二十三話 ビッテンフェルト流精神医療
指摘を受けて、もっともだと思ってしまった著者は、なんとかできないかと考えを絞り出した。
しかし、投稿しようとするとPCが壊れていた。なんとも言えない気分になりました。
アルエットちゃんに対する対処法が失敗した事で、私はマリノーの体質改善をする方向で対策を練る事にした。
とはいえ、アルエットちゃんに対する方法もまた今後のマリノーの恋の行方に関わってくるかもしれないと判断し、継続して徐々に進めていく予定である。
そして、肝心のマリノーの体質改善方法だが、私にはまったく思い浮かばなかった。
私の前世はただのゲーマー。両親と弟妹を家族構成に持つただの女子高生。
ゲームセンターで勝利しても、台パンされて逃げてしまうか弱い乙女だった。
かといって勉学を得手としているわけでもなく、知に富んでいるわけでもない。
医学書など一ページとて捲った事はなく、精神性の疾患に煩わされた事もない。
正直、何をすれば彼女の体質を改善できるかなど、皆目検討もつかなかった。
そんな時だ。
どうすればいいのか、とベッドに横たわって頭を悩ませ、そのまま眠ってしまった日の事。
私は幼い頃の夢を見て、ある方法を思いついた。
そして私は、その方法を試すためにマリノーを校舎裏へ呼び出したのである。
「クロエさん。お待たせしました」
「いや、私も今来た所だよ」
「そうですか、ならよかった」
できれば、こういうやりとりは恋人同士でやりたいな。
今度、アルディリアとやってみようかな。
恋人じゃないけど。
「それで、何の御用でしょうか? もしかして、例の?」
「まぁ、そうだよ。例の件だ。その事について言っておきたい事があるんだ」
マリノーが表情を険しくした。
「もしかして、断るなんて話じゃないでしょうね?」
「そんな事は言わないけれど、結果的にはそうなるかもしれないね」
「どういう事です? 今更約束を破るのですか?」
マリノーが胸元に手をやった。すると、キッチンナイフの柄がちらりとのぞいた。
どうやら、鞘に納められたキッチンナイフを谷間に挟んでいるらしい。
あらセクシー。
と、それは今いい。
「それは返答次第だよ。ただ、私からも協力するにあたって約束して欲しい事があるんだ」
「何でしょう?」
「これから先、もし先生の事で誰かが邪魔になっても、相手を刺すような事はしないでほしい」
「それは……」
マリノーの歯切れは悪い。
いや、そこは躊躇う所じゃないよ。
でも、私の言っている事は、先生が他の相手を好きになっても素直に諦めろという事と同じだ。
彼女はそこが気にかかっているんだろう。
「実の所、私としてはアルエットちゃんの事が心配なんだよ。もしもアルエットちゃんが、マリノーと先生の邪魔になった時、アルエットちゃんの身に危険があると嫌なんだ」
「見損なわないでください。私が、あの子を傷つけるなんて事あるはずないじゃないですか!」
彼女が迷わずそう言ってくれて、ちょっとだけ安心した。
でも、その時になって彼女がどんな事をするかわからないからね。
「うん、だったらいいんだ。でも、言葉だけじゃちょっと信用できないからね」
言いながら、私はマリノーの襟を掴んだ。
そのまま引いて、校舎の壁に軽く押し付ける。
「な、何を?」
答えずに、彼女の顔の横を左拳で殴りつけた。
ビッテンフェルト流の壁ドンである。
小さな穴が壁に空く。
マリノーは恐る恐るそれを見て、空いた穴に驚いた。
「一応、こっちは利き手じゃないんだよ。それでさぁ、マリノーは私と先生が愛し合っているかもしれないのが嫌だったわけじゃない? で、私はあの親子が不幸になるのが嫌なわけ。わかるよね?」
「え、ええ」
「で、マリノーの場合は嫌な事をされた時に取った手段が私を殺す事だったじゃない? だからさ、私は教えておこうと思ったんだよ。私の場合、嫌な事をされたらどんな手段を取るのかって事をさぁ……」
私はマリノーの胸ぐらを左手で掴み直し、右拳を振り上げた。
右拳に力を込めた。
昔の話。
私がまだ前世の記憶を取り戻す前の話だ。
「よいか、クロエ。痛みという物は、人に恐怖を植え付ける。それがどんなものであれ、痛みを与えた何かを人は恐怖するようになるのだ」
「はい、ちちうえ!」
「故に、痛みを日常とする武人は、その恐ろしさを克服せねばならぬ。良いな」
「はい、ちちうえ!」
「これから行うのは、そのための修行だ」
「はい、ちちうえ!」
というやり取りの後、私は父上から顔面を強打された。
十分な殺気を乗せた容赦の無い一撃に、私は痛みと共に気を失った。
思えば、その時の父上は手加減したのだろう。
でなければ、あの頃の私の頭など簡単に吹き飛んでいた。
でも、当時の私にとってそれは、間違いなく私を殺そうとした本気の一撃に感じられた。
それ以来、私は拳に対して恐怖を懐くようになった。
拳を見ると恐怖に震え、体が萎縮してしまうようになった。
けれど、鍛錬でそうなると父上は「たわけ!」と怒鳴って私を容赦なく殴る。
どれだけ怯えていようと、何度も何度も殴ってくる。
そして幼い私は「怯えようが怯えまいが、痛い物は痛い」という真理に辿り着いた。
それ以来、私は痛みに対して恐怖を懐かなくなった。
だから、マリノーから刺されそうになっても冷静に対処できたわけである。
と、教育熱心なパパの話はこの際置いておくとして、注目すべきは恐怖によって行動が抑制される点にある。
なので、マリノーが事に及ぼうとした際、それを抑制するために恐怖の記憶を植えつけてしまおうと思ったわけである。
「う、嘘ですよね?」
「さぁねぇ、でも、マリノーが約束を破った時に、そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる事だけは確かだよ。こういう風に、ね」
私は一度右腕をムキッと躍動させてから、マリノーに拳を振るった。
「や、やめ――」
残念ながら私には、父上のように殺す気もないのに殺気を出す事なんてできない。
だから本気で、殺す気の拳を振るった。
拳が風を鳴かせ、マリノーの顔面へ迫る。
鼻先に拳が触れる寸前、私は拳を止めた。
拳によって発生した風圧が、マリノーの前髪を撫で、かすかに浮き上がらせた。
私は器用に殺気をコントロールできない。
なので、私は本気の殺す気で殴った。
拳の風圧だけでマリノーの顔をフッ飛ばすつもりで、殴りつけたわけだ。
残念ながら、どんなに頑張ってもそんな事はできない。
物理法則から考えて無理。
魔力を上手く使えばできるかもしれないけれど。
マリノーを掴む手に、彼女の全体重がかかる。
気付けばマリノーは、目を開けたまま気を失っていた。
目には涙が滲み、口からは涎が垂れていた。
よっぽど怖かったんだろう。
見ているだけで可哀想になる有様だ。
でも、私だって襲われた時は怖かったんだからな。
キッチンナイフを突きつけられた事以前に、シチュエーションとか人の狂気が怖かった。
だから、これでおあいこだよね?
お互いに、恐怖を味合わせあったんだから。
怖い物と対等になるには、自分も怖い物にならなくちゃならないって事だね。
アードラー曰く、友達とは対等なものである。
だからこれで、本当の意味で友達だね。マリノー。
その後、気を失ったマリノーを保健室に運び介抱したのだが、数分後に目を覚ました彼女は校舎裏であった事を忘れてしまっていた。
ただ一つ、約束の事だけは覚えていたのだけど……。
私の目論みは成功したのだろうか?
いまいち、その確証は得られなかった。
後日……。
「お姉ちゃん大好きー」
「私もー」
と、私は中庭でアルエットちゃんと遊んでいた。
ぎゅーっと抱き締められる。
「クロエお姉ちゃんいい匂いー」
それって、お日様みたいな匂いだったりする?
「お母さんって、こんな感じなんだろうなぁ」
アルエットちゃん……。
「クロエお姉ちゃんが、お母さんだったらいいのになぁ」
「きゃあああっ!」
アルエットちゃんが言葉を発した直後、草むらの影から悲鳴が上がった。
私とアルエットちゃんが驚いてそちらに行くと、蹲って震えるマリノーがいた。
「マリノー? どうしたの?」
「あ、え? わからないわ。でも、何故かわからないけれど、アルエットちゃんの言葉を聞いたら、急に恐ろしい気分になって……。そう、あれは死の恐怖を目前にしたような……」
どうやら、マリノーは今後も大丈夫そうだ。
彼女が拳への恐怖を克服しない限り、彼女はこれからも決して安易な手段は取らないだろう。
これなら、先生との仲を取り持っても安心だよね?
彼女らしく、彼女のできる事で考えた結果、こんな感じになりました。
大丈夫でしょうか?