第五話:王都への行進(1)
ハトの安息は同居人により奪われた。
「さあ、起きなさい!いつまで寝ているの!」
おれはカルミラの大きな掛け声により目を覚ました。目脂で汚れた目をこする。開かれたドアからは、姿を現したばかりであろう太陽によって照らされる砂の海が広がっていた。
前世に居を構えていた頃のおれでは到底起きることのない時間であることは確かであったが、彼女は「あなた、次からはもっと早く起きなきゃダメよ。この土地は陽を遮るものが全くないから、すぐ暑くなるのよ」といいながら昨夜の作業によって獲得した装飾品を藁束で縛り、木籠に丁重に、しかし手慣れた手つきで収納しながらおれにいった。
おれは先ほどまでくるまっていた布かけを畳むと立ち上がり、家を出て、ドアの横に置かれた、カルミラがすでに用意してくれたであろう水が入ったバケツに近づき、手で水をすくい、顔に塗りこむ。水は冷たくはなく砂も交ってはいたが、おれの朦朧とした気分を粉砕するには十分すぎる効力を持っていた。
「顔を洗ったら私が用意した服があるから、それに着替えなさい。それが終わったらすぐにここを出るわ」とカルミラはドアから顔を出し、濡れた顔をすでに着ていた服の裾で拭いているおれに言った。
「もう出るんですか?」
「当たり前じゃない。だらだらしていたら陽が昇って行動できなくなるわ」
「あの、今日はどこに行くんですか?さっき石をかごに入れてたけど、あれを売るんですか?」
そう聞くとカルミラは笑いながらおれに言った。
「そうよ、これがジダディアではよく売れるのよ。なんてったって、ハウェイダートの着火石なんだから!」
ジダディア?着火石?また知らない単語がおれの脳に突き刺さる。彼女の言葉を推測すると、美しく装飾されたあの石が詰まるところ着火石であり、ジダディアという単語が恐らく「いいところ」なのだろう。ハウェイダートとはなんなのだろうか?
「ほら、顔を洗ったら着替えなさいな。それともその服で砂海を渡るおつもり?」
おれの好奇心の風船はますます膨張したが、風船を膨らませる前に行うべき事があったのをカルミラの声で思い出し、急いで家の中へと戻った。
「うん、中々にあってるじゃない!」私は自分が用意した服を着たハトを見て微笑みながらいった。
頭には黒が基調で、長布が後頭部を隠すように縫い付けられ、カルミラの家に代々伝わる文様が一針一針刺繍された部族伝統の丸い帽子。体には同じく黒が基調の、足まで包み隠すような長さの服をハトはまとい、被っている。それは、かつて私自身が幼い子供の時代に着ていたものだった。
私は「これであなたも砂海の民ね!どう、ご感想はおあり?」と私は彼に問いかける。彼は自分がまとっているものを不思議そうに見ていた。
カルミラは着せ替え人形で遊ぶ少女のような目でおれを見ている。おれ自身、彼女と全く同じ服装をしているのはとてもおかしな気分だった。これが恐らく彼女、いや、この土地で長年受け継がれてきた正装なのだろう。
「なんだか不思議な気分です。こういうの、着たことなかったから」とおれは返答した。
彼女は頷いて「この土地特有の物なのよ、この帽子はね」と自分の黒い帽子を取っておれに見せる。「これはハウェイダートの団結の証なのよ」
まあ、今ここに住んでるのは私だけなんだけどね、といいながら彼女は被りなおし、商品が入った木籠を持って立ち上がった。
「さあ、行きましょう!王都ジダディアへ!」
「はぁ…はぁ………はぁ…」
太陽光線が帽子を貫いておれの頭へ突き刺さる。おれは帽子をとると額にたまった汗をぬぐい、荷物を持った彼女の背中を見ながらまた帽子をかぶりなおした。
最悪の行進だ!おれは確かな確信をもって唾液も枯れた口の中でそう叫んだ。彼女は先刻から立ち止まらずに歩んでいる。住んできた環境の違いなのだろうか?おれは自分がいかに穏やかな気候で暮らしていたのかをうつむいて自分の小さな足を見ながら思い知る。家から持参した皮製の水袋はすでに底を突きて荷物の一部となっていた。
「カ……カルミラさん……少し休みませんか?」とおれは情けない声をあげて彼女にそう言う。
彼女は振り返らずに「休む?こんな影もなにもない砂海のど真ん中で?」といった。
「もう少し進んだ先にオアシスがあるわ。そこにたどりつくまで我慢しなさい」
「はぁ……はい………」
「全くもう、あれほど水はむやみに飲んじゃダメだって言ったのに……ホラ、こっち来なさい。分けてあげるから」
そういわれおれは彼女のそばにより、水を分けてもらった。
「す、すみません………」
「困った時はお互いさまよ……私もよくこうやってお父さんに分けてもらってたから」
「お父さんですか……」
「そう。お父さん。昔はお父さんとこうやって砂海を渡ってジダディアに売りに行ってたのよ」
ジダディアとはこのバルトリア王国が誇る王都だ。王家が初代国王の遺訓にそって、魔術の研究や商売を奨励しているおかげで古来から盛んであり、近隣諸国からは「黄金の都」「知の故郷」といわれているのだそうだ。
「そんなに小さい頃からここを渡っていたんですね。そりゃ足取りも確かなわけだ」
「最初は何度も倒れてお父さんに抱きかかえられたけど、今はもう慣れたわ。お父さんたちが砂海に召し抱えられてからは特にね」
そういえば、カルミラの両親はどこにいるのだろうか?砂海に召し抱えられる?一体どういう意味だろう?
「カルミラさん、あの……」とおれは意味を聞きだそうとしたが、すぐに口ごもった。恐らくではあるが、あまり深く聞かれたくないことだろう。その証拠にカルミラの顔は寂しげな表情を浮かべていた。
「ん?何かしら?」
「いや、なんでも………そういえばカルミラさん、ジダディアって本がたくさん置かれている場所ってあったりしますか?」
「本がたくさん…?ああ、図書館のことね。もちろんあるわよ、あそこには全ての知識が集っているといっても過言じゃないからね。ただ……」
「ただ?」
「私たちは入れないかもね」
やはり知の故郷というだけあってか、それなりの大きさの図書館はあるようだった。とにかく、この国の歴史や制度、風習に一度目を通しておかないとなるまい。あんな僻地に住む彼女の知識だけでは残念ながら得られる知識に限界がある。
しかし、なにか含みがあったな。一体なんなのだろう……。
やがておれたちはオアシスについた。