第73話 男たちの仇討
「な、なにをするの」
「この時を待っていたんだ。カトリーヌ、お前がゴブリンに喰わせた親友の仇だ。簡単には死なせねえ。徐々に血を失いながら絶望しろ」
「痛いか、痛いだろ。俺のダチはもっと痛かっただろうぜ。クソが」
タガートスとアサブルは吐き捨てるように言った。
血まみれのカトリーヌはヨロヨロと歩きマードに手を伸ばして縋った。
「マード様、助けて。回復魔法を、ハイヒールを掛けてください」
マードは近付いたカトリーヌを突き放すように、ドンと足裏で蹴って言った。
「ええい、汚い女め。近づくでない」
「ひぃ、ひどい、一緒に神殿を牛耳ろうと仰ったではないですか。あんなに尽くしたのに」
「なんの事だ。証拠でもあるのか。全てはお前が独自にやった事だ。ワシはここでたまたま休憩をしていただけだ」
マードが冷たい声で言うとカトリーヌはふらつきながら喚いた。
「許さない、許さない、許さない、絶対に許さない。全員私のスキルで殺してやる」
見事なブロンドも血で赤黒く染まり悪鬼のような相貌で仲間だった男たちを睨んでいる。その時、カトリーヌの足元が盛り上がり、その先端が鋭利な剣のようになって上に上に伸び、カトリーヌの二の腕を下から上に刺し貫いた。
「ぎゃー」
カトリーヌが悲鳴を上げて振り向くとボルーが何か呟いてロッドを振った。再び地面が盛り上がり岩の剣となってグングン伸びてもう片方の腕も刺し通した。ボルーが更に何か呟いてロッドを振ると2本のロックスピアはそのまま上へと伸び、カトリーヌは両腕を広げたまま吊り上げられ、足が地面から浮いた所で上昇が止まった。まるで磔刑にされたかのようだ。刺された腕からは血が流れてロックスピアを伝い地面は血だらけになった。
「ボルー、お前もか」
掠れた声で言うカトリーヌにボルーが答えた。
「兄の仇だ。双子の兄を殺されて平気だったとでも思ったのかよ、そんなはずねえだろ。みっともない姿を晒しながら死ね」
タガートスはボルーに頷くと言った。
「ボルー、よくやった。ロックウォールで出入口を補強してくれ。このままだと憲兵隊が来ちまう」
「待ってくれ、MPを補給する」
ボルーはそう言ってポケットからポーションを取り出してコルク栓を開けた。俺はレンタル中のマードの木箱を返却して空きを作り、そのポーションを【レンタル】してすぐにボルーに返却した。ボルーの手からポーションの瓶が消えてすぐに頭の上に現れた。慌てたボルーが瓶を探して頭を振ると瓶は地面に落ちて割れてしまった。
「くそっ、また邪魔をしやがった」
「ボルー、MPポーションはまだ持っているのか」
アサブルが尋ねた。
「いや、今ので最後だ。ダニガに頼んでおいたんだが」
そう言ったボルーの視線の先は巨岩だ。岩で押し潰した二人のどちらかが持っていたのだろうが、あれでは割れていなくても取り出せない。
「ん、ちょっと待てよ。その女はボルーのポーションを奪う前に木箱を出したよな。それに奪ったポーションもすぐにボルーの頭の上に出した」
タガートスが考えながら続けた。
「なぜそんな事をするんだ。木箱だってポーションだって奪ったままにしておけばいいだろ。つまり、そいつのスキルで奪える数には限度があるって事だ」
タガートスの推測に弱々しい声のカトリーヌが割り込んだ。
「だから言ったでしょ。奪った物を自分の物にはできないのよ。その女を殺せば奪ったスキルは持ち主に戻るはずよ。私のスキルさえ戻れば支配した憲兵隊を戦わせて同士討ちにすることができるわ。勝てるのよ」
「それで、その後はどうなるんだ、カトリーヌ。またお前に支配されて、いつゴブリンに喰われるのかとビクつきながら生きるのかよ。俺は今まで生きていても生きた気がしなかったぜ。酒と女でごまかせるのは一瞬だけだ。もうそんなのには戻りたくねえ」
タガートスの言葉にアサブルも頷いて言った。
「俺もだ。顔色を窺うのはもう御免だ。あのケイコとかいう女を殺しちまったらカトリーヌにスキルが戻るんだよな。だったらその前にカトリーヌ、お前死ねよ」
「でもどうやって殺るんだよ。俺のMPはカラだし、おめえらはその場を動けねえ。また岩に潰されちまうからな。こんなことなら、ひと思いにロックスピアで心臓を刺せばよかったぜ」
ボルーが残念そうに言った。
「大丈夫だ、ボルー。あの出血ならそのうちくたばるぜ。俺は親友が生きたままゴブリンに喰われた時の苦しそうな顔が今でも目に焼き付いてる。俺を恨みのこもった目で見ながら死んでいったんだ。カトリーヌが死んでいくのをこのまま見物してやる。今日は良い酒が飲めそうだぜ」
そう言うタガートスに血まみれのカトリーヌは薄笑いを浮かべて声を絞り出した。
「私が死ぬのよりお前たちが憲兵隊に斬り殺される方が先よ」
うまい具合に仲間割れが始まってくれた。カトリーヌのスキルを封じた今なら敵の武器を奪う事も可能で負ける気はしないが、混戦になって仲間が怪我をしてもいけない。憲兵隊が壁を崩して突入するのも時間の問題だし、一味の確保とカレンさんとリシェルさんの救出は彼らに任せよう。
となると、俺たちの標的はマードだ。奴は全てをカトリーヌたちの仕業にすると決めたらしく、ミラーミの胸を揉むのもやめて傍観者に徹している。これほどの事をしておいて知らぬ存ぜぬで通せるとも思えないが神殿が自分たちの権威を守る為にマードを庇うかもしれない。神殿がどういう組織なのか俺は知らないし、不確実な要素に任せるよりヤツには俺が代償を支払わせてやる。真面目に頑張っていたマサラを地獄に落としたヤツを逃がすわけにはいかないのだ。
俺は小声で仲間三人に言った。
「攻撃されるまでは手出し無用だ。標的はマード一人に絞る。憲兵隊が突入したらファンミンは魔法アイテムを回収してして姿を消して俺と行動を共にする。ミーナとザキトワは憲兵隊の指示に従うんだ。集合場所は……」
即席の計画を話すと三人は乾いた血がこびりついた顔で笑った。
こんな状況なのに三人とも明るいな。本当に助けられる。
「みんな酷い顔だな。全て終わったら露天風呂に入れてやるからな」
「やったー、アタシが一番風呂ね」
「だめよ、ミーナちゃん。こういうのは年齢順よ」
「一番活躍したファンちゃんが最初なのだ」
ガン、ガン、ガン、
小声で話す俺たちの声が聞き取りにくくなるほど壁を壊す音が大きくなってきた。
「う、うーん」
壁際で気絶していたムイザが意識を取り戻して唸った。
地面から伸びたロックスピアで磔刑にされているカトリーヌに気付いたムイザが叫んだ。
「あ、カトリーヌ」
「ムイザさん、助けて」
ムイザは起き上がると、力のない声で助けを乞うカトリーヌに駆け寄ろうとした。
「いま行くからね」
そう叫んでボルーの横をすり抜けようとした時、ボルーに掴まれていた腕を振り解いたシティカがムイザにタックルして転ばせた。痛そうに呻くムイザにマードから逃れたミラーミが飛びついて馬乗りになった。
「何をするんだ。奴隷の分際で、後悔させてやるぞ」
そう言ってミラーミを押し退けようとするが小柄なムイザはそれができなかった。
マウントポジションを取ったミラーミは、
「うるさい」
と言いながらムイザを殴った。右、左、右、左、次々に繰り出される拳を受けてムイザの顔は蒼く腫れ鼻は曲がり血だらけになった。
「やめて、痛い、やめて」
泣き出し許しを請うのも構わずミラーミは殴り続けた。
「よくもボルアーロさんを殺したわね」
「ダンジョンでは誰も信用しちゃいけないんだ。僕は悪くないんだ」
「まだそんな事を言っているの。それならダンジョンで殴り殺しても私は悪くないわね」
「嫌だ、死にたくない」
「ボルアーロさんだって死にたくなかったのよ。やったことの償いはさせる。アンタはここで死ぬの」
「嫌だ、そんなの嫌だ。悪いのはカトリーヌなんだ。殺したのはカトリーヌだ。だから助けてよ」
その様を見ていたカトリーヌが諦めたように言った。
「役立たずな男。お前があの女4人を連れてこなければ全てうまく行っていたのに」
「嫌だ、死にたくないよ。許……」
ミラーミが殴り続けるとムイザの声は細くなり、やがて口に溜まった血で話すこともできなくなった。顔の形は崩れ、誰だったのかも分からなくなり、ミラーミは殴り疲れて腕を止めた。そこへシティカが歩み寄った。手にはどこで拾ったのかレイピアが握られていた。ムイザは、かろうじて開いている薄く細い目でそれを見たが最早感情は読み取れなかった。シティカに気付いたミラーミが立ち上がって場所を譲ると、シティカはムイザの上に仁王立ちになって抵抗できないムイザの胸にレイピアをゆっくりと刺し入れた。一瞬、薄く細かった目が大きく見開かれたが剣先が心臓を貫くと目は静かに閉じて動かなくなった。
「ムイザ」
シティカを手放してしまったボルーが俺の岩を恐れてタガートスたちと合流して呟いた。
カトリーヌはペッとムイザの死体がある方に唾を吐くと少し力を取り戻した声で言った。
「また裏切り者の男が死んだわ。ここでお前たちが死んでいく様を高みの見物といくわ」
それを聞いたアサブルが言った。
「しぶてえ女だ。自然回復しやがる。どうするんだ」
「俺を忘れているぜ」
声のする方を見ればミーナの上段蹴りで倒れていたジョニードが上半身を起こして弓を引き絞っていた。傍らには空になった緑色の矢入れが転がっている。
標的にされているカトリーヌが怯えた声で媚びるように言った。
「ジョニードさん、無事だったんですね。嬉しい。どうか気を静めてください。二人でここから抜け出しましょう。隠れ家に籠って沢山愛し合いましょう。だから、ね、弓を下ろして。お願い」
「カトリーヌ、お前とヤッていても愛したことなど一度もねえよ。弟を殺さなきゃならなかった気持ちが分かるか。弟を殺させた女を抱かなきゃならねえ男の気持ちが分かるか。あの時の恨み、きっちり返させてもらうぜ」
ジョニードが引き絞っていた右手を離すと矢は一直線にカトリーヌへ向かい、そしてその太腿に突き立った。
「うっ」
痛さに顔をしかめたカトリーヌは自分の太腿に刺さった矢を見て笑った。
「下手クソね。ベッドでも矢も、お前の技はお粗末なのよ」
「ヘッ、わざと急所を外したのさ。これが何か分かるか」
ジョニードは紐に提げた小ぶりな器をブラブラさせた。毒を入れた器だ。
「お前の好きなヘビカエルの毒だぜ。10分以内に毒消しを飲まねえと……説明するまでもねえな。お前に仲間がいるなら飲ませてもらえるだろうぜ」
矢が刺さった部分は徐々に青みを帯びてやがて紫色になった。全身から汗が吹き出し、小刻みに震えている。カトリーヌは嫌な色になっていく自分の足を見下ろして言った。
「だれか、お願い。毒消しを飲ませて。私のカバンに何本も入っているわ」
動こうとする者は一人もいなかった。
俺も動くつもりは無かった。返却期限が来れば【マリオネット】はカトリーヌに戻る。そうなれば再びおぞましい犯罪が繰り返されるだろう。
「お願い、助けて」
なおも願うカトリーヌにタガートスが言った。
「あの時、俺もそうやってお前に助けを求めたぜ。何でも言う事を聞くから友達も助けてくれってな。だが、お前はあいつをゴブリンに食わせた。しかもそれをうっとりと眺めてやがった」
紫色の部分は両足に拡がり、腹部も胸も、やがて顔までもが紫色になった。カトリーヌはどす黒い血を吐くともう喋る事も出来なくなり、一気に激しくなった呼吸は突然止まった。俺のステータスから【レンタル】中のスキル【マリオネット】が消えた。
ドドーン……
カトリーヌの死に呼応するかのように出入口を塞いでいた壁が崩れた。巻き上がった砂埃の向こうから、雄叫びと共に憲兵隊が突入してきた。先頭はドルアス軍曹だ。トータク、ヒックル、カラコルの下層トリオが続き、サルード中尉もいる。いつもクールでイケメンの中尉が余程急いで来たのだろう、顔も軍服も汚れている。総勢10名だ、この人数ではカトリーヌのスキルがあれば負けていただろう。
憲兵隊はアジトの中を見回し磔刑にされて息絶えている紫色の遺体を見てギョッとしたが、目当ての人物を発見できずに戸惑っている。
「貴様ら、そこを動くな。少しでも動けば容赦なく斬り捨てる」
ドルアス軍曹がそう言った時、
ゴン、ゴン……
長木箱を内側から叩く音が響いた。すぐ脇にいるタガートス、アサブル、ボルーの三人がギクリとした。
あれはカレン少佐だ。猿轡でもされているのか声を出せないようだ。俺はカレン少佐の猿轡をイメージした。脳内ランプが点灯したのでそのまま【レンタル】を実行すると俺の収納に猿轡が入った。すぐにカレン少佐の側に猿轡を返却し、同じようにしてリシェル少尉の猿轡も外してやった。
「ここだ、ドルアス。木箱の中だ」
カレン少佐の声を聞いた憲兵隊が長木箱に殺到し三人と斬り合いになった。別の一隊は逃げようとするジョニードに飛びついた。
「ファンミン、今だ。ミーナとザキトワは打ち合わせ通りに憲兵隊に保護してもらうんだ」
俺が合図をするとファンミンが魔法アイテムを回収して素早く身に着けた。ファンミンは着込んだ迷彩魔法コートの中に俺を入れると、
「カモフラージュ」
と言って魔法アイテムの効果を発動させた。一瞬で背景に溶け込んで見えなくなった俺とファンミンは出入口へと移動する。迷彩魔法コートの中ではファンミンが前で俺が後だ。コートの作りは大きめで二人の姿を隠してくれる。
「もっとピタリとくっついて。体の一部でも出たら見つかっちゃう。遠慮している場合ではないわ」
ファンミンがそう言って俺を引き寄せ、俺の腕を自分の胸前でクロスさせるようにしっかりと抱き付かせた。俺の手がちょうどファンミンの豊かな胸を覆っている。
「離れないように、そこをしっかりと掴んでおいて。これは遊びじゃないのよ」
ファンミンがいつになく真剣な口調で言った。ここで誰かに見つかれば計画は失敗する。俺は素直に従い、ファンミンの胸をハーフカップブラの上から鷲掴みにした。二人がピタリと重なったおかげでスムーズに歩くことが可能となった。
時折、
「アン」
という声が聞こえるのは気のせいだろう。
俺たちは戦闘の続くアジトから誰にも見られずにダンジョンへと出る事ができた。
アジトから出た俺は【変装】と【容姿操作 レベルMAX】のスキルを使って変身した。
「その能力は何回見てもビックリね」
別人になった俺を見て感心するファンミンに言った。
「ファンミンは姿を消したまま俺についてきてくれ。いいと言うまで声を出すんじゃないぞ」
「はーい」
俺たちは今出たばかりのアジトに戻って行った。
アジト内の戦闘は下火になったがまだ続いていた。ボルーは肩を斬られたようで傷を抑えて座り込み、首には魔法封じの首輪が嵌められ、それを隊員が監視している。ジョニードは二人の隊員にのしかかられて身動きできずに呻いていた。アサブルとタガートスはドルアス軍曹と下層トリオの伍長三人と切り結びながら壁際に追い込まれていた。サルード中尉は長木箱の脇で蓋を開けるように二人の隊員に指示を出している。
箱の中からは、
「サルード、早くしろ」
というカレン少佐の声と、
「少佐、お怪我はありませんか」
と少佐を気遣うリシェル少尉の声が聞こえる。二人とも元気そうだ。
マードは椅子代わりの木箱に腰かけて他人事のようにそれら眺めているが目が泳いでいるのを見れば自分がどうなるのか不安に思っているのが分かる。
俺は憲兵隊の間をすり抜けてマードの元へ駆けた。マードは俺を見ると驚いた後、安堵したように息を一つ吐き、思わず立ち上がって言った。
「お前は……どうしてここに……」
「ジミホアンです。グラリガで憲兵隊の動きが慌ただしくなったので隊長と相談して駆けつけました」
そう、俺は神殿衛兵のジミホアンに化けたのだ。【容姿操作 レベルMAX】のスキルによって俺の顔も体もジミホアンに見え、【変装】スキルによって大きめの制服もピタリと似合っている。【声色】によりヤツの声で喋ることができ、【触覚操作 レベルMAX】を使えばたとえ触られたとしてもジミホアンの体そのものなのだ。
「そうだ、ジミホアンだったな。隊長はどうしたんだ」
「隊長の馬は遅かったので私が先に来ました。私の【馬術】スキルはレベル3ですが、隊長のはレベル2ですので」
【話術】スキルのおかげで話がスラスラと出て来る。
「そうだったな。隊長がジミホは俺より上で生意気だと言っていた」
「それよりマード様、一刻も早くここを抜け出しましょう。私が案内いたします」
「たのむぞ、神殿に戻れば憲兵隊は入って来ることができんからな。うまくいけばお前を隊長にしてやる」
「は、ありがたき幸せ。さあ、戦闘のドサクサに紛れて行きましょう」
マードを連れて憲兵隊員の間を縫って進むと、俺に気付いた隊員が訝しげな表情をした。それはそうだろう、憲兵隊に知らせたのは審判の首輪をしたジミホアンなのだから。隊員が俺に何か言おうとした時、長木箱の蓋が外されてカレン少佐が助け出されるとそちらに注意が向けられ、俺たちは難なくアジトを脱出する事に成功した。うーん、やはり憲兵隊はダメだな。
出る時に、ちらりと後ろを見るとミーナとザキトワはその場から動かずに成り行きを見守りながら俺を見て少し笑った気がした。そんな二人を見倣うようにミラーミとシティカも慌てずに佇んでいた。