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四十三話 ミステリアス・イノス

 アードラーと廊下を歩いている時だ。


「でさぁ、今ちょっと色々な必殺技を試しているんだけど」

「へぇ、そう」

「今日の鍛錬の時に見てくれないかな?」

「構わないわ」

「あと、アルディリアに形意拳でも教えてみようと思うんだけど。

 あ、形意拳っていうのは、いろんな動物の真似をした型の事ね。

 私も見よう見真似なんだけど、極めればトリケラトプスとかティラノサウルスにもなれる凄い型なんだ。

 動物好きのアルディリアにぴったりだと思うんだけど、どうかな?」

「いいんじゃないかしら」

「……ねぇアードラー。私のへそと会話するのやめてくれない?」


 さっきから、アードラーは私の目を見ずにむき出しになったへそばかり見続けている。

 返事も生返事だ。


「失礼ね。言いがかりはよしてくれないかしら?」


 逆に毅然とした態度でしらばっくれられた。


「そう……」


 あまりにも毅然としていたので、私はそれ以上追及できなかった。

 でも、見られていたのは間違いない。

 武芸者として相手の「目付け」には注意を払うくせがあるから、アードラーがどこを見てたのかはちゃんと察知していた。


 気になるのはわかるけど、あんまりジロジロ見るな。

 恥ずかしい。


 そんな時だ。

 前方から視線を感じた。

 アードラーから視線を外し、前を見る。

 すると、ある人物が私を見据えながらこちらへ歩いてきていた。

 その人物は、杖をついている。

 イノス先輩である。


「ピグマール家の令嬢ね。何か用があるのかしら?」

「どうだろう」


 互いに歩み寄り、先輩が少し前で立ち止まったので私も立ち止まった。


「何か御用ですか?」

「ルクス様の事で侘びを入れておこうと思いまして。ここ最近、迷惑をかけているようなので……」


 先輩は私に頭を下げた。

 顔を上げ、私に向き直る。


「あなたが頭を下げるのですか?」

「はい。それが務めであると思っております」


 ちょっと気に入らないかな……。

 イノス先輩じゃなくて、先輩に頭を下げさせるルクスが。


「ルクスが謝って来いと言ったんですか?」

「いいえ。あの方は何も存じてはおりません」

「そうですか」


 やっぱり気に入らない。


「じゃあ、まだこれからも突っかかってくる事には変わりないという事ですね」

「言い聞かせてはおります。が、私の言う事をあの方は聞いてくださらないので……。力が足りず申し訳ありません」

「ふぅん……。じゃあ、次に来た時は少し手痛く反撃するかもしれませんがよろしいですか? 流石に少し、鬱陶しくなってきているので」


 言って、私は先輩の様子をうかがう。

 少しは焦ったり怒ったりするかと思っての事だ。

 特に何も変化は無い。

 先ほどと同じ表情で、静かに佇んでいるだけだ。


「ある程度なら、致し方ありません」


 答える声にも乱れは無い。


「ただ、程度を超えるようでしたら、覚悟はしていただきますが」


 わかりやすい警告だが、やはりその声にも感情は含まれていなかった。

 本当に、責務としてルクスへ当たっているという事なのだろうか?


 ゲームでの彼女と今の彼女からは、まったく同じ印象を受ける。

 話す言葉は淡々とし、基本的に抑揚はない。

 感情的になった事など、ゲーム中でも一度だけだろう。


 彼女は代々、アルマール家に仕える家系の人間である。

 だから婚約を解消された今でも、ルクスのそばにいて、彼に仕えている。

 正直、ルクスの事もどう思っているのかよくわからない。

 大事にしているのはよくわかるのだが、それが自分の感情からなのか責務からなのかはよくわからない。

 彼女がゲームでライバルになる経緯は、主人公に対して「元は婚約者。これでも憎からず想っている。だから、あなたに彼を渡すわけにはいかない」と告げた事が発端となっている。

 その言葉が本心なのかはわからない。


 ただ、他の令嬢に対してそんな事は言わないので、平民の女性とルクスが恋に落ちるという醜聞を警戒しての事だったのかもしれない。

 そう思うと、私がゲーム中で懐いたアードラーの人物像と似ている。

 実際のアードラーはただのありふれたツンデレだったけど。

 だから、本当に彼女の本心はわからない。

 わからない事だらけの人物だ。

 ミステリアスガールである。


「では、これで……。また、お詫びにうかがうかもしれません」


 そう言って、背を向ける先輩。

 が、その時彼女は躓いて膝を折った。

 その拍子に杖を取り落とす。


 私はその杖を拾い、先輩に手渡した。


「大丈夫ですか?」

「ええ。恥ずかしい所を見せてしまいました。手をお借りしても?」


 私は手を差し出す。

 先輩がその手を取った。

 瞬間――


「!?」


 手首を捻り、引かれた。

 そのまま引き倒されそうになる。


 今度はこの前とは違い、逃げられそうになかった。


 なので、私は先輩の足元を蹴り払った。

 体勢を崩した隙に掴みから脱出する。

 障害のある足を攻撃するのには抵抗があったが、こうしなければ逃げられなかった。


「無礼者っ!」


 アードラーが叫び、先輩へ向かっていく。

 手刀を放つアードラー。

 しかし、先輩はその手を逆に掴み、後ろ手に拘束した。


「あががががっ!」

「無礼は謝ります。落ち着いてください」


 痛みに悲鳴を上げるアードラーへ、静かな口調で先輩が告げる。


「それ以上いけない」

「わかっています」


 私が言うと、先輩はすぐに拘束を解いた。

 涙目のアードラーが先輩を睨みながら、私の方のそばへ来る。


「申し訳ありません。……しかしあれならば、不意をつけると思ったのですけどね……」


 何やら思案深げに先輩は言う。


「どうして、こんな事をするのですか?」

「あなたがあまりにも強いからです」


 先輩は短く答えると、杖を拾った。

 今度こそ踵を返し、去って行った。


 本当に何なんだろうか?

 よくわからない人だ。

 先輩といい、ルクスといい、本当に何が目的なのかわからない。

 ミステリアスにも程がある。


「アードラー、腕大丈夫?」

「大丈夫よ。これくらい」

「ならよかった。……それにしても、アードラーを見ていたら、ハンバーグが食べたくなったよ」

「何故?」


 まぁわからないよね。

 あーいかんなあ…こんな…いかん いかん。

 かつて、父があのスタンドアローンなグルメ漫画を読み、焼肉の話で今日は焼肉を食べようと決心したらしいのですが、主人公があまりにも食べ過ぎているのを見てやっぱりいらないとなったらしい。

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