第82話 密林の道
結局俺たちはそのまま10本並木の側で野営をした。夜になると目的地の山に近付いたせいか中腹の光が昨日よりもよく見えた。その光、というより火は一つではなくいくつかの火が動いたり飛んだりしていた。そう、ただ燃えているのではなく狭い範囲で動いているのだ。明日には到着するだろう。
猫は俺にギュっとされるのに飽きたようでリュックの中に入って眠っている。ステルス機能のある俺のリュックだが何故か猫には見えて気に入ったようだった。馬は今日は横になって眠っている。俺も結界・特の残り時間を確認してから眠りについた。
ピー、ピー
翌朝、鳥の声で目が覚めた。見れば10本並木の枝には沢山の橙色の鳥が止まっていた。【鑑定】するとダイダイツグミという柑橘類を主食にする野鳥だった。そうか、昨日倒した蜘蛛たちはこの鳥を食べていたんだな。
猫はリュックから出て草の上を転がっている。馬は飼料のバケツに首を突っ込んで食事をしている。俺が昨日と同じヌマアンコウの切り身を出して準備をすると猫が来て劣化版ファイアーカノンで火をつけた。こんがり焼けた白身を猫と並んで頬張った。
朝食後にひと休みしてから結界・特を踏んで解除した。出発だ。目指す山の標高はそれほど高くなくて富士山をそのまま小さくしたような形だ。その山までは広大な原野が広がっている。俺は馬に乗り並足で原野を進む。猫は千年ぶりの自由を楽しむように走り、走り疲れると馬の尻に飛び乗って休んだ。
「なあ、封印されている間、千年もずっと眠っていたのか」
「いや、そんにゃに眠れんよ。起きて寝てにょ繰り返しだ、ボケ。体は動かせんが意識は普通にあるからにゃ」
「退屈だったろうな。寂しかったろうな」
「そうでもにゃいぞ、ボケ。地下にょ話し声は聞こえたからにゃ。あそこは牢だったにょかにゃ。捕らえられておる者同士で話す声や牢番人たちにょ声もよく聞こえたんじゃよ」
「見たわけじゃないのに牢だとよく分かったな」
「会話からも分かるし、人の気からも分かるにゃ。あそこでは二種類にょ気しか感じ無かった。絶望と傲慢だ」
絶望は囚人で傲慢は衛兵や司祭だ。俺の後ろ、馬の尻の上で話す猫の表情は見えないが悲しそうな気を感じた。
「絶望を発する者は出て行くと二度と戻っては来にゃかった。だがそこに絶望でも傲慢でもにゃい気にょ者が現れたにゃ。そにょ気はコロコロと変わったが根本はにゃんというか、あれは義憤だにゃ。そいつは出て行ったが数日してまた戻ってきた。お主だよ、ボケ」
猫はピョンと俺の肩に飛び乗って続けた。
「お主からは懐かしい匂いがするにゃ、ボケ」
そう言うと猫は地面に飛び降りて駆け出した。木の実を見つけては転がし、穂の付いた草を見つけては猫パンチをして遊びながら進んでいく。
ヒヒーン
馬が嘶いて止まった。
「猫、止まれ」
猫が止まって俺を見上げた。
「馬が危険を感知したみたいだ。何かいるかもしれないぞ」
ブルルル
馬は、そうだと言うように鼻を鳴らしたがその場でグルグルと回り始めた。危険はあるがどの場所かは分からないのだ。
脳内マップで確認したが池は無いからヌマアンコウではない。地中に潜んでいるのか、俺は地面を注視したが動きは無かった。
その時、日差しを遮る影ができた。
「上だ」
皆が一斉に上を向くとそれはいた。4匹の巨大な鳥が上空を円を描くように飛び、そのうちの1匹が翼をたたんで急降下してきた。体長は5mほどで鳥のようだが翼に羽根は無くて蝙蝠のような皮膚感だ。顔も目もヘビのようで脚はワシのように逞しく鋭い爪があった。
俺は咄嗟に【鑑定】した。
ワイバーン:翼を持つ肉食魔物。強力な脚で獲物を掴み鋭い牙で食いちぎる。
ワイバーンは俺をめがけて急降下したが気が変わったようで10m上空で羽ばたくと向きを変えて猫を狙った。
「逃げろ、そっちへ行ったぞ」
猫は逃げるどころかその場に仁王立ちになって魔法を発動した。
「土魔法、ロックタワー」
ワイバーンは危険を感じて急遽上昇に転じた。
ワイバーンの下の草原に岩の塔が伸びた。高さは……50cmほどだった。
「混合魔法、メガエクスプロージョン」
高さ50cmの岩の塔の先端がポンっと爆ぜた。
ワイバーンは、
「ホゲー」
と鳴くと猫に襲い掛かり足の爪でガシッと掴んで上昇した。猫は暴れたが逃げる事はできなかった。
「くそ、まずいぞ」
俺は急いで収納からクロスボウを射出できる状態で取り出して狙いを付けた。猫に当たる危険はあるが女神の慈愛の称号を持つ猫には全攻撃が無効だ。当たっても大丈夫。
トリガーを引く。
ボルトはワイバーンを掠めただけだった。失敗だ。ワイバーンは羽ばたき上空50mほどの高さに達した。
このままでは射程外に逃げられてしまう。収納を使い再装填して慎重に狙った。トリガーを引く。ボルトは一直線に飛んでいき、ワイバーンの後頭部に命中した。ワイバーンは掴んでいた猫を離し、錐揉み状態となって落下して地面に激突した。猫は上空50mから落下しつつも魔法を発動させた。
「空間魔法、自由転移」
猫がフッと消えて20m下にスッと現れた。
「空間魔法、自由転移」
再びフッと消えて地上2mのところにスッ現れるとクルッと一回転して両前足をV字に広げてトンッと着地した。
他のワイバーン3匹は、
「ホゲー」
と鳴くと諦めて飛び去った。
馬で駆けつけると猫は得意げな顔で俺を見た。よかった、怪我はないようだ。猫は馬の尻を経由して俺の肩に飛び乗ると、
ペシ
頭に猫パンチを見舞って言った。
「ワシに当たったらどうするにょだ、ボケ」
「全攻撃無効なんだろ、問題ない」
「問題おおありじゃ、ボケ。全攻撃無効とはいえ当たれば痛いにょだ。だがまぁ、あにょまま連れ去られておればまた独りぼっちににゃっておった。助かったぞ」
「連れ去られたら助けに行くさ」
猫は俺の頬に顔をスリスリして匂い付けをした。
原野を渡り切ると山の裾野には密林が広がり、分け入る事のできない壁のように立ちはだかっていた。その密林は山をぐるりと輪のように取り囲んでいる。このまま無理に入って行くのはあまりにも恐ろしい。ルートは無いかと脳内マップをチェックすると道らしきものがある。マップをズームすればそのような道が密林の中には何本かあって、その一つが近くにあるはずだった。注意深く探すと枝から下がった蔦に隠れた入口があった。蔦を切って中を見ると木々が密生する林のそこにだけ木が生えておらず、いや木はあったのだろうが何かに強引に押し潰されて踏み固められたような道が出来ていた。
「これは何か巨大な生物が通った跡なんじゃないのか」
俺が言うと猫が、
「そこを見てみろ、ボケ。地面から若木が生えておるだろ。その若木が育つほどに暫く何も通っておらん証拠じゃ」
と、猫とは思えない知恵を披露した。
「なるほど、確かにその通りだな。よし行こう」
脳内マップで確認するとこの道は密林の向こう側、つまり山の中腹へと繋がっている。直射日光の当たらない密林のルートは薄暗いが涼しくて心地よかった。猫は馬から降りて歩いていたが枝だと思って踏んだのがヘビだったのに驚いて馬に飛び乗り俺のリュックへと避難した。
密林の道は徐々に上りになり、更に勾配がきつくなったところで俺は馬から降りて手綱を引いて歩いた。
しばらく進むと密林のルートは突然終わって山の中腹へと出る事ができた。高い位置から見ると密林が山の周りをグルリと円形に囲っている様がよく見えた。まるで山に入る者も山から出る者も拒んでいるようだったが、ここと同じようなルートが他にも幾つかあって、そこだけは通ることができるようだ。
密林から出ると山肌は僅かな草しか生えていない赤土だった。マップに印をつけた火の見えた場所はここから2kmほど北で標高も約200m上だ。直線で行くのは無理なようで途中からはジグザグに登っていく事になりそうだ。
平らな場所を探して昼食と小休憩をしてから先へ進んだ。しばらく北へ進むと異臭が鼻をついた。何かが焦げたような嫌な臭いだ。前方の赤土に焼け焦げた魔物の死骸がいくつもあり、地面には矢が刺さっている。目的地はそこからジグザグに登った辺りのはずだ。見上げれば焼け焦げた死骸は目的地までの斜面に累々と転がり、下方を見れば死骸は密林との堺まで点々と道のように続いていた。その先には俺たちが通ったのと同じような密林の中の道が黒い口を開けている。
猫がリュックから顔を出して言った。
「あれはオークにょ類じゃにゃ、ボケ。大きにゃ戦闘があったようじゃ」
馬が密林のトンネルを見て、
ブルルル
と鼻を鳴らした。危険な気配を感じているのだ。【危険感知】スキルの無い俺でさえも感じる程の禍々しさだ。
斜面の上から小石が転がってきた。見上げると目的地の辺りに人影があった。