七十四話 はじめの一歩
断罪イベントが私の知るものとは違う終わり方を見せ、数日。
それから特に何かがあるわけでもなく、私達は穏やかな日々を過ごしていた。
とはいえ、変化がまるで無かったわけではない。
一番顕著な例は、リオン王子が私のそばにいるようになった事だろうか。
陛下の手配なのだろうが、王子は私と同じクラスに編入された。
それ以来、王子はムスッと顔を顰めながらも、陛下の言いつけを守って私のそばにいるようになった。
正直、王族がずっとそばにいるのはちょっと緊張する。
陛下が、王子への無礼を許すという令をくださったのは、そうならないための措置だったのかもしれない。
まぁでも、息子に対してもあれだけ容赦の無い罰を与えた陛下だ。
多少なら小突いてもいいって意味もあるのだろう。
後が怖いので、そんな事はしないけれど。
父上は何を考えているのだ。
というのが、最近の王子の口癖だ。
本当に何を考えているんだろうね。
私にもさっぱりわからないよ。
何故、私のそばにいるよう命じたのか、その理由がいくら考えても私には思いつかなかった。
実はこれも罰則の内で、たまに王子で憂さを晴らせという事なのかもしれない。
陛下は言っている。
王子をたまに小突けと……。
それとは別に、もう一つ変化があった。
カナリオが王子を避けるようになった事だ。
昼食の集まりに王子が参加するようになった代わり、その集まりからカナリオが抜けてしまった。
私が誘っても、言葉を濁して断ってしまう。
全体的に元気もないように見えた。
彼女はどういう心境なのだろう?
大丈夫なのだろうか?
それから不思議な事がもう一つある。
ヴァール王子がまったく来ないのだ。
ゲームならば、もうそろそろ何度かカナリオにちょっかいをかけてきているはずである。
なのだが、その様子は見られない。
私が見ていない所で接触を図っているという可能性もあるのだが、それとなくカナリオに聞いてみると「何故ヴァール王子が私に会いに来るのですか?」と不思議そうに訊ね返されてしまった。
恐らく、接触はないのだろう。
もしかして、断罪イベントが先に来てしまったために、ヴァールのイベントが軒並み消えた?
そんなゲーム的な考え方をしてしまう。
でも、これはゲームではなく現実だ。多分違う。
かといって、他に理由が思いつかない。
もしかして、また私の行動で何かしらの変化があったのかもしれない。
些細な事で運命は変わるものだ。
私のした事なんて、ヴァール王子をボコボコにしたぐらいだ。
それは些細な事ではないが、しかしそんな事で運命は変わる物だろうか?
バタフライエフェクトかな?
アルディリアのルートといい、今の状況といい、サハスラータ関係は何がきっかけで動くのかよくわからないなぁ。
でも真剣な話、それがカナリオに会いに来ない理由になりえるとは思えない。
いったい、どうしてだろうか?
そんなある日、学園から帰ろうとした時の事だ。
「そなたら、一緒の馬車に乗るのか?」
普段通り、我が家の馬車へ私とアードラーとアルディリアの三人で乗り込もうとしたら、王子がそう訊ねた。
「はい。週に三回の割合で、一緒に闘技の鍛錬を行っているので」
私が答えると、王子は思案深げに俯いた。
「なら、私も行こう。極力、そばにいろという話だからな」
そして、そう申し出る。
嫌々だろうに、なんとも生真面目な事だ。
私はその申し出を受け、王子も鍛錬を共にする事となった。
とりあえず力量を測るために、アルディリアと組み手をさせた。
結果、王子はアルディリアをあっさりと倒してしまった。
相手が王子という事もあって最初は緊張していたアルディリアだったが、戦いが始まると、緊張する余裕もなくなったらしい。
王子は強かった。
アルディリアは必死で勝ちを拾いに行っていたが、その攻撃は全て見切られてしまっていた。
その上攻撃に対してはカウンターを合わせ、着実にダメージを重ねていった。
決着がつくまでに、それほど時間は要さなかった。
一か八かの大振りパンチに合わせ、王子がストレートをアルディリアの顎に叩き込む。
アルディリアはパンチの勢いのまま前のめりに倒れ、王子に抱き止められた。
正直に言うと、こうもあっさりとアルディリアが負けるとは思わなかった。
流石は王族という事だろうか?
王子のファイトスタイルは格闘ゲームと同じ、拳闘だった。
そして、基本的な戦い方もゲームと同じだ。
アルディリアとの距離を把握し、ヒットマンスタイルから繰り出されるジャブで的確に機先を制し続けた。
そして冷静さを欠いた相手にカウンターを見舞う。
正直、見事だと思ってしまった。
今の結果を見る限り、アルディリアとアードラーではまったく歯が立たないかもしれない。
「アルディリアを倒したか。だが、そいつはビッテンフェルト四天王の中では最弱。四天王の面汚しよ」
「酷いや……」
私が言うとアルディリアが悲しそうに呟いた。
「ごめん。ちょっと言ってみたかったんだよ」
素直に謝った。
「四天王? 一人足りないじゃないか」
そこに食いつかれるとは思わなかった。
最後の一人はもう卒業しちゃったんだよ。
今は野に出て、大人の欲望を満たすための玩具にされてるよ。
「それより、どうやら門下生二人じゃ王子の相手にならないみたいだ。仕方ないから、私が相手するよ。そうじゃないと、力量をしっかり把握できそうにない」
「四天王じゃないのか?」
「それは気にしないで。さ、始めようか」
そうして、私は王子と組み手を行う事になった。
私は王子と対峙した。
王子はヒットマンスタイルを取る。
「始める前に聞いておきたいのですが、その構えってどこで習ったんですか?」
「私独自の構えだ。この国における基本的な闘技の構えをアレンジした」
この国の闘技の構えは、体を半身にして両手を顎の前の位置で直線に構えるという物だ。
それを考えると、右手を顎のガードに残して左手を下げれば確かにヒットマンスタイルになる。
ちなみに、ビッテンフェルト流の構えでは、顎の前に右手だけ残して左手は前へ突き出した形にアレンジされている。
「そうでしたか」
答えて、私も構えを取った。
「では始めましょうか」
私は答えて、シャドウボクシングを披露する。
せっかくだから、私も拳闘で勝負しようと思ったのだ。
シャドウで軽く動作を確認し、最後に握り拳を顔の前に作る。
そして、手の平の中で魔法を発動させた。
握り拳からゴバッと水が溢れ出す。
思いもしなかったのか、王子がビクリと怯む。
「何のつもりだ?」
「私には、自分の命を引き換えにして絶大な威力を拳に乗せる必殺技があります」
「何だと? そなたの目的は私を暗殺する事か? まさか、この私と刺し違えるつもりか!?」
王子がとても真剣な表情で訊ね返してくる。
「すみません、冗談です」
「……そなたは冗談が過ぎるな」
「王子は真面目過ぎます」
そうして今度こそ拳を交える事になった。
結果から言えば、私の圧勝である。
王子のジャブは恐ろしく速く、私でも完全にかわし切る事はできなかった。
だからダッキング(体勢を低くする回避動作)を用いて掻い潜りながら接近しようと試みたのだが、容赦なく後頭部を狙いに来たので断念した。
ボクシングのルールなら反則だが、ルールのない実戦ならば反則ではない。
ルールに守られない戦いでは、ダッキングはむしろ危険な戦法だったのだ。
その違いによる戦法のミスだ。
おかげで、直撃はしなかったが頬っぺたが少し切れた。
なので、次はパリングを用いながら近付く戦法に切り替えた。
ジャブを捌きながら、拳を当てていった。
その時に解かったのだが、どうやら王子は殴られる際に打点をずらす技術を持っているようだった。
ヴァール王子と同じである。
なら、力量はあの王子様と同じだという事だろうか。
あれくらいか、と思うと私は今回上手く手加減する事ができた。
極力顔を狙わずに、ボディを攻めた。
少なくともこれで顔が判別できなくなるという事態は避けられる。
するとボディを執拗に攻めた事によって王子の防御が下がったので、拳を山形の軌道で放ち、顔面に直撃させる事で決着をつけた。
結局私は、組み手という形で王子を小突き回す事になってしまったが、どうにかヴァール王子にしでかしてしまったような事態は避けられた。
王子の顔はちゃんと原型を保っている。
ちょっと傷ついたイケメンだ。
鼻血がちょっと出てるけれど。
よかった。
今、私の前には鼻から血を流して大の字に倒れる王子の姿があった。
視線が焦点を合わせて動いているので、意識はあるみたいだ。
組み手が終わった事を見て取り、門下生二人が近付いてくる。
一応見える範囲での外傷はないが、顔以外の部分はそれなりにダメージが蓄積しているはずだ。
青あざだらけに違いない。
白色で治そう。
そう思ったのだが、私が近付く前にアードラーが王子へ歩み寄っていた。
アードラーは王子へ、手を差し伸べる。
「大丈夫ですか? リオン様」
王子は一度アードラーを見ると、顔を顰めた。
差し出された手を取らず、自力で立ち上がる。
アードラーはハンカチを鍛錬用の服のポケットから取り出し、王子へ差し出した。
「どうぞお使いください、リオン様」
アードラーは自分が王子から邪険にされている事を知っているだろう。
それでもこうした気遣いを見せるのは、多分フェルディウス家としての考えがあるからなんだろうな。
「私の名を気安く呼ぶでない」
しかし、王子はアードラーの気遣いを無視して拒絶の言葉を吐く。
眦を上げて、アードラーを睨みつけた。
「そなたの魂胆などわかっている。私がカナリオと婚姻できないと踏んで、取り入ろうと言うのだろう?」
それは王子の勝手な邪推だ。
けれど、その敵意に満ちた言葉を受けてもアードラーは表情を崩さなかった。
王子はなおも言葉を続ける。
「たとえ、あの時の私が間違えていたのだとしても、私はそなたの心根を嫌悪している事には変わりない。私がそなたを選ぶ事など、絶対にありえない。これだけは、決して違える事のない事実だ」
その言葉に、アードラーは初めて表情を作る。
それは苦笑だ。
「わかりました。殿下。私が近くに寄る事で気分を害されるというのなら、私はこれより徒に近付かぬよう気をつけます」
頭を下げ、静かに告げる。
そして続けた。
「ですが、誤解があるようなので訂正しておきましょう。私の心にはもう、殿下はおりません。恐れ多い事ですが、私は殿下を愛する事ができません。ご容赦ください」
そう告げると、アードラーはニコリと笑顔を作った。
淑女らしい控えめで上品な笑みだ。
その笑みを見て、王子は面食らった顔になる。
思いもしなかった言葉だったのだろう。
「……どうだかな」
最後に、王子は呟くように返した。
彼が何を思ってそう呟いたのか、私にはわからなかった。
そのまま、王子はアードラーから離れる。
私はアードラーに声をかけた。
「親切ぐらい、素直に受け取ってくれてもいいのにね」
「親切は時に迷惑になるものよ。だから、人に親切にする時は疎まれる事も覚悟しておかなければならないのよ」
私の言葉にアードラーは返す。
相変わらず、難しい考え方をしているなぁ。
「それに、王族を助けるのはお父様の言いつけでもあるもの」
「ふぅん。アードラー、もう少しいい加減に生きてもいいと思うよ。じゃなきゃ、生き辛くなっちゃうよ?」
「そうね……。そうだったわ」
過去形なのは、今はそうじゃないって事だろうか?
王子とアードラー。
二人は、互いに自分が恋愛対象の外にいる事を伝え合った。
王子は元よりアードラーへの嫌悪を公言していたが、アードラーが自分の気持ちを王子へ伝えたのは初めての事ではないだろうか?
このやりとりが、二人の新しい関係のはじめの一歩だったのかもしれない。
これからどうなっていくのかは、まだわからない。
さて、二人の関係、明日はどっちだ?
ア「あなたに興味がありません」