二十五話 恨みよりも強いもの
誤字報告、ありがとうございます。
修正致しました。
そこは郊外にある廃墟と化した教会だった。
ここへ来るのは何年ぶりだろうか。
あれは学生時代の事だ。
とても古い……昔の事だ。
ここには、良い物と悪い物。
二つの思い出がある。
良い思い出は、俺がイノスへ自分の気持ちを伝えたというもの。
悪い思い出は、イノスがここで人質になっていたというものだ。
そして今、その悪い方の思い出が、さながらあの日を再現するかのように。
同じ形を取って、俺の前に現れようとしていた。
教会の中へ足を踏み入れる。
建物の奥へ進み、礼拝堂へと至った。
扉を開けると、椅子に鎖で縛られたイノスの姿があった。
口には布を噛まされている。
しかし意識はあるようだ。
その目は俺を捉えている。
だが、喜んではいられなかった。
その隣にはあの男が立っている。
「待ったぞ」
男が言う。
声が弾んでいる。
口元は布で隠されているが、きっとそこには笑みが作られているのだろう。
これから報復を果たせるという期待。
それがこの男の心へと愉悦を満たしている。
「すぐに飛んできたんだがな? お前をぶっ飛ばしたくてよ」
「ふっ、違うさ。そんな短い時間じゃない」
俺が言うと、男は笑う。
「待ったのは、あの日お前に捕らえられ、お前達へ報復できるこの日が来るまでの間だ。長かったよ」
男はイノスの前へ立ち塞がるように移動した。
「あの時と同じだな」
「何?」
「この女を人質に取り、お前が助けに来た。その後、クロエ・ビッテンフェルトの奇襲を受けて俺は捕らえられた。今回は、あの時のようにいかんだろうがな」
あの時の事か。
「きっとあいつは今頃、王城の方へ行っている。王と国衛院の一隊長でしかないお前では、比べるべくもないからな。しかし、あいつが行った所で勝てまい。あそこには、全てのタイプビッテンフェルトが集まっているのだから」
「そんな事は期待してねぇよ。お前は俺が倒す。恨みを抱いていたのが、お前だけだと思うなよ?」
俺は奴を睨みつける。
俺は奴を今でも憎いと思っている。
イノスを傷つけ、二度と杖なしでは歩けない体にしたこの男を憎んでいる。
あの時、捕らえられたとしても、それでも俺のこの気持ちは消える事がなかった。
「俺達は両想いだったわけだ」
奴はからかうように笑った。
「ちっ……くそが」
「だが、お前の恨みよりも俺の恨みの方が深く強い……。捕らえられた俺は、連日拷問を受けた。それは酷いものだったよ。何せ、逃れる手段がない。情報を得るためのものじゃなかったからな」
「どういう事だ?」
「お前の親父の手腕はたいしたものだ。たったの三日で心が折れた。だが、地獄はそれから先にあった。情報を引き出し尽くされてもなお、拷問は続いた。俺からは何の情報も出てこないと知りながら、あの男は俺を痛めつけた。あれは情報を引き出すための俺を甚振るためのものだった。私怨でもあったのかもな」
イノスの事だろう。
イノスの足の怪我はこいつが起こした事件のせいだ。
その報復のために、親父は拷問を続けたのかもしれない。
「だからこれは、お前とこの女だけでなく、お前の親父への復讐でもある。
自分の息子夫婦が老い先短い自分よりも先に早く息絶える。
これほど辛い事もないだろう。
未来が途絶える事と同じだ。だからあいつだけは殺さないんだ。
生きて苦しんでもらう。
ああ、もちろんお前の娘もちゃんと殺してやる。
その方が絶望は深いからな」
「テメェ!」
「ふふ」
男は、イノスのそばへ寄り、その顎を強く掴んだ。
「おい!」
俺は思わず怒鳴った。
「ふふ、怖い顔だな。そう緊張するな。今はどうもしない。むしろ、直接手を出す事は無いと保障しよう。少なくとも、お前が無事である限りは」
「なんだと? どういうつもりだ?」
男は答えず、こちらへ迫った。
一瞬で距離を詰められる。
くっ、タイプビッテンフェルトの力か……。
殴りかかられ、防御する。
が、防ぎ切る事はできなかった。
そのまま殴り倒される。
倒れた俺を男は見下ろした。
「お前には直接的な苦しみをくれてやる。
俺はお前の苦しむ姿が見たい。
まずはお前の体を痛めつける。
完膚なきまでに叩き潰してやる。
お前の愛しい女を殺すのはその後だ。
それまでは手を出さない。
自分の無力が原因で愛する人間が命を奪われる。
その絶望感を味合わせてやりたいからなぁ」
言って、男は倒れる俺の腹を蹴り上げた。
「ぐあっ」
男はそれ以上追撃せず、俺から離れた。
「さぁ、仕切りなおしだ」
「テメェ……! 嘗めやがって!」
立ち上がり、睨み返す。
「じっくりとやろう。少しずつ……少しずつ……折っていってやるよ。お前の心を……。ふふふふふ」
胸糞の悪い奴だ。
俺は構えを取った。
国衛院の捕縛術と軍用闘技を合わせた俺のオリジナルの構えだ。
「俺の心は折れねぇよ。逆に折ってやるよ、お前の心をな!」
俺は男へ向けて走った。
拳と蹴りのコンビネーションを叩き込む。
しかし、男はそれらを難なく捌く。
反撃は来ない。
遊んでいるのだろう。
と思えば、急に反撃が来た。
脇腹を殴られる。
が、そこからの追撃は無い。
「ふふふ」
やはり遊んでいる。
少しずつ、長く、甚振って俺を苦しめるつもりなんだ。
そうは行くかよ!
再び、コンビネーションを仕掛ける。
難なく捌かれ、そして反撃が来る。
ローキックだ。
その反撃に合わせ、俺は飛び上がった。
「!」
男が虚を衝かれて驚く。
その顔を狙って蹴りを放った。
が、横っ面を蹴ろうとした足が、相手の手に止められた。
掌底が腹を叩く。
迎撃された俺は床に倒れ、痛みにもがく。
「退屈だな。話の続きでもしようか……」
男は俺を見下ろしながら告げる。
話し始めた。
「明けない夜はなく、止まない雨は無い。俺の地獄は終わりの日を迎え、国へ帰る事が叶った。しかしながら、俺にはもう居場所がなかった。顔が割れ、なおかつ目立つ印をつけられた細作ほど無用なものはない」
言いながら、男は口を隠す布を剥がした。
右目がなく、唇もない。
そんな者は否応なく目立ってしまう。
細作の任務には向かないだろう。
「だから俺は不要とされた。役立たずと罵られた。国のために何年も他国へ潜入し、全力で仕えた俺を奴らは捨てたんだ。この憤りがわかるか? 惨めさがわかるか?」
訊ね、男はまた俺の腹を蹴り上げる。
「わかるというなら、当然の事だと理解できるだろう。その気持ちのぶつけ所を探し、復讐を果たそうと考えるのは、な」
俺は痛みに耐えつつ、立ち上がる。
無言で、構えを取った。
「いいぞ。その目。怒りに満ちている。それが絶望に変化する時が楽しみだ」
「折れねぇって言ってるだろうが!」
殴りかかる。
反撃に殴り返された。
それから、俺と男の攻防は続いた。
いや、攻防と呼ぶのもおこがましい。
一方的な蹂躙劇だった。
攻撃を仕掛け、いとも容易く防がれ、殴り返される。
その繰り返した。
何度も倒れ、何度も殴りかかり、そんな展開が続く。
絶対に勝てないだろう事は既に悟っていた。
それでも俺の心は折れなかった。
イノスを助けるまで、俺は……。
「なるほど。お前の勝ちだ」
男が不意に言う。
「お前の心は、痛みに屈しなかった」
そして、右手をこちらへかざした。
その瞬間、その右手の手首から何かが放たれる。
「ぐっ」
次の瞬間、足に痛みが走った。
その途端、足から力が抜けた。
思わず、膝を折る。
「驚いたかな。毒矢を仕込んでおいたんだ」
言いながら、男は装甲の手首につけられた取っ手を引っ張った。
「この取っ手を引く事で装填され、魔力糸を介して左手の平に繋げたスイッチを押す事で発射される。安心しろ。その毒は致死性じゃない。ただ、体の自由が利かなくなる程度のものだ。だが、それでいい」
確かに、体が段々と重くなっていく感覚がある。
それでも無理に立ち上がろうとするが、倒れてしまう。
「そして、これだ」
男は礼拝堂を移動して、壁に設置されていたスイッチを指した。
「なんだと思う? 実は、この教会の至る所には起爆式を設置されていてな。これを押すと十分後に爆発する仕組みとなっているんだ」
言って、男はスイッチを押した。
「おっと、大変だ。押してしまったな。あと十分で、ここは消えてなくなるぞ。ふふふ」
そう言いながら、男は俺の横を通り過ぎながら言う。
「誠に残念な事だよ。
意識がありながら逃げる事もできず、愛する者を見殺しにするしかできない。
そんな絶望を十分間も味わったお前の顔を見る事ができなくて。
本当に残念だ。
俺が望んだ物を最後まで見せなかったという点では、お前の勝ちだな。
負けてしまったのはとても悔しい。
だが、まぁいい。
恨みがあるのはアルマール家の者だけじゃない。
次はクロエ・ビッテンフェルトだ。
誰を人質にしてやろうか。
ふふふふふ」
男が、入り口へ歩いていく。
「待てよ」
俺は呼び止める。
男が振り返った。
「ほう、まだ動けるか?」
俺は立ち上がっていた。
「まだ、終わりじゃねぇ!」
「なるほど。お前もまた、復讐者だ。気持ちに衝き動かされたか」
「ああ。……でもな、今俺を衝き動かしてるのはそんなもんじゃねぇんだよ!」
「なら、何だ? 恨みよりも強い感情があるとでも?」
「あるとも。それは、愛だ!」
俺は男へ向かっていった。
「無駄だと、わかっているだろう?」
俺は男に殴りかかる。
男はそれを避け、反撃の右拳を放つ。
俺はその手を取った。
同時に、左手も掴む。
「何?」
国衛院の捕縛術には、ナイフを持った相手への対処法がある。
ナイフを持った手を取り、そして相手の肩口へそれを押し付ける技だ。
右手の平を肩口に押し付けさせる形で捕縛した。
右手首にあった毒矢の射出口が、肩口へ向けられた。
その場所は複数のプレートの継ぎ目となっていた。
「発射は左手だったな」
「やめろ!」
男の絶叫を耳に、左手のスイッチを押した。
矢が発射され、継ぎ目へと刺さる。
「がっ! ぐっ!」
よかった。
ちゃんと、矢が肉へ届いたようだ……。
手を放すと、男は数歩後退して仰向けに倒れた。
それを見届けると、俺にも限界が来た。
うつ伏せに倒れる。
体が、重い……。
張っていた気が緩んで、今度こそ本当に体が動かない。
でも、まだ倒れてられない。
再び、気を張る。
匍匐で、イノスの元へ向かう。
時間をかけてなんとか辿り着き、拘束を解こうと試みる。
「くそ……。鎖に鍵がかかってやがる……」
解く事はできそうになかった。
鍵は男が持っているだろうが、そこまで戻る力もない。
男を見ると、なんとか逃げようと体をもがかせていた。
「くそっ! 俺は、こんな所で終わるのか! くそぉぉぉっ!」
男は怒鳴り、体の動きを止めた。
心が折れたのは、やっぱりお前の方だったな。
イノスの口から、布を外す。
これが今の俺にできる精一杯だ。
イノスの座る椅子へもたれかかる。
「旦那様……」
「すまねぇな。イノス。俺は、お前を助けられそうにない」
「いえ、構いません。……一緒に、居てくださるのでしょう?」
「ああ。そうだ。そんな事しか、してやれない」
「十分です」
言葉が途切れる。
「あの子を残していく事が気がかりですね」
イノスは呟く。
エミユの事だ。
「そうだな。……でも、親父がいる。それに、あいつも……」
「クロエさんですか?」
「ああ。無責任だけど、俺はあいつならなんとかしてくれると思うんだ。あいつなら、エミユをまっすぐに育ててくれる。たとえ、歪みそうになっても、きっと良い人間に育て上げてくれる。そう思えるんだ」
「あの人が気にかけてくださるなら、寂しくは無いでしょうね」
「間違いないな」
また沈黙が訪れる。
「そろそろでしょうかね」
「かもな」
「……手を、握っていてくださいますか?」
「俺も、そうしたいと思っていたんだ」
首を巡らせてイノスの顔を見る。
イノスも、俺を見ていた。
イノスの手を握る。
「愛しています。旦那様」
「俺もだ」
じゃあ、後は頼んだぜ。
クロエ……。
…………
……………………
…………………………………
その時だった。
沈黙が壊れた。
礼拝堂の上から、ガラスを突き破るような音がした。
見上げると、黒い何かが翼を広げて下りてくる所だった。
黒い何かが着地する。
それは黒い鎧を着た人間だった。
こいつは、まさか……。
「お前は……煉獄よりもなお深い闇に導かれし冥界の王子!」
「誰だよ!」
その人物に怒鳴り返された。
「旦那様。漆黒の闇に囚われし黒の貴公子です」
え?
そう言ったろ?
「ふざけている場合じゃない。ここから逃げる」
「ここには起爆式が仕掛けられています」
「わかってる」
イノスの言葉に、闇の伝道師が答える。
闇の王子だったっけ?
「把握している」
答えながら、幻影の導き手はイノスの鎖に手をかけた。
力任せに引き千切る。
次に、手から黒いロープを伸ばしてタイプビッテンフェルトを着た男を引き寄せた。
肩へ担ぐ。
助けるつもりか?
……国衛院としては正しい判断か。
胸糞は悪いけどな。
「旦那様も体の自由が利きません。担いでください」
「じゃあ、あなたには私の首に腕を回してしがみ付いてもらう」
「わかりました」
深淵の魔王は俺を担ぎ上げた。
イノスが奴の首に腕を回してしがみつく。
他の男に妻が抱きついているのは腹立たしいが、今は我慢するしかないな。
そして、夜空を支配する者は三人を抱えたまま壁へ向けて跳んだ。
一度壁を蹴ってさらに跳び上がり、入って来たステンドグラスの窓から外へ飛び出した。
マントが空気を受け止め、空を進む。
こうして、俺達は脱出する事ができた。
教会から出てから少しして、教会が派手に爆発。
窓が全て割れ、建物が倒壊した。
運命「ワシの教会が!」
復讐者がびっくりするくらいあっさり負けたのは、某ゲームでラスボスを張りながらまともに戦う事無く負けたヴィランをイメージしての事です。