第87話 リンスとレンブル
はぐれゴブリンを全滅させたリンスは足を縛る縄をファイアーショットで切ったところでMPを使い果たして眠ってしまった。幸い他に魔物はおらず死肉を漁る嫌な鳥もまだ嗅ぎつけていないようだった。
リンスが目覚めた時、空はすっかり明るくなっていてもしかしたら昨日の出来事は全部夢だったのではないかと思ったが、野原にははぐれゴブリンの死骸と父と母の変わり果てた姿があった。泣き出しそうになるのを我慢してリンスは立ち上がった。後手に拘束する手枷のせいで何度も転びそうになったが漸く街道に出ることができた。街道の坂を登ればログレアルの街が見えると父が言っていたのを思い出したが、小さなリンスにはこれ以上歩く気力も体力も残されていなかった。なにより大好きな父と母を置いて行く事ができなかった。
街とは反対の方角から音が聞こえた。
あ、馬車だ。悪い奴等が戻って来たのかな。でもあいつ等は馬に乗っていたから違うかな。
前に5騎、後ろに4騎の騎馬を従えた見るからに高貴そうな馬車がゆっくりと街道を進んできた。先頭の騎馬がリンスの前に来て、銀色に輝くハーフメイルを着た青年が優しく言った。
「子供がこんな場所に一人で何をしているんだい。街の近くとはいえ一人で来てはダメだよ」
この人は大丈夫そうだ。助けて。あっちでお父さんとお母さんが……あれ、声が。
リンスは馬上の男に訴えかけようとしたが声が出なかった。
何も言わないリンスを心配した青年が馬から飛び降りて近づき手錠に気付いた。
「ん、それは手錠じゃないか。どうしたんだ」
声を出せないリンスは野原へ戻ろうと街道沿いの低い土手を登った。
「待ちなさい。一人で行ってはダメだ」
そう言ってリンスを引き留めた若い男は土手を登って突如足を止めた。
「これは……なんてことだ」
光沢の木目が美しい馬車の中でリンスはオーウイル子爵と名乗った初老の紳士に話し掛けられていた。
「そなたはソレンタスの娘か。生まれたばかりの時に会った事があるが憶えてはおらんだろう。小さな手でワシの人差し指を握っておったのが昨日の事のようじゃ。そなたの父と母は残念なことであった。何があったのか話してくれんかな」
リンスはこの紳士に覚えが無かったが自分の事を話すときの優しげな顔や両親の死を悼む表情を見て幼心にも信用できると思った。あったことを全て話したかったがどうしても声が出せなかった。
「旦那様、恐ろしい目にあった幼い子は一時的に声を失うと聞いたことがあります。この子も気持ちが落ち着けば声が戻るのではないでしょうか。事件については文字で書かせればよろしいかと」
「ふむ、城へ戻り手錠を外してからだな。我が家臣を殺害した犯人を必ず捕まえるのだ」
ログレアルの街はすぐ近くだった。周囲を高さ10mの城壁で囲まれた城塞都市で城門を入るとすぐに民家と商家が建ち並ぶ城下町が形成され、その奥には家臣たちの家が並び更に奥の広い家々は重臣たちの住まいだ。オーウイル子爵とリンスを乗せた馬車はそんな重臣たちの屋敷を通り越して都市の中心に建つ子爵の居城に入って行った。
城の4階にある子爵の執務室からは南側の城下町と北側の円形闘技場の両方が見下ろせた。部屋の中央には応接用のテーブルとソファーがあってリンスはそのソファーに座っている。いまだに声を出せないので事件のあらましを紙に書いて子爵に渡したことろだ。はぐれゴブリンは火魔法が得意な父親が倒したと考えられているようなので否定しなかった。
子爵は自分の執務机でアロップと名乗った茶色いローブの家臣とリンスが書いた紙を見て話していた。アロップは錬金術を使ってリンスの手錠を外してくれた土と金の属性を持つ魔法士長だ。
「子爵、いま警護隊の責任者を呼んでおりますのでもうすぐ到着するはずです」
警護隊という言葉を聞いたリンスが身を固くした。警護隊になりすました犯人が取り調べのふりをして襲い掛かったのを思い出したのだ。
ノックをして190cmはあろうかという大柄な男が入って来た。
「子爵、遅くなり申し訳ありません」
「ホセ、既に聞いているだろうがソレンタスと妻のアーシアが殺害された。キミが捜査の指揮を執ってくれ。早速だがこの手錠に見覚えは無いか。ソレンタスの娘のリンスがこれで拘束されていたのだ。犯人は警護隊員だと言ったそうだ。名前はガリバリだ」
ホセは子爵の言葉に顔をしかめて手錠を入念にチェックした。更にリンスが書いた紙に目を通して言った。
「子爵、この手錠は警護隊で使っている物ではありません。型はかなり古いものでこの手の物は町の道具屋でいくらでも入手できるはずです。それから警護隊にガリバリという名の者はおりません。おそらく偽名を名乗り警護隊員を騙った盗賊の類と思われます」
「私も同じ考えです、子爵。悪事を働こうとする者がわざわざ所属と本名を名乗るとは思えません。リンス、お父さんは私の部下の中でも最も優秀だった。仇は必ず取るからね」
アロップ魔法士長はリンスに宣言すると部屋を出て行った。
「子爵、リンスは唯一の目撃者です。犯人に狙われる可能性を考えて護衛を付けようと思います。ラシードが護衛役を志願しておりますがいかがいたしましょう」
「リンスを見つけたのも彼だしラシードなら適任だな」
ホセがリンスの書いた紙を読み終えて側へ来た。大男に近寄られたリンスは一瞬身構えたが図体に似合わず愛嬌のある顔を見ると気持ちが落ち着いた。
「それにしてもリンスは頭がいいな。怖かっただろうによく観察している。犯人の名前や呼称、体格や服やアクセサリー、入れ墨まで詳細に書かれている。おにいさんは感心したぞ」
おにいさんじゃなくておじさんだと思ったリンスだが声が出ないので言わなかった。
「犯人は取り調べだと言って人目に付かない場所に連れて行ったのか。ソレンタスは地方が長かったから犯人を新しい隊員だと思ったのだろう。残念だ」
ホセは心底悔しそうな顔をしてリンスに頷くと子爵の方に向き直って続けた。
「子爵、リンスの住まいはどうしますか。家はローレナンド地方だったと思いますがログレアルに親類はいるのでしょうか」
「いや、夫妻の出は王都でこちらに身寄りは無いと言っていたのを覚えている」
「そうしますと安全面からも警護隊の宿舎が適していますが私以外はむさ苦しい男ばかりですのでお嬢ちゃんにはどうかと」
おじさんは思いっきりむさ苦しいと思ったリンスだが可哀想で言えなかった。
「そ、それなら心配ない。この屋敷に住まわせるつもりだ。先の事は夫妻の前住所宛に問い合わせをしてから決める。いずれにしてもレンブルと同い年の子供が一人増えたと思えばいい」
子爵の執務室を出たリンスは執事のゴーランドに案内されてレンブルに引き合わされた。レンブルは子爵の三男で正式名はレンブル・ド・オーウイル。リンスと同じ8才だ。
「俺様はレンブルだぞ。お前は今日から俺様の子分だぞ」
なんだろうこの男の子はアホなのかな。
返事をしないリンスに焦れたレンブルは腰から玩具の剣を抜いてリンスの眼前に突きつけた。
「この俺様を無視するとは、おぬしなかなかやるな。その気配、只者でないと思っておったぞ。いざ尋常に勝負勝負」
やっぱりただのアホなんだ。かわいそうに。
「レンブル様、リンスは話すことができないのです。それに女子に剣を突き付けるなど名のある剣士のすることではありません」
「そうか爺や、剣士は女に剣を突き付けてはならぬのだな」
「左様でございます」
「リンス、すまなかったな。話せないとは知らなかったのだ。それに俺様は剣士の修行中でな、女に剣を突き付けてはいけないと知らなかったのだ。すまなかったな。このとおりだ」
レンブルはそう言うと椅子に座っておとなしく本を読み始めた。
どのとおりなのか理解できないリンスだったがレンブルが嫌な奴じゃない事は理解できた。もちろんアホのレッテルはそのままだ。
その後、侍女に案内された部屋へ行ってみると着替えなどが一式用意されていた。服は誰かのお古のようだったが綺麗に洗濯されていてとても着やすかったし部屋は狭かったが体の小さいリンスには充分に広く感じられた。侍女は部屋の掃除とベッドメイキングや衣類の洗濯について教えて、明日からは自分でするのよ、と穏やかな笑顔で言い置いて出て行った。
食事は子爵一家と一緒に取ることを許された。花柄のワンピースを着ていくと子爵夫妻は、似合っているよと笑って迎えてくれた。テーブルには子爵と妻が並んで座り対面にレンブルとリンスが並んで座った。子爵にはレンブルの他に30歳の長男ナントと26歳の次男シュメルがいるがナントはローレナンド地方の長官として、シュメルはカシュガルド地方の長官として任地にいて不在だった。二人の母親は10年前に他界しており今リンスの前に座っているのはレンブルの母親で後妻のタリアだ。
食事をしながら今日あった事を報告するのが決まりになっているようでタリアは市街の養老院に慰問に行った事を、レンブルは剣士の修行として玩具の剣の手入れと素振りをした事を報告した。レンブルが話している間もタリアは労わるようにリンスに微笑みかけていてくれた。
リンスは不思議だった。街には孤児院というのがあって身寄りのない子供はそこへ行くのだと思っていたのに、どうしてここに居させてくれるのか、どうしてこんなに優しくしてくれるのか、いくら考えても分からなかった。結局リンスはこの家の人たちは全員が良い人なんだと思って納得した。
とても忙しい一日が終わってリンスはフカフカのベッドに入るとすぐに眠る事ができた。
翌日、検死が終わった両親の葬儀が行われた。葬儀には子爵一家とホセ隊長が参列し神殿の司祭と女神神殿のシスターが来て祈りを捧げてくれた。
祈りの後で司祭がリンスの元へ来て、
「ソレンタスはお前を神眼で見て欲しいと言っていたがどうするのだ」
と尋ねた。
神眼とは神殿の司祭以上が使える特殊技能で人の持つ魔力属性を判定する事ができる。魔力属性には光、闇、火、水、木、金、土の7種類があって自分がどの属性を持っているかが分かればそれを効率的に伸ばすことができる為、魔法使いを目指す者は神殿に来て神眼による判定を依頼するのが通例だった。ソレンタスも予め司祭の予定を聞いていて本当なら今日リンスの判定をしてもらうつもりだったのだ。
リンスが何も答えないのにイライラしている司祭に気付いた護衛のラシードが言った。
「司祭様、この子は事件の恐怖で言葉を失ってしまったのです」
「そうか、それはかわいそうに。では私は仕事があるので失礼する」
興味を失った司祭は無表情のまま帰って行った。それと入れ替わるようにシスターがリンスの前に来てしゃがみ、目線を同じにして言った。
「リンスさん、声はいつかきっと戻りますよ。焦ったりしないで日々やるべきことをしっかりやって過ごすのです。いつしか普段通りの日常が戻った時にリンスさんの声も戻る事でしょう」
昨日、子爵家であんなに沢山やることがあったのは私に余計なことを考えさせないようにという心遣いだったんだ、リンスはそう思い至りシスターを見て頷いた。
「いい子ですね。女神神殿は隣のアカリックにありますからいつでも遊びに来てくださいね。でも来るときはちゃんと子爵様の許可を頂くのですよ」
シスターはポンポンとリンスの頭を撫でて帰って行った。
それから半月が経過したが両親殺しの捜査は遅々として進まなかった。犯行時刻から逆算した時間にログレアルの城門を出た者に怪しい人物はおらず、次の町アカリックではリンスの証言通りの怪しい男たちが酒場で目撃されていたがその町を出てからの足取りは杳として知れなかった。その次の町や逆方向の町でもリンスの書き記した犯人像をもとに大規模な聞き込みが行われたが成果は無かった。
リンスの身辺警護も続けられ、リンスが出掛ける時は護衛役のラシードが付き添った。
「リンス、なかなか犯人を捕まえられなくてすまない。今はアロップ魔法士長がローレナンド地方まで行って捜査をしているよ。あそこにはリンスの家があるんだったね。帰りたいかい」
リンスは首を横に振った。あの家にはもう両親はいないのだ。女神神殿のシスターが言っていたようにリンスは目の前の日常をしっかりと過ごす事に専念した。掃除をして洗濯をして食事の用意も邪魔にならないように気を配りながら手伝った。屋敷の使用人たちも健気なリンスが気に入ったようで簡単な仕事を任せてくれるようになっていた。
ある日の午後、レンブルが子爵の植物園に行くというのでリンスも付いて行った。ガラス張りの建物の中には子爵が世界中から集めた植物や花が沢山あってそのどれもが珍しく興味深かった。レンブルは植物にも花にも興味が無いらしくここへ来た目的は蝶だった。白や黄色や紫の蝶はもちろん、中には見る角度によって色の変わるものもいてそんな蝶を見つけては後を追って観察していた。リンスもレンブルの後に付いて植物園を見て回ったがある木の前で突如立ち止まった。その木の枝には色鮮やかな鳥が止まっていた。赤と青と黄色の羽を持ち嘴が下にカーブしている。
なんて綺麗なんだろう。こんな鳥がいたなんて驚きだ。
リンスが見入っているとレンブルが来て教えてくれた。
「それはオウムっていうんだ。俺様は何でも知っているだろ。尊敬してくれて構わないぞ」
またどこかの大人が言ったセリフを真似ているのかな。この子はちっとも成長しないな。
レンブルを憐れむリンスの視線を憧憬と受け取った可哀想なレンブルが言った。
「俺様はまた蝶を見て来るが、リンスはそのオウムの前にいてごらん。面白い事が起こるから」
レンブルは含み笑いをしてから蝶を探しに行った。
何が起こるんだろう。アホのレンブルが言う事だからちっとも期待できないけど。
リンスはその場に座ってボーっと見ていたが何も起こらなかった。
やっぱりあいつは良い奴だけどアホだ。
リンスは寝てしまった。
「こんにちはっす」
話し掛けられたリンスは起きたが周りには誰もいなかった。不思議に思っていると再び声がした。
「ここは暑いっすね」
目の前の鳥に話し掛けられたリンスは驚きのあまり固まってしまった。固まるリンスに構わずオウムがまた喋った。
「いい天気っすね」
オウムの声が聞こえたのかレンブルが得意顔で戻って来た。
「凄いだろ、この鳥は喋るんだぜ。俺様の言った通りに面白い事が起こっただろ。へへへっ」
驚きのあまり固まっているリンスを見て愉快そうに笑った。
またオウムが喋った。
「元気っすか」
するとリンスが答えた。
「元気っす」
「……」
リンスが喋ったのを見たレンブルが驚きのあまり固まってしまった。
「いい天気っすね」
「うん、いい天気っすね」
「こんにちはっす」
「こんにちはっす」
オウムとリンスの会話が続いた。
リンスも途中から自分が声を出せている事に気付いて驚いたが、鳥が喋れるのだから自分が喋れるのは当たり前だと思うとどうして今まで話せなかったのかと逆に不思議に思った。
「リンス、話せるのか」
固まりから解けたレンブルが驚いて大声で言うと入口で番をしていた護衛のラシードが走って来た。
「何があったのですか、レンブル様」
「リンスが話せたんだ」
二人に見られたリンスが、
「話せるっすよ。もう大丈夫っす」
と言うと二人は喜んだが釈然としないようで二人揃ってリンスに訊いた。
「その口調はどうしたんだ」
「知らないっす。自然とこうなるっすよ」
リンスが答えた時、
「いい天気っすね」
オウムが喋った。
「……」
男二人の目が点になった。
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