第88話 シュメルの企み
ラシードに連れられて執務室へ行って報告をすると子爵は喜んでくれたが執事は頭を抱えて注意した。
「リンス、その口調はどうにかならないのかね。いくら何でも旦那様に失礼だ」
「子爵様には感謝しているっすよ。もちろん尊敬しているっす。決してわざとじゃないっす。仕方ないっす」
本当の事だった。リンス自身も気にしていて何度も直そうと努力したが普通に話そうとすると何故か一言も喋れないのだ。工夫して、途中までは普通に喋って語尾の「っす」になる直前で黙ろうと思うとそればかり意識してしまって結局は何も喋れなくなってしまう。沈黙するかこのまま喋るかどちらかだった。
「ず、頭痛が。旦那様、屋敷の者には私から説明しますし問題はありませんが、民の前でこのような口調で旦那様やご家族と話をされては示しかつきません」
「良いではないか、むしろワシは楽しくて好きだぞ」
オウムの声で戻ったリンスの独特な言葉遣いは子爵の鶴の一声で許されることになった。
ソレンタス夫妻殺害事件の捜査でローレナンド地方に行っているはずのアロップ魔法士長はカシュガルド地方の長官公邸にいた。
「アロップ、事件の捜査はどうなっておる」
「はっ、シュメル様。完全に行き詰っております」
「ん、そうなのか、目撃者がいたと聞いているぞ。しかもソレンタスの娘だそうだな。エドガーは皆殺しにしたと言っておったのに、しくじりおって」
「心配要りません。その娘の目撃証言が逆に役立っているのです」
「それはどういうことだ」
「なかなかに聡い娘で犯人の容姿や服装を事細かに記憶していたのです。ですがエドガーたちは犯行前に着替えて容姿もむさ苦しい警護隊に合わせて変えております。ですから娘の目撃情報を元に探しても絶対に見つけることはできないのです。まさか眉目秀麗な者ばかりのシュメル様の私兵隊とは誰も思いません」
「ほう、エドガーめ悪運だけは強いようだ。可哀そうにソレンタスは何故自分が襲われたのか分からなかっただろうな」
「最後まで盗賊に襲われたと思っていたに違いありません。まさか経理主任が盗み出した裏帳簿を自分に運ばせていたとは思いもしなかったでしょう。そのソレスタスですがエドガー達が立ち去った後に息を吹き返したようで、はぐれゴブリンの死骸が5つ現場に転がっていたそうです」
「そうか、最後に娘を守って死んでいったのか」
「それで裏帳簿はお手元に届きましたか」
「ああ、報告書の紙を二重にしてその間に入っていた。既に燃やしたし、裏切った経理主任も拷問の末ボロボロになって死におった。証拠は何一つ残っておらん」
「これでまた領内の作物を横流しできますな」
「うむ、とにかく金が必要だ。王の側近に金をばら撒いて兄者の爵位継承に横やりを入れてもらわねばならん。次の子爵はあんな真面目一辺倒の堅物よりも清濁併せ呑む覚悟のあるワシしかおらん」
「流石です。シュメル様が領主となればオーウイル家は安泰です。その際にはこのアロップめも何卒……」
「わかっておる。お前を領主代行とした上で新しく魔法長官というポストを設置就任してもらう。領内の魔法に係わる全てを取り仕切るのだ。そもそもお前を魔法士長程度に留めておく父上がおかしいのだ。二つも適性のある魔法属性を持つ魔法使いなどそうそういるものではない、厚遇して当たり前なのだ」
アロップはこれ以上ないという程の喜びの表情を浮かべて感謝した。
「ははぁ、ありがたき幸せ。シュメル様の為に身を粉にして働きます。ところで来月開催される闘技会には参加なさるのですか」
「無論だ。領民どもに我が私兵の強さを知らしめるまたとない機会だ。汚れ仕事も厭わぬ殺しのプロばかりを集めた本物の軍隊でナントの防衛隊も父の警護隊も一捻りにしてくれる」
「リンス、剣の修行に行くから供をせよ」
「いいっすよ」
レンブル付きの警護隊員3名とリンス付きのラシードを引き連れて闘技場へ出向いた。闘技場の地下には訓練用の部屋がいくつもあってレンブルはその一つを占領して剣の修行を行うのが好きなのだ。剣の修行といってもゴブリンの軍勢をイメージして剣を振って走り回るだけの一人チャンバラごっこなのだが、元気を持て余しているレンブルは楽しくて仕方がないようだ。
その間、リンスは隣の弓術用の部屋を借りて魔法の練習をしていた。この部屋は矢が刺さってもいいように地面も的を置く場所も砂地になっていて火魔法には丁度良いのだ。リンスは砂の斜面に指で的を書いてファイアーボールやファイアーショットを撃った。
リンスの手には父親から貰った紫檀のステッキが握られていた。前から持っていた木のステッキも父親の黒檀のステッキも盗賊に壊されてしまったがこれだけは難を逃れたのだ。
ステッキ無しでも撃てるけど、お父さんに貰ったこのステッキの方が強くて速いのが撃てる。
「ファイアーショット」
ステッキを振るまでもなく先端から発射された火の弾丸が砂で書いた的に命中して穴を開けた。
本当は【無唱】スキルがあるから無言でも撃てるが声に出した方が格好良いからそうしているし、魔法を撃つ時だけは「っす」にならないからそれもわざわざ声を出して撃つ理由の一つだ。
今度は後向きでやってみよう。
回れ右をして入口の方を向いたリンスが唱えた。
「ファイアーショット」
発射された火の弾丸はすぐにUターンして後方の的に命中した。はぐれゴブリンとの戦いの末に覚醒した固有スキル【誘導弾】の成果だ。ファイアーボールやファイアーショットと【誘導弾】を組み合わせると狙った所に確実に命中する。目標が動いている場合でも余程の速さでない限りかなりの確率で命中できるようになっていた。
その後も練習したリンスだったが突然魔法が撃てなくなった。
あっ、MPが切れたんだ。
ステータスを確認すると
MP:1/58
まただ、お父さんに言われていたのに残量を確認していなかった。ファイアーボールを撃つのに3ポイント、ファイアーショットは5ポイントだ。ちゃんと考えて撃たないとあっという間にMP切れになってしまう。あの時、私が人質になっていなければ、ちゃんと戦えていればお父さんもお母さんも死なずに済んだかもしれないのに、こんな事じゃダメだ。
ドアが開きレンブルが入って来た。
「リンス、ちゃんと練習したか。俺様はついにゴブリン50匹を倒した。お腹が空いたから帰るぞ」
この男の子はまた空想で魔物と斬り合いをやっていたのか。子供だな。
その日の夕食でも今日の出来事を報告した。タリアは地方に転属になる家臣の妻の送別会を開いたと報告し、レンブルは剣術の修行中に遭遇したゴブリンの大軍勢を激闘の末に討ち取るというイメージトレーニングをしたと訳の分からない報告をした。話せるようになったリンスも今夜からは報告しなければならない。
「魔法の練習をしたっす。ファイアーボールとファイアーショットを当てる事ができるようになったっすよ」
子爵はレンブルと同じでイメージトレーニングをしていたのかと思い楽しそうに聞いている。
レンブルは、
「偉いぞ、その調子だ。それでこそ俺様の一の子分だ」
と満足そうに言った。
タリアは少し心配になったようで、
「まあ、リンス。危ない事をしてはダメよ」
と慈愛のこもった顔を向けた。
子爵はその後も子供たちの話を肴に美味しそうに酒を飲んでいた。
別の日に、
「リンス、街へ行くから供をいたせ。くるしゅうない」
何がくるしゅうないのかは分からなかったが、
「行くっす」
と言って一緒に出掛けた。もちろん今日も警護隊3人とラシードが付いている。
街に出てみるとレンブルは人々から好かれているようで声を掛けられることが多かった。
「レンブル様、今日は何匹ゴブリンをやっつけたんです」
「レンブル様、新しい菓子を作ったから感想を聞かせておくれよ」
「若様、うちのバカ息子を見なかったかね」
レンブルはその都度足を止めて話していた。
「今日はまだゴブリンに会っておらんのだ。いくら俺様でも会わぬゴブリンは倒せぬ」
「ふむ、これは甘からず辛からず、フワフワでサクサクでモチモチで俺様好みの味じゃな」
「リックならさっき飴屋の方へ走って行ったぞ。俺様も後で飴を買いに行くのだ」
この子はやっぱりアホだけど気持ちのいいアホなんだな。
そう思うリンスだったが、レンブルが街の人たちに、
「俺様の一の子分、リンスだ」
と言って紹介するのだけは止めてほしかった。
そんな日が何日か続いたある日、リンスはレンブルに訊いてみた。
「子爵様と奥様はどうして私に優しくしてくれるっすか。どうして一緒に住んでいいって言ってくれたっすか」
するとレンブルは考える事もなく答えた。
「お前が好きだからだろ。リンスは嫌なのか。嫌なら嫌と言っていいんだぞ。言いにくいなら俺様が言ってやる」
「嫌じゃないっす。嫌どころか嬉しいっす」
「そうか、当然だな。俺様の父と母だからな」
それから数日が過ぎてログレアルの街は来週開催される闘技会の話題で持ち切りだった。
質実剛健を旨とする子爵家では武芸が奨励されている。闘技会では修練の成果披露を兼ねて子爵配下の警護隊、長男でローレナンド地方長官ナント配下の防衛隊、次男でカシュガルド地方長官シュメル配下の私兵隊による模擬の巴戦が行われ2連勝した隊が優勝となる。レンブルは幼く自分の隊を持っていないので参加はできない。
子爵家伝統の闘技会とあってこの時期には近隣の貴族や王の重臣なども観戦に訪れ街は賑わいを見せている。目敏い行商人はブックメーカーとなってどの隊が優勝するかを賭けさせていた。一番人気は昨年優勝した勢いが買われた防衛隊で、二番人気は過去に5年連続優勝した経験を持つ警護隊、最低人気は実績の無い私兵隊だった。
ローレナンド地方から到着したナントと防衛隊25人が城門を通って入城した。ナント卿は馬車の窓から民衆に手を振っている。
「おお、ナント様だ。逞しい戦士揃いの防衛隊を引き連れてやって来られたぞ」
「俺は防衛隊に金貨5枚も賭けたんだぜ」
「最近のナント様は次期子爵としての風格が漂っておられるな」
街の人たちが出迎える中を堂々たる行列が過ぎて行った。
しばらくするとカシュガルド地方からシュメルとその私兵隊80人が到着した。シュメルはこの日の為に新調した金色に輝くライトメイルを着て白馬に乗っている。それに続く私兵隊も全員が金色のハーフメイルを着て颯爽と入城した。
「随分多いな、闘技会には20人しか出られないのに」
「でも、金ピカの行列は見ていて美しいわ」
「シュメル様は模擬戦で勝てないから見てくれだけでも勝つつもりなんだよ」
シュメルが拘ったのは金ピカの装備だけではなかった。隊士全員が男前なのだ。髪型は王都で人気の店から引き抜いた者に切らせ、そうとは分からない化粧までさせていた。
街の男たちの評判は芳しくなかったが女たちは、
「え、ちょっと待って、イケメン揃いじゃない」
「キャー、素敵。試合は絶対に見に行くわ」
「私も応援するわ。私兵隊に賭ける」
女達がこぞって私兵隊に賭けたことで一番人気に躍り出た。特に人気だったのは私兵隊長だった。肩までのロングヘアーを靡かせ彫りの深いキリっとした目で街道沿いの女性たちに流し目を送っている。
「好きっ、結婚して」
「お願い抱いて」
「隊長の後ろの4人も男前ね」
「そういえば隊長とその4人だけ青いマントを着けているのね」
「青マントは腕利きばかりでシュメル様のお気に入りなんだって」
いつにない盛り上がりを見せていた。
その日は久々に子爵家の全員が揃った夕食だった。いつもの席に子爵とタリアが座りその前に次男のシュメル、長男のナント、三男のレンブルの順に座った。リンスは子爵の隣だ。
「ナント、シュメル、息災であったか」
「はい父上、ご挨拶の代わりに恒例の出来事報告会といたしましょうか」
ナントの言葉に一同から笑いが起こったがシュメルが口を挟んだ。
「父上、知らぬ間に家族が一人増えたようですが、この者は誰ですかな」
「シュメル、この者などという言い方を致すでない。この子はリンスと言って先ごろ不幸に遭ったソレンタスの娘じゃ。我が家臣は家族も同然、ならばその子は我が子も同然だ」
「そうだぞ、俺様の子分だ」
「なんだレンブル、子分なら家族の夕食会に同席などできんだろ。追い出せ」
「よせシュメル、失礼だぞ。リンス、すまないね。私の名はナントだ。なんと呼んでいいか迷うかもしれないが、ナントでも何とでも呼んでくれて構わないぞ」
変なギャグで場を和ませたナントが話しを続けた。
「リンスのお父さんには何度も会った事があるよ。仕事のできる真面目な良い人物だった。火魔法の遣い手だったね。ゆくゆくは魔法士長として領地経営の中心を担ってくれると思っていたんだが。当家は得難い巡回魔法士を失ってしまった。とても残念だ」
「巡回魔法士ってどんな仕事をするっすか」
「巡回魔法士はね、豊富な知識で領地の収穫を増やす助言を与えて回り、同時にその魔法の威力を以って土地の民に害をなす魔物や賊をやっつけるいわば文官と武官を兼任する重要な役目なんだ」
ナントはリンスの言葉使いを気にする事なく説明したがシュメルは不満そうにガタガタと貧乏揺すりをしていた。
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