六十二話 恐怖をもたらす者
少し修正しました。
誤字の指摘、ありがとうございます。
誤字報告ありがとうございます。
修正致しました。
隣国サハスラータは、海に面した国である。
まるで海岸を沿っていくように、その国土は広がっている。
サハスラータの王都もまた海に面しており、広くしっかりと整備された港には大陸の各国は勿論、大陸外海を越えた先からの交易船も訪れるという。
そうした理由から、このサハスラータは大陸において最も多彩な品々の集まる地として有名だった。
そしてこの国の現国王は、かつて私達の国であるアールネスへ攻め入った過去を持っている。
当時第二王子だった彼はアールネスの奥地まで攻め入り、アールネスを滅亡に追い込もうとしていた。
だが、そんな時ある一人の若者によって追い払われる。
いや、追い払われるという言葉は生ぬるい。
若者は逃げる第二王子をとことんまで追い続け、追い込み、追い詰め、国境付近まで追い返してしまったのだ。
「ふふふ、まさか私がこの道を行くとは夢にも思うまい。奴らも見つけられないはずだ」
ジャーンジャーン!
「王子! 敵襲です! あの旗は……ビッテンフェルトです!」
「げぇっ ビッテンフェルト!」
という感じだったのだろうか。
その時の事が余程恐ろしかったらしく、王は今でもビッテンフェルトを恐れている。
しかもその恐怖体験は民達の間にも広く知れ渡っているとの話だ。
何でも、悪さをする子供を叱りつける時に「そんな悪い事をしていると、ビッテンフェルトが来るわよ!」という文句が多用されているという。
ビッテンフェルト来々である。
でもまぁ、それも誇張があるだろう。
来々の元になった孫権、武田信玄や真田を過剰に恐れた徳川家康など、戦場での恐怖を引き摺った例もあるが、それでもそこまで過剰な物ではなかったはずだ。
まして本人でなく、小娘一人が来た所で恐れられる事もあるまい。
なんて思っていた時期が私にもありました。
国境を越えて隣国に入った時からそうだったのだが、馬車を見て露骨に怯えている国民の姿が目に付くようになった。
私達は三台の馬車と護衛の騎士達によって構成された一団で、隣国へ赴いた。
先頭は私、アルディリア、カナリオ、ムルシエラ先輩の乗った馬車。二台目は、アードラーとリオン王子が乗った豪華な馬車。三台目は外交交渉の使節団が乗った馬車である。
小規模に限定された護衛の騎士達は、真ん中を走るアードラーと王子の馬車を重点的に守るように併走していた。
前後を馬車で、側面を騎士で囲い、中央を守る陣形。
いわゆるインペリアルクロスである。
最初、その物々しい陣形に威圧されての事かと思ったが、どう見ても怯える民達は先頭の馬車、私達の乗った馬車を凝視していた。
馬車には乗っている人間を示す、家紋をあしらった旗が立てられている。
それを見て怯えているようだ。
ここまで来ると察してしまう。
恐れられているのはビッテンフェルト家だ。
国の奥地へ向かうにつれて、民達の怯えぶりは増していき、王都の近辺までくるとその場で漏らしてくしゃくしゃに泣き喚く子供の姿を目にする事となった。
その後、母親が子供を庇うようにしながら抱き上げて一目散に逃げていった。
そんな怖がらんでもええがな。
「何だか、すっごく怖がられてるね」
アルディリアが窓から外を覗いて言う。
「そうだね」
王様の話が民達にも伝わっているからだろう。
どういう風に伝わっているのか、とても興味がある。
きっと、妖怪や化け物みたいなノリで扱われている事だろう。
首置いてけ〜。
「どうしてこんなに怖がられているんですか?」
カナリオが首を傾げて訊ねてくる。
娘の私でも最近まで知らなかった事だからね。平民出身のカナリオは知らないよね。
「彼女の父上、ビッテンフェルト卿はアールネスに攻めてきたこの国の王を追い払った事があるのですが、その時の事が原因でビッテンフェルト卿を恐れているのですよ」
ムルシエラ先輩が簡単に説明する。
「そうなんですか。でも王様が怖がるのはわかりますけど、どうして民達まで怯えているのですか?」
「普段は聡明な王らしいのですが、ビッテンフェルトの名前を聞くと別人の如く取り乱すそうです。その豹変ぶりが民にも伝わっているらしいので、恐れが伝播しているのではないか、と」
そうなのか。
民達にとって国王は国で一番偉い人間。
自分達の命を好きなように扱える恐怖の対象でもある。
そんな恐ろしい人間がさらに恐れる人間がいるのだ。
それは恐ろしいはずだ。
それにしても、今頃アードラーはどうしているだろうか?
アードラーは馬車に乗る際、私達の馬車に乗りたがった。
最近、王子との関係もギクシャクしているし、あまり一緒にいたくなかったのかもしれない。
王子もカナリオと同乗したがっていたのだが、流石にそれはまずいと止められてしまったのだ。
外聞が悪いとの事だ。
一応、カナリオは王子付きのメイドという立場で来ているらしいのだ。
婚約者のアードラーを差し置いて二人きりで馬車に乗るわけにいかない。
アードラーと王子は、二人とも大変名残惜しそうにしながら二台目の馬車に乗せられた。
その際に王子と公爵家令嬢から詰め寄られ、辟易しながらも必死に説得する騎士がなんとも可哀想だった。
そうして今の形に収まった。
この組み合わせなら、一応体裁が取れているだろう。
時間は昼過ぎ。
私達の乗った馬車が、サハスラータの王都に到着する。
そこまで来ると、民達の怯えは極地に達していた。
畏怖の表情を張り付けた国民達の顔がよく見える。
少しばかり居心地の悪い国民達の視線にさらされながら、王城へ辿り着く。
そして城内へ案内されたのだが。
兵士達の私に対する警戒が尋常ではなかった。
私はアールネス勢の最後尾を歩かされる事になった。
そして、フルプレートを標準装備し、槍を装備した一団を一層、弓を装備した一団を二層とした構造の部隊に私は囲まれながら移動する事になったのである。
それを指揮する指揮官の顔には、常に緊張感が張り付いていた。
頭を掻こうとするだけでも弓矢が飛んできそうな雰囲気だ。
それに比べて、前を行く他の同行者の無警戒な事よ。
前の人が何かしても君達気付かんだろう。
そうして来賓のための待合室へ通された。
今回、王子が呼ばれた行事は舞踏会である。
その前に王子と婚約者のアードラー、そして使節団を率いるムルシエラ先輩が、国王への挨拶をするのだが。
それらが済むまでの時間、私とアルディリアとカナリオの三人はこの部屋で待つ事になっていた。
そして今は、王への謁見時間を待ってまだ全員が揃っている状態だった。
待つ間、お茶と茶菓子が供された。
メイドが部屋にいる人々へそれらを丁寧に運んでいったのだが……。
私の所へ運ぶ際、メイドの様子が明らかにおかしくなった。
「ど、ど、ど、どうぞ、お召し上がりくだ、ください」
メイドは、言葉もお茶を持つ手も震えていた。
そして、手を滑らせて茶を零した。
テーブル前のソファーに座っていた私の足にお茶がかかる。
パンツが濡れた。
途端、メイドの目からゴバッと涙が溢れ出す。
腰を抜かして尻餅を着くと、私から離れるようと足掻く。
「ご、ごべんなざい! ご、ごろざないでぇっ!!」
……殺さないよ。
思っていた危険とかはないけれど……。
なんかもう、帰りたくなってきたよ……。
「謂れのない理由でこうも恐れられるとは……。そなたも大変だな。気を落とすのではないぞ」
王子から、心底同情した声で慰められた。