第66話 処刑
ファンミンは近くにいないようで返事は無かった。そして、俺の体が動かなくなった。手も足も頭も体も一切動かすことができない。意識はしっかりしている。心臓もちゃんと動いているし息も普通にしているが体が動かせない。
文字通り固まってしまった俺にカトリーヌが言った。
「顔を隠してはダメですよ、見せてください。絶望と恐怖で泣く女の顔はどんな表情なのかな」
カトリーヌがそう言うと顔を覆っていた俺の手が勝手に動いて下ろされた。抵抗しようとするが全く力が入らない。いや、力は入れているのだが反応が無いのだ。
「そんな……体が動かない。助けて」
口だけは動かすことができて話はできた。
カトリーヌは俺の顔を見てうっとりして言った。
「可愛い顔が涙で濡れて汚いですね。鼻水まで出しちゃって、なんて不潔なんでしょう。さてと、新入り3人のうちの誰を処刑しようかな。司祭様、どの女にしますか」
カトリーヌが楽しそうに俺たち三人を見比べて尋ねるとマードが言った。
「ふむ、どれも甲乙つけがたいな。奴隷として働ける年数を考えると最年長の者を処刑すればよかろう」
「さすがマード様ですわ。では私が【鑑定】いたします」
そう言うとカトリーヌはザキトワに目を向け集中した。【鑑定】しているのだ。【鑑定】でミーナの正体がマサラだという事が判るとまずい。マードの計略にはまって首輪をされ、神殿で一ヵ月も晒されていたのだ。変装しているが名前を聞いてマードが思い出すかもしれない。ザキトワにしても俺たちの中で最年長なのは彼女だから処刑されてしまう。皆は俺の作戦でここまで来たのだ、俺には彼女たちを守る責任がある。
「あなたは……ザキトワさん。22歳ですか。ブロンドのポニーテールが可愛いですね」
つづけて、カトリーヌがミーナに目を向けた時、俺は大きな声で怒鳴った。
「この薄汚いクソ女。さっきから偉そうに何を言っている。お前が一番年上だろう。お前が処刑されろ」
飲んで騒いでいた冒険者たちの声が止んだ。……静寂の後、マードが言った。
「憐れな小娘だ。カトリーヌを怒らせたら命は無いぞ」
「うるさい。ポマード頭の変態め。命が無いのはお前の方だ。胸がデカいだけのクソ女と金の亡者のギトギト頭か、ちょうどいい取り合わせだ。二人そろって地獄へ落ちろ」
カトリーヌは目を吊り上げ俺を睨んでいる。マードの顔は見る見る赤くなりギシギシと歯ぎしりまで立てながら言った。
「カトリーヌ、この者を処刑せよ」
「はい、マード様。侮辱したことを後悔させてから処刑します。あなたの名前は……」
そう言いながらカトリーヌは俺を見て【鑑定】……できなかった。俺は三十面相の異名を持つ詐欺師から【レンタル】しているスキル【鑑定阻止】を発動したのだ。
「鑑定阻止ですか。そんなスキルに何の意味があるのかしら。いずれにしても貴女の死刑は決まりました。でもその前に全員に犯してもらいましょうね」
カトリーヌがそう言うと男たちから歓声が上がった。
俺は【演技 レベルMAX】を使って言った。
「ハハハ、みんな大喜びしているよ。これはいい。この男たちもお前のカラダには飽き飽きしていただろう。嫌々抱いていたのが分からないとは。この女、バカそうなのは顔だけかと思ったら本当にバカだった。ハハハ」
俺は仲間に害が及ばないように嫌な女を演じて憎しみを俺に集中させた。どうやらカラダの関係も的中したようでカトリーヌは更に怒り、鬼の形相になって言った。
「許さない。貴女には最も苦しい死を与えます。殺してくれと泣いて頼むことになるでしょう。ボルーさん」
カトリーヌが命じるとボルーが部屋の奥の壁際に行って魔法で覗き穴を作り、その覗き穴に顔を付けて何かを見ている。そして顔を離してロッドを振ると壁が崩れ、その向こうに部屋がもう一つ現れた。その瞬間に俺の脳内マップが更新されて新たな部屋が記録された。そこは部屋というより通路の延長という作りになっていて幅は3mほどで奥行きは30m近くある。壁はこのアジトと同様に掘削した痕があり、地面には防具や剣、衣類やギルドカードなどが散乱していた。
部屋の暗がりに6対の赤い点が光り、やがてその光の主が姿を現した。といっても俺は既にその正体を知っている。ザキトワが【気配感知】スキルによって感知した通り、ゴブリンソルジャー6匹だ。なるほど、この部屋に冒険者を入れて魔物に目撃者を始末させていたのだ。そして商品価値のある女性冒険者だけを奴隷として売っていた。俺もこのゴブリンソルジャーに喰わせるつもりなのだろう。わざわざ見せつけて恐怖心を与えてから喰わせるのだ。
そう思った時、カトリーヌが魔法使いに命じた。
「ボルーさん、壁を作りなさい。厚さは20cmくらい」
ボルーが何か呟くと地面がせり上がり壁となって塞がった。
「次は壁に穴を作ってください。直径15cmくらいの穴です。そう、そのくらいの高さに」
訝し気な表情をしながらも再びボルーが何か呟くと直径15cmの穴ができた。
「お楽しみの始まりですよ。さあその穴に腕を入れなさい。右腕ですか、それとも左腕ですか。まあどっちでも違いはありません。左腕の後は右腕、腕の次は足、順番にジワジワとゴブリンに食べさせます。すぐには死なせてあげません」
それを聞いたマードが大きく頷いて言った。
「これは面白い。女よ、殺してくれと懇願する事になるぞ」
ほかの一味の男たちは、ある者は喜び、ある者は興味無さそうにこちらを見ていた。
その中からムイザが声を出した。
「ねえカトリーヌ。その女、ケイコはさっき、仲間に危険が迫ったら自分が犠牲になるって言ったんだよ。ヘビカエルの毒を受けて毒消しが足りなかったら自分のを仲間に飲ませるって言ったんだ。そんなの嘘に決まってるよね」
「あら、この女がそんな事を……。そんな嘘を平然と言うなんて最低ですね。それだけでも死刑に値しますけれど、最後のチャンスを与えましょう。ケイコさんですか。本名かどうか知りませんが、いま謝れば許してあげます。謝ってお仲間のどちらをエサにするか選びなさい。選んだお仲間はゴブリンに手足を順番に食べさせます。あなたのせいで、あなたが不遜な態度を取ったせいでお仲間が苦しみながら死んでゆくのを目に焼き付けるのです。そして一生悔やみ続けなさい。さあ、どちらですか。ザキトワさんですか、それともミーナちゃんですか。制限時間は3分です。その間に決めないと同じ質問をお仲間にしますからね」
ムイザは目を爛々として俺が決断するのを見守っている。
「3分など必要ない。私をエサにしろ。バカ女にバカポマードにバカガキめ」
俺は即答した。
ムイザは訳が分からず俺を凝視している。マードは腹いせに足を揉んでいたオレンジ髪の女性奴隷を蹴りつけた。カトリーヌは冷静さを保ちながら薄ら笑いを浮かべて何か呟いた。
自分の意志とは関係なく体が勝手に動き、壁の穴に向かって歩き始めた。止まろうとしても体は言う事を聞かない。俺は歩かされながらザキトワのスキル【気配感知 レベル3】を【レンタル】した。これで【レンタル】の空きはあと1つだけだ。
早速【気配感知】スキルを発動させると脳内に魔物6匹の位置と魔物名ゴブリンソルジャーが表示された。【マップ】スキルと併用することによりその正確な位置が脳内マップに表示されている。ゴブリンソルジャー6匹は群れてゆっくりとこちらに移動している。壁までの距離はまだ15mほどある。
カトリーヌは俺を壁まで歩かせると今度は左腕を上げさせて徐々に勿体をつけるように穴に入れさせた。ゴブリンソルジャーまでの距離は10mほどだ。
「さあ、苦痛に歪む顔を見せてくださいね」
カトリーヌがそう言うと俺の顔は全員から見えるように横向きになった。カトリーヌは先ほどと同じ場所で一味の冒険者たち6人と一緒に楽しそうにこちらを見ている。ムイザはその隣で相変わらず俺を凝視している。マードはわざわざ俺の近くまで木箱を運ばせて座り、そばかす顔の女性奴隷を侍らせて胸を揉み、オレンジ髪の女性奴隷には足を揉ませて見物している。
敵は11人。近くに魔法使いのボルーと司祭マード。少し離れてカトリーヌたち7人とムイザ。寝ていた男はそのまま寝ているのだろう。
ゴブリンソルジャー6匹は壁から突き出した俺の左腕に気付いたようでこちらに向かっている。その距離が5mほどになった時、俺はリュックの収納から巨岩を取り出してゴブリンソルジャーの頭の上に置いた。俺の収納にはグラリガ市外で露天風呂をした時に使った巨大な岩が5個入っている。そのうちの1つを脳内マップで正確に掴んでいるゴブリンソルジャーの位置に置いたのだ。
俺の収納は上から落とすような出し方は出来ないが何かに接していれば置くことができる。このやり方で草木を潰して道を作ったことがある。突如頭上に現れた巨岩に押し潰されたゴブリンソルジャーは3匹が脳内マップから表示が消えた。死んだのだ。もちろん巨岩は出してすぐに収納する。そうしなければ大きな音と振動で気付かれてしまう。同じ事を2度繰り返すと脳内マップから魔物の表示が消えた。そこにあるはずの死骸の収納をイメージすると6匹のゴブリンソルジャーの死骸が収納リストに追加された。これでこの部屋はただの空っぽの部屋になった。
近くのマードはまだかまだかと惨劇を待ち望んで見ている。
俺は【演技 レベルMAX】を使ってマードの願望を叶えた。激痛に顔を歪め、苦痛に泣き叫び、絶望に悶え苦しんだ。
「うぎゃー、あぐぁわー、ひぐぁー」
もがき苦しみ、泣き叫ぶが体も腕もカトリーヌのスキルによって微動だに出来ない。
「カトリーヌ、どうなったか見てみようではないか」
腕の惨状を見せるようにマードが命じるとカトリーヌが、
「はい、マード様。どんな風になっているか楽しみです」
と楽しそうに答えて俺の左腕を引き出した。
俺は【容姿操作 レベルMAX】を使って左腕の容姿だけを変えた。ボロボロになり血だらけで肉がちぎれ白い骨まで見えている。映画で見たゾンビに襲われた人の腕だ。滴る血は壁の向こうのゴブリンソルジャーの血だまりを収納に入れてから徐々に出している。
俺の渾身作を見たマードは笑みを浮かべ、恐ろしさに顔を伏せた女性奴隷の顔を上げさせて見るように命じている。逆らえば首輪が締まるので女性奴隷は見るしかない。ムイザは感情の無い目で俺を凝視したままだ。冒険者たちはうんざりしたようで不快な顔をしていた。ザキトワとミーナは最初の場所から動かずに立ったまま俺を見ていた。二人の目からは涙が溢れていた。
俺の腕を見たカトリーヌが愉快そうに言った。
「あらあら、こんなに食べられても気を失わないなんて偉いですね。褒めてあげますよ。今度は右腕ですけど、まだ左腕のお肉も残っているようですからちゃんと両方食べてもらいましょうね。ボルーさん、その横に同じような穴を開けてあげてください」
ボルーが魔法で穴を作るとカトリーヌが俺を動かしてそれぞれの穴に腕を入れさせた。
「ふん、バカ女。お前のスキルのおかげで腕の感覚が無いんだ。痛くもかゆくも無い」
俺が【話術】スキルを使ってそう言うとカトリーヌが嬉しそうに言った。
「それじゃあ今度は肘から先は自由に動かせるようにしてあげます。いつまで強がりを言っていられるかしら。食べられていく感触を味わいなさい」
「いやぁ、痛い。痛い。やだ、いやー」
先ほどよりもずっと大袈裟に痛がり苦しむ演技をして、そして腕の動きを確かめた。肘から先は自由に動かせる。俺は収納から鉛筆を右手に出して、左手に紙を出した。神殿の牢でファンミンから【レンタル】した紙だ。その紙に字を書いた。
『俺は無事だ。カトリーヌのスキル名が知りたい』
そしてその紙を返却した。ファンミンの掌をイメージして。
ファンミンが紙を受け取ったのはザキトワのすぐ横にいる時だった。動かなくなったザキトワの状態を確認していたのだ。体が固まったまま、ケイコがゴブリンソルジャーに腕を食べられる様を見せつけられたザキトワの目からは滂沱の涙が流れていた。最年長の自分を庇って処刑されている、そう思ったのだろう。
ファンミンの目からも涙が流れていた。どうしていいかも分からず、カトリーヌに斬りかかるか迷っていたのだ。しかしカトリーヌ一人を斬ってもまだ敵は10人もいる。対人戦未経験の自分たちにとって10人の敵は危険すぎるようにも思えた。なによりサツキから自分は切り札だから絶対に姿を現すなと厳命されていた。そんな時に掌に突然異物が現れた。危うく取り落としそうになったが掴みなおすと1枚の紙きれだった。広げてみると文字が書かれていた。それを読んだとたんに全てを理解した。これはあの牢でサツキに貸した紙だ。それに文字を書けるという事は、今あそこで腕を食べられているのはサツキが【レンタル】した詐欺師のスキルによる錯覚なのだ。
ファンミンはザキトワの耳に口を近づけて囁いた。
「ザキ、少年は無事だよ。あれは演技だから、もう少し待っていてね」
同じ囁きを、泣いているミーナにも告げると二人ともそのまま泣き続けた。先程までとは違う種類の涙を流して。
ファンミンはスキル名を知るためにカトリーヌに近付いた。剣術や馬術などのスキルはただ所持しているだけで常時発動しているがあのような特殊なスキルは常時発動型では無いはずだ。使用するたびに発動を意識しなければならなず、意識するための最も簡単な方法は言葉にすることだ。実際に不思議な事が起こるたびにカトリーヌは何かを呟いていた。
一言も聞き漏らすまいとカトリーヌのすぐ横に忍び寄り顔が触れんばかりに近付いたが、カトリーヌはケイコが腕をゴブリンソルジャーに食べられるのを恍惚の表情で見ているだけだ。たまに漏れ聞こえるのは、
「いい声、もっと苦しみなさい」
「まだ気絶してはダメよ。もっと楽しませて」
そんな言葉くらいだった。この女はどうかしている、ファンミンがそう思った時、マードの声が聞こえた。
「カトリーヌ、また見てみようではないか。わしの奴隷にも見せつけてやる」
「はい、マード様。さあケイコさん、お肉はまだ残っているかしら」
そう言うとカトリーヌが何か呟き、その小さな声がファンミンの耳に届いた。
「両腕を抜いて、こちらを向きなさい」
スキル名ではない、ただ命じているだけだ。だがこうして言葉にしているという事は、おそらく最初にケイコを支配した時にスキル名を言って発動させたはずだ。次に誰かを支配する時には必ずスキル名を言うだろう。その瞬間を待つしかない。
カトリーヌの命令が聞こえたかのようにケイコが両腕を穴から抜いてこちらを向いた。両腕とも血だらけでグチャグチャになっていた。左腕は骨の周りに少しの肉が残るだけになっており、右腕は血が滴り筋のようなものが垂れてぶらついていた。錯覚と判っているファンミンでさえ吐き気を抑えるのがやっとだった。
そばかす顔の女性奴隷は直視できずに顔を伏せたがマードに命じられて惨状を見せつけられて顔面は一層蒼白になった。小刻みに震えながら嫌々見る女性奴隷を見てマードは満足そうに下卑た笑みを浮かべていた。