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三話 ペンギンの失態

 その日私は、アルマール院長よりこの国に人質として身柄を置くヴァール殿下の監視兼護衛の任を賜った。

 任を受けたのは私だけでなく、私の旦那様であるルクス様も一緒である。


 ヴァール殿下は本来、屋敷より出る事の許されない身の上。

 しかしこの他国の王子様は享楽を好み退屈という物を最もいとう性分らしく、度々アルマール院長や陛下と取引をして屋敷を出る許可を得ていた。


 そして今日は「冬迎えの祝い」の日。

 城下ではさまざまな出店が並び、料理と酒を楽しむ祭りが執り行われる日である。

 何よりも享楽を好む王子が参加したがらないわけがなかった。


 普段から度々外へ出る殿下には、必ず監視兼護衛として国衛院の隊員がつけられている。

 が、今日に至って私達が選ばれたのは、この日は各地の貴族が集まるため警備が王城に集中して人手が得られない事と、祭りの混乱で外部の人間が入り込みやすい事を考慮しての事だ。


 できるだけ、優秀な人間をつけておきたい。


 そう院長はおっしゃっられていた。

 その優秀な人間として選ばれた事は光栄の至りである。


 だからこそ、私はその期待を裏切らぬよう、気を張り、細心注意を払い行動していた。


 祭りの間は、ビッテンフェルトの夫人二人とリオン殿下、カナリオ様の夫妻を伴い、思った以上に気は楽だった。


 何よりも、クロエさんの存在は大きい。

 彼女が一人いるだけで、頼もしさが違う。

 彼女ならば何が襲い掛かってきても、何とかしてしまうのではないかという安心感を覚えるのだ。


 そして祭りは終わり、私と旦那様はヴァール殿下を護送して馬車で送る事になった。




「しかし、思った以上にお前は愉快な人間だな」

「あんたに言われたって、全然嬉しくねぇよ。王子様」

「ふむ。俺が人を褒める事はなかなかないぞ。クロエは人を選ぶ目も優れているのだな。彼女の付き合う人間は皆、愉快で楽しい。今度から、外へ行く時はお前を呼ぶとしようか。今の護衛はつまらん男だからなぁ」

「お断りだ!」


 殿下と旦那様が会話している間、私は窓の外を見ていた。


 私は、馬車というものが苦手である。

 移動の手段だから仕方がない事なのだが、車内にいる時はどれだけ疲れていようと緊張感が拭えない。


 それは幼い頃に起きた事件が原因だ。

 私の体には他人に見せる事が躊躇われるような傷跡が所々にある。

 その傷を負い、足の自由を失ったその時の事件は馬車に乗っていた時に起こったのだ。


 それ以来私は、馬車に乗るたびにまた同じ事があるのではないか、という懸念を懐くようになった。


 今日という日に限れば、その懸念は気を張り続ける助けになるからよいのだが……。


 そんな時である。

 私は気付いた。


 馬車が、減速している。


 車輪の音が小さくなり、馬の足音も段々と緩やかになっていく。


「おい、イノス」


 旦那様も気付いたのだろう。

 声をかけてくる。

 私は頷き返した。


 そして、車輪が止まり、馬の足音も消えた。


「何かあったのか?」


 旦那様が御者へ声をかける。

 しかし返事は無い。


「俺が見てくる」

「……いえ、私が行きます。旦那様は殿下の警護を……。咄嗟に動ける人間が警護に当たる方がいいでしょう」


 私の足はあまり融通が利かない。

 咄嗟とっさに身をていする事もできないのだ。


「ちっ……仕方ねぇ。気をつけろよ」

「わかっています。私は旦那様の物ですから。不要と言われるまで、いとまをいただく気はありません」


 言って、私は馬車の外へ出た。


 馬が止まったのなら、御者が停車させたのだろう。

 だが、返事は無い。

 御者自身に何かあった可能性は高い。


 私は御者台に向かい、見上げた。

 すると、そこには見覚えのない人物がいた。


 御者台に片膝をついて座り、私を見下ろす人物。

 その人物は身体つきからして恐らく女性。

 二つに纏めて結わえられた銀色の髪が、夜の闇の中、月明かりを孕んで鈍く輝いている。

 夜風に流され、揺らめいている。

 そして顔には黒い仮面。


 私は顔を顰める。

 その仮面は漆黒の闇に囚われし黒の貴公子がつけている物と同じものだった。


「漆黒の闇に囚われし黒の貴公子……」

「はは、誰それぇ?」


 歪んだ声。

 小馬鹿にしたような口調でその人物は返した。


 別人?


「あなたは誰です? 御者は?」

「あたしの正体なんてどうでもいいだろぉ? 御者はここで気持ちよく居眠りしてるぜ。運転中に眠るのは危ねぇから。あたしが代わってあげたんだよ」


 御者を気絶させて、馬車を停車させたようだ。

 ならこの人物は、襲撃者か……。

 狙いは恐らく、ヴァール殿下。


 謎の人物が御者台から飛び下り、私の前に立った。

 彼女の顔を見上げる。


「お礼が欲しい所だねぇ」


 彼女は言った。

 そんな彼女に対して、私は掴みかかった。


 この女性が何者かはわからない。

 意図も定かでは無い。

 しかし、ここはまず捕縛しておくべきだ。

 それから話を聞いても遅くは無い。


 私の左手が相手の右手首を掴んだ。

 そのまま引き倒そうとする。

 相手の体が傾いだ。

 が、その瞬間彼女は飛んだ。

 手首をつかまれたまま私の頭上で一回転して、背後へ着地する。


「あはは、それがお礼? 恩知らずだなぁ。普段から、礼儀にうるさいくせにさぁ。自分はそんな事するんだなぁ」


 私は答えずに、背後を見る。

 謎の人物が、背を向けて立っている。


 私は自分の左手首を見た。

 あらぬ方向に曲がっている。

 あの一瞬の内に、彼女は私の手首を取って返し、逆に関節を外したのだ。


 関節をはめ直す。


 何者かはわからない。

 しかし、強者である事はわかった。

 それも私の技を返せる相手ならば、クロエさん並みの強さを持っていると想定した方がいい。


 いや、私が侮っただけかもしれないか。


 私は再び相手へ掴みかかる。

 彼女はあっさりと腕を捕られた。

 が、逆に返し技を仕掛けてくる。

 私の関節が逆に極められそうになる。


「くっ」


 私もまたさらに返し技を仕掛ける。


 互いに技を掛け合い、返し合う。

 その攻防がしばし続く。

 そして最終的に、その攻防は私の勝利に終わった。


 右手首を掴み、もう一方の手で肩甲骨の辺りを押す。

 国衛院の捕縛術の一つ。

 私が一番得意とする技だ。


 絶対に外せない掛かり方だ。

 これは逃げ出せない。


 そう思った。

 が、相手は思わぬ行動に出る。


 掴んでいた手応えが、一瞬消えた。

 相手が全身の力を抜いたからだ。

 同時に、ぐるりとその場で体を縦に一回転させる。

 そして、技を外された。


 手応えが消え、相手を見失った一瞬で脱出したのだ。

 相手はそのまま距離を取る。


「やっぱり強ぇ。ここじゃあ、分が悪いや。でも、まだ外せないほどじゃねぇなぁ。ふふふ」


 相手は言いながら、自分のこめかみを人差し指で揉んだ。


 そして、すぐにこちらへ向かってくる。

 つかみ掛かられるかと思い、身構える。

 が、相手は掴みかかる事無く、跳んでいた。


 そして、奇妙な軌道でこちらへ飛来してきた。

 恐らく、風の魔法の応用だろう。

 高速で迫ってくる。


 私はその相手に掴みかかる。

 が、その手を逆に取られ、技をかけられる。


 全体重をかけた高速の挙動で振り回され、私はうつぶせで地に伏せられた。

 そのまま右腕を両手でがっちりと掴まれ、腕を両足の膝で挟むようにしてがっちりと極められる。


 空中からの関節技。

 見た事もない技だ。


 だがわかる。

 これは逃げられない。

 完全に極められている。


 このまま腕を捻られると、関節を破壊できる。

 そんな類の技だった。


 しかし、相手はそれをしなかった。


「ふふふ」


 馬鹿にしたような笑いが聞こえた。

 技を解いて私から離れた。


「ほらほら、どうしたのかなぁ? そんなんで終わり? 物足りねぇなぁ。さっさとかかってこいよぉ」


 杖に体重を乗せ、立ち上がる。


「そうでなくっちゃ」


 言って、相手はまた飛んだ。

 迫ってくる。


 国衛院の捕縛術は、あくまでも地上の相手を想定している。

 大地が体を引く力を利用し、向けられた力に対する人体の反応を利用して技を極める。

 だから、空の相手は苦手だ。


 しかし、対応できる技がないわけではない。


 められたものだ。

 二度も同じ技を受けるほど、私は甘くない!


 私は杖を肘側に折りたたむ。

 両手を地面につけられるよう、杖にはそんな機構がつけられていた。

 そして両手を地面につけ、腕の力だけで飛び上がった。

 高く飛んだ相手目掛け、私は逆立ちの体勢で飛ぶ。


 足を相手へ引っ掛け、諸共に地面へ落下する対空の投げ技だ。


 だが……。

 相手はそれを難なく避けた。

 空中でその軌道を変えたのだ。


「悪いけどなぁ。空はあたしの領域せかいだぜ」


 言葉が放たれる。

 同時に、両腕を掴まれた。

 相手の両足が、首と右足に絡みつく。


 背中の方向へ一気に引かれ、仰け反った体勢を強制的に作った。

 背骨が軋む。


「かはっ……!」


 同時に内蔵が傷ついたのだろう。

 吐き出す息に、血が混じっていた。


「あははははっ!」


 技を解かれ、右手を掴まれたまま空中で回転する彼女。

 私はぐるぐると振り回され、そして地面へ向けて投げつけられた。


 背中越しで見えないが、高速で地面が近付いてくる危機感はあった。

 けれど、体が動かない。

 受身も取れそうになかった。


 そして、私の体は地面へ叩きつけられた。

 が、そのわりにダメージは大きくなかった。


「痛ってぇ……」


 耳元で呻く声。

 誰の声か、聞き間違えるはずがない。


「旦那様……!」


 首を巡らせると、旦那様の顔がある。

 旦那様は私の下敷きになって、倒れていた。

 旦那様は身を挺して私を守ってくださったのだ。


「すみません……」

「謝るんじゃねぇ。お前が無事ならそんなもんいらねぇんだよ」


 けれど、旦那様がここにいると言う事は……。


 ひゅっという何かが空気を切る音がした。

 そちらを見る。


 馬車のそば、ヴァール殿下とそれに剣を振って襲い掛かる謎の人物の姿があった。


 夜だからよくわからないが、暗めの肌と金髪が印象的な人物だ。

 そしてその顔にはやはり仮面がある。


 しまった。

 やはり、目的はヴァール殿下か……。


 なら、この女の襲撃者は護衛を引き離すための囮か……!


 私が不甲斐無いせいで、不埒者の手が護衛対象に向けられてしまった。

 これは大きな失態だ。


「旦那様、私よりも殿下を……」

「こっちは良い」


 私が言うのを遮るように、ヴァール殿下は言った。


「お前は嫁を守れ」

「……そいつはダメだ。ダメなんだが……。喜んでその言葉には甘えるぜ」

「ああ。甘えてくれ。せっかく愉快な人物と友誼を結んだのだ。友好的でありたいからな」

「だったら、死ぬんじゃねぇぜ? お前に何かあったら、俺も首がとぶかも知れねぇからな」

「気をつけよう」


 言いながら、ヴァール殿下は襲撃者の剣を避けた。

 相手の動きも只者では無い事はわかるが、避ける動きは軽やかで危なげがない。


 本当に大丈夫かもしれない。


 旦那様が私を気遣いながら地へ寝かせ、立ち上がる。


「さて、次は俺が相手になってやる」

「やだね」


 旦那様が言い放つと、彼女はあっさり拒否した。

 同時に、飛び上がって私達の頭上を越えていく。


 そして、もう一人の襲撃者へ迫り、振るわれようとした剣を蹴り飛ばした。

 ヴァール殿下を庇うように立つ。


「何をする!?」

「それはこっちの台詞だ。あたしだって馬鹿じゃない。テメェが何考えて何しでかそうとしてるくらいわかってるんだぜ?」

「だったら……!」

「だからだろうが!」


 女の襲撃者は、男の襲撃者を怒鳴りつけた。


「あたし達の誰がそれを望んでると思うんだ?」

「くっ」


 男の襲撃者は踵を返す。

 女の方が振り返る。


「まぁ、あたしの目的は果たせたし。今日は帰るわ。これでわかったろ? 同じ所立っているなら、あたしの方が強いってさ」


 彼女は私に向けて言った。


「じゃあね。愛してるよぉ」


 そして旦那様に向けて投げキッスし、踵を返した。

 そのまま二人は走り出す。

 闇の中へ去って行った。


 それを見届け、私は気を失った。

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