第81話 マニェコ
シュポーン
黒豹の置物が何倍にも大きくなって実体化した。
「うわっ、黒豹」
俺は喰われると思い慌てて仰け反って逃げようとしたが腰が抜けて動けなかった。
体長は50cmほどで全身が黒い毛で覆われ目だけが金色だ。黒豹にしては小さいが子供だろうか。体つきは精悍さの欠片もなくプヨッとしている。黒豹の子供は俺の膝の上で背伸びをするとヒョコヒョコと俺の顔に近付き、前足で頭を叩いた。
ペシ
痛、くないな。
ペシ、ペシ
黒豹の子供は更に2度俺の頭を叩いた後、
「誰が黒豹だ。あんにゃ下等にゃ動物と一緒にするにゃ、ボケ」
俺が唖然として何も言えないでいると、
「無視するにゃ。お前がワシにょ封印を解いたにょだろう。にゃんとか言え、ボケ」
「うわぁ、黒豹が喋った。近寄るな、あっちへ行け」
「だから、黒豹ではにゃいにょだ。間違えるにゃ、ボケ」
「黒豹じゃないなら何なんだよ。何で普通に喋っているんだよ」
「ワシはマニェコだ。ワシほどにょ大もにょににゃると喋る事にゃど造作もにゃいわ、ボケ」
「何を言っているのかサッパリ分からない。どうしてナ行が全部ニャになるんだ」
「全部じゃにゃい。には普通に言えるわい、ボケ」
「そうなのか、よく分からないがまあいい。それで何者なんだよ」
間抜けな喋りの黒豹の子供に気を落ち着けた俺が尋ねた。
黒豹の子供は後ろ脚で立ち上がると前足でパンチを繰り出した。
ペシ、ペシ
「誰がまにゅけだ。黒豹でも子供でもにゃいわ、ボケ。腕を出してみろ」
こいつ心が読めるのか。俺が腕を出すと黒豹の子供は爪を立てて俺の腕に字を書いた。数秒すると書かれた文字がミミズ腫れのように腕に浮き上がった。ちょっと痛いだろうが。
『まねこ』
まねこ……魔猫……
「魔物じゃねえか」
俺が魔猫を振り払うと魔猫は空中で一回転して、スタっと地面に降り立って言った。
「まもにょじゃにゃいわ、ボケ」
魔猫は前足を立てて座ると左前足を上げて、ヒョイヒョイと俺を呼んだ。招き猫かよ。魔物にしては禍々しさが無い魔猫に呼ばれるままに近付いた俺に魔猫が言った。
「腕を出してみろ、ボケ」
俺が腕を出すと魔猫は、
「フルヒール」
と言って回復魔法をかけた。俺の腕からミミズ腫れの文字が消えて綺麗になった。凄い、魔物のくせに回復魔法を使うのか。
「ほれ、もう一度書いてやるわい、ボケ」
魔猫はそう言って再び爪を立てて字を書いた。
『真似猫』
「そう書いてマニェコと呼ばれておるんだ、ボケ」
「まねねこ、じゃん」
俺が訂正すると真似猫は、チッチッチ、と左前足を左右に振って言った。
「英語で an apple は アンアップルとは言わん。アンニャップルだろ、ボケ」
「アンニャップルとは絶対に言わないと思うが」
ペシ、ペシ
猫パンチを喰らった。
「いちいち煩いやつだ。とにかく黒豹ではにゃい、ニェコだ、ボケ」
「……、お前、猫のくせにネコって言えないんだな」
猫は右前足を上げると爪を出した。恐ろしく鋭利な爪だ。
「す、すまん。そういうところを冷やかすのは良くないな。謝るよ」
素直に謝ると猫は爪を引っ込めて毛繕いを始めた。
「なあ、どうして真似猫なんだ」
「ワシにょ固有スキルじゃよ。人にょスキルだろうが魔法だろうが見れば何でも真似する事ができるんじゃ、ボケ。さっきにょフルヒールもそうじゃ。ほれ腕を出せ。字を消してやろう」
俺が腕を出すと、猫はフルヒールを掛けて綺麗にしてくれた。
「なあ、どうしてフルヒールなんだ。これくらいの傷ならヒールで充分だろ。それに30分以内に2回も回復魔法が効くなんて変だよな」
「真似ると劣化版ににゃるんじゃよ。フルヒールでもヒールより下の効果しか無いんじゃ、ボケ」
にゃ、が会話から減った気がするが気のせいだろう。
「なるほど、それで2回続けて使えたんだな。ところでさっき書いた字は漢字とひらがなだよな。それに英語も話していたし。どうして俺の世界の言葉を知っているんだ。それも俺の心を読んだのか」
「ワシが生まれた世界だからにゃ。ワシは日本生まれだ、ボケ」
俺は猫の肩をガシッと掴んで言った。
「日本だと、どうやって来たんだ。どうやったら戻れるんだ。教えてくれ」
猫は嫌がることもなく、肩を掴んだ俺の手に顔を擦り付けて匂い付けをした。
スリスリ
「どうもこうも飼い主について行き来しておっただけじゃ、ボケ。だから戻り方は判らん」
「いつ来たんだ。俺はほんの20日前だ。元の世界で死んでこっちで生き返ったみたいだ」
「お前は一度死んでおるにょか。まだ若いにょに可哀そうじゃにゃ、ボケ。ワシが来たにょは1000年前じゃ」
「千年前って、マジか」
化け猫じゃねえか、と言いそうになったが猫が爪を出したので止めておいた。
「嘘にゃどつかんわ、ボケ。たしか藤原道長とかいう奴が威張っておったにゃ」
「教科書に出てきた名前だ。でも何故英語も知っているんだ。交流があったのはずっと後のはずだ」
「ワシにょ飼い主が世界中を飛んで回っておったからにゃ」
「世界中を飛び回って、更に異世界まで来るなんてどんな飼い主なんだよ」
「女神に決まっておるだろうが、ボケ」
女神って……そうか、好きな女性が女神に見えるっていうあれか。飼い主は女性で、その人の事が大好きだったんだな。
「それで千年ものあいだ何をやっていたんだ」
「封じられていたんじゃ、ボケ。ワシが何でも真似できると言ったら、そいつが、像にもかって言うから、ワシは当たり前だと言って像に変身したんじゃ。そしたらそいつめ、像にょ首に女神にょ指輪を嵌めよったんじゃ。指輪を壊すにゃど造作もにゃいが、女神にょ大切にゃ指輪を壊す事にゃどワシにはできん。そんにゃこと絶対にできん。そうこうするうちに封印されて埋められてしまったんじゃよ」
「酷い、どうしてそこまでするんだ。お前、余程悪い……凄い事をやったのか」
「何もしていにゃいわ、ボケ。奴め、女神に意地悪がしたかっただけじゃろう。白い服を着ておったが腹にょ中は真っ黒じゃ」
「女神って、本物の女神なのか」
「偽者にゃどいるか、ボケ。お主【鑑定】を持っているにゃ、ワシを【鑑定】してみろ」
ステータス
名前:猫 年齢:1010 性別:オス 種族:ネコ 職業:なし
レベル:10
HP:20/20 MP:30/30 SP:18
体力:C
魔力:C
知力:C
状態:‐
罪科:‐
称号:女神の慈愛
1010歳のオス猫だった。女神の慈愛という称号も【鑑定】してみた。
女神の慈愛: 女神に愛されし者の証。全攻撃無効効果
本当に女神なんだな。それなら地球や異世界を行き来できそうだ。しかも凄い効果まである。
猫が目を細めてイケメン風に言った。
「フッ、凄いだろう。世界中にょ者から愛されている女神に愛されておるにょだ」
「疑ってすまなかった。本当だったんだな。千年もの間、たった一人、いや一匹で……」
かわいそうに。俺は猫を引き寄せるとギュッと抱きしめた。黒い毛がフカフカして気持ちよかった。首の下を撫でるとゴロゴロいって喜んでいる。強がっているが寂しかったんだな。更に強く抱きしめると猫は腕の中で暴れた。
「ええい、鬱陶しい。暑苦しいだろが、ボケ」
ペシ、ペシ
猫は俺の腕から逃げると頭に猫パンチを見舞ってきたが、相変わらず爪は立てなかった。
「でもお前を封印した奴はどうして女神に意地悪をしようとしたんだ。俺がこの世界に来て出会った人達は女神が大好きだと言っていたぞ」
「ワシも1000年にょ間ずっと不思議に思っておった。あ奴はいつもニコニコして女神にょご機嫌を伺っておったにょに。今思えば女神にょ大切にゃ品々が次々に無くなっていったにょもあ奴にょ仕業だったにょかもしれん、ボケ」
「酷い奴だな。側近にコソ泥が紛れ込んでいたっていう感じだな」
ギュルルル……
猫の腹が鳴った。
「腹が減っているのか、猫は何を食べるんだ」
「何があるにょだ、ボケ」
「パン、果物、干し肉、ステーキ、ロースト肉、ハンバーガー、サンドイッチ、菓子、ワイン、水」
「魚はにゃいのか、ボケ」
「ヌマアンコウならあるぞ」
「おお、御馳走だにゃ、それを食わせろ、ボケ」
俺は収納からヌマアンコウの切り身をイメージして取り出した。猫の前に30cmほどの切り身が現れた。
「ほう、便利な能力だな。その魚は生か、ワシは生は食わんぞ、ボケ」
「注文の多い猫だな。残念だが俺は生活魔法が使えないんだ。火は起こせないぞ」
「ワシが料理してやろう。お前は準備をしろ、ボケ」
俺は猫の指示に従って収納からY字型の枝を2本出して地面に刺した。更に尖った枝を出してそれに切り身に通してY字の枝に渡し、地面には乾燥した枝や葉を敷いた。俺の収納には露天風呂の地ならしをした時に出た枝や葉が山ほど入っているのだ。
「できたぞ」
「よし、火をつけるぞ。離れていろ、ボケ」
猫は切り身に向けて魔法を発動した。
「ファイアーカニョン」
「おいやめろ、それって火炎砲だろ」
俺は焦って逃げようとしたが間に合わなかった。猫の指先から炎が生まれ、切り身の下の枝葉に飛んだ。線香花火かと思うほどの小さな炎だった。
ヌマアンコウの切り身はいい感じに焼けた。
「……」
猫はフーフーと息を吹きかけて冷ましている。どうやら猫舌のようだ。
「おい、今のは何だ。ファーアーカノンといえば火属性の強力な攻撃魔法のはずだろ」
「ん、だから言っただろう。劣化版だ、ボケ」
「劣化すぎるだろ。ファイアーカノンが線香花火ならその下のファイアーショットや更に下のファイアーボールはどうなるんだ」
「ファイアーショットは火花が散るぞ、ボケ。ファイアーボールは指先が暖かくにゃる」
「……」
漸く冷めたようで猫は切り身に噛り付いた。モグモグと幸せそうに食べている。全てを食べて満足した猫は寝転んで毛繕いを始めた。前足を舐めて頭や顔を拭い、身体を器用に折り畳んで体を舐めて、ふと止まった。猫の視線の先には自分の尻尾がある。10cmくらいだろうか、短くて途中から右に折れ曲がっている。猫はそのまま固まって動かず、黒い毛が青ざめたように見えた。そして目を真ん丸にして叫んだ。
「尻尾が、ワシにょ尻尾がぁ、ボケぇ」
「ん、どうしたんだ。尻尾ならあるだろ」
「こんにゃんじゃにゃい。ワシにょ尻尾はもっとこう真っ直ぐでスラっと長いんだ。可愛いメス猫たちが二度見するほど素敵にゃ尻尾だったんじゃぞ、ボケ」
「ん、そういや置物の尻尾はたしかにそんな感じだったな」
「そうだろ、それがワシの尻尾じゃ、ボケ」
「じゃあどうしてそうなったんだ。あっ、置物の尻尾が折れたんだった。折れて落ちたんだ」
「にゃんだと、探せ探すんだ、ボケ」
俺たちは草をかき分けて必死に探した。そして草と草の間の地面にそれを見つけた。
「あったぞ、ここだ」
俺が呼ぶと猫はスッとんできて言った。
「あった、それじゃ。いいか、慎重ににゃ。焦って掴んだら壊れるぞ、ボケ。慎重に掴むんだ」
猫がそう言って草を分けた時、5cmほどの黒茶のテカテカした虫がやって来て尻尾の欠片を掴んだ。
「ああっ、にゃにをする。ワシにょ尻尾に触るにゃ、ボケ」
虫は声に気付くと顔を上げて猫を見た。猫を見ながら尻尾の欠片を急いでパクパクと食べた。食べ終えた虫が猫を見て嗤った気がした。
「にゅおー、おにょれ、虫けらにょ分際で。許さん。許さんぞ、ボケ」
猫は後ろ脚で立ち上がると天を仰いで魔法を発動させた。
「超絶魔法、星落とし。喰らえ、ボケ」
その瞬間に結界の青い光膜が消えた。光膜を超えて魔法を発動すると結界は消滅するのだ。
なんだそのヤバそうな魔法は。世界を滅ぼす気か。いや待てよ、こいつのは劣化版だ、きっと大丈夫だ。
何も起こらずに数秒が過ぎた後、まだ明るい空の彼方に星が煌めいた。星はチカチカと輝きながら徐々にその大きさを増した。突如として空が薄暗くなり、それとは逆にその星は眩しく光りながらみるみる大きくなった。そして太陽よりも大きくなり真っ直ぐにこの場所を目指してグングンと近づいてくる。
マズイぞ、これはマジでヤバいやつだろ。
「おい、猫。取り消せ。魔法を取り消すんだ。全員死ぬぞ」
「虫けらにょ分際で、虫けらにょ分際で、ぶっ殺すぞ、ボケ」
猫は目を逆三角形にして毛を逆立てている。ダメだ、完全にイッちゃってる。
ゴォーという不気味な音と共に風が舞った。星は更に大きくなり、やがて大気圏へと突入し、目も眩むほどの光を放つと燃え尽きて塵一つ残さなかった。何事も無かったように空は再び穏やかになり、風も収まって静かになった。
「劣化版にも程があるわ」
猫は短く折れ曲がった尻尾を見つめていた。
俺は風で飛んできた穂の付いた草を拾って猫の前で左右に振った。猫はそれに気付くと猫パンチを繰り出しながらじゃれ付いた。短く折れ曲がった尻尾を左右に振りながら。