第44話 牛殺し
北西地区の住宅街で発生したラットナイト違法飼育の現場検証を終えたドルアス軍曹は憲兵隊に戻り2階の副司令執務室のドアをノックした。
「入れ」
「少佐、通報通りラットナイトでした。侵入したのではなく違法飼育が原因でした」
「ドルアスご苦労だった。飼育か、それなら防壁の確認は不要だな。それにしてもあんな魔物を飼って何が楽しいんだ」
「本当ですぜ少佐。最後は自分が食われちまった。魔物に愛だ情だなんて通じるわけがありませんぜ」
「そうだな。だが龍の一部にはそのような情があるものもいたと聞く」
「それなら俺も聞いたことがあります。でも絶滅したって死んだ爺さんが言ってました」
「それで、ラットナイトは手強かったのか」
「いけねえ、それの報告でした。俺たちが到着した時には既に倒されてました。誰が倒したと思います。
なんとゴータですよ、少佐。心臓を一突きでした」
「ほう、ゴータか」
そう言うと少佐は暖かい笑みを浮かべた。
「ところで少佐。本当に行くんですかい。少佐が潜入捜査なんて聞いたことがありませんぜ」
「ここ数か月、ダンジョン内で行方不明になる女性冒険者が多すぎる。ノースフォートの司令も首をひねっている。駐留軍は全員顔が知られているからな。うちから出すしかないのだが、隊員が通常業務に現れなければ怪しまれる。通常業務の無い隊員と言えば私とリシェルしかいないからな」
「二人だけで大丈夫ですかい。せめてあと2,3人は増やした方が」
「いや、こういう任務は少ない方が情報が漏れない。隊で知っているのもお前とサルードだけだ」
「隊員でもなく信頼出来て腕利きっていう奴が一人いるんですがねえ」
「ダメだ。彼は自分の足で歩き始めたんだ。邪魔してはいけない。さて出掛けるか。留守を頼むぞ」
ほう、今まではアイツって言っていた少佐が彼って言うようになったな。ドルアスはそんな事を思いながら部屋を出た。
商店街に到着した俺たちは昨日とは別の店に行ってみた。この店は女性用だけでなく男性用も置いてあり下着から服まで一通り揃うようだ。
ざっと商品を見たところ、服には防御力の付加は無く冒険用というより町中で着るためのものだ。寝間着とマサラの乗馬用の普段着なのでそれで全く問題ない。
俺は2階の男性用売り場でスウェットのシャツとパンツを買った。色はネイビーで肌触りの良い綿素材だ。上下セットで銀貨2枚だった。マサラは1階でピンク色をした花柄のシルクワンピースの寝間着とジーンズを購入して銀貨8枚を支払った。そのままジーンズを履いてスカートは俺のリュックに収納した。これで馬に乗って行ける。
そろそろ昼時だ。今日も同じ屋台が出ているが、さっきラットナイトを倒したばかりでネズミの肉は食べたくない。食堂のある冒険者ギルドまで我慢することにした。
北西地区から南北目抜き通りへ出て中央交差点を南に行けば冒険者ギルドがあるが、中央交差点にある憲兵隊に立ち寄った。朝、住宅街で仕留めたラットナイトの売却代金を受け取りに来たのだ。
受付で用件を言うと担当はサルード中尉だという。かつての職場である憲兵隊内部は良く知っている。案内を断りマサラを連れて2階にあるサルード中尉の執務室へ行きノックした。
「ゴータです」
「よく来たね、さあ座ってくれ」
イケメン中尉は眼の下に隈をつくり疲れた顔をしていた。
「お疲れみたいですね」
「そうなんだ。急に忙しくなってね。そちらの女性は、はじめましてかな」
「アタシはマサラ。ゴータの物だ」
サルード中尉はマサラの首に巻かれたストールを見て、なるほどと頷いた。
「私はサルード中尉。ゴータ君には随分と助けてもらったんだ。マサラさん、よろしくね」
マサラは、うん、と頷いた。
「さて、ゴータ君はラットナイトのお金だったね。用意できている」
応接机に硬貨を並べた。銀貨40枚だ。
「買取屋の明細書では肉が銀貨12枚、毛皮が銀貨6枚、歯が銀貨2枚、魔石が銀貨10枚だ。それに討伐報酬と捜査協力金の銀貨10枚を加えて銀貨40枚だね」
「報酬や捜査協力金まで出るんですね。ありがとうございます」
「今回もお手柄だったね」
「カレンさんもリシェルさんもお元気ですか」
「あ、ああ二人とも元気だよ。少佐はリシェルを連れて今日から首都に出張だ。それで私も忙しくてね」
「そうでしたか、忙しい時にすみません。俺たちもそろそろ行きますね」
「わざわざ来てもらったのにコーヒーも出せなくてすまないね」
俺たちは二人で馬に乗り憲兵隊をあとにした。
「さっきの中尉さん、アタシのこと知ってたみたいだけどちゃんと名前を言って、さん付けしてくれたよ」
「当たり前だよ。マサラは罪人でもなんでもない普通の女の子なんだから。マサラを馬鹿にするヤツがいたら俺が許さない」
「ありがとうゴータ。でもそんなんでいちいち頭に来てたら疲れちゃうよ。バカの相手はしちゃダメ」
「ありゃ、マサラの方がよっぽどキレ易いと思うんだけど」
「それはほら、ストレス発散みたいなもんよ」
もうすぐ冒険者ギルドという辺りで人気のない路地裏に入り、素早く服をチェンジした。リュックの収納を利用した早着替えだ。一瞬でゴータとマサラからサツキとミーナに変身した。装着すれば髪色が変化する魔法アイテムの指輪・カラーリングで俺の髪はライトブラウン、ミーナの髪はレッドブラウンになった。
「サツキってアイテムもスキルも反則だよね」
ミーナが後から俺に抱き着きながら言った。背中が暖かくて気持ちいい。
「まあその通りなんだが、これが無ければもうとっくに死んでるからな。ゴブリン1匹にだって勝てない」
「そっか、考えたらサツキがいなかったらアタシは奴隷として誰かに買われるか神殿で一生こき使われるかどっちかだったんだから感謝しなきゃだね。せっかくこうして普通に生活できるんだから楽しまなきゃ」
「ああ、楽しむぞ。ギルドの裏技ですぐに依頼を終わらせてから昼食だ。それから外に行くぞ」
「外で薬草を採るの」
「いや、ミーナのリクエストにお応えして風呂だ」
「やったやった。楽しみだなあ」
ギルドの依頼掲示板には今日もベリーラットの討伐依頼が張り出してあった。条件は昨日と一緒だ。それを剥がして依頼を引き受けてからベリーラットと取り出してサリーちゃんの報酬カウンターへ行った。
「サリーちゃん、こんにちは。はい、ギルドカードとベリーラット5匹ね」
「サツキさん、今日もご苦労様です。はい確認できました。銀貨26枚です。この後は薬草ですね」
「へへ、その通り。昨日は教えて貰って助かったよ」
「あら、私は何も言っていませんよ」
「あ、そうだった」
昨日と同じパターンでマルチ草10株とヒール草10株の依頼も終えて銀貨4枚と銅貨120枚を受け取った。収納に入れてあったマルチ草とヒール草はこれで最後だった。
報酬カウンターの奥は食堂になっている。食堂はかなり広く、今日は多くの冒険者で混雑していた。テーブルは15あって、それぞれに椅子が6脚置いてある。つまり15組のパーティーが入れるのだ。
そのうちの8割方が埋まっていて、皆一仕事終えたようで陽気に話しながら食事をしているが中には昼間から酒を飲んでいる者もいた。奥のテーブルではすっかり酔いつぶれて眠っているヤツまでいた。と思ったら知った顔だった。ジュドーさんだ。飲んでるか寝ているかどっちかだとゴルアス軍曹は言っていた。前回見た時もそうだったし今日もそうだ。椅子の背もたれに頭を乗せて大口を開けて眠っている。情けない姿だがこれでも超一流の剣士なのだ。
別のテーブルの酔っ払いが入って来たミーナを見て卑猥な目を向けてきた。ミーナの服装は光沢のある黒いチューブトップレザービキニアーマーに同じ素材の前空きブラックレザーミニスカート、オフホワイトのローライズレザービキニショーツ、オフホワイトニーハイソックスに黒いレザーロングブーツだ。露出度抜群で男の視線は毎度のことで慣れっこなのだが今日は違っていた。見ているだけではなかったのだ。
「おう、そこのネーチャン、こっちへ来て英雄様に酌をしろ」
「そうだぜ、俺たちゃミノタウロスを5頭も倒してきたんだぜ」
面倒くさいな。飲んで気が大きくなるのは勝手だが他人を巻き込むな。
「なあミーナ、ミノタウロスって何だ」
「ミノタウロスはダンジョン深部にいる牛頭の半人半獣の魔物だよ。Bランク魔物だからアイツらはAランクの冒険者かもしれない」
「何でだ。Bランク魔物なら冒険者もBランクじゃないのか」
「うん、Bランク以上の魔物は1ランク上の力が無いと難しいの。しかも5頭もなら尚更だよ」
なるほど、ミーナは現役冒険者だけあってよく知っている。
よく見れば10組以上いるパーティーのうち5組ほどは緑色の装備を身に着けている。ある者は剣の鞘、ある者は胴鎧、盾、兜など、全部ではなくどこかしらの装備が緑色なのだ。1パーティー6人までだから仲間30人で5つのパーティーを組んでいるのだろう。
「仲間同士で複数のパーティーを組むのもアリなんだな」
「よくあるよ。多い方が断然有利だもの。魔物に応じて組み替えられるし、全体で攻撃してもいいしね。有名どころではホワイトリスツとか紅靴団とかがあるよ。白いリストバンドで揃えたり、赤い靴やブーツで揃えたりしてる。あのアホどもは緑だね。知らないから新しいグループなんじゃないかな」
「おい、今アホどもって言ったろ。おめえら薬草の依頼なんぞやってEランクかそれともDランクか」
「Fランクだがそれがどうかしたのかボケ」
「ああ、あいつら牛殺しのドーミーを怒らせたぜ」
「ビギナーだから知らねえんだよ。ミノタウロスの首を一撃で落とす凄腕だ。可哀想に、ありゃ終わったな」
「誰か助けてやれよ」
「こんな時にジュドーさんが起きてればなあ」
他のパーティーの冒険者たちが気付いて囁き始めた。緑色のグループは面白がっている者や酔っ払いにウンザリしている者など反応はまちまちだった。女性のメンバーはドーミーを止めようとしているが酔っ払いは聞く耳を持たない。
「Fランクだあ、なんだ冒険者になりたてのガキか。素直に謝れば許してやる。俺たちはAランクだぜ」
「だからどうした、ランクが上なら偉いのか。そんな話は聞いてねえな」
肩書に頼る奴は大嫌いだ。
「Aランクの方がFランクより偉いんだよ、決まってんだろ。ガキは帰れ。おっと、そっちのネーちゃんは帰っちゃダメだよん。ボクといいことするんだからね」
「お前は今すぐ死ね、薄汚いブタめ。さっさと死ね」
アホの戯言にミーナがキレた。やはり俺より沸点が低いだろ。
「なんだと、優しくしてやりゃいい気になりやがって」
牛殺しのドーミーが立ち上がって向かってきた。