第17話 サーベル
憲兵隊グラリガ支部の兵舎で目覚めた俺は脳内時計で時間を確かめた。午前9時だ。昨日寝たのは午後10時ごろだったから11時間も寝てしまった。こんなに寝たのは元の世界でも記憶に無い。肉体的にも精神的にも疲れていた所為ではあるだろうが、それほどにここが快適だということだった。
戦争映画の定番、鬼軍曹が叩き起こしに来るなんていう事もない。夜勤の隊員もいるから睡眠時間もまちまちなのだろう。今もどこかから鼾が聞こえてくる。
食堂に行くと既に配膳時間は終わっていた。それでもバスケットにはパンが、大皿にはハムやチーズがあって自由に食べることができる。コーヒーもあるが冷めていた。下層トリオは既に勤務に行ってしまったようだ。一人だけ食事をしている20代後半の隊員がいた。昨日来た時に声を掛けてくれた人だ。寄って行って挨拶するとドルアスという軍曹だった。今日は非番で寝坊しちまったと言って笑っていた。俺も寝坊しちゃってコーヒーも冷めてますよ、と言うと配膳スタンドに行ってケトルを台に置き生活魔法のマッチで火をつけてくれた。
ここは良い人ばかりだ。あの少佐を除いて。
まさか朝風呂は無理だろうと思いつつも念のため風呂場に行ってみた。浴槽はカラだったが洗い場の水槽には水が張ってあり水浴びはできるようだ。洗顔と歯磨きだけしておいた。
少佐の所に出頭する準備をしようと自分の個室へ戻ると布団もシーツも綺麗になっていた。近くにいた掃除係に聞けば生活魔法のクリーンで綺麗にしているそうだ。クリーンしてほしくない者は簾を下ろしておけばいい。俺はお願いして自分の服にもクリーンを掛けてもらった。服はこれとポータードさんに貰った乗馬ズボンしかないのだ。買わないといけない。
この世界の軍隊は良い所だった。
午前11時30分、サーベルと弓矢と槍を抱えて憲兵隊の受付に行くとリシェル少尉はすでに来ていた。やはりこの人は綺麗だ。スーツには皴一つなく、まとめた髪にほつれ毛の一本も無い。
「昨日はよく眠れましたか」
「はい少尉。ぐっすり眠れました。女性用の居住区画も同じ造りなんですか」
「はい、一緒の作りですよ。でも将校用は別棟にあって作りも違います。こんど見せてあげましょう」
そう言われて密かにテンションが上がっていると受付奥の聴取室のドアがバタンと開いて髭面の男が飛び出してきた。すぐ後から鼻血を出した隊員が追ってくる。
「俺はやってねえ。邪魔だ、そこをどきやがれ」
そう喚いてリシェル少尉に向かってくる。あぶない。俺は咄嗟に髭面とリシェル少尉との間に体を入れた。髭面が殴り掛かろうとしたその時、リシェル少尉が再び俺と体を入れ替え、髭面の前に出るや懐に入り腕を掴み体を捻って投げた。倒れた髭面は逃げようとするが、そのまま腕ひしぎで関節を決めてしまった。白い脚が露わになっている。髭面は、痛い止めてくれと叫ぶが少尉は許さない。豊かな胸に挟まれて伸びきった腕は、少尉が上体を反らせるとゴキッと嫌な音を立てて折れた。
一連の動作に微塵の躊躇も無かった。俺は知った。この人も恐ろしい人だという事を。見かけによらず豊かな胸を持つという事を。スカート奥の下着が白だという事を。
俺が立つ位置はまさに特等席だった。
だらしないニヤケ顔を隠すために後ろを向いた俺の目の前には
「顔が気持ち悪いぞ」
というカレン少佐が立っていた。夢の時間は儚く一瞬で終わった。馬で出かけていたのだろう。外套を纏いブーツを履いている。俺の持つ武器に目を留めると、ついて来い、と言って階段を上っていった。急ぎ従おうとするが動揺した俺は階段の端に槍をぶつけてしまった。カンと音を立ててぶつかった槍を見れば柄の石突の上あたりに傷が付いていた。少佐は、短く舌打ちをして歩いていく。俺は溜息をついて少佐の後を追った。リシェル少尉は鼻血を出している隊員にハンカチを渡してから階段を上ってきた。
部屋に入ると少佐は応接用テーブルを指してそこに置けと命じた。俺はサーベルと弓と矢をテーブルに載せ、槍は床に置いた。少佐はそれを見ながら外套を外して俺に渡した。外套の下はライトメイルだった。ウエスト上部から胸の上まで銀色の金属で覆われ胸の部分には膨らみが持たせてある。フレア状のミニスカートにも所々に同じ色の金属板が付けられていた。膝上のブーツから覗く上腿は白く、細いウエストに提げられたレイピアの鞘の朱色を際立たせている。
リシェル少尉が入って来てドアを閉めた。
「死体を検分してきた」
少佐が剣帯とレイピアを外して俺に渡しながら言った。盗賊と戦った昨日の場所に行ってきたのだ。剣帯はチェストの上に、レイピアは壁の剣掛けに掛けた。違っていても下女が直してくれるだろう。
「昨日貰ったリストの通りだった。一部魔物に齧られた跡はあったがな。リシェル、後でゴヤルに懸賞金を払うように手配してやれ」
はい少佐、とリシェル少尉が答えた。
「ドレイブルは下から心臓を一突きにされていた。他に傷は無かった。わずか一撃だ。お前がそれほどの腕利きには見えんのだがな。まあそれはいいだろう。その槍か」
「はい、これです。少佐」
少佐は槍をじっくりと見下ろしたが、手に取ったり触れたりはしなかった。テーブルの弓と矢は一瞥しただけだ。次にサーベルを眺めて手に取った。鍔を眺め鞘を眺め、抜いてひとしきり刃を眺めてから鞘に戻した。
俺は【鑑定】してみた。
サーベル: 由緒正しき鉄のサーベル。グルーアンの守り。
「このサーベルの所有権はお前にある。これを私に譲ってもらえないだろうか」
初めて見る真剣な眼差しだった。しかしこの少佐は油断ならないのだ。これが本気かなんて分からない。女優は一瞬で観客を騙すという。この女は女優ではないが、女はみんな女優だとも言う。
「理由を聞いてもよろしいでしょうか、少佐」
「言いたくない」
「何故言いたくないのですか、少佐」
「人の事をあれこれ聞くのは無粋の極みだ」
どこかで聞いたことがある台詞だった。やはりこの女は懲らしめる必要がある。
「それはお前にくれてやる。その代わりに俺のメイドに」
なれ、と言おうとした所で少佐はライトメイルの間からタガーを抜いて俺の眼球に突き付けた。紙一重で止まっている刃先。目蓋を閉じれば切れてしまうだろう。後頭部は少佐の手で押さられていて逃げられない。
「あげます、タダであげます」
「聞こえないな」
「差し上げます。どうかお納めください、少佐」
「心から礼を言おう」
慇懃に言って少佐はタガーを仕舞った。リシェル少尉はクスリと小さく笑った。
「弓矢と槍はお前の物だ。好きにするがいい。もう行っていいぞ。食事でもしてこい」
コイツはいつかぶん殴ろう。俺も男だ。顔は止めてやろう。ボディーにしよう、ボディーに。
「失礼します、少佐」
少尉にも頭を下げ、ドアを開けて部屋を出た。
部屋の向こうで話す声がかすかに聞こえた。
「いただいてしまってもよろしいですか」
「ダメだ」
スイーツでも食うのだろうか。女子は甘いものが好きだからな。