五話 もう一匹の虎
その後、私達はアルエットちゃん達の家にも向かった。
けれど、そこにもアルエットちゃんとレオパルドの姿はなかった。
私達は彼女達の安否を心配しながら、一度ヤドリギへ戻る事にした。
ヤドリギへ帰り着く頃、辺りは西日に照らされて影が伸び始めていた。
「クロエ。俺の家族はもう捕まったんだと思うか?」
「どうでしょう。国衛院が捕縛したのなら、ルクスが情報を持ってきてくれると思います」
「軍が捕らえたという事も考えられる」
「……たとえどちらが捕まえたとしても、身柄を確保すれば先生をおびき出す人質にすると思います」
「かもしれないな」
「それに、まだ捕まったとは限りません。上手く逃げたという事もありえます」
「そうだな」
先生はそう答える。
けれど、まだ不安そうだ。
無理もない事だろうけど。
「……明日は、今日襲ってきた連中の素性を探ろうと思う」
「あのヤクザもの達の?」
「ああ。あの口振り……。始めから俺を狙っていたようだった。なら、今回の件に関わっていると考えるのが自然だ」
「そうですね」
国衛院か、軍か……。
あのヤクザもの達がどちらかに繋がっている可能性は高い。
もしかして、ブランカ一家だろうか?
……そいつらしか知らないからそう思っただけなんだけどね。
「だから、知り合いに当たってみる」
「知り合い? ヤクザものに詳しいんですか?」
「ああ。ヤクザだからな」
「そんな知り合いもいるんですか」
あんまり驚かないのは何故だろう?
……主に声のせい。
「……古い……一番古い大事な仲間さ」
翌日、私と先生は朝からヤドリギを出た。
向かったのはスラム街だ。
スラム街は、いつもの町と違って国衛院隊員の姿が少なかった。
そんな隊員達の目を掻い潜り、私達は目的の場所へ向かう。
そうして着いたのは、スラム街の荒れた街並みに似つかわしくない二階建ての豪邸だった。
門の前には二人の男が立っている。
二人共、黒いスーツ姿だ。
その風貌たるや、あからさまにヤクザなのだ。
……どうやら、どんな世界でもヤクザという生き物はスーツを着るものらしい。
「何だお前?」
黒スーツの一人が近付く私達にドスの利いた声をかける。
「ティグリス・グランってもんだ。お前らの頭に会いに来た。繋いでくれ」
「親父がお前みたいなどこの誰かもわからねぇ奴に会うかよ。失せろ! スッゾコラー!」
そして流れるようなヤクザスラング。
コワイ!
「おい、待て。ティグリスと言やぁ、親父の兄弟分だ」
が、もう一人の黒スーツがそう言ってもう一人を止める。
「何? じゃあ、もしかしてあの?」
つっかかって来た方の黒スーツが驚いて聞き返す。
「通っていいか?」
先生が訊ねる。
先生を知っていた方の黒スーツが応じる。
「少々お待ちください。親父に話を通してきます。行って来い」
もう一人に言う。
すると言われた方が屋敷の中へ走っていった。
しばらくして黒スーツが戻ってくる。
「会うから案内するよう言付かりました。どうぞ、こちらです」
戻ってきた黒スーツが先導して私達を案内し始めた。
「他の組の殴り込みを警戒して、親父は一番奥の部屋にいます」
黒スーツは言う。
「親分なんですね。それも兄弟分?」
「そうだな。もう何年も、会っちゃいないがな」
「どうしてです?」
「あいつが言ったんだよ。「今の俺と付き合って、職を失う事になったら困るだろ」ってな。その頃は、アルエットもまだ幼くて、だからそう言ってくれたんだろう。だから、あんまり合わない事にしたんだ」
「そうなんですか」
なんだか、良い人そうだな。
「奴も同じ傭兵団でな……。それ以前に、俺とは幼馴染なんだ。一緒にこのスラムで育って……。戦争が終わってからは軍に入ったんだが、すぐにやめちまってな。そっからヤクザになっちまったよ」
懐かしむように語る先生の顔は穏やかだ。
本当に大事な相手なのだろう。
案内してくれた黒スーツが、部屋の前で止まる。
「親父は中でお待ちです」
ドアを示して言った。
ここへ来るまでには、多くの部屋を通って来た。
恐らく、侵入者を迷わせるための構造だろう。
部屋の奥にさらに通路があるという造りで、廊下だけを進んでもこの部屋に辿り着けないようになっている。
そして、入り組んだ屋敷の一番奥がこの部屋だ。
黒スーツがドアを開けてくれる。
「どうぞ」
ドアが開かれると、そこには一人の中年男性の姿があった。
どっかりと背もたれに身を預けてソファーに座っている。
まるで、私達を迎えるような様子だ。
明るい小麦色のスーツジャケットと同色のスラックス、そして黒いシャツ。
黄色の強い金髪の下にある顔には、皺が刻まれている。
明らかに老境に差し掛かった容姿なのに、不思議と若くも見える。
恐らく、作る表情が若いからだろう。
そんなギラギラとしたおじさんだ。
確かに、ヤクザのボスという風格の人間である。
おじさんがティグリス先生を見てニヤリと笑顔を作る。
「久し振りだな、兄弟」
「ああ。久し振りだ。ナミル」
おじさんと先生が言葉を交わしあい、互いに笑い合った。
どうやら、ナミルというのがこの親分の名前らしい。
「まぁ、積もる話もあるだろう。とりあえず座れや」
そう言って、ナミルさんはテーブルを挟んで向かいにあるソファーを示した。
先生がそこに座り、私も隣に座る。
「そいつは? お前の娘か?」
ナミルさんが私を見て言う。
「違う。ビッテンフェルト公の娘さんだ」
先生が言うと、ナミルさんは「ほう」と驚いた様子を見せる。
「オヤッサンの子か。酔っ払うとよく自慢してたなぁ、そういや」
ぐぐっ……。
古傷が……。
「父上がそんな事を?」
「ああ。勝ち戦の時なんか、夜営の時に何人も絡まれてたぜ。だから、傭兵団の中であんたの名前を知らない奴はいねぇのさ。クロエちゃん」
南部との戦争の話か。
どうやら、まだ私が物心着く前の話らしい。
なら、まだ安心だ。
あの黒歴史《パパだーい好き》は知られていないだろう。
「俺の名前はナミル。ナミル・レントラントだ。虎牙会の頭を張らせてもらってるもんだ」
「どうも。クロエ・ビッテンフェルトです。ビッテンフェルト家の妻と夫を張らせてもらってるもんです」
ナミルさんは「?」と首を傾げた。
「しかし、いい乳してるな」
「よく言われます」
挨拶を交し合うと、ナミルさんは笑った。
「早速なんだが、兄弟」
先生が本題に入ろうとする。
「えらく性急だな」
「ああ。時間が惜しいんだ」
「何があったんだよ?」
ナミルさんは背もたれから起き上がり、両膝に両肘を置く前項体勢になった。
それが話を聞く姿勢なのだろう。
問い返された先生は、事の経緯を説明した。
「なるほどなぁ。大変な目に合っているようだな。……つまり、俺にそのヤクザものの事を調べて欲しいって事だな?」
「そうだ」
ナミルさんは深く息を吐く。
「まぁ、教えてやる事はできるな。心当たりもある」
「本当か?」
「ああ」
「教えてくれ」
その時だった。
背後のドアが開き、一人の黒スーツが入って来た。
門の二人とは別の黒スーツだ。
「親父、準備できました」
「おう。わかった」
ナミルさんは返事をする。
「準備? 何の準備だ?」
「まぁ、すぐにわかるさ」
なんだろう……。
不穏な空気だ。
まるで、戦いを前にしているような。
そんな気がする。
先生は部屋に入って来た黒スーツを見てから、ナミルさんに声をかける。
「……最近のヤクザには、スーツが流行ってるのか」
先生は固い声で訊ねた。
「いや、そんな事もない」
「ちっ……」
「スーツで統一してるのは、うちだけだ」
ナミルさんの言葉を聞き、先生と私は立ち上がった。
それと同時に、背後の入り口から複数の足音が聞こえた。
振り返ると、十人以上の男達が入り口を塞ぐように立っていた。
皆、スーツを来ていた。
黒一色ではなく、色々なデザインと色のスーツだ。
その男達の内の何人かには、見覚えがあった。
昨日、グラン邸で襲撃してきた連中だ。
「兄弟……。これは、どういう事だ?」
「簡単な話だ。お前を狙ってるのは、俺の組の人間って事さ」