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揺蕩(たゆた)う

 俺がやや遅くの帰宅をすると――。


「……興猫に気をつけろ?」


「うむ」


「……………………」


 部屋では椿芽と羽多野が待っており、神妙な顔でそんな風な事を切り出された。


 タイミングが良いのか悪いのか……つい先刻、興猫としていた話を思い出し、俺はつい困惑した表情を見せてしまっていたのだろうと思う。


「危惧するところは判るが……」


「いや……乱世。お前はわかっていない」


 椿芽は頭ごなしに言う。


「あの娘は……危険だ」


 それだけを言ったのみだが……それは全てを集約した意味であっただろう。


「茂姫のヤツにもあの興猫という娘のことは聞いた。もちろん、それだけではないが……天道組に加入したことにも、何か目的があるのではないかと、私は判断した」


「……羽多野も同意見なのか?」


「わ、わたしは……その……」


 羽多野は困ったような顔を見せ、言葉に詰まってしまう。


「……勇は、あくまでメンバーとしてこの会話に立ち会っているだけだ」


「わかるが――」


 ここに同席し、椿芽の言葉に異を挟まないというのは、そういう意味合いの事になる。


「乱世……!」


「………………」


「何を苛立っている? お前らしくもない……」


「俺が……?」


 苛立って――?


 確かに鑑みるまでもなく、わざわざ椿芽の横で縮こまっている羽多野に水を向けるのは……酷だ。


 正直を言えば、それは自分でも重々わかっていたことなのだ。


(判っていながら、俺は……)


 何かしら、自分自身が可怪おかしいという事は自覚していた。


 それは先のように、あまりにタイミングというものが不用意に合致してしまった事による動揺というものもあったろう。


 もしかしたら、興猫とのあの会話そのものが、無自覚のうちに俺自身の……芯のようなものを揺さぶっていた、と言う事もあったのかもしれない。


 そこまで自覚していた。


 しかし、俺は――。


「俺は……冷静だ」


 あくまでも、そう言ってのけていた。


 欺瞞、の二文字が頭に浮かびながらも、なお


「そうは見えない」


 椿芽はそんな俺を明瞭はっきりと見透かし、間を開けずに言う。


「お前は……興猫と出会ってから、おかしい。変だ……」


「それは……」


 否定も、肯定も……できはしない。


 変化があったことは、当の俺が一番知っていることではある。


 しかし、そもそもそれを椿芽や羽多野に説明してやることは、難しいことだ――。


(いや……)


 それこそ、欺瞞、なのか。


 俺は椿芽が、そして羽多野がわざわざこうして膝を付き合わすようにしながら言ってくる事の本当の意味……意図も判っては、いる。


(いるが……それは言えまい)


 彼女らが俺に向けている想い。それを見抜いたような口ぶりでこの場の俎上に上げる、それは卑怯だ。


 まして……自らを欺瞞した上で、そういう感情の物事を引き合いに出してのけるのは、きっと誠実な事ではないのだろう。


「乱世さんは……」


「羽多野……?」


 俺は逡巡こそしたが、それを表に出したつもりは無かった。


 無かった――のだが――。


「乱世さんは……あの子に……興猫ちゃんに……惹かれてる……」


「勇……!」


 椿芽さえ、その羽多野の剥き身の感情に狼狽した。


  羽多野のような普通の感性を持った娘にとって、俺の先刻の態度、それはむしろあからさまな答えのようなものだったのだろう。


「椿芽さんだってわかってる。だから……そう、言うんでしょ……?」


「わ、私は……そんなこと……!」


「乱世さん……!」


 羽多野は椿芽を無視して、俺を見遣る。


「そう……なんでしょ? 乱世さん……」


「……………………」


 羽多野は――おんな、だ。


 それは、椿芽などよりも、多分に。


 だからこそ、俺にこうも言い切ってみせる。


「………………」


 もちろん俺に釘を刺そうと考えたのは、椿芽がはじまりに違いない。


 しかし椿芽は女である前に、剣士として、人としての自分を捨てきれることができない。


 いや……遠慮をなく言ってしまえば幼い、幼稚であるとさえ言えよう。


 人間関係において……してや男女の関わりにおいては、明らかに経験そのものが足りていない。


 その点において、羽多野は確実に強く、成熟した感性を持ち得ている。


 もともと、俺に対して好意を隠しもせず……だからこそ、ここに居て、俺たちの仲間などをやってくれている。


 そして、だからこそ俺は彼女を傍らに置いた。彼女がそう望むからこそに……。


「乱世さん……!」


「否定はしないが……そういうの、じゃない」


 それは事実であり、同時に誤謬でもある。


 あるが――。


「羽多野にすれば、恐らくは恋愛感情の事を言っているのだとは思うが……」


「………………」


「少なくとも俺にせよ興猫にせよ、根底にあるものはそういった感情じゃない」


 それについては誤魔化しや欺瞞などでないのは真実だろうと思う。


「少なくとも、そういった意味合いで興猫に肩入れしているつもりはない。仲間……天道組の仲間として、俺は興猫の事を信じている」


「本当に……?」


「ああ。興猫は仲間だ。だからこそ、疑念を向けられるようであれば……確かに冷静を欠き、強情に見える態度にもなってしまうのかもしれない。すまないな、椿芽」


「いや……私も少し、言葉が強くなっていた」


「………………」


 羽多野はそれでも尚、納得をしたようには見えない。


 見えないが……俺の言葉に妥協という形の猶予を与えられるのも、羽多野のような女性にはできることなのだ。


「……興猫が何かしら、俺たちに隠している目的があるという椿芽の疑念についても、だが」


 感情の部分を省いた上で、俺は改めて当初の問題に立ち戻る形として、言う。


「確かに興猫はそういったはかりごとを、過去にしてきたのだろう。しかし少なくとも今は俺たちの仲間だ。天道組のメンバーだ」


「……………………」


「ならば、俺は興猫を信じる」


 わずかな沈黙のあと……。


「……わかった」


 椿芽は何故か、苦笑をするようにして、言った。


「私も些か、短絡に過ぎたとは思う」


「そ……そうですね……」


 椿芽が緊張を解いたこともあり、羽多野の顔にもまた、笑みが生まれた。


 羽多野にしても、さっきはああも言ったが……実際のところ、そこまで深刻な、いわば男女間の修羅場的な問い詰めをするつもりでは無かったのだろう。


「お前を案じて、こんなことを言ったのだとは思ってくれ。少なくとも勇に関しては、だ」


「い、いえ……わたしは……」


「……こういう汚れ役は、つきあいの長い私だけで充分だと思ったのだが……それでも尚、立ち会うことを望んだのは、お前が心配だったからだろう」


「ああ。それは判っているつもりだ」


「うむ。なんと言うか……お前は昔からちょっと危なっかしい」


 いつもの砕けた口調に戻り、苦笑しながら言う。


「俺が?」


「ああ、人を信じるのは美徳だが……お前の場合はどうにも、な」

「ふむ……?」


「乱世。お前はな……純粋すぎる」


「純粋、ときたか……」


 それは……正直に意外な評価だった。


 よりにもよって椿芽が……俺に対してそんなことを言うものとは。


「笑うなよ。真面目なことを言っているつもりだ」


「判ってはいるが……な」


「もしも……もしも、だ。私や勇が案じるようなことが実際にあったのなら……たぶん、一番に傷つくのは乱世、お前なんだろうと思う」


「わたしも……そう思います。だから……」


 俺は――。


「買いかぶりすぎだ。俺は……そこまでデリケートなタイプじゃない」


 苦笑して言う俺は――。


「うむ……。どうやら、そのようだな」


 俺は、たぶん――。


 無自覚なうちに二人に大きな嘘をついているのではないか、と……不安にも近しい感覚を抱いてしまっていた。



※        ※        ※



 それから数日の後――。


「………………」


「どうした? 羽多野」


 補習を終え校舎を出たところで、羽多野は街路樹を見上げるようにして立ち止まった。


「え? あ……ちょっと……」


「興猫なら、居ないぞ。補習授業の時から気配を感じなかった」


 同じように樹上を見上げていた椿芽が俺よりも先に答えていた。


 補習の合間合間に窓の外に気を向けていた事を俺は知っていた。


「え……?」


「ん……? あ、ああ……」


 椿芽は羽多野の意外そうな視線を受け、きまりの悪そうな表情を見せた。


「一応……気にしては、いた」


「……なるほどな」


「な、なんだ! 私はだな、あいつがお前に付きまとわぬようにと……」


「いや、その積りで言ったんだが」


「……そ、そうか」


 仮に本人を前にしてで無いとはいえ、つい先日に疑うような事を言ったすぐ後に姿が見えなくなってしまえば、どこか自責のようなものを芽生えさせてしまうのだろう。


「あの……乱世さん」


「なんだ?」


「この間の話……もしかして、興猫ちゃんに……?」


「い、言ったのか?」


「まさか。そこまで空気の読めない人間と思ってほしくはないな」


「そうか……」


「俺から言ったりはしていないが……あいつは察していたんだろう」


「察して……?」


「ああ。自分がどういう目で見られているか……。どういう疑念を持たれているのか、ということを……自分なりにな」


「そ、そうですか……」


「……………………」


「気に病むな。あいつは……そういうことを割り切ってできる人間だ」


「き、気に病んでなど……いないが……」


「でも、勝手な話だとは……思います。あんなことを言っておいて……居なくなってみると、ちょっと寂しいなんて」


「羽多野……」


 羽多野の思考は確かに客観的に見れば、身勝手と言われるべきものなのだろう。


 しかしその感性なり考え方なりは、この場合は正しい。


 いや……好ましい、と言うべきなのか。


「俺が伝えていない以上、先の話題は、興猫は聞いていない。ならばお互いの関係においては『無かったこと』と同じだ。無かった事を気に病む必要はない」


「でも……」


「仮に興猫自身が察していたとしても同じだ。言った聞いたという事実がない以上は……本人にとっては無かったと同じことに違いない。少なくとも興猫はそう考える」


「………………」


 恐らくは興猫が先取りをして姿を消したのは、「そういうこと」に違いない。


 自分が聞いていない、見ていない情報ならば自分がそれを知る前に耳を塞ぎ目を閉じてしまえば……。


 それはその本人にとっては事実にはならない。


 仮に「そう思われている」としても「そう思われている」事実さえ、自分が知らなければ、それは「思われていない」ことと同義なのだ。


 少なくとも……そう思い込むことはできる。


「信用されていない」「嫌われている」……そういった予想される現実から目を背けれれば自分を騙すことは容易だ。


 それが……あいつの、興猫の生き方そのものなのだろう。


 そしてそれは、羽多野や……まして椿芽のようなタイプには、誤解を招く生き方でもあるのだが。


「興猫は……羽多野や椿芽のことを、好きだ、と言っていた」


「え……?」


「興猫ちゃん……が?」


「正確には、嫌いじゃない……だがな。あいつにしたなら、かなり上の方の評価だろう」


「わたし……」


 俺は、多少の気休めにも……と言ったつもりなのだが、羽多野はより一層に難しい顔をしてしまう。


「わたし……興猫ちゃんに謝らないといけないかも……」


 そして……羽多野の性格を鑑みれば、そういうことを考えてしまうのも判ってはいたのだが……。


「いや……止したほうがいい。さっきも言ったが羽多野や椿芽がそう思っていたということは、あいつは知らないことなんだからな」


「でも……わたし……」


 直接に言ってなかったとしても……そう思われていて、それを自分が悔いている以上は謝りたい――。


 それは羽多野の優しさだ。


 しかし――。


 興猫は、『それを知りたくない』のだ。


 それを謝るという形で、知らせてしまうのは――塞いでいた耳を、閉じていた瞼をこじ広げて知らしめるというのは――興猫にとっての優しさ、ではない。


 興猫の、自分を欺瞞する思考が是か非かの論は、この際には関係がない。


 少なくとも羽多野の持つ『優しさ』というものが、彼女にとって正しく届かないということに関しては間違いがあるまい。


 もちろん、それに気付かない、気付けないのが羽多野の、そして同様の考えをしているだろう椿芽にとっての幸福であり不幸であることは疑う余地もないが。


 だから――。


「あいつは、そういうのを気恥ずかしがるさ。やっぱりやめてやったほうがいい」


「……そう、ですか」


「メンバー登録を解除した訳でもないんだ。また気まぐれにひょっこり顔を出したとき、今まで通りに扱ってやったほうが喜ぶだろうさ」


「はい……」


「だから……椿芽。お前もそんな風にいじけた顔をしてるもんじゃない」


「だ、だれが……!」


「そうだな。そのくらいのほうがお前にはちょうどいい」


「い……言っていろっ!」


 俺を睨むようにしつつも……ようやく椿芽にもいつものペースが戻った。



※        ※        ※



 聖徒会執行部、執務室――。


「……停滞破壊者が停滞するなどとは……洒落になるものではないな?」


 奇しくもモニターで3人の動向を監視していた牙鳴遥は皮肉めいた言葉を『密偵』に投げかける。


「しかし……遥様」


「……判っている。天道乱世が、あの『亡霊』の手駒であると決まった訳でもない」


「……………………」


「しかし……中央政府にせよ、その他の『意思』によっての事であっても、あの者がわれわれ聖徒会の意図せぬ形でここに呼ばれてきたのは、もはや疑うべくもない」


「……はい。そしてそれは恐らく本人も意図しないことではあるかと……」


「肩をもつものだな? 情が湧いた……とも思えないが」


「……ご冗談を」


「ふ……。どうだろうか?」


「……………………」


「しかし……頃合ではあるか。嶽炎祭までに、隠した実力を推し量るという意味においても、だ。タイミングというものは悪くない」


「それでは……」


「状況は揃っているだろう。現状に焦りの見えるであろうあの男辺りならば、エサにも食いつく」


「は……」


 遥の短めの言葉からその意図を推し量り、密偵はそのまま音もなく姿を消す。


「……あの『老人』が何を考えているのか判らないが……こちらはこちらでできることをさせて貰うだけだ……」


 ……と、密偵と入れ違いのように入室してくる足音があった。


「………………」


御君おんきみ……! 今までどちらに……」


 聖徒会長――牙鳴、円。


 濡れた目は細められ、頬は朱を引いたように紅潮している。


 肌に浮かぶ汗は運動による発汗等ではなく……身の内から湧く、熱……火照りから来るもの。


「くふふ♪」


 それはまるで性的快感の末……事後の有様のようにも見えるが。


「…………! その血の匂い……また、学園内で人を……?」


 遥が僅かに顔色を変え、言う。


「………………それがァ?」


「い、いえ……」


 円は遥を一瞥もせず、自らに充てがわれた私室のほうに向かった。


 遥はそんな姉の後ろ姿を呆然としたていで見送るしかない。


(いままでよりも……血を求める期間が短くなってきている……。そろそろ……限界……?)


 小さく喉が鳴るのに気づいた。


 それは焦燥――。


(……例え、老人か……それ以外の何者かの意思が介在していようが……構わない。私は……牙鳴遥として、この学園を……私たちの楽園を、守るのみ。その為には……いかなる犠牲を払おうとも……)


 いささかの述懐を経た上で、遥は再び副会長のかおに戻っていた。


「天道乱世……。我が君のにえたる資質があるか……試させてもらう……」



※        ※        ※



 ほぼ、同刻――。


「………………ん?」


 乱世たちの通う校舎のほど近い山林地帯。その中ほどにある古く大きな樹木の根を枕としていた男が何かに気づいたように瞼を開けた。


「ふふ……なるほど。また彼女が……ね」


 幽霊――。


 かつて乱世にそう評されたその男は、くすくすとさも愉快そうに笑む。


 男の体を樹木の一部と認識し翼を休めていた数羽の小鳥が、唐突にその場に生じた彼の気配に驚き、慌てて飛び立っていく。


「それにしても……妹くんのほうは相変わらずなようだね。だから……彼女は純粋にはなれない。姉の望みを真実に理解し得ないことが不幸なのか、それとも彼女なりの幸福なのか、興味はないでもないけどね」


 す……と。


 再び男の気配が薄らいでいく。


「まぁ……いいさ。彼にしてもこの程度の策で終わるようならば……存在理由も無いのだしね」


 次の刹那には、彼は人間はおろか周囲の小鳥や獣、虫たちに至るまでその気配を察せられない程に希薄となっていた。


(ふぁあ……。さぁて、こちらはこちらで……好きにさせてもらおう、かな? ふふ……)


 あとは、緩やかな初夏の風――。

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