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つくりものの、猫

 例の如く、補習授業の終わりに椿芽の事を校舎外で待っていると……。


「あ……おにーちゃん♪」


 街路樹の上から、興猫が顔を出した。


「……相変わらず、突飛な登場しかしないんだな、お前は」


「よっこらしょ……っと」


 興猫はまるで重力を感じさせないような跳躍でそのまま俺の目の前に着地してみせる。


「こういうトコの方が、むしろ落ち着くのよね、あたし」


「お前の嗜好にはとやかく言わないが……ほら、服が汚れてる」


 肩口にひっかかった枝やら葉やらを払いのけてやる。


「にゃはは♪ んでもまー、この服って、仕事にも使ってる実用着だから」


 それは前から――ともすれば最初にやりあった時から既に気付いてる。


 見た目こそ可愛らしい服だが、その内側にはケブラー繊維や特殊樹脂が複雑かつ多層的に編みこまれ、かなりの防御能力を持っている。


 恐らくは小口径の弾丸程度ならば、貫通を許さないだろう。


「それにしては可愛らしくしてるじゃないか」


「ま、ね♪ コダワリ、コダワリにゃ」


 興猫の本来の『仕事』からすれば、もっと動きやすい服の方が機能的であろうし、色にしても目立ちにくいほうが確実に有利であるだろう。


「なるほど、こだわり……か」


「そそ♪」


 ……と、いうことなのだろう。


「ところで……おにいちゃんはナニしてたの? せっかくの夏休み、なのに」


「ああ、椿芽を待っていた」


「椿芽をぉ?」


「俺の補習は終わったんでな。あいつは……まだちょっとかかるらしい。


 あいつはあいつで出来ないなりに真面目なところがある。


 いざ補習となってしまえば、その問題が理解できるまで先に進まない。


 お陰で当初の予定より、随分と期間が延びてしまっていた。


(まぁ……それはそれでいいことかもしれんがな……)


 などと苦笑もする。


「むー……」


「どうした?」


「椿芽なんかいいからさァ、どっか遊びいこ?」


「いや、しかし……」


「おねーちゃんも子供じゃないんだから、平気だって」


「まぁ、そうかもしれんが」


 俺としてもどっちかといえばここで待っていたのは、自分が寮まで迷わない為、という理由の方が大きかった。


 別段、約束しての事でもない。帰り道も興猫が居れば問題ないだろう。


「わかった、今日はお前につきあうとしようか」


「やったー♪」


※        ※        ※


「……またここか」


 連れてこられたのは購買街。相変わらずゴミゴミとしているのも性に合わないが……。


 それ以前に未だに俺はこの場所では5分で道に迷う自信がある。というかもう既に帰り道が判らない。


「だーいじょぶだって。今日はあたしが一緒なんだから、迷子になったりしないし」


「……的確なまでに俺の考えていることを読んだな」


「さーて、どこに行こっか?」


「なんだ、決めてなかったのか?」


「ちっちっち。おにーちゃんは判ってないにゃー」


「なにがだ?」


「遊びに行く、っていうのは、なーんの予定も決めてないほうが、ずっと楽しいにゃ♪」


「そういうものか」


「そーゆーもの♪」


「だとしても、このままただブラブラとしていてもな」


 ブラブラするのは嫌いではないが、それならもう少し気分の良い場所のほうが好ましいとも思う。


「そんじゃ、また闘技場でも行ってみる?」


「それはちょっと……なぁ」


「なんで?」


「あそこに行くと、俺もお前もどうせまたズタボロになる」


「あはは。そりゃ確かに♪」


「だろう?」


「そんじゃ……まず、なんか食べにいこ? あたし、おごっちゃうから」


 言うや否や俺の手を掴んで走り出す。


「お、おい。そんなに走らなくても……」


「走りたい時に走るの! あたしは! だって……猫だから!」


「……なるほど」


 意味は判らないが、なぜだか納得する。


 俺は苦笑しつつ、興猫の走るままに従うことにした。


※        ※        ※


「ささ♪ なんでも注文して?」


 そこそこ小奇麗な飲食店。興猫はまるで最初からそこに決めていたかのように迷いもせずに飛び込んだ。


「随分と豪気だな」


 そこそこ、と控えめに言ったが、この街においては上流の部類に入る店であるのは客層の身なりからしても明らかだ。


 いまだ節制節約の毎日である天道組からすれば、ここの一食で下手すれば3日くらいの食費に当たるかもしれない。


「にゃはは♪ 意外と儲かるモンなのよね、あたしのお仕事って」


「そうか」


「その割りに……ま、使い道とかってあんまないしね」


「……興猫?」


 興猫は、一瞬だけ寂しそうな表情を見せたが……。


「だから、おにーちゃんとのデート代くらいは全部持つくらいなんともないにゃ♪」


 すぐさまいつもの表情に戻ってそんな事を言ってみせた。


「デートってお前な……」


「あれ? 違う? あたしはそのつもりだけどー」


「むう……」


 俺は何か言い返そうと思ったが……。


「ご注文はお決まりですかい?」


「あ、ああ……」


 どすどすと店に似つかわしくない荒々しい足音と共に歩み寄ってきたウエイターに声をかけられ、メニューの方に目を戻した。


「俺は……このランチでいい」


「かしこまりやした」


「おにーちゃん、小食ねぇ? 遠慮とかしなくていいのに。そんじゃあたしはぁ……」


 ……なんだか知らないが、随分とガタイのいいウェイターだな。


 ちょうど、俺の斜め後ろ辺りに立ってるものだから、顔まではわからんが。


「かしこまりやした。ちょっとばかし……もとい、少々おまちください」


 またどすどすと重い足音を響かせてウェイターが戻っていく。


 ちらっと見たあの後姿……どこかで見たような気がするが。


「どしたの? おにーちゃん」


「いや……」


「ふぅん?」


「それよりさっきの話の続きのようなものだが……。興猫、お前まだ、『仕事』の方を続けているのか?」


「うん? なに……もしかして、おにーちゃんまでやめろ、とかゆーの?」


「俺『まで』?」


「椿芽と勇にもゆわれたー。これで茂姫を除けば全員コンプだね。にゃはは」


「あの二人が?」


「ん。ニュアンスはそれぞれだったけどもね。椿芽は天道組に入った以上、そんな後ろ暗い真似をすんなー的な感じ」


 なるほど、羽多野はともかく椿芽なら言いそうな事ではある。


「勇は『興猫ちゃん、そんな危ないことしてちゃダメだよー』的な感じだったかなぁ」


 そこまで言って先に出てきたオレンジジュースをストローで吸う。


「そうか……」


 それもそれで羽多野が言いそうではある。


「んで? おにーちゃんはどんなバリエーションを?」


 興猫はちょっと拗ねたように、口元に加えたストローをぷらぷらさせながら言う。


「天道組として? 危ないから? それとも……あたしみたいなのが、『そーゆーこと』してるのは良くないって?」


「さぁな。その……全部かもしれんが、どれでもないかもしれない」


「を。なーんかテツガク的なお小言?」


「そんな大層なことを言える人間が、補習でヒーヒー言うと思うか?」


「あはは。そりゃ思わないかなー」


「俺は……なんと言うか、勿体無い、とでも思っているのかもしれない」


「もったい……ない?」


「ああ。お前の闘いかたは何のかんの言って、クリーンな部分が強いと思う」


「あ……あたしがぁ!?」


「時に残酷な一面も見せるが闘いそのものに関しては、終始、純粋だ。俺はそう感じている」


「それは……相手がおにーちゃん……乱世だったからだよ……」


「それにしたって、という話だ。己の中の戦いの矜恃、とでも言うものを全く持たない者は、誰相手であろうがああいう戦い方はできない」


「乱世……」


「闘いの根源がダーティであったり、闘いへの動機が利己的なものであったりする者は、いくら相手との相性があったとしても、その場において戦いを愉しもうとする考えには至れない」


 この学園での生活を経ていれば、嫌でもそういう事は判ってくる。


 我道らをはじめ、ランカーと呼ばれる上位生徒と、その末端にとどまるしかない連中の間には、決して超えられない壁がある。


「何をしてでも勝とう……どんな手を用いても相手を倒そう……そういうものが完全に染み付いていれば、必ずどんな場面でもそれを用いる癖が出来る。策や武器に頼る戦い方になるものだ。そういう闘いも、現実の全てが綺麗事でもなければアリはアリかもしれないが……」


 そこで俺は言葉を捜したつもりはなかったのだが――。


「その闘い方は純粋、ではないとは思う。混じり気のない……不純物のない闘争では」


 いつぞや『幽霊』に聞いた言葉を使っていることに、俺は口にしてから気付いていた。


「純粋……?」


「俺が闘った感触ではお前にはそういうもの……純粋な部分を感じた。だから、そういう意味だけにおいて、俺は勿体ないと思ったまでだ。誰の注目も浴びず、闘いの後の感動も薄いだろう裏街道の仕事が、な」


「……………………」


「もっとも俺に関しては、だからといって、そういうのを辞めろとも否定することもしない……したくは無いんだがな」


「ふぅん……なんで?」


「俺はお前の持つ……歴史を知らない」


「歴史……?」


「ああ。お前が今までどう生きてきて、どういった意思を培ってきたか、だ。それを知らず、ただ主義と違うからやめておけなどというのは、その相手の人生に対する陵辱行為だろう。だから……今のはあくまで俺の個人的な所見、だ」


「全部言うだけ言っといて……それ、ズルくない?」


「お前が呼び水をしたからだ。俺は『お前がまだ裏の仕事をしているのか』と聞いただけだったが」


「うはー♪ やっぱズルぅい」


「そうか? ふむ……俺はズルいのか。以後、気をつけなければな」


「にゃはは♪ でもさぁ……」


「うん?」


「やっぱ……そういうのって……。あたしの、闘いってのが純粋……に見えるのってさ。おにーちゃんが……乱世が相手だからっていうの、あるんだよ?」


「俺だから……?」


「にひひ♪ そーゆーの、わっかんないかなー、自分じゃ」


「ふむ……」


「お待たせしましたー」


 言葉を探すタイミングで、またウェイター――もとい、ウェイトレスが現れた。


 今度はやたら可愛らしい声の店員だ。どうにも極端な店のようだが……。


「あ……料理きたきた♪ さ、食べよ、おにーちゃん」


「ああ……そうだな」


 去り際にまたちらりとウェイトレスの背を見たが……やはりどこかで見たような気がしていた。


※        ※        ※


 こじんまりとした店だが……なかなか美味い。


 今の借金生活が終わったら、椿芽や羽多野辺りも一緒にまた来たいものだな。


 ……たぶん、俺の案内では二度とたどり着けないとは思うが。


「おっと……」


 考え事をしていたせいか、スープを飲もうとしてスプーンを床に落としてしまった。


 俺はそれを拾って、店員に新しいのを頼もうとしたのだが……。


「……………………どうぞ」


 俺が腰をかがめるよりも早く新しいスプーンがが背後から差し出された。


「あ、ああ……すまない」


「………………ごゆっくり」


 俺が礼を言おうとその店員の方を向こうとしたときには――。


「……………………」


 既にその場に店員は居らず、厨房の入り口にかかったカーテンが、ただふわりと揺れていた。


「迅速なサービスというか……むしろ逆に怖いというべきか……」


「ふはー! ごちそうさまぁ!」


 俺の倍以上の量を頼んだにも関わらず、興猫はまだ俺のスープが残っているうちに食べ終わっていた。


「……早いな」


「ま、ねー。ココは美味しいから、つい食べ過ぎちゃう」


「ああ。確かに味は大したもんだ。この学園に来てから、一番と言ってもいい」


「でしょでしょ?」


「お気に召しましたかな?」


 背後から落ち着いた声の、また別の店員に声をかけられた。


「ああ、本当に美味かった」


「それはそれは……シェフ冥利につきますな」


「あんたがここのシェフか……………………って」


 シェフに声をかけようと振り向いたところ――。


「はい?」


 ……完全に見知った顔だった。


 どう見ても学生には見えない、というか教師としてさえ歳が行き過ぎてないだろうかと思える老齢のその顔は……。


「あんた……我道のところの……!」


「はいはい。幽幻ですじゃ」


「へ? おにーちゃん……気付いてなかったの? ここって……」


「おう。天道……珍しいな、こんなとこで」


 興猫の言葉が終わる前に、また見知った顔が厨房から出てきた。


「が……我道? お前まで、なんで……」


「あ? なんでもナニも、ここは俺たち男闘呼組の経営してるメシ屋だが」


「どしたんですかい? なんかモメゴトでも?」


 今度はブラッドが……。


「あ……なんかどっかで見た客だと思ってたけど……あんた、天道乱世!」


 続いてやたら可愛らしいウェイトレス姿のシェリスが……。


「うお! マジで? 全然気付かなかった」


 ……この二人は少なくとも同じように俺だと判ってなかったようだが……。


「……………………俺は気付いていた」


 さっきのスプーンのくだりと同じく、いつの間にか背後に居たジャドがぼそりと言った。


「俺たちのヤサだって知らずに美味いって言ったんなら、世辞の類じゃねぇってことだな。そりゃちょっと素直に嬉しいってもんだ」


 普段の着崩した制服ではなく、スーツをパリッと着こなした我道は本気で満更でもないという顔をして言う。


「ああ……味は素直に美味かったが……正直、意外ではあったのも確かだ」


「そうかい? 怒黒んとこの図書館だかよりは、まだ判りやすいたぁ思うがな」


「……あれも確かに意外ではあったが。それにしたって、あんたらが直接接客をしているってのも……」


「普段は末端の連中に任せたりしてんだけどな」


 ぱっつんぱっつんのウェイター服に身を包んだブラッドが少し照れくさそうに頬を掻く。


「PG……それも、ガドーやアタシたちみたいなランカーは、それなりに看板になるからね。毎日って訳じゃないけど、こうしてたまには店に入るのさ」


 シェリスはすっかりいつもの口調に戻っている。さっきの可愛らしい接客態度の件をツッコミたい衝動もあるが……恐らく本気で怒りそうなのでやめておいた。


「ワシは毎日厨房に入っとるがの」


「じーさんはシュミでやってんだろうが」


「ほっほっほ。然り然り」


 幽玄も白い割烹着に身を包んでいるが、この老人は学園でも着物姿なので正直あまり違和感がない。


「今日は、たまたま全員の補習も同じ時間に終わったしね。それでさ」


「なるほどな」


「それにしても……」


 我道は、興猫の方にちらりと視線をやる。


「お前がこいつを買った、ってのは本当だったんだな」


「興猫のことか?」


「ああ。にしても最近こそ羽振りが良くなってきたみたいだが……よく雇えたもんだな」


「いや……」


「……雇われたんじゃないよ。あたしは自分で天道組に入ったんだ」


 口に咥えたストローをぶらつかせながら、露骨に不機嫌そうに興猫が言う。


「それこそ信用できたもんじゃねぇな」


「なに……?」


「お前みたいなのを雇うんなら……そりゃ、『そういうこと』をさせようって意味ならわかる。そのためにとんでもねぇ金額を払うってのもな。もっとも……」


 今度は俺の方を見て、続ける。


「俺の見立てじゃ、この朴念仁は、そういう権謀術策を考えるようなタマじゃねぇしな。暗殺だとかスパイだとかな」


「だよねぇ。少なくともそんなに目端や頭が利くタイプじゃないし」


「……良くも悪くも、それは正しい見立てだな」


「我道、アンタ……なにが言いたいのさ?」


 既に興猫はその目の奥に殺気さえ隠していない。


「そうでなけりゃ……お前の方に何かがある、ってことだな」


「……………………」


「どこの連中に頼まれた? いや……いくら最近伸びてきてるからって、お前を雇う金を払ってまで、コイツを消すなんて考えるヤツは限られるな。こいつらに遺恨のある頼成組辺りか?」


「……好き勝手言ってんじゃないよ」


 みしり。


 軽く置いたようにしか見えない興猫の掌の下で、スチール製のテーブルが軋む。


「この! ガドーに向かってその態度……!」


「よせ。天道……俺の見立てはそういうことなんだがな?」


「……随分とお優しいことだな。わざわざ忠告とは」


「まぁ……鳳凰院嬢ちゃんへの貸しを作っときたいってのもないじゃあないが……」


「……ガドー……」


「天道。俺はお前をある程度は買ってんだ。ライバル……とまでは行かないまでも、今のランキングの膠着をブチ壊してくれるくらいにはなるんじゃないかってな。俺は俺の考えを、どうでもいい理由で邪魔するヤツは許さねぇ。もし、この牝猫がそういう類なら……」


「………………」


「俺が先に叩き潰す」


「ふん……やれるもんかい」


 ふ、と興猫が口から咥えていたストローを我道に向けて吹き出す。


 軽く首を曲げてそれを避けた我道の背後で、ストローが壁に突き刺さった。


 我道の周囲の四天王が、それまでの表情を一変させ、たちまちのうちに緊張感が周囲を支配する。


「……よせ、興猫」


「乱世……」


「我道」


 いまだ緊張感を崩さないままの我道に向き直る。


「……なんだ?」


「俺を買ってくれるのも……それに基づく忠告もありがたくはあるが……。それは杞憂だ」


「ほう?」


「興猫は、今や俺たち、天道組の仲間だ。疑うべくもなく」


「ら、乱世……」


「……後悔するかもしれんぜ?」


「確かにそうかもしれない。人の心……本心などというものは、他人にはどう計ることもできないものだからな。実際に何を考え……何を企むのかなど知れたものではない」


「………………」


「しかし……!」


「…………?」


「この世にひとつ、世界にひとつ。それを計りえる指針がある。後の後悔を持ち得ない絶対不変の基準がある」


「なんだそりゃ。後学のために聞かせてもらえるか?」


「……これだ」


 俺は自分の胸を親指で突く。


「俺の……天道乱世の心だ。俺が俺を信じるということが……全ての、そして絶対の判断基準だ」


「乱世……」


「裏切られるかも……騙されているかも。そういう感情は、畢竟ひっきょう自分の中に僅かでも疑念あればこそ、だ。俺は俺を信じている。そして俺が信じている興猫のことを信じている。それは揺るがない俺の中の絶対不変のルール。だから俺に後悔は在り得ない」


「……………………」


「……………………」


「へへ……なるほどねぇ」


 我道が不意に口元をゆがめて笑う。


 同時に四天王たちもその警戒を解いた。


「お前さんらしいな。まぁ……それなら俺が口を出すことじゃねぇ」


「そういうことだな。そもそも……ここに来たのはあんたらとやりあうつもりなんかじゃない」


 言って、支払いに、自分のIDカードを差し出す。


「あ……おにーちゃん、あたしが……」


「こういう場合は俺が出すのが正しい」


「こういう……場合……?」


「俺は……『仲間』である興猫と食事に……そうだな、デートの途中で立ち寄ったまでだ。こういう場合は男が支払うもの、と聞く」


「ら、乱世……」


「まいどあり~」


 シェリスが会計処理のため、俺のカードを受け取ってレジに向かう。


「……なるほど」


 我道はなぜか再び表情を曇らせた。


「なんだ? まだ何か……」


「いや……その、なんだ。お前……あんだけ可愛い女子連中に囲まれておきながら、色気も出さねぇ朴念仁かと思ってたが……まさかそういうシュミ、とはな……」


「………………は?」


「そうか……なるほどねぇ。お前さんがそんなローボールヒッターだとはな……」


「……ちょっと待て。意味がよくわからんが……」


「まぁねぇ……真面目ぶったヤツほど、そういうシュミはどっか偏ってるモンだしなぁ」


「ほっほっほ。お若いお若い……いや、この場合は相手が、という意味で」


 ブラッドと幽玄までもが、何か納得したように頷き合っている


「……………………ロリ」


 トドメは背後から聞こえたジャドの声だ。


 言い返そうと振り返るも、そこにもう奴の姿はない。


「お、おい……? 何か誤解が……」


「はい、会計終わりましたよ、お客さん?」


 俺の言葉を遮るように、シェリスが会計の終わったIDカードを押し付けるようにしてきていた。


「あ、ああ……」


「…………ペド野郎」


「ちょ……ちょっと待て。いや……そういう意味ではなくてだな……」


「なるほど……そういうコトなら、なんのウラもねぇってのも判らんでもないか。恋愛は自由だからな。そうか、なるほどなぁ」


「……我道。あんた……もしかして知ってて言ってないか」


「いや……まぁ、お前がそいつとくっついちまえば、鳳凰院もフリーになるしな。うん。イイコト尽くめだ」


「にゃはは♪ そーゆーこと!」


 興猫は俺の腕にぶら下がるようにしてくる。


「あたしと乱世おにーちゃんは、ソーシソーアイなのにゃ♪」


「お、お前……!」


「にゃははは♪」


 俺は腕にぶらさがったままの興猫をそのままに、奇異だか好奇だかで見てくる連中の視線を背中にして、逃げるように店を出た。


※        ※        ※


 男闘呼組の店を飛び出した俺たちは、とりあえず手近なオープンカフェに腰を据えていた。


 ……それはそれでまぁ、いいのだが……。


「にゃ~ん♪ そっかぁ♪ おにーちゃんもなーんだかんだ言って、あたしのコトに萌え萌えだったにゃ~ん♪」


「いや……だからな、アレはその場の勢い、というかだな」


「やんやん♪ そんなに照れなくてもいいにゃん☆ あたしならいつでもおにーちゃんのコト、受け入れおっけーにゃ♪」


「だからなぁ……」


 店に入ってからこっち、ずっとこの調子だ。


 もちろん大意として、俺はこの奇妙な少女に惹かれ始めているのは事実だ。


 しかしそれは……。


 所謂、恋愛感情、などというものではないとは思う。


 それはたぶん――。


「やー、やっぱ美少女はツラいわぁ。こーんなボクネンジンな乱世おにーちゃんまで虜にしちゃったりして♪」


「もう……好きにしてくれ」


 そんな俺の思惑とは裏腹に、興猫はかれこれ店に入って小一時間、この調子だ。


 さすがの俺も慌て疲れてきた……。


「にゃははは♪ あむ……んくっ」


 興猫も興猫で喜び疲れたのか、目の前のとろけかけたパフェに口をつけて、ようやく一息。


「ふはー……。あはは。笑いすぎてナミダ出てきちゃった……あはは」


「……落ち着いてくれたか」


「うん。まぁ……ってゆっか、ね……」


 目を話しかけた一瞬――その間に、興猫は表情を変えていた。


 たまに見せる、どこか大人びた……寂しげにさえ見える顔に。


「ん……?」


「久しぶりに……楽しんだ。うん……嬉しかった、よ。おにいちゃん……」


「興猫……?」


 興猫はパフェの半分方を残してスプーンを起き……さっきまでとは一転し、どこか醒めたような表情で微笑む。


「ん……まぁね。わかってるよ、当たり前だけど……。おにーちゃんが本気ってワケで言ったんじゃないってのも。や、でもね。嬉しくは……あったよ。うん。楽しんだ……たぶん、あたし……楽しめた」


「おい……興猫」


「あたしはさ」


 興猫は静かに……しかし明瞭はっきりと俺の言葉を遮るように続ける。


「無い、んだよね……そーゆーのって」


「無い……?」


「そう。無いんだ。だから……必要以上にはしゃぐのが……楽しいんだよね」


「無い……というのは……」


「イワユル……フツーの楽しみ……恋愛とか……仲間、友達とかって……。無いのがわかってるから……楽しいんだよね。そういうのがあるフリ、ってゆーか……持ってるつもり、ってゆーか」


「……興猫……お前、何を……」


「んーっと、そうだなぁ……」


 興猫は周囲をきょろきょろと見回して……。


「あ……おねーさん、ウェイトレスのおねーさーん!」


「あ……はい、ただいま……」


 昼時を越えて、やや暇そうにしていたウェイトレスが、ととと……とこっちに小走りで向かってくる。


「どうかなさいました?」


「うん! パフェ……すっごく美味しかった」


「あら、本当? 美味しいって言ってもらえたら、わたしも嬉しいわ」


 この何でもある学園においても、(当然といえば当然ではあるが)流石に子供、というものは珍しいのか……。


 ウェイトレスは必要以上に、お客と店員を超えた素直な笑顔で興猫ににこにこと応対している。


「あたし、ちっちゃいから食べ切れなくてちょっと残しちゃったけど……」


「うふふ……いいのよ? 確かにお嬢ちゃんにはちょっと……多かったかもね?」


「おねーちゃん」


 興猫は満面の笑顔で、ウェイトレスに手を差し出す。


「あら……なぁに?」


「あくしゅー!」


「うふふ。はいはい、握手ね」


 ウェイトレスは差し出された興猫の手を、にこにこと握り返した。


 その刹那――。


「…………え?」


 興猫の腕の根元でかちり、という小さな音がして……ウェイトレスの手を握っていた彼女の腕が根元から外れた。


「ひ……ひぃっ!?」


 握手をしたままの形で……ウェイトレスの手に、だらん……とぶら下がっている興猫の腕。


「あ。取れちゃった♪」


 それだけならば、ただの義手の類と、気の毒にこそ思われ奇異に思われることもなかったろうが……。


「え……えっ!?」


 体から離れた興猫の腕は、尚もそのまま生き物のように動き続け、ウェイトレスの腕を何度も握る。


何が起こったかわからず……そのままぺたん、と尻餅をついて怯えるウェイトレス。


「じゃあこっちで……って、あれぇ? こっちも取れちゃったぁ」


 残った手を差し出すも、そちらの腕もかちりと外れ、そのまま床を指で這いずるようにウェイトレスに近づいていくに至り、彼女は流石に悲鳴を上げてしまっていた。


「きゃああぁぁぁぁぁぁっ!?」


 さっきまでは慈愛に溢れる所作で握り締めていた少女の手を、いまはぶんぶんと振ってどうにか離そうと半狂乱になっている。


「あはははははっ! ごめんね、脅かしちゃった。返してね」


 興猫の両腕はウェイトレスから離れ、まるで手品のように宙を舞い、元通り体に装着される。


 どうやら、遠目には見えないほどの細いケーブルで繋がれているらしい。体から離れたまま動いていたのもそれを通して操作できるものなのだろう。


「ひ……ひぃっ……!」


 その途端ウェイトレスは弾かれたように走り出し――。


「い……いやぁっ……! ばけものっ……!」


 そのまま店の奥に消えていってしまった。


「……こういう……こと」


 興猫は腕の接続を確認するように擦りつつ、自嘲的に笑う。


「ま……腕に関しちゃ、おにーちゃんも知ってるだろうけどさ」


「……ああ」


「おにいちゃん……ほら」


 興猫は俺の腕をとって……自分の体にあてさせる。


「胸……おなか。そして……」


 ついには下腹部のあたりにまで触れさせられる俺の


 はたから見れば、さっきの悶着などは比較にならないほどのとんでもない状況ではあったろう。


 しかし……。


「ね……?」


 俺の手に触れる感触は……柔らかい肉の弾力でも、服越しにもわかる滑らかな肌の触りでもない。


 ただ……金属に触れているかのような、無機質な感触。


「皮膚と脂肪にあたる部品が特殊だから……非戦闘時、通電させていない状態では柔らかく感じられるんだけどね。皮膚の大半……筋肉……骨格。交換可能な臓器。その大半が人工物。それが……あたし」


「興猫……」


「骨格そのものが特殊スチール製のものだから……これ以上に成長もしない。前に言ったと思うけど……おにーちゃん……乱世より年上って、ホントなんだよ?」


「…………………………」


「生殖器はあるけど……その能力は無い。必要ないからね、そんなもの。どっちみちあったとしても……赤ん坊を納めるスペースなんて、無駄の無いあたしの体には存在しないし」


 興猫が訥々(とつとつ)と語るその話のどこまでが真実かは分からない。


 しかし俺が見たもの、触れたもの……そして、闘った経験から察すれば……。


 サイボーグ――。


 それが興猫を現す言葉なのだろう。


 実際に、不自由な体の部位を人工物と交換する技術は、ほぼ完成されている。


 それら全ての技術を一人の体に結集し、本来の目的である、『体の各部の交換部品』という点を度外視し性能を上げて……。


 洗練した形で統合すれば……そういうこともできるのだろう、とは思う。


 しかし……。


「おにーちゃんとの唯一の接点……闘う、ってことだって、本当は偽物。あたしがおにいちゃんといい勝負ができるのは、この作り物の体だから、だものね」


「興猫……」


 しかし……突き詰めれば、問題はそんなことじゃない。


 興猫が元々……そういう技術を使う必要の体であったのであれば……俺は言葉も見つかる。


 それは不幸ではあるものの、大きな意味合いにおいて、彼女のもの……彼女そのもの、とも言えるのだから。


 しかし――しかし、だ。


 興猫の体のつくりは、恐らくそういう意味合いのものではない。


 ただ生まれつき、もしくは事故などで欠損した部分を補う意味合いのものであるのならば、こうまで戦闘に特化するものではあるまい。


「おにいちゃん……」


「ん……?」


 興猫は……俺に、今までに見たこともないような、とびきりの笑顔を向けた。


「この体なら……こんな体だったら……」


 彼女は、決して望んでこの体になった訳ではないのだろう。


 だが――。


 だが、そうでありながらも――。


「これは……世の中ぜんぶを憎む理由くらいには、なるんじゃないかな」


 そう言って彼女が俺に向けたその笑顔は――。


 儚くも、美しいと……俺には思えた。

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