四話 女神カラスという存在
家族との食事を終え、私は食堂を出る。
部屋に戻り……。
すると、声をかけられた。
「おぬし、何を抱え込んでおる?」
「シュエット様」
机の上で仁王立ちしたシュエット様だった。
「何やら、お前のそばにいると妙に力が湧いてくる。黒色の力が増すのがわかるのじゃ。何か、悩んでおるじゃろう?」
「流石はシュエット様だ」
確かに、私の心は今不安でいっぱいだ。
家族との再会が嬉しくとも、先にある事を思えば心から喜べない。
今の状況を解決できなければ、この不安は消えないだろう。
だから、遅かれ早かれシュエット様には相談しようと思っていた。
せっかく声をかけてくれたのだから、ここで素直に話してしまおう。
「私は、未来から戻ってきたんです」
「なんじゃと?」
「トキの力を使って」
言うと、シュエット様はとても嫌そうな顔をした。
そんなに嫌いなんですか?
豪傑説明中……。
「なるほどのぅ。カラス、か……」
一言漏らし、シュエット様は思案するように黙り込む。
「それで、どうしましょう。どうすれば、カラスを倒す事ができますか?」
「倒すじゃと? アホか」
何で叱られたし?
「倒せるわけがなかろう」
「え? じゃあ、どうするんですか? 倒せないなら、戻ってきた意味がないじゃないですか」
シュエット様は呆れたように溜息を吐く。
「未来のワシは、何もカラスを倒すためにおぬしを過去へ戻したわけではないと思うぞ」
「じゃあ、どうして?」
「よいか? そもそもカラスは女神の中でも別格の存在なのじゃ」
「同じ女神なのに?」
「それは、奴が司る死という概念がそれほどに強いからじゃ。この世に、死を免れた存在などない。女神とて、死という概念からは逃れられないのじゃから」
そういえば、ゲームにおけるヴォルフラムくんのルートでシュエット様は消滅するんだっけ。
「そして、死は生命が生まれ出でた時より存在する最古の概念の一つ。人間が生まれた後に生み出されたワシとは年季が違うわい。しかも、奴はワシの直接的な上位に位置する女神でもある」
「そうなの?」
上司って事だろうか?
「運命の概念が人間から生み出された時、奴もまた運命を見る力を得ている。死の運命という形で、の」
死の運命……。
「奴の見える運命はワシとは根本的に違う。ワシは見た人間の辿る運命を順に見ていく事ができる。しかし、奴は人間が死へ至る運命を見る事ができる。死より遡って人の運命を見るのじゃ」
じゃあ、結果的にシュエット様と同じように相手の未来を読んで攻撃を避ける事もできるわけだ。
「死の権能だけじゃなく、シュエット様と同じ運命の領分も司っているから上位に位置するって事?」
「そうじゃの」
上位互換って事か。
「しかも、ワシと違ってお主の運命を読む事もできる可能性がある。根本的に仕組みが違うからの。ワシはこれから起こる運命を辿って読むが、奴はすでに終わった運命を読み解いていくのじゃ」
「たとえ運命を読めたとしても、シュエット様と合体すれば運命は見えないんじゃないですか?」
「確かにそうじゃが、そもそもの力が足りぬよ。ワシらが力を合わせたとて、奴の足元にも及ぶまい。
多くの生物は死へ畏敬を懐く。
その畏敬を力とした奴は、ワシらでは到底及ばぬ程の力をその身に宿しているのじゃ。
そしてその力は、対象を死へ至らしめるための能力にあてられておる。
純粋な戦闘力だけならば、女神の中で最強やもしれんな」
言われて、私はカラスと戦った時の事を思い出す。
あの時もシュエット様と合体していたけれど、確かにまったく歯が立たなかった。
でも、足りないなら足せばいい。
だって、力を貸してくれそうな女神がもう一人いるのだから。
「じゃあ、トキを――」
「絶対嫌じゃぞ!」
提案を遮ってシュエット様が叫ぶ。
「いや、好き嫌いじゃなく」
「止めておけ。どうせ、奴の力を借りたとてそれでもまだ力は及ばぬ」
「それでも足りないの?」
「善戦はできよう、善戦は。だが、勝つ事はできぬじゃろう」
「じゃあ、どうしろって言うんですか?」
訊ねると、シュエット様はその場で胡坐をかいた。
「おそらくじゃが、未来のワシはカラスを倒すために貴様を過去へ戻らせたわけではない。……カラスは、貴様が百億の人間の死の運命を変えたから敵となった。なら、そうならぬように運命を変えようと考えたのじゃろう」
「それって……」
百億人目の人間。
あの、馬車に轢かれそうになっていた少女か。
「あの子を見殺しにしろって事?」
「そういう事じゃ。ワシとて、人が死ぬ様は見たくない。それも幼子が死ぬとなれば、なおの事じゃ」
「だったら、あの子はシュエット様が助けてくれればいいじゃないですか」
「今回だけなら、それもよかろう。しかし、事はそう単純では無い」
「え?」
「あと一人の運命を変える事で奴が罰を与えるというのなら……。貴様は今後、目の前で危機に瀕する全ての者を見殺しにせねばならん。そういう事じゃ」
聞き返す私に、シュエット様はそう言った。
シュエット様との話を終えて、私は外へ出た。
気分転換がしたくて、町をぶらつく。
私では、どう足掻いてもカラスに勝てない。
そして、私がこれ以上人の運命を変えるとカラスはこの国を滅ぼす。
それを防ぐには、私が今後関わる人間全てを見捨てなければならない。
今回の事は、運命に縛られない私だから起こった事なのだろう。
もし私が運命の中にいれば、私が生かしたり殺したりする人間も運命によって生き死にが決したという事になるから。
運命の中にいない私が人を助けると、それだけで人の運命が変わってしまう。
カラスはそれが気に入らないのだ。
そして、私が助けなければ確実に死の運命を辿る人間がいる。
それが、あの女の子だ。
家族やアールネスの人々の命を助けるためには、これから先の人生で私は多くの命を見捨てながら生きねばならない。
さし当たって、まず見捨てなければならないのがあの幼い少女だという事だ。
そんな事が、私にできるだろうか?
考え事をしながら、私は町を歩く。
ふと、前から親子連れが歩いてくる。
ハッとなる。
その母娘は、ついさっきまで私が考えていた少女とその母親だった。
笑顔を向けあい、手を繋いで楽しそうに歩く二人。
彼女達は、数日後に起こるあの事故を知らない。
私は、彼女達からあの笑顔を奪わなければならないのか……。
彼女達は私の横を通り過ぎていく。
深い溜息が出た。
やるせない気持ちだ。
あの親子から幸せを奪う事なんて、できやしない……。
私は歩き続け、そして……。
ふと顔を上げた。
そこはあの広場だった。
あの少女を助け、カラスと戦ったあの……。
そこで、私は見つけてしまった。
オープンカフェの席に座り、カップに入った飲み物を飲む黒衣の女神の姿を……。
「何でいるの?」
私は思わず近付き、声をかけていた。
「ん? 誰かと間違えているんじゃないのかな? 君と小生は初対面のはずだが」
カラスは至って落ち着いた様子で訊ね返してきた。
「間違えていない。あなたは、死の女神――」
「その話は後で」
カラスが私の言葉を遮る。
「お持ちしました」
丁度、店員さんがケーキの乗ったお皿をテーブルに置く。
「ありがとう。ここの紅茶は相変わらず最高だね。葉の香りを引き出す術をよく心得ている」
「いつも恐れ入ります。どうぞごゆっくりー」
カラスが褒めると、定員は笑顔で会釈して戻っていった。
店員が去って、カラスは私を見た。
「ふむ。辿る運命が変わっている。よかったね。寿命が延びているよ」
そんな事を言って笑いかけてくる。
「察するに、君は一度小生に会ったようだな。ここではない時間軸……。未来から戻ってきたって事か? そういえば、この国にはトキもいたのだったか。まったく、彼女はいつもシュエットと一緒にいるなぁ」
今の彼女からは、あの時の気配を感じなかった。
畏怖も懐かないし、体を蝕む死の恐怖もない。
厨二臭い格好を除けば、ただのどこにでもいる美女にしか見えない。
だが、紛れも無く彼女はカラスに間違いない。
私を罰し、アールネスに死を満たす存在なのだ。
「まぁ、かけたまえよ。折角だ。話でもしようか」
そう言って、カラスは私に対面の席を指し示した。
ちなみに、カナリオのような半神的存在をカラスは神と認識しているため、彼女が人の運命を変えても特に気にしていません。