第50話 あいつ
朝食を終えた俺とマサラは部屋に戻って昨日のザキトワの提案を話し合った。
「あの二人とパーティーか。マサラはどう思うんだ」
「悪い人たちじゃないみたいだね。昨日はゴータが居るのに脱ぎ始めたし、ゴータを異性として意識してないところが気に入ったよ」
「そ、そうだな、そうだよな。俺もそう思ったんだ」
「だからいいと思うよ。ゴータさえ良ければだけど」
「そうだな。ダンジョンに入るのに二人だけは危険だし、ちょうどいいな」
「うん。Dランクに上がったらダンジョンに行こうよ」
「やはりDランクからなんだな」
「そうだよ、DランクのDはダンジョンのD」
「え、そうなの」
「そういうもんよ」
預り所から馬を出した俺たちは二人乗りで冒険者ギルドへと向かう。いつものように路地裏でサツキとミーナに変身して南北目抜き通りの神殿の前を通った時だった。俺は突然息ができなくなった。後ろに乗るミーナの腕がギュッと俺の腰を締め付けたのだ。
「苦しい。息ができないよ、ミーナ」
締め付けは弱くなったがミーナが震えているのが分かった。
ここは神殿の前だ、晒されていた時の事を思い出したのだろうか。
「どうしたんだ。具合が悪いのか」
「あいつだ。あいつがいた。ドーソンだ。アタシからお金を持ち逃げした奴だ」
俺はすぐに理解した。ドルアス軍曹から事情を聞いていたからだ。マサラは冒険で稼いだお金を父親の治療に使おうとして男に渡したが、男は治療もせずにそのまま持ち逃げしてしまった。その結果マサラは神殿に払うべき家賃を払えなくなって売られてしまったのだ。そいつがドーソンという名前なのだろう。
「そいつはどこだ」
「後ろ、神殿から出て来た黒い馬車に乗っているのが見えたの」
「追いかけよう」
俺は馬を巡らせて来た道を戻った。その馬車はすぐに見つかった。クーペ型の黒塗り2頭立てで御者は一人だ。客室には一人だけ乗っておりその後頭部が見えている。俺は怪しまれないように距離を開けて後を付けた。
中央交差点を東に折れてしばらく進んでから北に曲がった。北東地区は敷地も広く立派な建物が多い。いわゆる高級住宅地になっている。住宅地では更に距離をとり注意しながら付いていくと馬車は一軒の屋敷の敷地に入っていった。
その屋敷には馬車寄せがあって、馬車はそこで停まると御者が降りてドアを開けた。ドアからは40代と思われる黒スーツのでっぷりした男が降りて来た。ハットの陰になって顔つきはよく見えなかった。それでもミーナは確信して言った。
「間違いない、あいつだよ。ドーソンだ」
ミーナが馬から飛び降りようとするのを押し止めた。
「邪魔しないで、あいつはアタシが殺す」
「ダメだ、ミーナ。そんな事をしたらミーナが殺人犯になるだけだ。俺が敵を討つ。俺に任せてくれ」
ミーナは力を抜き、俺を見て頷いた。男はそのまま屋敷に入っていった。屋敷の扉には熊が月桂樹の冠を被った紋章が描かれていた。御者は馬車に乗るとクリップボードのような板に挟んだ紙に何かを書くと、それを横に置いて馬車を走らせた。
「レンタル」
俺はその板から紙だけを抜き取って【レンタル】した。俺の固有スキル【レンタル】は着けているピアスでもループに通っているベルトでも借りることができるし、元の位置に返却することもできる。
手に現れた紙を見ると伝票だった。
『サレイニー準男爵家から神殿、往復。9時00分出発、10時30分帰着』
伝票にはグラリガ馬車派遣会社と印刷されていた。俺は伝票を元の場所に返却して言った。
「送迎用の馬車を雇ったんだな。あの屋敷はサレイニー準男爵家だ。あいつは使用人なのか」
「ドーソンは自分は貴族だって言ってた」
「ちょっと探ってみるか」
俺は脳内マップにサレイニー準男爵の屋敷を記入してから馬を進めた。北東地区から近い東地区には古着屋が何軒もある。お金が無かった時にカラコル伍長に教えてもらった店だ。品揃えは豊富で上から下まで全て取り扱っている。価格も安くて下着、ズボン、シャツと揃えても銀貨1枚ほどだ。しかも下着だけは新品なのだ。
その古着屋で銀貨10枚を使って俺とミーナの衣装を何点か買ってリュックの収納に入れた。
「俺はヤツの近所で情報収集をしてくる」
「アタシはどうするの」
「ミーナは馬でヤツの屋敷の周りをまわってみてくれ。まわりながら窓や出入り口の位置、住人の動き、犬がいるかの確認もするんだ。だが決して目立つなよ。その場でメモを取るのもダメだ。それから俺を見かけても無視するんだ。もちろん奴がいても睨むのは無しだ。できるか」
「できる」
絶対に必要な任務ではないが当事者として何もしないでいるのは良くないだろう。
「終わったら冒険者ギルドの食堂で落ち合おう」
「わかった。サツキも気を付けてね」
俺は古着屋の更衣室を借りて買ったばかりの衣装に着替えた。狩人だ。ミーナに訊いて狩人らしい服を選んでもらったのだ。狩人になった俺は同じく古着屋で買った大きめのバッグにリュックを開いた状態で入れて肩に掛けた。
歩いて北東地区の住宅街へ行き、サレイニー邸の真向いの邸宅を訪ねた。この世界の家は敷地の周りに柵などはない。もちろんインターホンも無いので訪問者は玄関の扉をノックするか呼び鈴を鳴らすかだ。今の俺は客ではなく狩人なので正面玄関は避けて横にある通用口のドアをノックした。
しばらく待つとドアの目の高さにある臆病窓が開いて男性の声がした。
「なんだ」
「へい、わっしは狩人をしとるもんですが、いいベリーラットが獲れたで買ってもらえんかね」
「売りたいなら買取屋へ持っていけ」
男性は冷たく言い放つと臆病窓を乱暴に閉めた。失敗だ。そう上手く行くものではない。
その隣の屋敷の勝手口に行ってノックした。すぐにドアが開いて年配の女性が顔を出した。
「なんだい」
「へい、わっしは狩人をしとるもんですが、いいベリーラットが獲れたで買ってもらえんかね」
「そんなもん買っても捌けないよ」
「へい、そんなら心配いらねえ、獲れたてを捌いてありやす。これでやす」
俺はベリーラットの肉をイメージして収納からリュックに出してバッグを開いた。中には捌きたての新鮮な肉が入っていた。リュックの収納を使って解体した肉を持ち込んだ時に抜群の鮮度だと買取屋で褒められた事がある。
「おや、本当に美味しそうなお肉だこと。幾らだい」
「銀貨2枚でやす」
「そりゃ安いね。でもどうして買取屋に持って行かないんだい」
「へい、買取屋のおやじと喧嘩しちまいやして、顔を出しづらいんでやす」
「あら、ダメだよ。あんたらは買取屋と上手く付き合うのも仕事のうちなんだからさ。このお肉は買わせてもらうけど、ちゃんと買取屋と仲直りするんだよ」
「へい、ありがとうごぜいやす。ところで前のお宅にも肉を売りに行こうと思ってるんでやすが買ってくれそうでやすかね」
「ああ、準男爵様のお宅ね。あそこは料理人もいないし買ってくれないわよ」
「そうでやすか。奥方様でもおられりゃ料理なさるかと思ったんでやすが」
「あそこは奥方様どころか使用人もいやしないよ。旦那一人でどうやって料理するのさ。無理無理」
「そうでやしたか。ありがとうごぜいやす。また御贔屓に」
「ああ、また良いお肉が入ったら買ってあげるよ。でもちゃんと買取屋に謝り行くんだよ」
「へい、そういたしやす」
今度は先ほど断られた家を挟んだ隣の屋敷に行った。いわゆる向う三軒というやつだ。
勝手口のドアをノックすると女性の声がした。
「どなた」
「へい、わっしは狩人をしとるもんですが、いいベリーラットが獲れたで買ってもらえんかね」
「あら、ちょうどお肉を切らせてたのよ。おいくらかしら」
そう言って中年の女性が出てきた。
「へい、銀貨2枚でやす」
「それは安すぎるわね。古い肉を持って来たんでしょう」
「いんやそんなことはねえでやす。これでやす。さっきまで生きてた捌きたてでやすよ」
「おやまあ、本当だわ。いただくわ」
「へい、ありがとうごぜいやす。ところでずっと前に準男爵様のお宅にも肉を売った時にドーソンさんが取り次いでくれたんでやすが、まだいらっしゃいやすかね」
「ああ、あの執事の。あの人は去年病気で亡くなったのよ。とても残念だわ。準男爵様の家はあの人が支えていたようなものだから、亡くなってから傾いてしまったの。使用人も皆いなくなって今はご当主だけなのよ」
「そうでやすか、それは残念なことでやす。でも当主様お一人でよくやってらっしゃいやすね。きっと立派な方なんでやしょうね」
「そんなことないわよ。借金だらけで大変らしいわよ。最近では神殿の下請け仕事をしているんだとか。神殿の下請けって何かしらってご近所でも首を傾げてるのよ。あら、私ったら余計なことを」
「お忙しい時間に、すまねえことでやす。ありがとうごぜいやす。また御贔屓に」
やり過ぎて怪しまれてはいけない。ほどほどにして冒険者ギルドへ向かった。