第33話 マサラ
マサラを連れて神殿を出た俺は馬の陰でポーションを取り出してマサラに渡した。
こんなもの飲めるか、そんな目で睨む彼女に言った。
「歩けないだろ。ポーションだ。飲むといい」
ポーションを飲み干した彼女の足は回復したようで膝の震えが止まった。
俺は馬に乗り彼女の鎖を持ってゆっくりと宿屋・白馬寮へ向けて歩みを進める。歩くたびにマサラの足枷がジャラジャラと音を立て、周囲の人々の目を引いた。汚い物でも見るような目でマサラを見る者、汚い物でも見るような目で俺を見る者、人々の表情はまちまちだった。
神殿から見えなくなった所で人気の無い路地に入って馬を降りた。枷を外そうと近付いた時、マサラは枷のまま両腕を振り上げて俺を殴ろうとした。
「うっ」
とたんに首輪が締まり、苦しそうに屈み込んでしまう。
「もういい」
俺は許して、首を楽にしてやった。
「ゲホゲホッ、アタシに触るな。殺すぞ・・・ぐわ、うっ」
また首輪が締まった。言葉にも反応するのだろうか。俺は許す。
「枷を取るだけだ。じっとしていろ」
鍵を回して足と手の枷を外した。結構な重さだった。歩きにくかっただろう。手足が自由になったマサラは俺に殴りかかって来た。と同時に呻き始める。俺は許す。もう面倒臭い。
「いい加減にしろ。同じことを何回繰り返すんだ。アホなのか」
枷をリュックの収納に入れ、リシェルさんに貰った家宝の外套を取り出した。
「これを着ろ」
マサラは素直に外套を着た。フードを被り、ボタンを上まで留めれば首輪も見えない。
その時、路地に足音が響いた。全身黒タイツの変態男が無言で走って来る。
「邪魔だどけ」
男がそう言って脇を走り過ぎようとした瞬間にマサラが足を出して引っ掛けた。見事に転んだ男の腹をマサラが蹴り上げた。
「ぐへっ」
腹を押さえて倒れ込んだ変態男にマサラが言った。
「邪魔なのはお前だ。殺すぞ」
首輪は締まらなかった。俺相手でなければ関係ないようだ。
俺は突然の事に驚きながらマサラに注意した。
「おい、頭に来たからっていきなりキレるなよ」
「そんな暢気なことを言っていると長生きできないぞ、ほら」
マサラが変態男をもう一度蹴って動かすと体の下にはナイフが落ちていた。黒塗りのナイフだ。黒い衣装に紛れて俺には見えなかった。それをあの一瞬で確認して足を掛けたのか。冒険者というのは伊達ではなかった。
「助かった。ありがとう」
「お前が死んだらアタシも殉死させられる。油断するな」
男が来た方角から再び足音が響いた。今度は3人の男が角を曲がって来る。
「いたぞ、あそこだ」
聞き覚えのある声だ。カラコルだった。他の2人はトータクとヒックルだ。息を切らして駆け寄った3人が俺に気付いて声を上げた。
「ゴータじゃねえか、助かったぜ」
3人は手際よく変態男を縛り上げた。
「いや、カラコル、俺じゃなくて彼女の手柄だ」
「そうか、お嬢ちゃんありがとうな。お礼はゴータがするからな。何か美味いもんでも食わせてもらえ」
今度はトータクがふざけたことを言っている。マサラはもう興味は無くなったとばかりに無言だ。
「危ない所だったぜ、やっと見つけたんだ。逃がしたら軍曹にぶん殴られちまう」
「痴漢でもやったのか」
「痴漢じゃないぜ。こいつは三十面相の異名を持つ詐欺師だ。変装が得意でな、男でも女でも自由自在だ。詐欺の途中で着換えている所に踏み込んだんだ。見失ったら別人に変装されて逃げられてたぜ」
そう言いながら頭を覆っていたタイツを下ろすと男の顔がはっきり見えた。金髪パーマで細く鋭い目をしていた。この頭では目立つだろう。それで全身黒タイツだったのか。
俺は【鑑定】してみた。
鑑定阻止
できなかった。そんなスキルもあるのか。俺は【レンタル】で【鑑定阻止】をイメージした。もちろん【レンタル】するつもりはない。この男に俺のスキルが発覚する危険があるからだ。だがイメージして脳内ボタンが点灯するかどうかで、そのスキルの有無がわかる。そして実際に脳内ボタンは点灯した。やはりこの詐欺師は【鑑定阻止】を持っていた。
下層トリオは詐欺師を連れて去っていった。
「さあ、俺たちも行こう」
そう言って馬に乗ろうとしたときに、グルルルル、マサラのお腹が鳴った。
マサラを見ると頬を赤らめながらこちらを睨んでいる。いちいち睨まないでほしい。
「そろそろ昼だな。食事にしよう」
表通りに出て小さな食堂に入った。馬は店前の横木に繋いだ。ランチメニューはパスタか肉の2種類だ。肉が焼きベリーラットになっていたので迷わずこれにした。昨日狩ったベリーラットがどんな味なのか興味がある。
「俺は肉にするぞ。同じでいいか」
マサラが頷いた。
ベリーラットの肉は美味しかった。ベリー類を食べているだけあって臭みが全くない。俺が売った肉は完ぺきな解体だと褒められたくらいだからもっと美味しいかもしれない。どこに卸したのか聞いて食べに行ってみたいものだ。
マサラは俺を睨むのも忘れて黙々と食べていた。
「食事が終わったら服を買いに行くぞ。その純白の作務衣はやめたほうがいい」
マサラは食べながら頷いた。
西地区の商店街は宿屋のすぐ近くだ。服屋も何軒かある。どの店がいいのか分からないのでマサラと同年代の客がいる店に入った。上下2点ずつ好きに選べと言って選ばせた。この店から出るなと命じるのも忘れない。
トップスは小さなドット柄のパーカーと無地の茶色い長袖ブラウスを選んだ。試着したそうにしているのでベージュのストールを、これで隠せと言って渡した。首輪は人に見せない方がいいだろう。
ボトムスはグレーのミニスカートを見ているので、それはダメだと言った。足首の他に腿にも縛られていた跡があるはずだ。ポーションを飲んでも消えないのだから時間がかかるのだろう。するとマサラは黒いタイツを持ってきた。なるほど、それならいいだろう。
もう一着は踝まであるプリーツスカートだった。靴下や下着も2着ずつ揃えさせて、靴も選ばせた。編み上げの黒いショートブーツだった。
会計をしようとしていると、カウンターに置いてある髪留めを見ている。それも一緒に買ってやった。全部で銀貨15枚と銅貨5枚だったが、銅貨5枚は負けてくれた。
試着室を借りて着換えさせた。
長い黒髪は後ろで一つにまとめて翠色の髪留めで留めていた。茶色の柔らかいブラウスが日に焼けた肌に良く似合っている。ベージュのストールの下におぞましい首輪があるのを忘れるほどに穏やかな表情になっていた。買い物が彼女を落ち着かせたのかもしれない。
ライトカーキのマキシプリーツスカートはマサラの長い足を完全に隠していた。黒いショートブーツの紐を締めてから履き心地を確かめるようにその場で何度も足踏みをした。
「かわいいな」
無意識で言葉にしていた。
マサラはまた俺を睨んだがこれまでのような強烈な敵意は感じなかった。
宿屋街の馬預かりに馬を入れて銅貨30枚を支払った。
白馬寮のフロントにはいつもの男性がいた。
「ゴータさん、おかえりなさい」
「ただいま。もう一人泊まりたいのですが、部屋は空いてますか」
俺の横でマサラが怪訝な表情をしていた。宿の男性は宿泊票を見て首を横に振った。
「すみません、キャラバンが到着して満室ですね。エキストラベッドでしたら用意できます。かなり大きなキャラバンだから他の宿屋も満室だと思いますよ」
他が空いていても今の懐具合では新たに2部屋取る余裕は無いのだ。別々の宿屋にする訳にはいかない、離れた所にいて首輪が締まったら取り返しがつかないからだ。
「では、それでお願いします」
「ゴータさんはあと6泊ですが、同じでいいですか。そうしますとベッド代が銀貨5枚、食事代が銀貨2枚と銅貨50枚です」
支払いを済ませ、準備ができるまで待ってから部屋へと入った。シングルの部屋にベッド2台はかなり窮屈だ。箪笥や机などの家具類は全て窓側に寄せて、やっとベッドを入れられたようだ。
「この宿屋には風呂があるが、その首輪では風呂に行かせるわけにはいかない。すまないが俺だけ入らせてもらう。お前は寝てていいぞ。この宿屋からは出るなよ」
マサラは不安そうな目で俺を見た。
「わかったんなら返事をしろ」
「わかった」
「それでいい。6時になったら下に食事に行くぞ」
俺は一人で風呂に行った。キャラバンが到着したと言っていたが風呂には俺一人だけだった。
風呂は気持ちいい。湯に浸かるとストレスが溶けていく気がする。マサラも湯に浸からせてやりたい。何か良い方法は無いものか。一応試してみるか。脱衣場からリュックを取ってきて浴室に戻る。そして湯船からリュックに桶一杯分の湯を入れるイメージをする。
湯はリュックに収納された。俺のリュックは10m以内なら直接収納することができる。ただし他人の所有物は入れられない。湯は宿屋の物だから入れられないかと思ったが料金を払っているので入れることができたようだ。
しばらく経ってから洗い場の桶にリュックに入れた湯を出してみる。普通ならもう冷めている頃だ。桶には湯が現れた。手を入れると熱いままだ。このリュックの収納は温度も入れたままの状態を保ってくれるようだ。
これで湯の調達は可能だ。あとは湯船をどうするかだ。
風呂から上がり、着替えて町に出た。フロントで聞いた道具屋へ行くのだ。
「すいません。大きな盥はありますか」
「あるよ、これだ」
直径1.5m、高さ30cmほどの盥だった。高さが足りない。これでは足と腰しか浸かれない。
「もっと深い盥はないですかね。高さ1mくらいの」
「そうだな、それなら盥じゃなくてワイン樽でどうだ。酒屋なら空になったのを譲ってくれるだろう。3軒隣だ」
「ありがとうございます。助かります。あと一番安いサイドバッグと簀の子とタオルをください」
「銀貨1枚と銅貨80枚だ。毎度あり」
サイドバッグは馬に掛けても自分で持っても使える。リュックのカモフラージュ用だ。安かったので革製ではなく厚手の布でできていた。
俺は酒屋へ行き、店の裏に置いてあった空のワイン樽を銀貨2枚で買った。高さ1m、上部幅は70cmだ。今日空になったばかりでワインの香りが強く残っていた。
どうやって持ち帰るのか心配されたが、すぐに馬車が来るからと言っておいた。もちろん人目を盗んでリュックに入れた。幾ら入れても重さが無い多機能リュックなのだ。
再び風呂場へ行き湯を貰った。ワイン樽半分の湯だ。これも可能だった。風呂に入らないマサラの分も料金を払っているからだろう。
201号室へ戻るとマサラのベッドから静かな寝息が聞こえてくる。ずっと独房にいたのだ、疲れたのだろう。
俺も仮眠を取った。
「6時だぞ」
声を掛けられて目が覚めた。仮眠のつもりが熟睡してしまったようだ。
「もう6時だ。夕食に行くんだろ」
「ああ、すまん。行こう」
食堂はキャラバンの商人で混雑していた。なんとか二人掛けの席を見つけて座った。
夕食はトウモロコシのニョッキとサーベルエミュという魔物の肉のローストだった。大きな牙のある鳥型の魔物らしい。鳥型だが空は飛べずに地を猛スピードで走るという。ダチョウに牙を生やしたようなイメージか。ニョッキは甘くて美味しかった。サーベルエミュの肉はサッパリして食べやすい。上にかかっているホースラディッシュソースの辛みとよくマッチしている。マサラも満足しているようだ。
そういえば、さっき俺を起こすときはちゃんと喋れたな。微笑む俺を見たマサラが変な顔をしている。
「なんだ、言いたいことがあるなら喋れ。俺を起こした時はちゃんと喋っただろ」
「なんで笑っていた」
「美味しい料理を食べれば頬が緩むだろ」
「そうだな」
「冒険者だったのか」
「そうだ」
「このサーベルエミュは見たことあるか」
「ああ、平原の荒れ地にいる。走り寄って鋭い牙で敵を切り裂いてそのまま走り去る」
「恐ろしいな」
「そうでもない、奇襲を受けなければ大丈夫だ。牙を避けて剣で首を斬れば倒せる」
「お前は強いんだな」
デザートはアップルパイだった。地方の村では食べる物も限られていたが都市になると種類が豊富だ。俺たちは満足して部屋へ戻った。