第70話 降伏
カトリーヌの前の空間が歪み、突然ナイフを握った腕だけが出現した。
そのナイフはカトリーヌの首筋をめがけて一気に振り下ろされ、首から一すじの真っ赤な血が流れた。
赤い血が白い肌を伝い、鎖骨を流れ豊かな胸を覆う緑のビキニアーマーに滲んだ。それをしなやかな指で拭いチロリと舌先で舐めたカトリーヌが言った。
「死ぬかと思いました。ほんの少しでもスキルの発動が遅れていたら血が吹き上がっていましたわ」
ナイフは首の皮一枚を傷つけた所で停止していた。そのナイフを握る手は腕から先だけが出ており、それ以外は何も見えない。腕だけが空中に浮かんでいるような異様な光景だった。
カトリーヌは手からナイフを毟り取るとその場に投げ捨て、見えなくなっている腕の付け根あたりを手探りで掴むとガサッと衣擦れの音がした。
「居ましたわ」
そう言いながらコートを剥ぎ取ると青い上下のビキニを着たファンミンの姿が現れた。余程暑かったのだろう、その肌は火照り、汗で濡れてテカテカと光っていた。ベリーショートの黒髪も汗でぐっしょりとしていたが顔と足元だけは迷彩魔法アイテムの効果で見えなくなっている。
剥ぎ取ったコートを摘まみ上げたカトリーヌが言った。
「見えなくする服ですか、こんなの見たことも聞いたこともありません」
「なあカトリーヌ、そいつが空間魔法だかスキルだかを使う犯人なんじゃねえのか。そういや、この女どもを連れてくる時に誰もいねえ所で声がした気がしたんだ。それにそっちの女奴隷が犯人だとしたらマード様の命令に反してスキルを使ったのに首輪が締まらないのはおかしいだろ」
ジョニードが言うとカトリーヌの側にいた槍使いの冒険者二人が、サッと前に飛び出して左右に別れ、槍の長い間合いを取って言った。
「こいつに間違いねえ。姿を消して隙を窺っていやがったんだ。俺たちが串刺しにしてやる」
二人が槍を扱きながら突き出そうとした時、それぞれの頭上に巨岩が現れた。
グシャ、ゴシャ……
嫌な音がして二人は巨岩の下敷きになった。地面を流れる鮮血が二人の命運を示していた。
槍で刺そうと前に出たのが運の尽きだったな。そこはギリギリで俺の収納の範囲内だ。さあ、次は誰だ。ファンミンさえ見えていれば岩を出すのに躊躇は無い。俺がそう思った時、
「ダニガ、カルゴ」
岩に潰された仲間の名前を叫びながらアサブルが駆け出そうとした。
「来てはダメ。女の側から離れないで。岩に潰されてしまう」
カトリーヌが叫んでそれを止めた。
「許さない。よくも私の可愛い男たちを……」
そう言うなり腰からスモールソードを抜いてファンミンの無防備な腹に突き入れとうとした所で俺の固有スキル【レンタル】が発動しカトリーヌの手から剣が消えて俺の収納に移動した。これで俺のスキル【レンタル】で借りられる12枠が全て埋まった。俺の【レンタル】の射程は50mで、このアジトの全員が射程に入っている。しかも【レンタル】した物は収納の限界10mに関係なく収納することができる。
現在のスキル【レンタル】の状態はこうだ。
【レンタル レベル4】
1 レンタル中:【変装】
2 レンタル中:【話術】
3 レンタル中:【鑑定阻止】
4 レンタル中:【声色】
5 レンタル中:【魅了】
6 レンタル中:【容姿操作 レベルMAX】
7 レンタル中:【触覚操作 レベルMAX】
8 レンタル中:【演技 レベルMAX】
9 レンタル中:【気配感知 レベル3】
10 レンタル中: マードの木箱
11 レンタル中: ジョニードの弓矢矢入れ一式
12 レンタル中: カトリーヌのスモールソード
マードとボルーの首輪は一旦【レンタル】してから近くにいた奴等の首に返却したのだ。元々あった場所か持ち主の手が届く範囲なら好きな場所を指定して返却する事が出来る。
カトリーヌは剣が消えた手を悔しそうに眺めた後でファンミンを睨みつけ、その顔を殴った。
ガッ、と鈍い音がして迷彩魔法マスクが吹き飛んだ。ファンミンは倒れそうになったがカトリーヌに支配された体はそのまま立ち続けた。鬼のような形相のカトリーヌが更に殴るとファンミンの口が切れて血が流れた。
「武器は消せても殴られるのは止められないのね。いいわ、このままその可愛い顔を殴り続けて殺してあげる」
カトリーヌはそう言うとファンミンを殴りつけた。頬が赤黒くなり涙目になったが言葉を発することはできない。
まずいな。このままでは本当に殴り殺されてしまう。ファンミンが姿を現したのはカトリーヌにスキルを発動させるのが目的だろう。ファンミンならカトリーヌを殺すことも出来ただろうが、それで皆が動けるようになっても武装した敵がそれぞれの女性たちに張り付いている状況ではどれだけ被害が出るか分からない。やはりカトリーヌのスキルを奪う事が重要なのだ。果たしてスキル名が聞き取れたのか否か、いずれにしてもファンミンに喋る機会を与えなければならない。
このまま怒りに任せてカトリーヌがファンミンを殴り殺す前に、ファンミンに向けられている怒りを俺に向けるのだ。
俺はレンタル中のスキル【演技 レベルMAX】を使って不遜で横柄なオーラを発し、侮蔑を込めて嗤った。カトリーヌのスキルによって口が閉じられたままなので鼻息だけの籠った嗤いだ。
「んっんっんっ(フッフッフ)」
聞きようによっては間の抜けた笑いだが、怒りに我を忘れているカトリーヌは、イラっとした顔で俺を見た。
注目を集めればそれで成功だ。俺はそのまま可笑しくてたまらないという演技を続けた。
「んんんっ、んーんっん(フフフッ、ハーハッハ)」
腹をよじって鼻息だけで嗤った。
「こいつ、痛さで頭がおかしくなりおったわ」
マードはそう言うと足元の石を拾って俺に投げつけた。
石が俺の頭に当たろうかという時に、フッと消えた。収納に入れたのだ。投げられた石は誰のものでもないから収納に入れることができる。石を消した俺は目だけをマードに向けて嗤ってやった。
「んっんっん(ハッハッハ)」
マードは目を瞠って言った。
「まさか……お前だったのか。いやそんなはずはない」
そう言って再び石を拾って俺に投げつけた。すぐ隣のボルーも同じように石を拾って俺に投げた。俺は次々と飛んでくる石を全て収納に入れた。
投げた石が悉く消えていくのを目の当たりにしたマードが驚愕して言った。
「貴様か、ワシに首輪を嵌めたのもダニガたちを殺したのも、全て貴様の仕業か」
「外せ。俺の首輪を外せ」
ボルーが俺に掴みかかろうと動き出した時、カトリーヌが叫んだ。
「ダメ。動かないで。また潰されます」
それを聞いたボルーは慌ててシティカの横に戻って腕を掴んで引き寄せた。マードもミラーミの体に腕を回して抱き寄せた。
漸く冷静さを取り戻したカトリーヌが俺に言った。
「ケイコさん、あなたでしたか。自分がゴブリンに食べられる前にスキルを使えばいいのに。理解できませんわ。でも、そんな事はどうでもいいの。あなたは腕を二本、私は可愛い男を二人失った。おあいこにしてあげますから、仲間になりなさい。富も名誉も全てを得られるわ。あなたのサポートに従順な奴隷も2人付けてあげます」
「んんんんんんんん」
「話せなくしてもスキルを使えるあなたには無意味でしたね。どうぞ、お話しになって」
やっと話せるようになった俺は声を張った。
「それでは足りない」
「なんですって。奴隷2人では足りないのかしら、それとも富や名誉以外にも欲しいものがあるの」
「男二人を潰したくらいでは足りない。お前達のような悪党は虫けらのように潰すだけ。あ、お前達と一緒にしたら虫さんに失礼ね」
虫けら扱いされたカトリーヌは再び険しい顔をして言った。
「動くことも出来ないくせに偉そうに。女ともども私たちを潰してしまえばいいのに、それが出来ないあなたに勝ち目はない。武器を使わなくても私はあなたを殺せるわ。さあ、ケイコさん、壁まで歩きなさい」
カトリーヌがそう言うと俺の体は勝手に動いて壁まで歩かされた。
「大きく頭を反らせて、そして壁に打ち付けなさい」
俺の頭は後ろへ反らされ、そして思いっきり壁面に頭突きした。
ゴツン
ただの一撃で俺の頭は割れて血が吹き出した。
HP 120/125
HPが5ポイント減った。ダメージを受けたのだ。
「さあ、もう一回よ」
再び俺の頭が反って、勢いをつけて壁面に頭突きした。
ガツン
血が飛び散り、脳が揺れてクラクラする。
HP 110/125
さっきよりもダメージが大きい。このまま繰り返されたら死ぬだろう。
「ほら、もう一回」
ガツン
流れた血が目に入り視界が赤くなった。
HP 95/125
ダメージが更に大きくなっている。
死を予感した俺にカトリーヌが言った。
「簡単に殺してしまってはつまらないですね。こんなのはどうかしら」
カトリーヌが何か呟き、俺は回れ右をさせられて皆の方を向かされた。そして再びカトリーヌが何かを呟くと、捕まっている女性たちがその場で四つ這いになった。
「皆さーん、これから皆さんを処刑します。ケイコさんが私に逆らった罰です。恨むならケイコさんを恨んでくださいね。では、レディー」
するとミーナ、ザキトワ、ファンミン、ミラーミ、シティカの5人は四つ這いのまま一斉に頭を反らせた。
どうしていいか分からずにいる俺を見たカトリーヌは満面に笑みを浮かべて言った。
「ゴー」
すると全員が勢いよく地面に頭を打ち付けた。
ドン、ゴン、ボン……
恐ろしい音がして全員が頭から血を滴らせている。
話ができるミラーミとシティカは痛い痛いと喚いている。話せないミーナ、ザキトワ、ファンミンは苦しそうに呻いていた。
俺よりもHPが少ない彼女たちはあと何回かで死んでしまう。近くにいるミラーミとシティカには収納から兜でも出して被せればダメージを減少させられるかもしれないが、10m以上離れているミーナ、ザキトワ、ファンミンは収納の範囲外だ、何もしてやれない。俺がこんな危険な所に連れてきてしまったのに何もできない。守れない。俺の負けだ。
「やめて、お願いします。もう止めてください。私の負けです」
俺はそう言うしかなかった。