第78話 それぞれの道
「アタシのお父さんは西街道の先にある練兵場併設の療養所にいるの」
ワイン樽の湯に浸かったミーナことマサラが西を指さして言った。その方角へと伸びる道が見て取れた。馬車に乗って移動する人も見える。ここは以前、ワイン樽を置いて露天風呂を楽しんだ小高い丘の上だ。今回はそこにワイン樽を4つ並べてマサラ、ザキトワ、ファンミンと俺の4人でそれぞれ湯に浸かっている。
「本来は軍人用の療養所だけど練兵場が使用されるのは年に数回だけだから市民も使わせてもらえるの。所長さんは女神様を信仰しているしね。お父さんが治ったら一緒に療養所で働く」
ザキトワ、ファンミン、俺の3人はその方角を見て頷いた。全員が完治を確信していた。なぜならマサラの父親が患っているのが内臓疾患だからだ。俺が女神の加護の称号を持っている事を言った時、マサラが泣きながら抱きついてきた。女神の加護や女神の庇護の称号を持つ者が美肌草を採取すると女神の美肌草となって内臓疾患の特効薬になるのだ。サレイニー準男爵に騙されたのも奴が女神の庇護の称号を持っていると嘘をついて父親を治せると言ったからだ。
俺は湯の温度が下がらないように収納からそれぞれのワイン樽に白馬寮で買った湯を足した。8人分の料金を払ったので湯はたっぷりある。
「ふぅ」
と気持ちの良さそうに一息ついてから、ファンミンが言った。
「私たちが帰る商都はずっと南よ。首都よりもっと南の海沿いにあるの。港には交易船が沢山停泊しているし、城門にはやって来た商人たちのキャラバンで渋滞ができるのよ。市内にはあちこちにマーケットがあって人と商品で溢れているわ」
マサラと俺は南を見てその光景を思い浮かべた。
「ゴータ君はミーナちゃんを送った後どうするの」
ザキトワが俺に訊いた。俺もずっとそれを考えていた。考えを纏めながら俺は答えた。
「俺はそのまま西街道を進んでみようと思ってる。本当は魔法を使ってみたかったんだが諦めたよ。マードの神眼で魔法適性が皆無だと分かったからな。それならこの世界を色々と見て回りたい。町から町へと旅をするよ」
馬車で1日の距離には必ず村か町があるらしい、街道を進めば日暮れ前にはどこかの町に着くのだ。
俺の話を羨ましそうに聞いてファンミンが言った。
「それも楽しそうね。私も商会が無ければ少年と一緒に行くのに。少年、旅に飽きたら、いや飽きなくても必ず商都に来るのよ」
「ああファンミン、約束する。美人従妹の仕事ぶりを見に行くよ」
「お金もあるし、気ままな旅が楽しめるわよ」
ザキトワが言った。
ギルドで貰った報酬の金貨100枚は4人で均等に分けた。一人金貨25枚だ。ザキトワとミーナは、俺とファンミンの取り分を多くするべきだと主張したが俺とファンミンは固辞した。危険は同じだしそれぞれが役割を果たしたのだ。結局均等に分けたが、それでもザキトワはグラリガの店で食べきれないほどの食料、菓子、果物と飲みきれないほどの飲料を買ってプレゼントしてくれた。俺の収納に入れれば痛まない事を知っているのだ。ミーナは大量の投げナイフを買ってくれた。俺の持つ戦闘系スキルは【投げナイフ】だけだからとてもありがたい。残りのお金は女神神殿に寄付するそうだ。そのお金があれば父親とのんびり暮らせると思うが、彼女はそんな風には考えないようだ。ファンミンまでが身の回りの品や各種ポーション、毒消し等の薬品類、結界を箱買いしてプレゼントしてくれた。使うたびに自分を思い出すようにと言って渡してくれたが、そうじゃなくても忘れたりしないさ。
俺たちは充分に露天風呂を楽しんでから湯から上がった。前に初めて入った時は俺の事など気にせずに全裸になっていたのに、今回は何故か皆に、
「絶対に見ないで」
と真剣な顔で言われて入る時も出る時も、もちろん着替える時も俺だけが後ろを向かされた。よくわからない人たちだ。
丘を降りて馬に乗った。
南街道へ行くザキトワとファンミンとはここでお別れだ。
ザキトワが言った。
「短い間だったけれど、とても充実した日々だったわ。そこいらの冒険者よりもよっぽどスリリングでワクワクの冒険ができたんじゃないかしら。チームビキニはこのままにしておくわね。いつか再集結できたら楽しいでしょうね」
「さて、ザキちゃんの愛の告白が終わったところで、ファンちゃんの告白よ」
おどけて言うファンミンに顔を赤くしたザキトワが言った。
「ちょっと、ファン、どうして今のが愛の告白なのよ」
「言葉では違うけど表情がね。付き合いの長い私にはザキちゃんが少年の事を好きなのが分かるのよ。自分の命を捨ててまで助けようとされて好きにならない訳がないわよね」
「なによそれ、わざわざ言う事ないでしょ」
益々顔を赤らめるザキトワをスルーしてファンミンが俺に言った。
「もちろん私も好きよ。ストレートに言おう。お別れにそこの茂みで私とエッチな事を……」
パーン、最後まで言う前にザキトワに頭を叩かれた。
「ほらファン、もう行くわよ」
ザキトワは耳を真っ赤にしながら、ファンミンは叩かれた頭を抑えながら去っていった。
二人が見えなくなるまで見送ったあと、俺とマサラは西街道を西へ向けて馬を進めた。馬上で前後に誰も居ないのを確かめてから収納を使った早着換えでゴータとマサラに戻った。俺はオフホワイトの綿シャツに薄茶の乗馬ズボン、黒のスニーカーで髪色もカラーリングを外して黒髪に戻した。武器はレイピアだ。マサラは茶の長袖ブラウスにライトカーキのマキシプリーツスカート、足元は編み上げの黒いショートブーツで、カットラスを提げている。
ゆっくりと馬を進めながら俺が言った。
「ファンミンの冗談のおかげで明るい別れになったな」
「アタシには冗談とは思えないけどね。そういう所がゴータのダメな……いい所だけど」
いまダメって言ったよな。
「ねえゴータ、アタシたち3人の中で、うーんと、カレンさんとリシェルさんも入れて5人の中で誰が一番好き」
マサラが訊いた。俺はマサラの顔を見た。表情は読み取れなかったが冗談で訊いたので無いことは明らかだった。
「みんな好きだよ。一番なんて決められない、皆が好きだ」
マサラはとても悲しそうな顔をした後で無理やり笑顔を作って言った。
「そう、やっぱりゴータはダメだ。女心が全然分かってない」
「……」
「ほら黙ってないで、もう一度チャンスをあげるから答えてごらん」
「そうだな、皆の中ではマサラの事が比較的に好きだぞ」
「ダメを通り越して最低の答えね。最低で最悪だわ。蹴ろうかな」
「それはやめてくれ。死ぬから。マサラ、正解を教えてくれ」
マサラは呆れ顔で俺を見てから諦めたように答えた。
「ゴータはずっと遠い国から来たんでしょ、それならただ一言、俺の国に好きな人がいるんだ。そんな感じかな」
「なんだそれ、5人の中で誰が一番好きかって聞かれたんだぞ。それに俺の国に好きな人もいない」
「分かってないな。アタシのこと好きって訊いたに決まってるでしょ。だからそう言っておけば思いを残さないで別れることができるんだよ」
その後、俺たちはマサラが見付けていた美肌草の群生地へ寄って女神の美肌草を採取した。これでマサラの父親も完治するだろう。
馬が歩みを進めるたびに別れの時が近づく。
俺たちは取り留めも無い話に花を咲かせた。お互いにこれ以上は深入りしないように、そんな風に気を遣ったのかもしれない。やがて西街道の左に柵で囲われた木造の建物が現れた。マサラの父親が保護されている練兵場併設の療養所だ。柵の門に着くと練兵場の奥にある療養所からシスター・ファーニスが出て来た。その隣には顔色の悪い男性がいる。
「あれがお父さんだよ。でも話が長くなると日が暮れちゃうから、ここで大丈夫」
「そうだな」
俺は手を挙げてシスター・ファーニスとマサラの父親に挨拶をした。こっちの世界には馬上からの挨拶が失礼などという考えは無い。
「本当にありがとうね。ゴータがいなかったらアタシもお父さんも助からなかった」
そう言ってからマサラは少し躊躇い、やっと声を絞り出した。
「困らせてごめんね」
「気にするなマサラ、幸せにな。俺たちは仲間だ。また会える」
マサラは下馬して馬を繋ぐと一度も振り返ることなく真っ直ぐ父親の所に走っていきその胸に飛び込んだ。父親はマサラをひしと抱きしめた。父親の胸の中でマサラの肩が揺れていた。父親がその頭をポンポンと優しく撫でるとマサラはやっと顔を上げた。シスターはその顔を見てハッとした後、全てを悟ったような暖かい表情になって俺の方を向き手を振った。
俺がお辞儀をして西へ馬首を巡らせると父親は手を挙げて俺に挨拶をしてからマサラと共に療養所に入っていった。マサラがいた場所にマサラの服や私物がフッと現れた。俺の収納に入れていたマサラの物が自動的に持ち主に返されたのだ。マサラはもう俺の物じゃない。さようならマサラ。
シスターはいつまでも手を振って俺を見送ってくれた。
お読みいただきありがとうございます。異世界で暮らしていける目途がついたゴータ君、次章からは表題のとおり放浪します。別れの後には出会いもあるようで新しい仲間?ができます。異世界の旅はまだまだ続きます。