信じるということ
――ガッ――ドスッ――ゴッ――。
やけに遠く聞こえるのは、肉が肉を叩く、ただ音――。
「…………………………」
ゆめを――みてた――。
たぶん――。
あたしには不釣合いな――。
あまい――ゆめ。
(欲しかったんだ……。たぶん……)
(ずっとでなくても……ちょっとの間でも……ゆっくりと眠れる場所……雨露をしのげる場所を……)
だから――。
だから、乱世と――。
彼と、あんな風に――。
(あんな風に――話しができた――話したかったんだね――)
それがどんなに大それたことか……。
望むこそすら不遜になるような願い、夢だって……知ってた筈なのに。
――ドウッ――!
「…………………………」
巨大な掌に頭を鷲掴みにされたまま……あたしの全身は爆山の打撃に晒され続けている。
いつ捕まったのかも……これまでにどのくらいのダメージを受けているのかも、もうわからない。
確か……両腕はいとも簡単にへし曲げられたのが、最初だ。
それから……。
それから……なんだっけ……。
もう……判らないや……。
「ストップだ、爆山」
「………………」
爆山の攻撃がやんだことに気付いたのは……あたしがそのまま……頭をつかまれた態勢のまま、秋津の眼前に運ばれたくらいのタイミングだ。
「か……はっ……」
口から血混じりの――。
いや、血、そのものの泡が溢れた。
「ふむ……」
秋津はその血がかかるのも無視して、あたしの顔を不思議そうに覗き込んだ。
「く……そ……ったれ……」
毒づいた言葉は、ただの反射……。
まだあたしの心そのものが折れていないという……その反射の行動。
「お前は……弱くなった」
「な……に……?」
「俺の知っているお前であれば……こんな無様な姿を晒すこともなかった」
「ふん……。すいぶんと……かはっ……! あ、あたしを……評価してくれてたモン……だね……」
「事実だ。しかし……だからこそ、そこが解せない」
「………………」
「確かに……お前があの天道乱世に拠り所を求めていたことはわかる。それを踏まえての……『序』だ。しかし……」
秋津が眉根を寄せる。
「お前には……目的があったはずだ。お前の存在意義……生の証明と言い換えてもいい……大儀が」
「なんで……それを……」
それは……今や、あたししか知らない……学園どころか、この世界であたしだけが知ってる秘密……。
秋津はあたしの疑問には答えず、続ける。
「それを反故にして……こんなところで果てることを望むほど……あの男に拘泥するのは……論理的な流れではない」
「……………………」
「自らの存在を半ば否定してまでの甘い誘惑ではあるまい。何が……お前をそうさせる?」
「あんたには……わ……からない……。絶対……!」
「わからないから聞いている」
「わかるものか……わかる……ものか……!」
あたしと……乱世……。
たぶん、この世界に二人きりの……壊れた欠片同士の……ことなんて……!
誰にも……誰にも、だ……。
「……………………」
「それに……」
「…………?」
「あたしは……弱くなって……ない……」
「ふむ……?」
「あたしは……!」
もう……手で操作なんてできない。
それに……いまさらしたところで、少なくともあたしは間に合わないかもしれない。
それどころか……みんなを危険に晒す愚考……最悪のタイミング、最悪の悪手なのかもしれない。
それでも――。
あたしは――。
「あたしは……強い……っ!」
かちり。
あたしは……奥歯に仕込んでいたそのスイッチを押した――。
(助けて……! 乱世……!)
そして――。
※ ※ ※
「う……うわあぁぁぁっ!?」
「な……なんだ!? こいつら……どこから……っ!」
秋津が通路の遥か先……本屋に偽装した入り口近辺から、なおはっきりと聞こえる破壊音、打撃音、様々な音に視線を向ける。
「む……?」
「き……た……?」
その言葉と同時に、防護盾ごと斬り伏せられた怒黒組の連中がまとめて転がってくる。
「ぐわぁっ!!」
「……峰打ちだ。命を奪う価値もない」
「つ……ばめ……」
次いで、秋津や爆山のいるあたりまで、たっぷり10メートルを吹き飛ばされてくる数人の男。
「興猫ちゃんっ……!」
「い……さ……む……」
そして――そして――!
「……待たせたな、興猫……」
「乱世……!」
天道乱世が、ここに現れた――。
「ふむ……。これも予定外……。まさかこれほど迅速に乗り込んでくるとは……」
「興猫を……仲間を放せ。話はそれからだ」
ざ……。
――俺は興猫を捕らえている夢枕爆山のほうに歩み出る。
「『天道乱世』らしい、といえばそれまでだが……愚策にも程がある。これでは物語の美しい帰結は望めない」
「……勝手にさせてもらうぞ」
手を伸ばせば届く距離。
間合いとすれば、近すぎる距離まで。
「む……」
爆山が一瞬、動揺を見せる。
一見すれば無防備にも見える俺への対処を、秋津に伺いをたてるかのような。
「……………………」
秋津が軽く目で合図をする。
「やれ」と。
「………………!」
「乱世……! あぶないっ……!」
爆山の興猫を捕らえている方ではない、右腕が俺に伸びる。
「乱世っ!」
そのまま……俺の頭をそのままに包み込むように鷲掴みにしてみせた。
俺の頭は、半分が爆山の掌に覆われている状態だ。
興猫にそうしているように……!
「ふん……」
「……そうか。なるほどな……」
「む……?」
「こうやって……興猫を痛めつけた訳だな。お前は」
「む……? むぅ……?」
俺をそのまま吊り上げようとした爆山の表情が困惑に変わる。
俺は吊り下げられるどころか……足は地についたまま、微動だにもしていない。
「……こんな風に……してくれた訳だな」
「むぅっ……!」
それならば……と、爆山は、俺の頭を握りつぶそうとでもするかのように力を込めてくる。
「ら……乱世さんっ!!」
羽多野が声をあげるが。
「……………………」
俺はその……爆山の腕を掴みかえした。
そして。
「………………!?」
ギシッ、と……掴んだ爆山の腕の骨が軋む。
「悪いが……手加減などできない。俺にとっても……ここは未知の領域なんでな」
そのまま……一気に掴んだ腕を捻った。
ゴギゴギゴギッ!
「ぐわああぁっ!?」
腕を雑巾のように、一気に三周ほど捻られた爆山は、流石に悶絶して興猫を放した。
「……最初から素直にそうしていろ」
「乱世……」
俺は満身創痍の興猫を抱き起こす。
かなりのダメージは受けているが……命には別状ない。
「なんで……? こんなに……早く……」
「当たりはある程度つけていた」
怒黒組の施設は、もちろんここだけじゃない。
校舎内の専用教室の可能性もあれば……公表されていない、俺たちの知らない施設も無数にあるのだろう。
しかし……。
「ここじゃないかという……予感……。いや……声、が聞こえた」
「声……?」
「ああ。正解だったのなら……もっと早く乗り込むべきだった。すまん」
「ううん……。ゼンゼン……!」
「それに……お前の闘いを見守る義務も、俺にはあった」
「うん……! あたし……あたしね……!」
「ああ。判ってる……。お前は……俺たちを……仲間を頼れた。お前は……強い」
「うん……! 乱世……!」
興猫がろくに動かない腕をのばし、俺にすがりつく。
「羽多野……興猫を」
「は、はいっ!」
俺は羽多野に興猫を預け、秋津と対峙する。
既に、雑兵は俺たちの奇襲も手伝って、戦意を半ば失っている。
椿芽だけでも充分に対処できるレベルだ。
「……………………」
「ほう……。愚策にしては頑張るのだな。しかし……」
「信頼とは……!」
秋津の言葉を制し、指先を突きつける。
「む……」
「それすなわち己の心の強さを示すもの。無償に相手を信じ、生じる疑念すらも押さえる心の強さ。不定な心の中の強さであれば、それは往々に弱く、脆くあるもの」
「そうだ。だからこそ……」
「しかし……!」
ヤツの言葉は継がせない。
「む……」
「この世に一つ。その信頼を真に信ずる者が居る。世界にひとつ。その信頼を心に摯る者が居る」
「ただ只管に守ろうとする者があるっ!」
「それが……お前だと? 天道乱世……」
「いいや」
俺は羽多野に守られた興猫を指す。
「己の誇りを守り、信頼という名の強さを示すもの……興猫。俺たちの誇るべき仲間だ……!」
「乱世……!」
「俺は……俺たちは。その……仲間の強さを守るため。ただその為にここに居る。それを愚と呼ぶのであれば、呼ぶがいい。ただし……」
そのまま……俺は秋津に指を突きつける。
「俺たちの『愚』は、貴様程度に飲み込むことのできるサイズの『愚』ではないッ!」
「ふむ……なるほどな。爆山……。まさかその程度で落ちるお前ではないな?」
「う……うう……」
右腕を破壊された爆山が、再度立ち上がり……俺と秋津の間に割り込む。
「やめておけ。その腕で何ができる。秋津……ッ!」
「……なんだ?」
「俺の手帳を素直に返せば、そのまま引き下がる。仲間の命を無意味に捨てさせるな。こちらも……興猫に早く手当ては受けさせたい。ここで手打ちだ」
「ほう? そう来たか……。それは取引のつもりなのか?」
「つもりではなく……そのものだ」
「ふ……。しかし、それは余りに爆山を舐めすぎだ」
「……………………」
爆山が俺に向けて歩を進める。
先刻のような隙だらけの態ではなく……完全に戦闘態勢の気を漲らせて。
「お前の……アクセラ、と呼称される能力は既に掌握済みだ。瞬発力、反射能力含め……身体能力を倍から数倍までに引き上げる……」
「……………………」
「確かに先刻の……爆山の腕を破壊したレベルは予測を超えていたが……それでも尚、誤差の範疇。油断のない状態の爆山にそれ以上通用するものではない」
「……………………」
「あのまま畳み掛けるように攻撃を重ねていれば違ったろうが……それも含めての愚策、だ。そして……仮に爆山を打ち破ったとしても、だ。その……ギアの代償……弱点。それも調査済みだ」
「………………ほう」
「その……急激な身体能力の向上。その反動に……お前はついていけない。数分から数時間にいたるほどの、無防備状態が発生することを」
「……………………」
爆山は……あくまでも秋津の前から退かない。
「止むを得ない」
「ぐ……おおおおおっ!」
爆山が健在な左腕で俺に掴みかかろうとしたその刹那――。
「……………………!」
ゴ――――。
既に……決着はついていた。
「な……に……?」
「ぐ……あ……?」
俺の拳は、爆山の眼球移動よりも早く……。
「……アクセラ……7(セブンス)……」
その腹筋を軽々と打ち破り、肋骨を粉砕し、内臓を破壊せしめていた。
「が……ぁ……」
爆山の目が、そのままぐるりと裏返り……。
真実、何が身に起こったかも理解できぬまま……地に伏した。
「……できる限りに生態活動には支障の少ない部位を破壊した。今なら……まだ助かる」
「むぅ……」
「乱世……っ!」
「調査をしたとか……予測済みだか……そんなことはどうでもいいが……」
爆山の巨体を跨ぎ超え、秋津に歩み寄る。
「……古来より、いい言葉がある。不勉強なら覚えていたほうがいい」
また――一歩。
「なに……?」
「男子三日会わざれば刮目して見よ……だ」
「む……ぅ」
「次に……反動、のことか。良く調べたものだ。出来うる限りには隠していたのだがな」
……一歩。
「……………………」
「確かに……俺の体力は有限だ。いや……俺に限らず、人間であれば、普通はそうか」
一歩。
もはや……互いの間合い。
「しかし――!」
「……!」
セブンスの拳をそのまま叩きつける。
「俺の怒りならば……無限大だ……!」
俺の拳は、秋津の頬をかすめ、座している椅子の背もたれを粉砕する。
「……………………」
「今ここで……貴様と決着をつけてもいいほどに……!」
「……………………」
俺と秋津の睨みあい……。
「乱世……」
「乱世さん……」
そして……椿芽や勇だけでなく、怒黒組の雑兵すらも含めた、静寂が室内を支配する。
「……わかった」
秋津が俺に生徒手帳を差し出した。
「……貴様が『仲間』を案ずるように……俺も、爆山をそこまで無駄に扱っているわけでもない。ここで失うわけにもいかない」
「……そうか」
俺は手帳を受け取り……踵を返す。
入り口を固めていた雑兵たちが……自然に道を開けていった。
俺は……。
「今後も俺を狙うというのなら……一つだけ忠告しておいてやる」
背中のまま、秋津に言葉を投げる。
「……ほう?」
「今後一切……未来永劫……」
もういちど、振り返り……。
「俺の怒りに手を出すな」
※ ※ ※
地下を抜け、施設を出れば……外はまだ日が高い。
自らのもの、相手のもの……体のそこかしこを血に汚した俺たちは、周囲の目を僅かに引いたが……。
それもここでは半ばの日常。
すぐに人の流れが元に戻っていく。
「頑張ったな……興猫」
「へ……へへ……」
興猫は俺に背負われたまま……腫れあがった顔で無理矢理に笑みを作ってみせる。
俺も俺で……流石に押さえ込んでいた『反動』に体のそこかしこが悲鳴を上げていたが……。
この程度ならば、まだまだ気合でどうとでもなる。
「しかし……できれば、もうちょっと早めに呼んでほしかったものだな」
「う、うん……」
「そうだ……! こんな有様になってしまう前に……!」
「つ、椿芽……」
「そうよ……! 最初から言ってくれれば、みんなで、ってできたのに……!」
羽多野は……目に涙を溜めて、興猫に言う。
「勇……ご、ごめん……」
「二人とも。相手は怪我人だ。そうそう苛めてやるな」
「それは……そうだが……。まったく……!」
椿芽も……感が極まったか、目元に浮いた涙を見せぬように、そっぽを向いてみせた。
「一度できたことだ……次はもう少し簡単にできる……な?」
「うん……! 次は……そうする……そうするよ……!」
「興猫ちゃん……」
「と……当然だ……!」
「まぁ……文句は怪我が治ってからだ。しばらくは茂姫が同室だ。退屈はしないだろう」
「え……? それじゃ、茂姫も……」
「うん。ここに来る直前……意識が戻ったって……!」
「そうなんだ……」
興猫は、安堵したような笑みを見せた。
こういう表情が普通にできるようになったのであれば……興猫はもう大丈夫だとは思う。
「さて……行くか……!」
「ああ。乱世の手帳の盗難届けも解除しておかねばならん」
「あ……それもありましたね」
俺たちは……茂姫の収容されている病院へと足を向けた。
「……乱世……」
興猫が俺にだけ聞こえるように声をかけてくる。
「ん……?」
「ありがとう……」
「……ああ」