第75話 罰
翌々日の午後、俺とファンミンはグラリガ神殿でミーナとザキトワを待っていた。掃除奴隷から解放したモリピンもモリピンの奴隷になった神殿衛兵隊長もどこかへ去ったようで他に誰もいない。奴隷マードは地下の牢に入れて鎖でつないである。後ろ手に縛られたままなので床に置かれたパンを犬のように食べ、排泄も服を着たまま垂れ流しだが生活魔法のクリーンだけは使う事を許されているため、驚くほど清潔で祭服も純白のままだ。
奴隷となっても憔悴した様子の無いマードにファンミンが、何を企んでいるのか告白するよう命じた事があった。マードは、神殿がこのまま黙っているはずがない、神殿がケイコを捕まえればあの不思議な能力で自分の首輪を外させることが可能だと白状した。自分の密かな考えまで話さなければならないとは、この世界の奴隷は難儀だな。
コツコツと二つの足音が響いた。一つはパンプスの音だ、もう一つの低い音はブーツか。現れたのは案の定、ザキトワとミーナだった。二人とも血の跡こそ無くなっているが薄汚れている。
「ふう、疲れたよー」
「アタシも、クタクタ」
そう言うなり大理石の椅子にドカっと腰掛けた。ジミホアン姿の俺を見て驚きもしなかった。凄い適応力だ。
「お尻が痛い。ここの椅子は快適性ゼロね」
文句を言うザキトワに続けてミーナも、
「ホントだよ。ずっと馬に乗って来て、ただでさえお尻が痛いのに」
と不満を口にしたがその顔には安心感が現れていた。別行動で不安だったんだな。俺はそんな二人を労った。
「二人ともご苦労だったな。腹は減ってないか。これでも食べるといい」
そう言って大理石の机の上にサーベルエミュのローストサンド、蜂蜜オレンジ水入りの水筒とワインを出した。ローストサンドからは薄っすら湯気が上がっている。
二人はそれを手に取るとかぶりついた。
あっという間に完食したザキトワが言った。
「おいしかった。おかげで生き返ったわ」
ミーナも食べ終えて言った。
「これってあの時の銀髪ロン毛に買わせたやつだよね」
「そうだ、あと1個あるが食べるか」
ううん、と首を横に振ってミーナが返事をした。
「もう充分だよ。憲兵に簡単な食事を貰ったから」
「あれからどうだったんだ」
俺の問いにザキトワが答えた。
「タガートスとアサブルは最後まで抵抗して斬られて死んだの。弓のジョニードと魔法使いのボルーは捕まって取り調べを受けている。裏付け捜査が終わったら処刑されるそうよ。カトリーヌに脅されていたことを差し引いても極刑は免れないって。でも一人だけは放免になったわ」
「誰だ」
「ずっと眠っていた男がいたでしょ。あいつはボルーを起こしていただけで悪い事には係わっていなかったらしいの。報酬もお金じゃなくて寝床と食事だけだって」
「それでも一味には違いないだろ」
「そうは思うんだけど、実際に私たちも少佐たちも寝ているところしか見てないからね」
「そうか、それでカレンさんとリシェルさんは無事か」
「カレン少佐と副官は無事に助け出されたわ」
「少佐と副官は凄く色っぽかったよ。下着姿で縛られた状態で木箱から出てきた時は女のアタシでも変な気持ちになったもん」
そう言ってミーナが探るような目を俺に向けた。
「そ、そうだろうな。あの二人は憲兵隊のツートップって言われているらしいぞ。それで、ミーナとザキトワも取り調べを受けたのか」
俺は急いで話題を変えた。
「私とミーナちゃんは少し話を聞かれた程度よ。少佐と副官が木箱の中で一部始終を聞いていたから私たちが被害者だって証明されたの。でもケイコちゃんとファンがいないのを不思議がっていたわ。出て行くのを誰も見ていないって。だから適当に説明しておいたわ。憲兵隊が突入した時にファンの能力で姿を消して抜け出してサツキを探しに行ったってね。そしたらあのイケメンの中尉が言っていたわよ。ケイコちゃんが一番の功労者だから憲兵隊に顔を出してくれって。褒賞金をくれるみたい」
「そうか、行かないとまずいだろうな。それでマードについては何か言っていたか」
「ジョニードとボルーの供述でマードが黒幕だって判明したわ。肝心のマードが出て行くのを黙って見ていた隊員は大目玉だっけど、相手が司祭じゃ手出しができないから憲兵隊本部から神殿本部に身柄引き渡しを求めるって」
「やはり神殿の力は大きいんだな。あれほどの事をやった犯人でも処罰できないとはな」
「それでサツキ、マードはどうしたの」
ミーナが俺に訊いた。
「ああ、審判の首輪を嵌めて地下牢に繋いであるぞ。今はファンミンの奴隷だ。ファンミン、奴隷の所有権をミーナに譲渡してくれ」
「オッケー、ミーナちゃん、従順な奴隷に教育しといたからね、何でもするよ」
「ファンミン、何でもって何をさせたんだ」
俺は不安になって尋ねた。
「だから何でもよ。ちょっと性欲の発散に使ったり。サンドバッグにしてストレスの発散に使ったり……かな、てへっ」
「性欲の発散って、大丈夫なのか」
「ん、ただの道具だもん、使わないと損でしょ」
なんだかよく分からないが本人がいいならそれでいい。
「じゃあ、奴隷の所有権を移転して、それからもう一人、キッチリ落とし前をつけさせる」
「ドーソンね」
ミーナが険しい顔で言った。
「ああ、本名はサレイニー準男爵だ。マードはこのままにして、俺たち全員で行く。屋敷の間取りはミーナが調べてくれたから完璧だ。俺とミーナは正面から行く、ザキトワとファンミンは裏口を固めてくれ。マードに変装した俺が……」
数時間後、純白の神殿馬車と2頭の馬が神殿に戻って来た。建物横に止められた馬車からは手枷を嵌められた紳士風の男が降りた。その首には純白の首輪が嵌められていた。
神殿の中央に屹立するハゲ頭の像の前にマードとサレイニーを跪かせ、ジミホアン姿の俺がミーナに尋ねた。
「どうする。好きにしていいぞ。死なせるなら俺に譲渡すれば実行不可能な命令を出してやる。そうすれば首輪がこいつらを殺してくれる」
跪いた二人の奴隷は俺を見上げて恨めしそうに睨んだ後、ミーナに目で命乞いをした。話すことを禁じられているのだ。
ミーナは、
「殺さない、二人には自分のした罪を償わせる」
と言って二人に命令した。
「これから会う人たち全てに、自分の罪を告白して悔い改めるの。無実の人々を犯したり殺したり、奴隷にして売ったりした事を全て。人を見かけたら大きな声で告白すること」
「いいアイデアだな。それなら一生自分の罪から逃れられない」
俺がそう言うとザキトワが付け足した。
「それだと家に閉じこもってしまうわ」
「そうだね、ザキ姐」
ミーナは二人に命令を追加した。
「お前たちはこれからは外で暮らすの」
そう命じられてガックリと肩を落とす奴隷二人を見下ろしてファンミンが言った。
「外で暮らすのか、野良犬みたいだね」
それを聞いたミーナが更に命令を追加した。
「ファンちゃん、そのアイデア貰った。お前たちのやった事は人のする事じゃない。だから、これからは二足歩行は禁止。二人とも四つ這いで暮らすこと。人のように立ち上がったら首輪が締まって死ぬ」
マードとサレイニーは項垂れるとそのまま地面に両手をついた。
ミーナは満足げに頷くと念を押すように二人に命じた。
「ここにいるアタシたち3人とサツキの事は誰にも言ってはダメ。もちろん文字に書いてもダメだしジェスチャーで示してもダメ。つまり、お前たちのせいでアタシたちの事がバレたら命令違反になって首輪が締まるってこと。もう喋ってもいいから、返事をして早く出て行きなよ。ここは建物の中だよ、ここにいると死んじゃうよ」
二人の奴隷は、
「はい」
と返事をすると四つ這いのまま急いで出て行った。あれじゃあ膝や腰が痛くなるだろうな。俺はそんな事を思いながら眺めていた。
「よし、少し休んだら俺たちも引き上げるか」
「そうね、こんな薄ら寒い所は御免だわ」
ザキトワが応じると他の二人も頷いた。
神殿を出た俺たちは二手に分かれた。ミーナとザキトワは拠点の借家に、俺はケイコの姿でファンミンと憲兵隊に褒賞金を貰いに行く。
「褒賞金ってどれくらい貰えるのかしら」
俺が尋ねるとファンミンが苦笑いして言った。
「微々たるものよ。元は税金なんだから大盤振る舞いはできないでしょ」
「そうですか、それならいちいち呼び出さないで欲しいですね。面倒なだけです」
「そうもいかないでしょ、私たちもあの場にいたんだから事情を聞きたいんでしょうね。サツキ……ケイコは憲兵隊の人たちと知り合いなんでしょ。正体を明かさなくていいの」
「ええ、明かしません。私の正体がバレるとミーナさんの正体もバレますから。悪党とはいえ司祭と貴族を敵にしたからには、身元は秘密にしておいたほうが良いのです。ファンミンさんたちまで巻き込んでしまって済みませんでした。イザとなったら私に騙された事にしてください」
「だからそういう言い方は無しだって。でも心配はいらないよ、じつは私たちも名前を変えているの」
「でも、カトリーヌに【鑑定】されたときにファンミンさんとザキトワさんのままでしたよ」
「サツキ、じゃなかったケイコはステータスが絶対に正しいと思っているのね」
「え、違うの」
「年齢や性別は生まれながらに決まっているから変えられない。でも名前は人が付けたものでしょ。それがステータスに反映されるのは本人がそう自覚しているからなの。だから自分が別の名前を本名だと強く意識して他の人からもその名前で呼ばれればステータスも変わるのよ」
「凄いな、そんな事が可能だなんて初めて知ったぞ」
「言葉遣いが男に戻ってるわよ。私も人に言ったのは初めてよ。ザキと私だけの秘密にしていたの。他にもこの方法に気付いている人はいるかもしれないけど、わざわざ喧伝する人はいないわ」
「どうやって気付いたんだ。どうやって気付いたのですか」
また男言葉になった俺が言いなおした。
「昔、赤ちゃんを【鑑定】した友人がいたの。その人が、あの赤ちゃんはアワワっていう名前だって言ったの。それから何年かして別の友人が子供を【鑑定】して、あの子の名前はシュロスよって言った。私はその子供と一緒にいた母親を見おぼえていたの。同じ子供なのに名前が違うのは何故だろうって思った。それをザキに相談したら、面白いって言っていろいろ調べ始めたのよ。ザキの行動力は昔から半端ないからね。その子供に兄弟がいるかとか、犯罪絡みで子供が入れ替わった可能性まで調べたわ」
「そんな事までよく調べられましたね」
「ううん、自分たちじゃ無理だからプロに依頼したわ。そのプロが面白い話を聞き込んできたの。その子供は赤ちゃんの時に初めて喋ったのがアワワだったんだって。それで親も親戚もアワワちゃんって呼んでいたんだって。私たちはその日からファンミンとザキトワという名前にして呼び合ったの」
「それでステータスが変わったのですね」
「変わらなかったの」
「え、じゃあどうやって」
「自分たちで呼び合うだけじゃダメだって気付いたわ。周りの人からもその名前だと認識されないとダメだって。でもいきなり今日から私の名前はファンミンですって言っても、痛い奴としか思われないでしょ。だから検証は一旦封印したのよ」
ただのエロい変態かと思っていたがちゃんと考えているんだな。
「ねえ、いま余計なこと考えたでしょ。目が細くなったわよ」
「そ、そんな事ありません。目に虫が入りそうだったんです。それで、どうしたんですか」
「うーん、まあいいか。それから何年かして二人で旅に出ることにしたの。自分探しの旅。その旅に出る時に検証をスタートしたの。二人で呼び合う時はもちろん、部屋を借りる時も働き口を見つける時も、今の名前を徹底したのよ。初めは新しい名前を思い込むことに力が入りすぎていたけど、いつからか自然にそう思えるようになったの。そうしたらステータスも変わっていたわ」
「一体何年かかったのですか」
「16歳で旅に出て20歳の時に変わったから4年ね」
「そんなに……。ということは元の名前に戻すのにも4年かかるのかしら」
「多分だけど、家に帰ればすぐに戻ると思う。環境も人間関係も一気に戻るわけだからね」
「なるほど、でも16歳で家を出てご家族は心配しているのではないですか」
実際に俺も16歳で死んで、こっちの世界で復活したのだ。親が悲しまない訳がない。
「家出じゃないから大丈夫よ。大まかなルートは言ってあるから。ところで、ケイコで行くならその腕はヘンなんじゃないの」
そうだった、ケイコの両腕はゴブリンに食われてボロボロになっているはずなのだ。
「そうでした、ファンミンさんにしてはよく気が付きましたね」
「うっ、一言多い。ファンちゃんプンプンだぞぉ」
「フフ、すみません。どうしますかねえ。あんな腕で歩いたら目立ちすぎるし」
「腕を貸して、これを巻いておくわ」
ファンミンはそう言ってポーチから包帯を取り出すと俺の腕に巻いてくれた。両腕とも包帯でグルグル巻きになったが指の部分は分かれていて持ったり握ったりは可能だ。
「意外と器用なんですね」
「そうそう私って見かけによらず意外と出来るのよ。ってどういう事よ」
ファンミンのノリツッコミが炸裂したところで憲兵隊に到着した。