一話 分岐点
基本的にシリアスな話です。
辛い展開は続きますが、ハッピーエンドです。
休日のその日。
アルディリアが休みだったという事もあり、我らビッテンフェルト家の面々は揃って町へ繰り出した。
こうして家族総出で町へ行くのは久し振りの事である。
イェラを含めてのお出かけは、これが初めてではないだろうか。
これから劇場で流行の劇を楽しみ、買い物をして、帰りにレストランで食事をするというプランだ。
もう何日も前から企画していた事で、私はこの日が楽しみでならなかった。
天気もよく、晴れ渡っている。
絶好のおでかけ日和である。
こんな日に、家族揃って出かけられるのは最高である。
隣には愛する夫と嫁!
無駄に楽しそうなイェラ!!
そして、不機嫌なヤタ!!!
…………。
……どういうわけか、ヤタは昨日から不機嫌だ。
そして私と口利いてくれない……。
理由無き反抗期だろうか?
いや、実の所はどうしてこんな仏頂面をされているのか、その原因はわかっている。
原因は私である。
実は昨日、アドルフくんが我が家へ遊びに来たのだが。
その時に……。
「ヤタはアドルフくんが好きみたいだから、仲良くしてあげてね」
という事を言ったのだ。
娘の恋が実るといいな。
と思ってのさりげないマザー根回しである。
すると、それを聞いていたヤタに殴られた。
拳はちゃんと受け止めたのだが……。
鍛錬以外でヤタから殴られたのは少しショックだった。
「戯言はよしてください!」
と叱られ、それ以来ヤタから無視されている。
うん、わかるよ。
好きな相手に、お母さんからそんな事を言われたら恥ずかしいよね。
それがわかっているのに、失念していた。
私としては、娘のために何かしてあげたかったのだけど……。
イカンイカン……。
年齢を重ねると共にデリカシーが失われていっているのかもしれない。
認めたくないものだな。
老いゆえの過ちというものは……。
本当に気をつけないと、次にやらかしたら「お母さんの下着と私の下着、一緒に洗わないで!」と言われてしまうかもしれない。
それは考えただけでショックだ。
今になって、父上のダメージの大きさがわかってしまった。
ごめんなさい、父上。
今度、孫を連れて遊びに行きます。
仲直りできたら。
と、そんな事があってヤタがご機嫌斜めなのである。
この楽しい日の前に、こんな事になって申し訳ない。
本当は、ヤタもムスッとせずに笑顔で楽しんでいたかもしれないのに……。
何とか仲直りしようとしたが、全く取り合ってくれないし。
余計な事をしちゃった。
もう一度、昨日をやり直せたらいいのに……。
そんな詮無い事を考えて、溜息を吐いた。
私達は、劇場に着いた。
上演時間までの間、ホールで時間を潰す。
劇は十時から始まり、十二時頃には終わる予定である。
「あの、ヤタ……」
仲直りしようと声をかける。
「イェラ。土産物を見に行こうか」
「いいね! ずっと気になってたんだ! 行こう、シスター」
しかし、ヤタはイェラに声をかけてみやげ物売り場に行ってしまった。
「仕方のない子だなぁ」
その様子を見て、アルディリアが言う。
「私が悪いんだけどね」
「好きな気持ちは、思い切って言ってしまった方がいいとも思うんだけどね」
そこでアードラーが口を挟む。
「言ってしまって、関係が壊れるのが怖いのよ。きっとね」
「そんなものかな?」
「婚約者っていう繋がりがあったから、あなたはそんな葛藤と無縁だったかもしれないけれどね。相手への気持ちが大きくて、関係を大切にしていればしているほど言えないものよ」
アードラーは苦笑する。
「でも、先に進んだ方が今より良いという事もあるわ。私は、そうだったから」
彼女は、私に微笑みかけた。
私も微笑み返す。
そう思ってくれるなら、私も嬉しい。
キスしようか?
え? 公衆の面前は嫌?
うん、わかった。
「まぁ、その分嫉妬も強くなった気がするけれどね。特に、旅をしている間はクロエがモテてモテて大変だったわ」
え?
そうだっけ?
「え? そうなの?」
アルディリアが神妙な顔つきで聞き返す。
「ええ。本当よ」
当の本人が憶えていない件について……。
アードラーの話で、アルディリアがとても心配そうな様子である。
「まぁ、みんな女性だったけど」
それ、モテてる内に入る?
「なんだ。ならよかった」
アルディリアがホッと息を吐いた。
「私はよくなかったけれどね」
アードラーはスッと目を細めて私を見た。
「ははは……」
「それだけ、魅力的って事なのでしょうけどね。それに、あなたはあの旅で多くの人を助けてきたのだし。慕われるのも当然ね。いえ、敬われていると言った方がいいかしら?」
そうだね。
でも、人を助けたいなんて思ってたわけじゃない。
私は一刻も早く帰りたいと思っていたし、寄り道だってしたくなかった。
けれど、少しでも人に関わってしまえば、放っておけないって事がよくあった。
それだけの事だ。
助けたいと思ったのではなく、手伝いたいと思ってやっていた事。
それが結果として、人の助けになっていただけ。
「ヤタは……。甘えているのかもしれないね」
アルディリアが言う。
「甘えている?」
「君がいなくなってからのあの子は、手間のかからない子だった。
僕の言いつけも、お義父さんの言いつけも真面目に聞いて決して我儘も言わず……。
反発なんて一度もなかった。こんなに怒る事なんてなかったよ。
でも、君が帰って来て今まで押し留めていた気持ちを素直に表しているからじゃないかと思うんだ」
「私に怒りをぶつけるのは、甘えだって?」
違うと思うけどな……。
でも、アルディリアは私よりも長くあの子を見ている。
だったら、一理あるのかもしれない。
私は、土産物売り場の方へ目を向ける。
劇に関するグッズ関係が売られていて、その商品を手にとって見ている娘達の姿が目に入った。
できれば、劇が始まる前に仲直りしたかったんだけどなぁ。
もう一度、溜息が漏れる。
「そういう面もあるかもしれんの」
私の肩から声が聞こえた。
見ると、シュエットが私の肩の上に立っていた。
「あれ? ヤタと一緒だったんじゃ」
「うむ。ここなら白色照射装置が設置されておらんからの。折角じゃから、箱から出たわけじゃ」
私が旅に出ていた十五年間で、白色照射装置が王都の至る所で設置されているそうだ。
王都の黒色を除去するためだ。
そのせいで、シュエットは自由にお出かけできなくなったそうな。
それでも外へ出たいと思ったシュエットは、魔力を遮断する特殊な箱に入ってお出かけするようになったらしい。
今、ヤタが手に持っている手さげの付いた箱だ。
箱にはガラスがはめられており、中から外が見える造りだ。
旅行などの時、犬や猫を入れるような奴に似ている。
シュエット様。
最早、ペット扱いじゃないですか……。
最近、体型も二頭身でねんどみたいな質感のフィギュアっぽくなっているし。
それわざとその体型にしてますよね。
可愛さを売りにして何かのマスコットでも狙っているんですか?
「しかし、怒っておる事には違いない。ちゃんと謝るのじゃぞ?」
「はい」
真っ当な事を言われているが。
こんな可愛いのに説教されてもちょっと和んでしまう。
劇を見終って、私達はレストランで昼食を取った。
その後、買い物へ行く。
服屋だ。
「ヤター服選んであげようかー?」
「アードラー母上。服、選んでくれませんか?」
相変わらず、ヤタは私を無視している。
アードラーが「いいの?」と目配せしてきたので、私も「いいよ」と頷いた。
いいんだ。
その代わり、イェラを可愛がるから。
「イェラ。服選んであげようか?」
「ほんと? ありがとう、マミー!」
今、ヤタがつんけんしているから、素直に喜ばれるといつも以上に嬉しいな。
一着買ってあげる。
真っ黒な男性ものの服だ。
帽子つきである。
「これ、すごくカッコイイよ! ありがとう!」
その場で回転してポーズを決める。
「ポォウッ!」
余程嬉しいのか、興奮して叫ぶ。
ますますそれっぽくなってきたな、この子。
ついでに、私も一着服を買おうと思った。
試着室で脱ぐ。
鏡に映った、バキバキの腹筋を見る。
……帰ってきた直後ほどでもないが、まだ脂肪が足りない。
実に固そうだ。
そういえば、前にチヅルちゃんと――
「ともよちゃんと言うより、先輩って感じですよね。あ、大道寺的な意味で」
「ははは、こやつめ」
とかいうやり取りをしたんだっけか。
そんな事ないよね。
と改めて鏡を見る。
……そんな事あるかもしれない。
「マミーの腹筋、すごい割れてるね」
声に振り返ると、イェラが試着室を覗き込んでいた。
「イェラだって割れてるでしょ?」
我がビッテンフェルト家で、腹筋の割れていない者はいない。
アルディリアやヤタは勿論。
旅によって、アードラーの腹筋だって割れているのだ。
「マミーほどじゃないよ」
これは女性同士のやり取りじゃないよ、イェラ。
むしろボディビルダーのやり取りだよ。
キレてるねー。
店を出た私達は、広場に向かった。
円形の広場を囲うように、店が建ち並ぶ場所だ。
ジャンクフードの屋台なども多く見られる。
その場所で、私は今一人である。
ヤタが単独行動し、アードラーはイェラに連れられて小物のお店へ向かった。
アルディリアは、飲み物を買いに行っている。
そして私は広場のベンチに座って一人で休んでいた。
いや、正確にはシュエット様と一緒に。
私はヤタから無言で渡されたシュエット様の籠を膝に乗せていた。
「置いていかれちゃったんだね、シュエット様」
「貴様と仲直りせよと言ったら、疎ましがられてしまった」
箱の中から声が返ってくる。
「取り成そうとしてくれたんだね。ありがとう」
「貴様ら母娘はワシの巫女故な。これくらいはしよう」
いつの間にかヤタも巫女になってる。
「まぁ、失敗したがの。あの年頃は繊細なのじゃから、もっと考えて物は言うのじゃぞ。人間は歳をとるとそういう部分をおろそかにしがちじゃ。気をつけよ」
「すいません」
いくら可愛らしくなってしまっても、やっぱり女神様は女神様だな。
謎の威厳がある。
なんて事を思っていた時だ。
女性の悲鳴と馬の嘶きが聞こえた。
見ると、馬車が目の前を通り過ぎようとしていた。
そして、その馬車の前には倒れこんだ少女の姿があった。
近くには、悲鳴をあげたであろう母親らしき女性がいる。
シュエット様の籠を手に持ち、地面を魔法で凍らせて補強する。
本気で踏み込んだ時、こうしておかないと地面が砕けてしまうからだ。
力の限りに補強した地面を蹴り、少女へ向けて飛び込んだ。
一秒とかからずに、少女のいる場所へ到達する。
そして、一度地面を前に蹴って減速する。
そうしなければ、前へ移動するための運動エネルギーが少女の体へもろに伝わってしまう。
このまま抱えてしまうと、少女が爆発四散してしまうだろう。
減速して瞬時に運動エネルギーを殺し、改めて抱える。
馬車の前から離れた。
馬車が、今まで少女のいた場所を通り過ぎる。
その時には、もう私は母親の近くへ移動していた。
母親は、手で目を覆って座り込んでいた。
「あの」
声をかけると、恐る恐るという様子で母親がこちらを見た。
そして、私が子供を抱えているのを見て、涙を流した。
大きく息を吐く。
少女を放すと、母親の方へ走っていく。
「ママ!」
母親が少女を抱き締めた。
「よかった……」
母親が一言吐き出すように言葉を発する。
「ありがとうございます。なんとお礼を言っていいか……」
「いえいえ。無事ならよかったよ。ほら、気をつけてね」
お礼を言って、二人は去って行った。
よかった。
助けられて……。
そう思いながら、母娘の背中を見送った。
「ついにやっちゃったね」
声がする。
その瞬間、空気が変わった。
重く、体に纏わりつくような嫌な気配が場に満ちた。
皮膚を通して、じんわりと体の中心へ染み込んでくるような気配だ。
それと同時に、目で追っていた親子が崩れる。
倒れこんだ親子は、そのまま動かなくなった。
「え?」
周囲からも、どさりと何かの倒れる音がする。
見ると、そこには倒れこむ男性の姿。
また別の所で倒れる音がする。
倒れたのはやはり人だ。
そして、次々に人の倒れる音がした。
広場に多くいた人間達。
それがみんな、倒れて動かなくなっていた。
「これは、何……?」
「君のせいだよ」
後ろから声をかけられた。
振り返る。
すると、そこには一人の女性が立っていた。
全身を黒一色で染めた、女性。
黒い帽子、黒い外套、腰に佩いた刀の鞘も黒塗り。
異質なまでの黒を纏う女性が、私に向けて笑みを向けた。
「丁度百億人目……。君は、人の身でありながら神の領域を侵し過ぎた。これはその罰だよ」
女性は、笑みを崩さぬままそう告げた。