第二話:ハウェイダート族の女とビキ・ビキについて
夜が明けて東の地平線から陽が登ってきたので、私はむっくり上体を起こし大きなあくびをしてまだ温もりの残る寝具から這い出た。そして私は長い年月をかけて底をすり減らした靴を履き、まるで糸で繋がった人形のように引き寄せられながらドアへ近づき外へと出ていった。
暑い日だった。バルトリア王国は年間を通して酷く乾燥した土地で、国土の大半を占める灼熱の砂海が示す通り雨が降ることも極めて稀である。
砂海での生存を許された者は許されなかった者を供養する大鳥と、砂海を草木が生い茂る散歩道のように楽しめるハウェイダート族だけであり、砂交じりの井戸から水をくみ上げるカルミラもまた許された砂海の民の一人だった。
水をくみ上げおえると、私はいつものように希少な木材で編まれた籠を持ち家の裏にある小屋へと駆けていき固い紐で繋がれた家畜へ一方的な挨拶をし、彼の腹の下をのぞいた。
「今日は四個か」と私は数えながら言った。「頑張ったね。あしたもよろしくね」
家畜は喉を鳴らして女主人に返答した。私は彼が実らせた殻に覆われたそれを最も慎重に一つずつもぎり籠に入れ、それらの作業を終えると私は収穫物を調理するために母屋へと戻っていった。走るな、走るな、走ったらだめだ。走ると割れてしまう、焦ってはだめだ。走るな、走るな、走ったらだめだ。
家に着くと、早速私は収穫物を入れた籠を調理台に優しく置き、着火石をこすり合わせて発火させると俊敏な動きで鉄板の下に放り入れた。
私は手を激しく振ったあと患部へ息を吹きかけ「ああ、熱い……着火石は便利だけど火力が高すぎるわね」といった。「熱いのは当たり前か」
鉄板が温まり始めたところでカルミラは収穫物の殻を破りその中身を鉄板の上に滑らせると、拷問者への抗議をするようにそれは突如として悲痛な甲高い声をあげたが、やがて焦げが付き始めた頃には抗議をあきらめたのか断末魔は絶えていった。
「うん、今日は活きがいいわね。この前のビキ・ビキの卵は中身が死んじゃってたから」とその拷問者はいった。「神よ、この者を殺めた私をお許しください……いただきます」
起床、水汲み、ビキ・ビキの卵の収穫、朝食。
この四つの工程を私一人で担うようになったのは両親が砂海に召し抱えられてからではあるが、母がまだほんの子供だった頃の私と工程を分業していた頃よりも長い年月が流れたのは疑いようのない事実である。
私は一人だった。近隣の住人たちは、法律が変わり、それまで許されなかった居住区の移動が容易となったことでみな砂海のない城壁を備えた王都へと移住していった。私も誘われたが両親が眠るこの土地を離れたくなかったこと、王都へと移住した所で満足に魔術を使うことのできない私では仕事を見つけることが困難だと考えたことを理由に断った。魔術。バルトリアの至宝、英知の結晶。大賢者サイファールは数えきれないほどの魔術式を書き残して理想郷へ旅立っていったが、それも籠の中の水一滴に過ぎなかったことはこの着火石が私に教えてくれる。
幼いころの私に父が教えてくれた唯一の精製魔術だった。父はハウェイダート随一の魔術師だった。
食事を終えた後私は王都で売るために作った着火石を、擦れて着火しないように藁束で結び、それを木籠の中へ細心の注意を払いながら積み上げていった。
発火魔術は普遍的な手法ではあるのだが、近年魔術の手ほどきを受けていない他種族が王都へ移住したは良いが、火を起こせない事例が多発しているのである。
特に開放獣人はよく買ってくれた、彼らは元来バルトリアの奴隷民族だった。
「うん、戸締りはした。鉄板の火も消したし、鍵は……いらないわね」
さあ、今日も王都ジダディアへの長い旅が始まる。長い旅とはいっても精々半日程度ではあるが、私が頑なに王都への移住をしない理由は王都までの歩みに楽しみを見出している為でもあったのだ。
私が意気揚々と扉を開けた瞬間、裏の家畜小屋から大きな物音がするとすでに私の開放的な気分は消え失せていた。ビキ・ビキが暴れだしたのだろうか?いや、彼の仕業と考えるにはその音はあまりにも穏やかだった。
私は急いで家の中に戻り、着火石を置いた後、奥の棚から俊敏に父が遺した小さな短刀をとりだした。泥棒だったらこれで突いてやるわ。間違いなく突いてやるわ。
再び家から出て、小屋へとゆっくり忍び寄る。一人だろうか?複数人の可能性もある。ビキ・ビキを連れ出すには一人ではあまりにも困難だろう、しかし私は家畜をみすみす盗人に略奪されるのを物陰から黙って見ているほど弱い人間ではなかった。私は勢いよくドアを開け「誰なの?泥棒なのね?出てきなさい!今ならまだ見逃してあげるわ!」といった。
しかし、泥棒はいなかった。
代わりにまだ幼い子供が横たわっていた。
ビキ・ビキがまた喉を鳴らした。