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九話 黒い襲撃者

 過去の王都に来てから、一夜が明けた。

 そして、また夜が始まろうとしている。


 一度眠り、起きてから、朝から夜になるまでの間。

 私は椅子に座り、その様子を窓からじっと見ていた。


 ここは空き家の中。

 この地に寄る辺のない私達は、主人無きこの家屋を仮初かりそめの寄る辺として利用させてもらっていた。


 私のいる部屋は、家屋の二階。

 窓から見える景色は、街路を見下ろす光景だ。


 部屋にいるのは、私と同じく過去へ渡ってきた仲間達。

 エミユとオルカ。


 もう一人、チヅルは昼間から情報収集のために出掛けている。

 今はここにいない。


 チヅルは倭の国の技術である「シキガミ」を使える。

 それらを駆使する彼女の情報収集能力は高い。


 前に祖父母の家にある母上の部屋を探索した際、彼女の「シキガミ」はベッドの裏に張り付けられていたいやらしい本を発見した。


 オルカの母親であるコンチュエリ様が作り出したと言われる同人誌なる本らしかった。

 しかも、母上クロエ母上アードラーが絡み合う本である。

 見つけた時は居たたまれない気持ちになったが、チヅルの情報収集や探索術は一級品なのだ。


 他の仲間達は時折外に出かけていたが、私はずっと部屋の中で窓の外を眺めていた。

 食事は、エミユが買ってきたパンを食べた。

 腹は減っていない。


 何故私が呆然と一日を過ごしたのかと言えば、思案に耽っていたからだ。


 ある一つの事が、私の頭の中で巡っていた。

 それは昨夜邂逅を果たした、私の母上の事だ。


 思い返し、夜の闇に染められた部屋の中、人知れず拳を握る。


 母上は、私が三歳の時に私を置いて家を出た。

 それが国の任務であった事を今の私は知っている。

 母上はその途中、行方を絶ったのだ。


 だが、当時の私にその分別があるはずもなく、ただただ悲しく思い、寂しく思い、母を恨みすらしていた事もあった。

 いや、今ですらそうなのだろう。


 私は昨夜、自分の心を抑えきれず、思うままに行動するという醜態を晒した。

 いざ、母が私の前にあり、なおかつ私を知らないと言われ、私は憤りを抑えられなかった。


 そして――


 ここで牙を折ってしまえば母はもうどこへも行けず、自分を置いていく事もないのではないかと、突発的に考えてしまった。


 鬱憤や恨みもあっただろう。

 私は、容赦なく母を痛めつけた。


 その時の事が頭から離れなかった。


 当初のカナリオ・アールネスを奪還する作戦は、あの時頭から綺麗に消え失せていた。

 私の頭の中には、母上の事しかなかった。


 結局その後、私はアルエット先生に打倒され、そのままアルエット先生からも逃げるようにこの場所で潜伏している。


 私は果たして、何をしているのだろうか?


 この期に及んで隠れているのは、まだ母と相対する気持ちがあるからだろうか?

 まだ、歴史を変えてしまう事を考えているという事なのだろうか?


 それがいけない事だとわかっているのに……。


 私達は国を救うために来たのだ。

 私事などに心を割く余裕などない。

 だから次こそは、任務を果たさなければならない。




「少し外へ出てきます」


 オルカが言った。


「どこへ行く?」


 私は訊ねる。


「食事ですよ。僕が何をしようと別に構わないでしょう? いちいち聞かないでください」


 赤い目で睨まれる。


 彼はよく、相手を突き放すような言葉遣いをする。

 けれど、その時の彼の声は少し苛立ちが混じっているように思えた。

 いや、それは今だけじゃなく、過去へ渡ってきてからだろう。


 苛立ちと、そして焦りのような物が彼の言動の端々に散見できた。


 気にかけるべきだろう。

 しかし、今の私は彼にどうこう言えるほど、平静ではない。


 私もまた、苛立ちと焦りを覚えている。


 彼が部屋から出て行く。


「悪いけどヤタ先輩。あたしも出るぜ」


 少ししてから、エミユもそう言う。


「ああ」

「帰りに何か買ってくるよ。お腹、減ってるだろ?」

「いや、別に減っていない。今日一日、ほとんど動いてはいないからな」

「それでも減るだろ。あたしが出てって、一人になっても寂しくねぇか?」

「さっさと行け」


 私が答えると、彼女は笑った。


 彼女はどんな時でも余裕がある。

 口調は粗暴だが、仲間の中では一番気配りができ、面倒見の良い人間だろう。


 本来なら先輩として私が気配りするべきなのだろうが、後輩にその役所を任せてしまうのは情けない所だ。


 彼女が部屋から出て行き、私は一人になった。


 窓越しに、エミユの背中を見送った。


 会話があったわけではないけれど、二人が去って一人きりになると静けさが強く意識された。


 一人きり。

 寂しさが生じる。


 私は、感情の中で寂しさが一番嫌いなのだろう。

 孤独の中にいると、どうしても母上の事を思い出すから……。


 好きな人から離される辛さが、今も私の心を苛んでいるのだ。


 母上を知る人間は、誰しもが彼女を称える。

 すごい人なのだ、と私に教えてくれる。


 それを聞くたびに私は、いつも誇らしかった。

 けれど、だからこそそんな母上が自分のそばにいない事が余計に寂しく感じられた。


 私はあまり、母上に似ていないらしい。

 顔つきも雰囲気を残す程度で、むしろ父上に似ているそうだ。

 性格も正反対で、武において名を残している割に母上は温厚な人物だという。


 ただ、それでも人は私の中に母上を見る。

 立ち居振る舞いが似ているのだと言う。


 人は私の中に母上を見る。

 それは誇らしく嬉しい事だ。


 けれど、私自身は何を見て母上を感じれば良いのだろうか?


 私だけが、母上を身近に感じる事ができないのだ。


 父上と祖父母は私が寂しくならないよう、よく構ってくれた。

 けれど、それでも私は母上のいない寂しさを拭い去る事はできなかった。


 だからこその反動だろうか。


 昨夜、私は母上の存在を強く感じた。

 そして、気持ちを抑えきれなくなった。


 正直に言えば、私はもう一度その存在を感じたいと思った。

 だが……。


 もう一度会ってしまえば、私はまた任務の事を忘れてしまうかもしれない。

 だがそれは、許されない事だった。


 だから、私はもう母上とは会わない。

 カナリオ・アールネスの身柄を確保する事も、仲間に任せてしまおう。

 そう思った。


 窓から目をそらし、俯く。


 そんな時だった。


 派手に窓を破り、何かが部屋の中へ侵入してきた。

 私は驚きつつもすぐに反応し、窓から離れる。


 侵入した何かは部屋の中央へしゃがんだ体勢で着地する。

 全身黒の後ろ姿が、ゆっくりと立ち上がる。


 その姿に、私は息を呑んだ。

 私がその人物が誰なのか、一瞬にして理解してしまった。


 振り返る。

 そしてこちらに向いた顔には、黒い仮面があった。


 だが、それでもわかる。

 この人は、私の母上。

 クロエ・ビッテンフェルトだ。


「さて、遊ぼうか」

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