第20話 カレン
執務机に積み上げられた書類の山も随分と低くなった。夕方6時にあの付き人を呼んでいる。その時間までに全ての書類にサインできるだろう。
椅子から立ち上がり気分転換に窓辺へ行って外を眺める。通りを歩く人々は穏やかな顔をしている。そうした人たちの命を奪う盗賊は決して許さない。
捕らえた盗賊を殺したのは行き過ぎではないか、戯れにしたそんな質問に対するあの付き人の返答は予想以上のものだった。殺さなかった場合のリスクだけでなく手を下した護衛の気持ちまで考えたのだ。しかも私への批判も忘れなかった。冷静な知性と熱い心を持っているようだった。そんな少年があの人の仇を討ってくれた。
ダリュルの父であるグルーアン侯爵と我が父マルキス伯爵とは軍学校の学友だ。親同士が交誼を結んでいた事もあり、幼少の頃からよく遊んでもらった。彼が愛馬で遠駆けする時にはよく前に乗せてもらったものだ。後ろでは前が見にくいだろうと笑った顔を今も覚えている。手綱を軽く握らせて、後ろからしっかりと抱えていてくれた。守られている、そんな安心感がとても心地よかった。
10歳になった時、親から尋ねられたことがあった。お前はダリュルが好きなのかと。はい、と即答した私に父上が大きく笑って、お前は生まれた時からダリュルの許嫁だと告げた。母の妊娠が分かった時、女の子だったならダリュルの嫁にすると親同士で約束していたのだ。私は飛び上がらんばかりに喜んだ。こんな幸せなことがあるのかと頬をつねった。
その後、私に妹は出来たが弟は出来なかった。伯爵家を絶やさないためには私の婿取りが必要だった。それは侯爵家の嫡男であるダリュルとの別れを意味していた。だがダリュルは侯爵家を弟に譲って伯爵家に婿入りすると言ってくれた。貴族の世界では考えられない事だ。私の為に侯爵家を捨ててくれる。もう私の目にはダリュルしか映らなかった。
18歳のダリュルが士官になったと聞けば、私も13歳で士官候補生として軍に入った。彼が上覧試合で剣技を披露したと聞けば、私も剣の修練に励んだ。
彼が25歳で騎兵中隊を任された時、近衛少尉だった私もすぐに馬術の特訓を始めた。その時の教官の一人がドレイブルだった。私に懸想したドレイブルは執拗に交際を迫った。舐めるようにまとわりつく視線に嫌悪した。毅然と断り続け、やがて奴は異動となった。
事件が起こったのはそれから2年後だ。騎兵大尉だったダリュルが殺害されたのだ。味方に後ろから矢を射られ、落馬したところに止めを刺され、更に首まで刎ねられた。犯人はドレイブルだった。奴はサーベルを奪い、刎ねた首を持って敵陣へ逃げ込んだ。
原因はドレイブルの一方的な怨恨だった。ダリュルが私の許婚だと知ったドレイブルは口にするのもおぞましい嘘を並べて貶めようとした。だがダリュルは一切相手にしなかった。ただそれだけの理由だった。
首は敵から丁重に返されたが、ドレイブルは姿を消した。私は希望して憲兵隊に異動した。この手で奴を仕留めるために。
長年追ってきたが、その行方は杳として知れなかった。それが先週、奴がこの国に戻り二人の弟と行動を共にしているという情報を得た。
そんな折の知らせだった。奴が死んだ。それを聞いた時には実感が湧かなかった。しかもそれをやったのが16歳の少年だという。ドレイブルはクズだが鍛えられた国軍の元兵士だ。それを腰のカットラスさえ重そうなひょろひょろの少年がどうやって倒すのだ。とてもではないが信じられなかった。
実感が湧いたのはドレイブルの死体を確認した時だった。間違いなく奴だった。死体の傷も検分した。斜め下方から肋骨の間を抜けて心臓が一突きにされていた。
少年が槍で仕留めたのだろうか、だが少年は槍を階段にぶつけて転びそうになっていた。扱いに慣れているようには見えなかった。魔法かスキルを使ったような口調だったが、少年は魔法が使えない。それなら何らかのスキルだが、スキルを得るにはその道を究めていかなければならない。剣術のスキルは剣技を究めて得るものだ。槍術でも同様だ。ではどのスキルを使ったのか。思い当たるスキルは何一つなかった。
結局少年は倒した方法を明かさなかった。拷問すると言っても明かさなかった。なかなか強情だ。そいういのは嫌いじゃない。
ドレイブルには弟が二人いるが、死んだ盗賊の中にはいなかった。安全が確認されるまで少年は近くに置いておきたかった。兵士として仕込んでも良いと思ったのだが、ポータードの奴に邪魔をされてしまった。付き人がどういうものかは知らないが、それでもいいだろう。ダリュルの敵を討ってくれた少年は私が守るのだ。皆にはそれとなく警戒するように言っておいた。
下層トリオは少年を仲間にしたようでよく話をしている。ドルアス軍曹にも好かれたようだ。馬を持っているのに乗れないらしいし、明日にでも奴に馬術の教練を命じてやろう。リシェルも少年の事が気に入ったようだ。私にくださいと言われても犬や猫の子ではない。皆に好かれるのは良いことだ。
私からも礼をしなければならない。彼のサーベルを取り戻してくれた。それをタダで取り上げてしまったのだ。流れだったとはいえ大変後悔している。昨日はサーベルを持って墓地へ行ったのも見られてしまったようだ。全てを話して改めて礼を言おう。美味しいと評判のレストランも予約しておいた。
おや、あんな所でリシェルは何をやっているのだ。顔は見えないが、あれは間違いなくリシェルの外套だ。庭石の上に座って通りを眺めている。
コンコン、ノックの音がする。
「入れ」
「少佐、ゴヤルさんの懸賞金支払許可書ができました。サインをお願いします」
「ん、リシェル、お前がいるという事は、庭のあれは誰だ」
「えっと、あれはゴータさんです、少佐」
「なぜお前の外套を着ているのだ」
「庭で瞑想の修練をするのに寒いから外套を貸してくれと言われました。あの外套はゴータさんに差し上げました、少佐」
「なんだそれは」
アイツは何をやっているのだ。よく見れば股間のあたりがモゾモゾと動いている。昨日はリシェルの胸や脚を見てニヤニヤしていた。何を瞑想してモゾモゾやっているのだ。しかも私のお古は嫌がったのに、リシェルのお古は貰ったのか。ダメだな。アイツは。
「リシェル、あんなヤツのどこがいいんだ」
「はい、少佐。昨日、髭の大男が私に殴りかかったときに両手が塞がっているというのに私の前に出て盾になってくださったのです。あの方を私にお譲りください」
「ダメだ」
盾になろうとしたなど信じられん。あんな変態がそのような事をするわけがない。変態をリシェルに近付けるわけにはいかないのだ。