルグが敗れるのを目の当たりにしたシュメルは西側控室に向かおうとして、ふと思いとどまって考えると口の端を吊り上げて笑った。そして最前列に座る決闘の証人で進行役の王国法務長官に小声で話し掛けた。暫く話した後で貴賓席を出て控室へ向かった。王国法務長官は微かに含み笑いを浮かべていた。
控室に来たシュメルから結果を聞かされたアロップは沈痛な面持ちで呟いた。
「デガルグまで殺られてしまうとは、次は私の番か」
「確かに次はアロップだが、エドガーも同時に戦う事になった。長官も了承した」
そう言ったシュメルにアロップが尋ねた。
「それはどういう事でしょう。2対1という事ですか。どうしてまた……」
「あのガキが決闘を申し込んだときの口上を覚えているか」
エドガーとアロップはその時の様子を思い出して考えたが分からないようで首を横に振った。
「あのガキはこう言ったんだ。アイスマン、ベリーズ、チャンクス、デガルグ、アロップ及びエドガーに決闘を申し込む。そしてあの時、証人もこう宣言した。決闘はアイスマン、ベリーズ、チャンクス、デガルグ、アロップ及びエドガーの順とする、とな。つまり最終戦はアロップ及びエドガーの二人がガキと戦うんだ」
「言われてみれば確かにそう言っていた気はしますが証人がよく受け入れましたな」
「ああ、肩入れしていた俺が失脚すれば自分の地位も危うくなるからな」
シュメルは貴賓席へ戻りエドガーとアロップは余裕を取り戻して作戦を練った。
「娘は前の戦いでファイアーショット5発とファイアーボール10発を撃ったそうな。つまり娘のMPは55以上あるという事だよ。通常の8歳はMP20から25だから驚くばかりだ。今頃はMPエクスポーションを飲んで全回復しているだろう。
次の戦いまで30分あるから戦闘中にもう一度MPエクスポーションを飲むことができる。すなわち娘はファイアーショットを最低でも22発撃てるという計算になる。一方私のMPは130で使い切ってMPエクスポーションを飲んで100回復したとして230のMPを使えるという事だ。
ストーンショットなら46発、ロックスピアなら32回、ロックウオールなら28回可能だ。錬金術を重ねれば威力が上がるが回数は半減する。それでも相当な数だよ。隊長の固有スキル【皮膚硬化】と私の魔法があれば負ける筈がない……」
シュメルが戻った貴賓席では王国法務長官が警護隊長のホセに指示を出していた。
「あと10分で決闘の最終戦だ。準備は良いか」
「長官、決闘はあと2戦です」
「いや、次の決闘が最終戦となる。アロップ及びエドガー対リンスの決闘だ」
「仰っている意味が分かりかねます。二人一緒にリンスと戦わせるおつもりですか」
「聞き捨てならんな。俺様はそんな決闘認めんぞ」
「長官、これはどういうことだね。きちんと説明してくれ」
二人のやり取りを耳にしたレンブルと子爵が食って掛かったが王国法務長官は平然と言ってのける。
「リンスは決闘の口上でアロップ及びエドガーに決闘を申し込むと言い。私はそれを了承しました。すなわち最終戦はアロップ及びエドガー対リンスです」
ナントが長官に掴みかからんばかりに詰め寄った。
「そんなこじつけが通るわけがない。2対1の決闘など有り得ない事で、どういう口上にしろそれぞれ別々に決闘を申し込んだと理解するのが普通だ。王国法務長官ともあろうお方がそのような不公平不誠実な進行をして良いのか」
「おいナント、レンブル、嫌なら中止にしても良いが一度宣言された決闘を断ったとあってはリンスとかいうガキの人間性が疑われるぞ。裁判官もそのような者の証言など信じないであろう。そしてそんな疑わしいガキの肩を持って王国法務長官を公然と侮辱したナントも次期子爵の器でないことが国の内外に知れ渡るであろうな。さあどうするんだ。やるのか止めるのか、俺はどっちでもいいんだぞ」
怒りに震えて答えを出しあぐねる二人に子爵が言った。
「このような決闘をしてはならない。大切なのはリンスの命だ。エドガーとアロップはリンスの証言以外にも証拠を集めて必ず極刑にする。そしてシュメル、お前はどこまで堕ちる気だ。次期子爵の器だと、そもそもお前に子爵を継がせる気など無いわ。お前の貴族籍を抹消して一般市民として裁判をしてくれるからそのつもりでおれ」
ふん、バカな子爵だ。レンブルの性格からして中止になどする訳がないだろうが。最初は親殺しなど気が進まなかったが今の言葉を聞いた後ならなんの躊躇いもなく殺せるぜ。最終戦が終わった時がお前ら全員が死ぬ時だ。シュメルは不敵な笑みを浮かべなら返事を待っていた。
「俺様がリンスの希望を聞いてくる」
レンブルはそう言って控室へ走って行った。そしてすぐに走って戻って来た。
「俺様のリンスは、問題ない楽勝っす、と言っていたぞ」
「リンスちゃん」
子爵夫人のタリアが心配そうに名を呼んだ。
東側控室ではラシードが時間を告げてリンスを呼び出した。
階段を上がり闘技場の扉に手を掛けたリンスにラシードが言った。
「相手は二人だそうだね。扉の鍵は開けておくから危なくなったら逃げてくるんだ。こんな決闘は尋常じゃない、逃げたって誰も文句を言わないよ。リンス、死ぬな」
「大丈夫っす。あんな奴等に負けないっす。でも、感謝っすよ」
闘技場に入ったリンスを歓声が迎えた。青いローブととんがり帽、右手に紫檀のステッキを持ち左手には革の盾を持っている。アロップの錬金術を警戒して金属製の盾を避けて革を何枚も重ねた盾にしたのだ。今回もまた両方のポケットが膨らんでいる。
西側控室を出たアロップとエドガーはアイスマンたち四人の死体が並ぶ通路を通って闘技場へ向かった。ほんの数時間前まで下世話な話で笑っていた者たちの変わり果てた姿にアロップは胃の中の物が逆流しそうになったがエドガーは見慣れているのか一顧だにしなかった。
西側出入口から白い頭巾と白いローブのアロップが現れると会場中から罵声が飛んだがアロップに続いて金色のハーフメイルを着たエドガーが入ってくると観衆たちは意味が分からずに戸惑った。
「なんでお前まで来るんだよ。お前はこの次だ」
「お呼びじゃねえんだ。引っ込め」
エドガーの登場が間違いだと思った観衆が騒いだが、王国法務長官が立ち上がって、
「これよりアロップ及びエドガーとリンスの決闘を行う。なお、アロップとエドガーの二人と戦うのは当初よりリンスが希望していた事である。では、はじめ」
と有無を言わせずに開始を宣言した。
「ふざけるな、2対1なんて決闘じゃねえだろ」
「また何か汚ねえ手を使ったな。陰険なシュメルの仕業に違いねえ」
「法務長官のお前もグルか」
会場の全員が長官とシュメルを疑い嫌悪したがアロップが銀色のステッキを伸ばして、
「ストーンショット」
と唱えて魔法を撃つと観衆は静まってリンスの応援に集中した。
銀色のステッキの先端から飛び出した石の弾丸がリンスに向かって飛んだ。リンスは革の盾で顔を隠したが敢えて避けずにその場に立ったまま石の弾丸の速度を体に覚えさせようとした。石の弾丸は3mほど離れた場所を通って闘技場と観客席を隔てる物理・魔法防壁に当たって落ちた。
私が避けると計算して撃ったんだ。今のが普通のストーンショットなのか錬金術を重ねたストーンショットなのかは分からないけど次に撃てば速度の違いで分かるはず。それに魔法士長というからもっと凄いのかと思ったけどお父さんのファイアーショットよりも全然遅かった。あれなら見ながらでも避けられそうだ。
自分の撃ったストーンショットが外れたのを見たアロップが言った。
「外したか。娘が逃げると思って撃ったのだが、恐ろしくて動けなかったとみえる」
「よし、作戦通り俺が前に出る。あんたはしっかり自分のガードをしろよ」
エドガーが先頭に立ってリンスに向かって歩き始めた。その後ろ3mほどの間隔でアロップが続く。
なぜだろう、今回は二人とも厳重な鎧を着てないな。お父さんとお母さんを殺したエドガーという男は大尉さんと決闘をした時に【皮膚硬化】という固有スキルを使っていた。剣で体を刺したはずなのに弾き返してしかも剣の先が曲がっていたんだ。ファイアーショットも弾き返す自信があるのかも。
後ろのアロップもローブだけで顔や手が剥き出しのままだ。どうやって防ぐつもりなんだろう。決闘の最中に2回レベルが上がってMPには余裕があるし試してみよう。
「ファイアーショット」
ステッキの先から火の弾丸が飛び出して一直線にアロップの顔面をめがけて飛んだ。その距離が10mほどになったところでアロップが魔法を使った。
「ロックウオール」
地面から岩の壁が生えて火の弾丸の進路を塞いだ。リンスが火の弾丸を上へ誘導すると岩の壁も成長を続けて伸びていき火の弾丸は壁にぶつかって消えた。
「やはり娘のファイアーショットでは私の岩壁を貫通することはできないようだ」
二人はそのまま進みリンスとの距離が30mほどになった所で二手に分かれた。エドガーは左に、アロップが右に進んだ。それを見た市民たちはとたんに不安になって口々に呟いた。
「リンスちゃん大丈夫かな。挟み撃ちにされちゃうよ」
「今までの4人と違って盾や鎧で守ろうとしてないって事は二人ともリンスの魔法に対して自信があるんだ」
「そんなのが一人でも強敵なのに二人もいるんだぜ。あいつら汚ねえよ」
挟み撃ちは嫌だな。前と後ろの両方を相手に戦えるわけない。どっちかに絞らないとダメだ。エドガーにするかアロップにするか。エドガーに向けば後ろからストーンショットを撃たれるし、最初はアロップだ。
リンスはアロップに向かって走った。
スタタタ
自分に向かって走るリンスが20mほどになった所でアロップが唱えた。
「ロックウオール」
リンスの前に岩の壁が伸び上がり行く手を遮った。壁の高さは1mほどで身長120cmのリンスには容易に乗り越えられないがアロップからはリンスの動きが見える高さに抑えられている。リンスがそれを避けようと左に進路を取ると再びアロップがロックウオールで進路を遮った。
「次で袋小路の出来上がりだ」
リンスの左手に壁を作れば行き止まりの路地となり後ろから迫るエドガーが仕留める。事前に立てた作戦通りだ。
「ロックウオール」
アロップが仕上げの魔法を唱えるのと同時にリンスも火魔法を撃った。
「ファイアーショット」
ステッキの先端から飛び出した火の弾丸が自分に向かうのを見たアロップはロックウオールを途中で止めて新たに、
「ロックウオール」
自分の前に壁を作ってガードした。火の弾丸は壁の横をすり抜けて物凄いスピードでアロップの横を通り遥か後ろの物理・魔法防壁に当たって消えた。
最初の一発よりも速いファイアーショットを間近に感じたアロップは通路で見た四つの死体や無残な血の痕を思い出して身が竦んでいた。
リンスはその間に出来損ないの低い岩壁を飛び越えてエドガーの後方へ逃れていた。
「アロップ、おいアロップ」
自分を呼ぶ声で我に返ったアロップにエドガーが指示をした。
「もう一度やり直しだ。失敗したが悪くなかった」
エドガーは付いて来いというように手を振ってリンスへ向かって歩き始めた。
それを見たリンスが左へ逃れようとすると後ろのアロップもそちらへ行き、右へ逃れようとするとアロップもそれを遮るように進路を変えた。
ダメだ。どうやっても挟み撃ちにされちゃう。
「ファイアーショット」
エドガーの顔面を狙って撃った。
エドガーは僅かに顔を動かして右目だけを瞑った。火の弾丸はエドガーの顔の右側スレスレを掠めて後方のアロップに向かったがアロップのロックウオールに当たって消えた。
余裕で避けられてしまった。目が急所だと思ったのにエドガーは焦ることもなく目を閉じて顔を少しずらしただけだった。当たったとしてもダメージを受けない自信があったんだ。瞼も皮膚だから【皮膚硬化】というスキルで攻撃を弾けるとしたらもう弱点なんて見つけられない。でもきっとなんとかなる、限界を決めちゃダメだってお父さんが言っていた。
まずはアロップだ。
「ファイアーショット、ファイアーショット」
リンスは撃つと同時に正面のエドガーに向かって走った。火の弾丸はエドガーの顔を目指しエドガーが両瞼を閉じて目を守ると眼前で左右に分かれて逸れていった。エドガーは目を開けるとダッシュで脇をすり抜けようとするリンスをサーベルで横薙ぎにしたが、リンスは前に身を投げ出し前転して刃に空を斬らせた。
エドガーは転がるリンスを蹴ろうと足を伸ばしたがリンスが苦し紛れに紫檀のステッキで刺そうとすると素早く飛び下がって構えなおした。リンスは飛び起きると構えるエドガーに見向きもせずにアロップに向かった。
「ロックウオール」
アロップは再び袋小路作戦を取るべくリンスの前に岩壁を作ろうとしたが、先程リンスが撃った2発のファイアーショットが自分の両側から迫っているのに気付くと新たにロックウオールを発動させた。
地面から岩の壁がアロップの周りを筒状に囲むようにせり上がった。火の弾丸がその岩壁を避けるように上昇すると岩壁も上へ伸びたが3mほどで成長が止まった。火の弾丸は上昇を続け上空30mほどでターンして円筒状の岩壁の中に撃ち込まれた。
「やった」
「凄い、魔法士長を仕留めたぞ」
観衆が歓喜する中、円筒形の岩壁が砂埃を上げながら崩れて土に戻った。砂埃の中には解除魔法で岩壁を崩した無傷のアロップが立っていた。
「ふう、危ない所だった。私の頭巾もローブもロイヤルメタルワームの糸でできている。高かったが買っておいて良かった」
パタパタとローブについた埃を払い落してから向かってくるリンスにステッキを伸ばして唱えた。
「ロックスピア」
足元の地面が盛り上がるのを見たリンスが飛び退くと、盛り上がった地面から岩でできた鋭利な槍が伸びた。
「ロックスピア」
アロップが更に唱えると飛び退いた先のリンスの足元から岩の槍が突き出した。地面の盛り上がりで察知したリンスはなんとか避けて無事だった。
危なかったな。ホセさんに教えてもらっていなければ刺さっていた。あんなのが刺さると思ったら怖すぎる。やっぱりアロップから倒さないとダメだ。
アロップの魔法は一度発動させるとそれが完結するか途中で止めるかするまでは次の魔法が使えないみたいだ。岩の壁も同時に何枚も出せる訳じゃないし、岩の槍だって同時に何本も出せる訳じゃない。だから魔法を発動させた直後にチャンスがある。
そう思った時、大観衆から揃った声が聞こえた。
「後ろ」
リンスが前へ転がるのとサーベルが薙ぐのとが同時だった。サーベルの刃が青いローブを掠めたがロイヤルメタルワームの糸でできたローブは切れなかった。
「ちっ」
いつの間にか後ろから距離を詰めていたエドガーが舌打ちした。
みんなが教えてくれなかったら首をバッサリ斬られていた。
リンスは素早く起き上がるとアロップに直進した。アロップは岩壁で足止めするか岩槍で攻撃するか迷った末に岩壁を選んだ。
「ロックウオール」
リンスの前に岩壁が生じたがアロップの迷いのために発動が遅れ充分な高さに達する前にリンスに飛び越えられてしまい、後ろ追うエドガーを足止めする結果となった。
「しまった、ロックスピア」
焦って発動させた岩槍はリンスが走りすぎた空を虚しく突いただけだった。
「くそ、ストーンショット」
アロップが撃った石の弾丸は最初に見たのよりもスピードが速い事に気付いたリンスは避けずに革の盾で受けた。
それを見たアロップは僅かに笑みを浮かべて次弾を放った。
「ストーンショット」
先ほどよりも少しだけ遅いのを感じたリンスは横に飛び退いてやり過ごすとアロップが悔しそうに顔をしかめた。今のが錬金術を重ねたファイアーショットだったのだ。当たっていればHPを削られただろう。
「ファイアーショット、ファイアーショット」
真横に放たれたそれぞれの火の弾丸は横に広がり大きくターンすると両側からアロップの顔を狙って飛んだ。
「何度やっても無駄だ。ロックウオール」
アロップは同じ手を馬鹿にするように余裕の表情で魔法を唱えて筒状の岩壁で周囲をガードした。二発の火の弾丸は先ほどと同じように上昇したがリンスが誘導しなかったためにグングン上昇して空中で消失した。その隙にリンスは筒状の岩壁に走り寄っていた。そして右のポケットから取り出した瓶を壁の中に
投げ込むと同時に火魔法を放った。
「ファーアーボール、ファイアーボール」
ステッキの先から出た火の玉は上へ飛んだ。
ガシャーン、筒状の岩壁の中でガラスの割れる音がした。
上へ飛んだ二つの火の玉はすぐにターンして下へ、筒壁の中へ入った。
「ぬわ、油だ」
筒壁の中からアロップの焦った声がしたかと思うと解除魔法で壁を崩したアロップが飛び出してきた。その直後、地面の油にファイアーボールが落ちて燃えたがアロップは無事だった。
「ハァハァ、許さんぞ」
アロップがリンスにステッキを向けて唱えた。
「ストーンショット」
そのスピードを見切ったリンスは錬金術が重ねられていない事を確信して避けもせずに革の盾で受けた。
ボンという音を残して石が下に落ちると同時にアロップが再度撃った。
「ストーンショット」
少しだけ遅いストーンショットをリンスは受けずに避けてみせた。
「おのれ、避けたり受けたり、まさか私の土と金の魔法を見切ったというのか」
「見切ったっすよ。全てお見通しっす」
リンスがそう言った時、会場中の観衆が声を揃えて叫んだ。
「リンス、後ろ」
リンスが素早さ3割増しの魔法の革靴の力を借りて前へダッシュすると、今までリンスの居た場所にエドガーのサーベルが突き込まれていた。
「危なかったっす。皆のおかげっす。ファイアーショット」
ステッキの先端から飛び出した火の弾丸はエドガーの目を狙ったがエドガーが目を瞑るのを見たリンスは進路をずらして闘技場を一周させた。
「アロップ、一気に決めるぞ。俺が突っ込むからお前は壁をどんどん作れ」
アロップはそう言って駆け出した。リンスもスタスタと走り出した。
「ロックウオール」
アロップの声がしたが壁はできなかった。MP切れだ。
「しまった」
急ぎポケットからMPエクスポーションを取り出すアロップの耳がリンスの声を聞いた。
「ファイーショット」
自分に向かって飛ぶ火の弾丸を見たアロップは回れ右をして背中を見せた。
ふっ、ロイヤルメタルワームの糸でできた頭巾とローブで後は完全に守られているのだ。剥き出しなのは顔だけだ。娘のファイアーショットが一周してきたとしても俺に届く前にMPエクスポーションを飲み干してやる。
そう思って後ろを向いたアロップの目前に先ほどリンスが撃ったファイアーショットが迫っていた。呆然とするアロップの眉間に飛び込んだ火の弾丸は脳を貫通して頭巾の内側で止まった。
虚ろな目のアロップは眉間から血を流して崩れ落ちた。
「MPの残りは気にしておかなきゃっすよ。ファイアーショット、ファイアーショット」
リンスは2連射した後でポケットからMPエクスポーションを取り出して飲み干した。
2発のファイアーショットは闘技場を一周するとエドガーの両目に向かって飛んだ。エドガーが目を閉じると火の弾丸は両瞼に当たって消えた。瞼には傷ひとつ付いていなかった。
「ハァ、ハァ、ハァ」
前屈みになり膝に手を当てて肩で息をした。
走り続けたリンスの体力も限界に近付いていた。
「諦めろ。ファイアーボールだろうがファイアーショットだろうが、お前の得意な火魔法では俺に傷さえ負わすことはできん」
リンスの後ろにはアロップが作った岩壁がそこここにあって退路を塞いでいる。いや岩壁が無かったとしても体力の尽きた今のリンスではすぐに追いつかれてしまうだろう。
リンスは低い壁を背にしてエドガーと向き合った。そこへサーベルを握ったエドガーが歩み寄る。その距離が5mほどになった時、リンスは左のポケットから瓶を取り出してエドガーに投げて唱えた。
「ファイアーショット」
火の弾丸が瓶に命中する寸前、エドガーがその瓶を掴んだ。火の弾丸は【皮膚硬化】されたエドガーの手の甲に当たって弾かれた。
エドガーは瓶のコルク栓を開けて匂いを嗅いだ。
「油か。ガキの浅知恵だな。同じ手に何度も掛かるか」
エドガーは冷酷な笑顔を浮かべながら歩み寄る。
「ファイアーショット、ファイアーショット」
リンスの放ったファイアーショットは【皮膚硬化】されたエドガーの皮膚に阻まれて尽く弾かれてしまう。
「ダメだ。リンスのファイアーショットが効かない」
「どうすんだよ。戦いようが無いぜ」
「リンスちゃん」
観衆が悲嘆すればするほどエドガーは口の端を嬉しそうに上げながらリンスに近付いてゆく。
「ファイアーショット」
苦し紛れで撃ってみたがエドガーにはダメージを与えられない。
魔法を諦めたリンスはステッキを左手に持ち替え右手でタリアから貰った懐剣を握って抜いた。
それを見たエドガーが楽しそうに言った。
「ほう、そんなものでどうする気だ。ほら、刺すなり斬るなり好きにしてみろ」
エドガーはリンスの間近まで寄って両腕を広げて隙だらけの体を晒した。
「お父さんとお母さんの仇っす」
リンスは叫びながら懐剣を振りまわした。懐剣の刃はエドガーの腕や首に当たるが傷つける事ができなかった。
ドン
エドガーがリンスの腹に膝蹴りを入れるとリンスは崩れ落ちた。
「ううっ」
苦しそうに呻くリンスの腹を足て踏みつけたエドガーが言った。
「あの時と同じだな。弱いお前は何も出来ない。ただ殺されるだけだ。今回は縛り首は無理だから首を斬り落としてお前を応援する馬鹿なクズどもに見せつけてやろう。それからこれはお前に返してやる」
エドガーは握っていた瓶を逆さまにして中の油をリンスにドボドボと掛けた。
「ハハハ、火魔法を使えばお前は火達磨だ。そうだ、今回も死に方を選ばせてやろう。火達磨になって焼け死ぬか、首を斬り落とされて死ぬか。どっちにする」
リンスは懐剣で自分を踏みつけるエドガーの足を刺した。懐剣はブーツを貫いたが【皮膚硬化】されたエドガーの足に当たってガンと音を立てて止まった。懐剣を上げると刃先が潰れていた。
「無駄だと言ったろ。ほら命乞いでもしてみろよ。お前の父親のように泣きながら詫びて命乞いをしてみろ、母親のように裸になって体を差し出しながら命乞いをしてみろよ」
「嘘をつくなっす。お父さんもお母さんもそんな事してないっす」
そうなんだ、お父さんもお母さんも自分が助かろうなんて考えてなかった。お父さんは私を助けようとして武器を捨てた。そして襲われそうになったお母さんを助けようとして折れたステッキで戦ったんだ。お母さんはお父さんの仇を討とうとして、その折れたステッキで突き掛かって斬られた。
あれ、でもエドガーは【皮膚硬化】スキルがあるのにどうしてさっきみたいに攻撃させておかなかったんだろう。たかが折れたステッキ、放っておいてもダメージなんて受けなかったはずだ。こいつの性格なら攻撃させて、それが効かない事を思い知らせて絶望のどん底に陥れて馬鹿みたいに喜んだはずだ。そうしなかったのは何故だろう。そういえばさっきステッキで刺そうとしたら飛び退いた。もしかしたら……
リンスは懐剣を手放して両手で紫檀のステッキをしっかりと握った。
エドガーは満席の観衆を見渡し、自分が勝者でこれからお前らの大好きな者を殺すと告げるように両手を高からかに上げている。
リンスはさっき懐剣で空けたブーツの穴をめがけて思い切りステッキで刺した。
「ぐわっ」
エドガーは苦痛に歪んだ顔で足に刺さったステッキを見下ろした。そしてサーベルで払うとステッキは飛んでいきカラカラと音を立てて転がった。
ブーツの穴から血がにじみ出した。
「刺さった」
リンスが驚きの表情を浮かべるとエドガーが舌打ちしながら呟いた。
「ふっ、ばれたか。冥途の土産に教えてやる。本当は【対無機物防御】っていう固有スキルなんだぜ。【皮膚硬化】なんてスキルじゃねえ。そう言っときゃ誰も俺に手出しをしねえしお前や決闘した大尉みてえに戦っても目が弱点だと思ってそこばかり攻撃してくるんだ。目だって弱点でもなんでもねえのにな。さあてとお喋りはお終いだ。今からお前の首を斬り落とす」
エドガーはリンスの父親ソレンタスやミケルシュ大尉を斬る前にやったように頭上でサーベルをくるくると回して観衆に自分の雄姿を見せつけた。
貴賓席のシュメルを見たエドガーにシュメルが頷いた。これが終われば会場の私兵隊が周りの市民に襲いかかり皆殺しにする手筈だ。
そんなエドガーの足の傷にリンスは指先を突っ込んだ。そして心の中で何度も何度も唱えた。
「痛えな。だが痛いだけだ、それじゃあ人は殺せないぜ」
僅かな抵抗を馬鹿したように見下ろすエドガーにリンスが言った。
「メイドさんへのお土産に教えてやるっす。スッテキが無くても魔法は撃てるっす」
それを聞いたエドガーがジャンプしてリンスとの距離を開けた。
「もう遅いっすよ。お前の足の中でファイアーボールを何発も撃ったっす。私は無唱で魔法が使えるっすよ」
リンスはそう言ってエドガーの足を指差した。
エドガーの足が真っ赤になり膨らんでいた。傷口に刺し込んだ指の先から放たれたファイアーボールが足の中から肉を焼き血液を沸騰させていたのだ。
「熱い、痛い、嫌だ嫌だ死にたくない。助けてくれ、俺が悪かったよ。死にたくない。熱い、痛い、苦しい」
グツグツと沸騰した血液は全身に回った。
プシャー
体中から血を噴き出してエドガーは死んだ。
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