六十七話 女神の鐘
私が隣国から帰って来ると、夏の暑さは少し落ち着き始めていた。
季節が秋へと移行し始める時期だ。
とはいえ、まだ暑さが消え去ったわけではない。
もうしばらくは、私もへそをさらし続けなければならないだろう。
しかし、しばらくで済むだろうか?
ただでさえ、私の体は熱くなりやすいのだ。
下手をすれば秋すらこのまま快適に過ごせてしまう可能性がある。
そうなれば、冬までさらし続ける事になるかもしれなかった。
そんなある日、私は中庭のベンチに座るカナリオとムルシエラ先輩を見つけた。
何やら、話をしているようだった。
私はそんな二人に近づく。
「何の話をしているんですか?」
カナリオに話しかけるともう一人の私が尊大な態度をとってしまいそうだったので、先輩に話しかける。
「ああ、クロエさん」
先輩が私に気付いてにっこりと笑う。
相変わらずお美しい。
「少し、内緒の話です」
「そうなんですか」
ふぅん。そういう事もあるよね。
「クロエ様なら、構いませんよ」
とカナリオが言う。
「むしろ、クロエ様にも話を聞いていただきたいです」
「いいだろう。話せ」
カナリオが相手なので、もう一人の私が発動した。
彼女の話というのは「明日、王子から城に来ないかと誘われているのだけれど、どうすればいいのか」というものだった。
「王子が、ねぇ……」
私はその話に心当たりがあった。
これはゲームのイベントだ。
王子がカナリオを王城の中へ案内するイベントである。
確かこのイベントは二回に分かれていたはずだ。
最初に一度誘われるのだが、その時は自分が王子に相応しくないんじゃないか? と悩んでみたり、実際にアードラーからも言葉責めされたりで、王城へ招かれる勇気が持てなくて行けないのだ。
そして、二回目では王子との絆も深め、ようやく王城へ向かう勇気を持つのである。
二回目のイベントは、ゲームの終盤。
まだまだ先だ。
なので、恐らく今回は悩むだけでカナリオは王城へ向かわないはずだ。
と私は高をくくっていたのだが……。
「そうなんです。でも、一人で行く勇気が持てないので、誰かに付き添ってもらおうと思ったのですが……。あの、クロエ様にお願いしてもよろしいでしょうか?」
「なん……だと……?」
カナリオはそんな事を願い出た。
おかしい。
この時のカナリオは本当に悩み抜いて諦めるはずなのだ。
なのに、このカナリオは妙に乗り気じゃないか。
ただ、その時は一人で悩んで決断を下していたはず……。
私はベンチに座る二人を見た。
何? と二人が首を傾げる。
今回は何故かムルシエラ先輩に相談している。
そもそも、王子のルートに入ってしまうと、カナリオはムルシエラ先輩とあまり接点がなかったはずなのに……。
そこで私は気付いた。
ゲーム中のカナリオは、魔法学園において友達らしい友達ができない。
できるとすればティグリス先生のルートで、マリノーと仲良くなるぐらいだ。
その後、とてつもない修羅場になるが……。
でも、貴族ばかりの魔法学園において平民のカナリオには頼れる友達というものはできない。
けれど、今回に関しては違う。
彼女は私と親しくしているし、マリノーともライバルにならずただの友達だ。
心の拠り所があるのである。
ムルシエラ先輩と仲がいいのも、マリノー経由で知り合ったからだ。
ゲームと違って、この世界のカナリオには心強い味方がいる。
それにアードラーはもうカナリオにちょっかいを出さないので、心を折られる事がないからね。
だから、今回は乗り気なんじゃないだろうか。
そうだとしてもどうせ、展開が早くなるだけだ。
私が彼女のお願いを別に断る理由もないだろう。
むしろ、王子と仲良くなってくれるなら、私は安心できる。
のだが……。
懸念が一つある。
アードラーを裏切っている気がして、心が苦しいのだ。
今回のイベントは、王子のイベントの中では一番重要な物だ。
このイベントが、カナリオの今後を決めてしまうと言っても過言ではない。
それは、アードラーとて同じ事だ。
何故ならそのイベントは、カナリオが巫女の血筋の者であると判明するイベントだからだ。
王城の中枢。
そこへ到るには一つの門を潜らなければならない。
その門を通る以外に、中枢へと入れない造りになっているのだ。
そしてその門には、大きな鐘がかかっている。
女神の鐘と呼ばれる物だ。
女神の鐘はマジックアイテムであり、特定の人物が門を通ると自動で鳴り響くようになっていた。
その特定の人物というのが、巫女の血筋の者なのだ。
カナリオは女神の鐘を鳴らす事で、自分の血筋を明らかにするのである。
いわばここは、シナリオ最大の分岐点だ。
そして、その分岐の鍵は今、私が握っている。
私が彼女についていくと言えば、彼女は王子と釣り合う血筋の者だと証明される。
私は今、二人の人間の運命を握っているのだ。
カナリオが王子とくっつくのは望むところだ。
今までだってそうなるよう行動してきた。
でも、いざその間際になってしまえば……。
私は選びたくないと思ってしまった。
アードラーは大事だし、カナリオの気持ちだって私にはわかるのだ。
ゲームのカナリオは、プレイヤーの分身。
私は彼女としてこの世界を体験してきたのだ。
だから、彼女がどれだけ王子の事を好きか、よく知っていた。
選ぶ事はできない。
正直、勘弁して欲しい。
今までも人の運命を変えるような事はしてきたが、それだってしたくてしたわけじゃない。
まして自分が行動して確実に運命を変えてしまう事がわかっているのに、選択を下せるわけがない。
「先輩についていってもらえば良いだろう?」
選択を放棄したくて、私は先輩の名を出す。
「そう思っていたのですけれど、用事があるようなので……」
「すみませんね」
先輩が謝る。
「私としても、カナリオさんの力になりたいのですけれど……。あとクロエさん、何で態度を使い分けているのですか? かなり珍妙ですよ」
「ケジメです」
こっちにも事情があるんです、先輩。
「しかし貴様、前は平然と王城へ行っていたではないか」
舞踏会の時だ。
王子様に招待されて行ったじゃないか。
「あの時は、たくさんの人が王城に来ていたじゃないですか。あの時とは違いますよ」
みんなで行けば怖くない、という心理だろうか。
「お願いします、クロエ様」
縋る様な目で懇願される。
私は一度目をそらした。
やっぱりダメだ。
「悪いが。断る」
「そう……ですか……」
カナリオはしょんぼりとうな垂れる。
アードラーはもう、カナリオをイジメていない。
だから、断罪される事はないはずだ。
けれど、婚約の解消はされるだろう。
それは、彼女の恋心をズタズタに引き裂く事だ。
身勝手だが、私はそのきっかけになりたくなかった。
「これは自分で決める事だ。人に頼らずな。王子が求めているのは、貴様の気持ちだろうからな」
私は心にもない事を言った。
自分を正当化するための適当な言葉だ。
その実体は、ただの責任放棄である。
「……そうですね。これは私の気持ちの問題。こうして、人に頼るような事じゃないのかもしれませんね」
なのに、カナリオは晴れやかな表情で答えた。
どうせ私が何もしなくても、カナリオはいずれ自分の血筋を証明する。
だから、別にこうして突き放しても構わないはずだ。
アードラーのためにはここできっぱりとカナリオに諦めさせるべきだったんだろう。
けど、私はカナリオに恋を諦めさせたくなかった。
それに、彼女の行く末は私の命にも関わる。
私はまだ、死にたくなかった。
私はこうして、自分の心の弱さから判断を放棄した。
数日後、カナリオが巫女の家系である事が学園に広く知れ渡った。




