第55話 再びの神殿
俺は借家を出て神殿に向かった。後からは迷彩魔法コートを着て姿を隠したファンミンが付いてきている。それにしても足が痛い。靴擦れができたようだ。ファンミンの靴はどれも小さくて俺が履けるのはサンダルだけだった。幸いこの格好でサンダルを履いても全く違和感は無い。リュックがあるのだから神殿の近くで早着替えをすれば良かった。
さて、神殿に到着した。うっかり地声を出さないように気を付けなければならない。俺は16歳の薄幸な少女だ。設定さえ忘れなければバレることはない。なんと言っても今の俺は詐欺師垂涎のスキル8種類でガチガチに固めているのだ。一つだけ気掛かりなのは【鑑定阻止】だ。16歳の少女が何故そんなスキルを持っていてしかも発動させているのか俺には説明ができない。
神殿は今日も白く光り輝いていた。初めて来たときは荘厳さに身が竦んだものだが実態を知った今では
薄ら寒く感じるだけだ。見せかけだけの荘厳さで、中には強欲で傲岸不遜な有象無象がいるだけだ。
俺は称号に刺客と女神の加護が設定されていることを確認して神殿のピカピカに磨かれた階段を上った。俺のサンダルは歩くたびにコツコツと響くがファンミンの迷彩魔法ブーツは一切音がしない。本当にいるのか不安になるくらいだ。
滑りそうになるのを堪えて中に入ると、相変わらずの閑古鳥だ。一人くらいお祈りに来ていても良さそうなものだが、余程不人気なのだな。
巨大なツルピカ石像の前に進み跪いた。これは生活魔法の判定を行う自動販売機みたいな像なのだが田舎から出てきた設定の俺はそんな事を知る由もないというわけだ。さて真面目に演技をしよう。
田舎育ちの少女・イチカは父親の病気を治す薬を買うためにグラリガへやって来た。医者へ行くがお金を持っていないと言うと相手にしてもらえない。途方に暮れたイチカは偶然見つけた威厳に満ち霊験あらたかな神殿で祈るのだった。
人の気配を感じたところで小さく声に出して祈り始める。
「ああ神様、どうかお願いです。お父さんの病気を治してください。お願いです。お父さんの病気を治すお薬をお与えください。お金はありません、私の全てを捧げてお祈りします。ああ神様」
コツコツコツと靴音がして背後に人の立つ気配を感じた。
「そこな信者よ。どうなされた」
マードの声だ。
俺は振り返った。今まで泣いていたかのように大きな黒目を潤ませて。そして【声色】を使い、か弱いが透き通るような優しい声でゆっくりと震えながら言った。
「お父さんの病気が治らないのです。お薬がないと、お薬を持って帰らないと、お父さんが、ううう、お父さんがあ」
ここぞというところで嗚咽に移行した。肩を震わせるのも忘れない。勝手に体が動き、勝手に話が作られていく。【演技 レベルMAX】と【話術】のなせる業だ。
「あなた様が神様なのですね。おお神様、どうかお助けください。私の全てを神様に捧げます」
マードの目がギラリと光った。
「いや、私は神ではない。この神殿の司祭マードである」
マードのやつ司祭に昇進しやがったのか。そういえば以前見たのと服装が違っている。純白の祭服に宝石をちりばめた司祭帽を被っている。帽子の下は例のぴっちり真ん中分けの気色悪い髪型なのだろう。言葉使いも偉そうになってやがる。
「司祭様、ああ司祭様。私はイチカと申します。田舎からお父さんのお薬を手に入れるために出てきました。お金がないと言うと誰も相手をしてくれません。神殿だけが頼りなのです。どうかお助けください」
「そなたの願いは届いたであろう。だが願いが叶うまでに数年はかかるであろう。待つが良い」
「それでは間に合いません。お父さんにお薬をあげてください。ああ司祭様」
「薬とな。私の知る薬屋を呼んでやろう。その者から買うが良い。いますぐ呼んでやろう。おい、清掃係。薬屋のドーソンを呼ぶように衛兵隊長に言ってこい」
はい、と声がして足音が小さくなっていく。前にもいた掃除奴隷のモリピンだろう。
「ああ司祭様。ありがとうございます。心から感謝します。でも司祭様、お金はどうしたよいのでしょう」
ううう、と再び泣き始めると同時に両脇で胸を寄せて谷間を強調した。もちろん錯覚なのだが。マードの視線をビンビンに感じる。
「では神殿で金を貸して進ぜよう。ただしこれは信者の真心が籠った金だ。必ず返すのだぞ。用意ができるまでそこで祈っているがよい」
「はい、ありがとうございます。ありがとうございます。お父さんと一緒に働いて必ず返します」
30分ほど冷たい大理石の床に跪いて祈っているふりをしているとマードが薬屋を伴って戻って来た。
サレイニーだ。やはりこいつらは繋がっていた。マードは後から続いて入ってきた衛兵隊長から金貨5枚を
受け取って俺に渡した。
「さあ、この金貨を受け取るが良い」
「ありがとうございます。これでお父さんを救えます。司祭様。この御恩は忘れません」
サレイニーが近寄ってきて言った。
「それでお嬢さん、どういった薬が必要ですかな」
「はい、お父さんは咳が止まらなくて一晩中頭痛にうなされて胃も悪くて殆ど食べられないのです」
「それは大変だ。でも安心していい。全てに効く神通薬が私の店に置いてある。それは金貨10枚なんだが、お金を前払いにするなら特別に金貨5枚で売ってあげよう。ただしその名の通り、神に通じる薬だから
買う者は神殿でお祈りを捧げ続けなければならない」
「わかりました。前払いでこの金貨5枚をお渡しします。わたしはここでお祈りをしていればいいのですね」
うむ、と頷きながら薬屋が言った。
「そうだ、10分ほどで薬を持って戻ってこよう」
司祭の後ろに控えていた衛兵隊長が進み出て、
「私は念のために一緒に行きます」
と言って衛兵隊長はサレイニーと共に速足で出て行った。
俺は再び祈っているふりをした。茶番に付き合うのも骨が折れる、さっさと牙を剥けよ。マードは後から俺の体を眺めているようで卑猥な気配が漏れている。
10分ほどすると衛兵隊長だけが戻って来て頭を抱えながら言った。
「司祭様、大変です。薬屋が馬で逃げてしまいました。途中まで走って追いかけたのですが完全に逃げられました」
ウソをつけ、全然息が切れてないだろ。それに息がコーヒーくさいぞ。この野郎裏でコーヒーを飲んで時間を潰していやがったな。
「なんという事だ。あの薬屋が、信じられん。おい娘、逃げられはしたが、お前に貸した後の事だ。責任はお前にある。金は返せるのだろうな」
「いえ困ります。それでは父さんが助かりません」
「父親と一緒に働いて返すと言っていたな。こうなってしまっては金が返せないではないか。約束が違う、今すぐに返せ」
「そんな……」
そう言って立ち上がろうとした俺は上手く立ち上がれずにマードに凭れ掛ってしまった。スカートの裾を衛兵隊長が踏んでいたのだ。マードはわざと倒れこみ声を荒げた。
「貴様、この私に手を挙げたな」
「おのれ小娘、司祭様になんという事をする。司祭様への暴行は死罪だ。斬り捨ててくれる」
学芸会の子供の方が上手いんじゃないかというセリフ回しをして大袈裟に剣を抜いた。
「待て隊長、この者にチャンスを与えようではないか。娘、死にたくは無いであろう」
「はい、司祭様、死にたくありません」
「よし、ではお前が有罪か無罪かを神に決めてもらおうではないか。審判の首輪をこれへ」
別の衛兵が首輪を持ってきてマードに渡した。純白の太い首輪だ。開いている状態は初めて見たが特に仕掛けがあるようには見えない。マードは愛しい子犬にでもするように首輪を撫でた。
「この首輪は審判の首輪といってな、有罪の者にしか嵌めることはできないのだ。首輪が嵌らなければお前は無罪だ。金も返す必要はないし、すぐに父親のもとに帰るがよい。ただし有罪なら首輪は二度と外すことはできぬ。さあ試してみよ」
「でも司祭様、その首輪は誰にでも嵌められるものかもしれません」
「では隊長で試してみよう。隊長の後でお前も同じようにしてみるのだ」
マードが首輪を差し出すと隊長は持っていた剣を脇に挟んで両手で首輪を受け取った。隊長は俺に見えるように首輪を自分の首に当ててしっかりと最後まで閉じた。だが片方の手を離すと首輪は自然と開いてしまった。ここまでの動きに怪しい点は見られなかった。
マードは隊長から首輪を受け取って言った。
「どうだ、これで安心したであろう。無罪なら首輪は嵌まらんのだ」
ガシャーン
大きな音に驚いて見れば隊長が脇に挟んでいたブロードソードが落ちていた。大理石の床で弾んだ剣がまだガシャガシャ音を立てている。
俺は音がした時にマードが首輪を不自然に動かしたのを目の端で捉えていた。やはり仕掛けがあるのだ。マードの後ろにいる筈のファンミンが見ていればいいのだが。
「次はお前の番だ。この首輪をお前に贈ろう。さあ、自らの無罪を証明して見せよ」
マードが罠にかかった獲物を見るような目で言った。
「はい、私が有罪なわけがありません」
受け取った首輪を見たが仕掛けは見つけられなかった。恐る恐るという演技をしながら自分の首に当てて閉じるとカチッと音を立てて首輪か閉じた。焦った演技をしながら開こうとするが完全に閉じてしまって開く気配も無い。
「神の審判が下った。お前は有罪だ」
「そんな、私は何もしていません。お金を盗んだ薬屋を捕まえてください。薬が無いと困るのです。お父さんはどうなるのですか」
「罪人の父親など知ったことか。お前はまだ分かっておらぬようだな。その首輪は私の命令に従わないと首を絞めつけるのだ。お前は生涯を掛けて自らの罪を償うのだ」
「何かの間違いです。もう一度お試しください」
「ええい、くどい。言ったであろう。もう二度とその首輪を外すことはできんのだ。お前は奴隷として一生働くのだ」
あらら、奴隷って言っちゃったよ。奴隷制度は禁止だって自分で言っていたのに。
「ひどい、帰してください。帰りたい。お父さん」
「諦めろ。お前には奴隷だという事を思い知らせる必要があるようだな。奴隷にそのような服は必要ない。脱げ」