第83話 ナイトオーク
斜面の上から小石が転がってきた。見上げると目的地の辺りに人影があった。
名前:トッペニク 年齢:15 性別:男 種族:人族 職業:村人
状態:空腹
罪科:‐
称号:鋸達人
鋸達人 伐採に勤しむ者に与えられる称号。伐採速度上昇、疲労抑制効果
人物と称号を【鑑定】したが怪しい点はない。俺も誰かから【鑑定】されたようでゾワッとした感覚があった。
トッペニクが身を乗り出して手を振り叫んだが、声がか細くて聞き取るのがやっとだった。
「おーい、こっちだ。そこは危険だ早く上がってこい」
下の方で弓弦の音がしたかと思うと1本の矢が飛来して5mほど下の地面に突き立った。トンネルの中で何かが騒めくのが聞こえた。俺たちは焼け焦げた死骸の間を縫って急いで斜面を登った。死骸の顔は猪のようで牙が生えており、体つきは人のようにも見えるが全身が剛毛で覆われていた。これがオークか。
登ってみるとそこだけが平らで石が敷かれ、その先には洞窟があった。その洞窟の入口は左右を石垣で補強されていて中央に大きな両開きの扉があり片方の扉だけが閉じられいる。扉には斧や剣で斬りつけたような傷が無数にあった。
トッペニクと5人の男たちが俺を見て何か囁いていた。
「一人だけか」
と言ったように聞こえた。
全員が粗末な皮の鎧を身に着けている。その中から顎鬚を蓄えた50代と思われる男性が歩み出て言った。
「俺はコッペルンだ。やっと来てくれたか。待ちくたびれたぞ。水も食料も尽きて危うい所だったんだ。後続はいつ着くんだ。何人だ」
コッペルンが矢継ぎ早に質問をした。どうやら何か勘違いをされているようだ。
「旅の冒険者ゴータです。俺一人だけです。夜にこの山で火が見えたので何かと思って来てみたんです」
コッペルンもトッペニクも全員が落胆したのがありありと判った。
洞窟の扉から20人ほどの男女が出て来た。誰もが草臥れ果てた状態で歩くのがやっという感じだった。埃まみれの布の服を着て擦り切れた草鞋を履いた老女が掠れた声て訊いた。
「助けが来たんだね。食料は持ってきてくれたかい」
「オババ様、助けじゃないです。この人だけだそうです」
トッペニクが答えた。
20人は俺と馬を見て荷物を何も持っていないのが分かるとその場に崩れ落ちてしまった。
「そうかい、いよいよ年貢の納め時だねえ。まあ中へ入っておくれよ」
俺はオババ様と呼ばれている村長の老女とコッペルンに案内されて洞窟の中に入った。高さ2mほどの洞窟の内部にはダンジョン石を利用したカンテラが幾つかあって辺りを弱々しく照らしていた。洞窟内部の地面にも石が敷かれていて怪我人が何人も寝かされ、生気のない目を俺に向けた。洞窟の幅は5mくらいで奥行きは30mほどあり一番奥だけが広くなっている。そこは円形の部屋で床は直径10mほどの一枚岩だ。部屋の中央には石棺のようなものがあったが蓋は無くて中はカラだった。
俺の視線に気づいたコッペルンが言った。
「ここは誰かの墓だったようだが、盗掘されて何も無いんだ。石棺の造りから800年から1000年くらい前のものらしい」
「そうですか。ところで、一体何があったんですか。あのオークはどうしたんですか」
「ダンジョンから溢れ出たんだよ。溢れ出たオークどもに村が潰されてしまったのさ」
オババ様が掠れ声を絞り出してやっと言った。
「でもマップで確認しましたが、この辺りには村もダンジョンもありませんよ」
俺が訊くとコッペルンが話を引き取った。
「密林のトンネルの中だからな、来たことが無いとマップには表示されないだろ。あの密林には今は絶滅した大王魔蟲という強力な虫型の魔物が住んでいたそうで、その通り道がトンネルのようになっているんだ。大王魔蟲がいなくなった今でも他の魔物は恐れて入って来ない」
大王魔蟲とはダンゴムシを巨大にしたような魔物で草食だが気が荒く硬い殻と重い身体で突進して敵を蹂躙したそうだ。密林のトンネルはそれが通ることによって出来たというから幅10m、高さ15mという事になる。そんなモノに激突されたらひとたまりもなかっただろう。
「俺たちの村はこのすぐ下のトンネルにあって木こりと木工職人しか住まない小さな村でな、他との交流も無いから村の名前も特に無い。密林には動物がいるし果物や木の実が生って水場もある。自給自足ってやつだな。それでも鋸やら鍋やらの金属類や衣類は必要だから作った木工品と物々交換をしに町へ行く事くらいはある。まぁ日が当たらない事を除けば住みやすい村だったんだ」
「俺もそういうトンネルを通ってきたんです涼しくて快適でした」
「ああ、だが村があるトンネル以外には良い木が生えないんだ。薪集めくらいにしか行く事は無いな。それにトンネルはそれぞれ出口が別でな、東のトンネルはワイバーンの原野に繋がっているし、南は湖があって行き止まり、西のトンネルの先は砂地でワームの巣だ。安全なのは村のトンネルだけで北へまっすぐ行けば町があるんだ」
「そうでしたか、俺が通ってきた原野には確かにワイバーンがいました。それで、ダンジョンというのは」
「お前さんは運がいい。たった一人でしかもそんな軽装でワイバーンに見つかったら最後、喰われてしまうぞ」
しっかり見つかったし猫が喰われそうになったのだが、話の腰を折るのはやめておこう。
「それでな、村の若いのが昔からの掟を破ってトンネルの根を伐採してしまったんだ。地上に伸びてきた木だけしか切らないっていうのが掟だったんだが、そいつは地面の根の部分が大きくて頑丈だからって掘って切り出した。そうしたらその地面が崩れ落ちてそいつも落ちた。その中は真っ暗で呼びかければ助けてくれって声が返ってきたんだが、しばらくするとそれが悲鳴に変わってグシャグシャっていう嫌な音になった。闇の中で赤い目が無数に光っていた。村の下に未知のダンジョンがあったんだ」
「でも真っ暗っていうのは変ですよ。ダンジョンならダンジョン石があって濃度が薄かったにしても多少は光るはずです」
「そこがダンジョンならそうだな。だが、見えた所はただの洞窟でその奥がダンジョンだったらどうだ」
「それならあり得ますね。落ちた人が騒いで魔物を呼び寄せてしまった」
「可哀想だが、落ちた奴は諦めるしかない。俺たちは魔物が出てこられないように板で穴を塞いだ。何重にもしてな。だがそんな板はすぐに壊された。オークには少しとはいえ知能があるからな。仲間を踏み台にして登って来たんだ」
話を聞いていたオババ様が噛み締めるように言った。
「根を切るなという掟にはちゃんと意味があったんだよ。丈夫な根が村を守ってくれていたのさ。それを切った罰が当たったんだよ」
「そうだな、オババ様」
コッペルンがオババ様に頷いて話しを続けた。
「そこからはあっという間だった。穴からオークがゾロゾロ這い出して来て周りにいた男達は殺されて喰われた。穴の南側にいた俺たちは何とかこの遺跡に逃げ込むことができた。ここには頑丈な扉があるから立て籠もっていたんだ」
「トンネルの中にオークの気配がありましたが、今は襲って来ないんですか」
「ああ、あれはナイトオークだ。暗い場所や夜は滅法強くなるが明るい所が苦手でな、直射日光みたいな強い光を浴びると体が焼けて死ぬんだ。だから日中はトンネルから出てこられない。ナイトオークのダンジョンだったんだな。不幸中の幸いとでも言うのか」
「それで外の死骸は焼け焦げているんですね」
「いや、あれはたまたま村に来ていた旅の魔法使いが火魔法でやっつけたんだ。ゴータ君が見たっていう火もそれだ。その人なら怪我人と並んで寝ているぞ。夜はずっと攻撃しているから日中は眠ってMPと体力を回復させる必要があるんだ。ヒールも使えるそうだがMPは攻撃魔法に必要だから命に別条のない怪我人は後回しにしている。あの人がいなかったらもうとっくに全滅していただろうな。だが立て籠もって今日で5日目、ついに水も食料も無くなった。そんな時にゴータ君が現れたんだ。穴の北側にいた者が逃げて助けを連れて来てくれたんじゃないかと期待しちまった」
ヒヒーン
洞窟の入口の方から馬の嘶きが聞こえてきた。危険を感知したのだろうか。急いで行ってみると10人ほどの村人たちが木槌やナイフを持って馬ににじり寄り、それをトッペニクと4人の男が止めていた。
「おい何をやっている、やめろ」
コッペルンが驚いて怒鳴った。すると木槌を持った若い男が、
「もう何日も何も喰ってねえ、この馬を殺して食おう。じゃないとまたオークの死骸を喰って死ぬ奴が出るぞ」
「そうだぜ、コッペルン。ジッペラルの奴は空腹でおかしくなってオークの死骸を喰ったんだ。バイ菌だらけだからやめろって言ったのに、火が通ってるから大丈夫だなんて笑いながら喰って、あっという間に死んじまった。この馬の大きさなら全員の腹が満たされるんだ。そうしたらまだまだオークと戦える」
「ダメだ。その馬はこの人のだ。この人は東のトンネルから来たそうだ。この馬に乗って来た道を行けば逃げられるだろう」
「コッペルン、こんな村人でもねえ知らない奴を一人だけ逃がすのかよ。この馬を喰えばここにいる全員が何日も生きられるんだぜ」
「オークが溢れたのは村人が掟を破ったせいだ。報いを受けるのは村人だけでいい、この人は関係ない」
「俺は行きませんよ。かといって馬を食べるのも無しです」
「ゴータ君、それはどういう意味だ。ここにいても飢え死にするだけだぞ」
「分かった。お前、ワイバーンの縄張りを行くのが怖いんだろ。臆病者め、ここにいたいなら馬をよこせ」
「確かに怖いが馬はダメだ。食い物なら沢山あるからそれをやる。オークは俺が全部やっつけてやる」
俺がそう言うと後ろの洞窟の中から声がした。
「こりゃまた大きなことを言う奴が現れたもんっすね。怖いのにオークを全部やっつける、何も持ってないのに食べ物をくれるって、嘘つきっすか」
声のした方を振り返ると青いローブを着て同じ色のとんがり帽子を被り紫がかった褐色のステッキを持った小柄な少女がいた。ん、どこかで会った気がするな。誰だっけ。俺が見ていると少女は真ん丸の大きな目で俺を睨みアヒル口を歪めて舌打ちをした。
「チッ、嘘つき君、ジロジロ見るなっつーの。コッペルンさん、こいつにファイアーボール撃ち込んでいいっすか」
その口調で思い出した。
「お前、リンスだな。久しぶり」