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気づいたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE  作者: 8D
三人のビッテンフェルト編
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四話 父上

 トイレに行って、帰る途中。


「クロエ」


 私は呼び止められた。


 その声に私は、ビクリと身を怯ませた。

 背中から聞こえる声。

 それだけで、私は誰に呼び止められたのかを察した。


 振り返る。

 思ったとおりだ。

 そこには父上が立っていた。


 顔が火照っているのは、風呂上りだからだろうか。


「父上……」


 私が呟くと、父上は怪訝な顔で私を見た。


「どうした? 何かあったのか?」

「いえ、別に……」


 私の様子を心配するように、父上は訊ねる。


 正直に言えば、私は父上にどう応じていいのかわからなかった。

 私には、父上からこのような表情で言葉をかけられた事がなかった。


 私の知っている父上は、いつも厳しい顔をしていて……。


「それにこちらへ寄るのも最近では珍しい。……まさか、アルディリアと喧嘩でもしたか?」


 父上は怖い顔をした。

 私の知る父上は、むしろこういう顔をしている時の方が多かった。

 怒られるかもしれない、と思った。


「そんな事はないです……」

「そうか……」


 依然として父上の顔は怖い。


「もし、アルディリアが無体な事をするような事があるならば、構わずに帰って来い。ここは今でも、お前の家なのだからな」

「はい……。でも、本当に喧嘩したわけじゃないんです」


 答えると表情を綻ばせた。


 父上が優しい。

 私を見る目にも、慈愛のようなものがある。

 思えば私は、今までに父上からそんな扱いを受ける事がなかった。


 前世の記憶を取り戻す前からも、取り戻した後からも……。


 だから、戸惑う。


 優しい父上。

 ただ、その父上は私の知っている父上とは違う。


 私の父上は、私に負けた事で家を出た。

 娘に負けた屈辱を晴らすために修行し、隣国と手を組んだ。

 アールネスへ反旗を翻し、私との再戦を果たした。

 そして再び私に破れ、今は王城の地下牢に幽閉されている。


 あの時の戦い以来、私は父上に会っていない。

 母上はよく面会に行く。

 何度か誘われた事はあったが、私は父上と対面する気になれなかった。


 母国を裏切ってまで屈辱を晴らしたい。

 私はそう思われるほど、父上に恨まれているのだ。


 どうせ会った所で、罵詈雑言を浴びせられるだけだろう。


「ふぅむ。本当に何があった?」


 父上が顔を顰めて訊ねてくる。


「いえ、何も……」


 この父上に言っても仕方のない事だ。

 この父上は、あのクロエの父上なのだから。


 父上は溜息を吐いた。


「どういうわけかな……。今のお前を見ていると、あの時の事を思い出す」

「あの時?」

「そうだ。私がお前に負けて、家を出ようとした時の事だ」


 え、この父上も私の父上と同じように、家を出ようとしたの?


「あの時、お前は私を引き止めた。何とか言葉で説得しようとして、途中からはただただ行って欲しくないと、そう懇願しだした。あの時の顔に似ている。今にも、泣き出しそうではないか」


 今の私は、そんな顔をしているの?


 それより……。

 この父上は私の懇願を受けて家を出なかったんだ。

 なら私も、父上を止められていたらあんな事にはならなかったのかな……?


 いや、あの父上がそんな事で思い留まってくれるとは思えない。

 きっと元々が違うのだ。


 私ともう一人の私《黒恵》の世界が根本から違うように、この父上自体も根本から別の人間に違いない。

 でなければ、私に負けた屈辱をあそこまでして晴らそうとした人間が、このように私へ愛情を向けてくれる事などあるはずがないではないか。


「父上は……」

「何だ?」

「どうして、私の懇願を聞き入れてくれたのですか?」


 けれど、聞かずにいられなかった。


 父上は苦笑する。

 恥ずかしそうに顔を背ける。

 それでも答えてくれた。


「そうだな……。

 正直に言って。負けた時は、憎しみすら覚えた。

 私は強い存在……強者でありたかったからだ。

 だから勝負に負けて、弱者へ貶められる事は耐えられなかった。

 それも相手が自分よりも明らかに弱く、守るべき対象であろう娘に与えられた屈辱であるならなおさらに大きかった。

 私の強さに対する誇りは、酷く傷ついた。

 それこそ、本気でお前を憎く考えるほどに、な」


 私は息を呑んだ。

 この父上は、やっぱり私の父上と同じなのだと思った。


「だがな。お前が形振り構わず泣きじゃくり、私を引き止めた時に思い出したのだ……。私が何故、強い存在でありたいと思ったのか」

「何故、なのですか?」


 おずおずと訊ねる。


「私が強くありたかったのは、家族を守りたかったからなのだ。生まれたばかりのお前を抱く妻を見た時に思った。小さな手で小指を握られた時に決心した。私は、この大事な物を守ろう、と。そのために強くなろう、と」


 再び、父上は苦笑した。


「恥ずかしい話だがな。

 お前に引き止められるまで、すっかりと忘れていた。

 お前の泣き顔を見た時、必死に私を引き止めようとする姿を見て、私はいったい何をしているんだ? と自分自身に呆れてしまったよ。

 恥ずかしくなった。

 私は阿呆な男だ。

 あれがなければ、思い出せなかっただろうからな。

 同時に安堵した。

 思い出せてよかった、と」


 そうか……そうなんだ……。


「もし、あのままで出て行ってしまったら、父上はどうしたと思いますか?」

「ふむ。本当に恥ずかしい話なので、あまり答えたくはないがな……。考えたくもない話だ。だが、もしもそうなっていたならば……」


 父上は言葉を切った。

 思案しているのだろう。

 私は父上が再び口を開くまで、固唾を呑んで待った。

 その答えを待ちわびた。


「鍛錬をしなおして、再びお前に戦いを挑んでいただろう。自分の原点を忘れ、いや、思い出したとしても気付かぬフリをして、屈辱だけに囚われてお前を恨んでいたかもしれない。私は頑固だからな。私も父も祖父も、みんな頑固だ。そういう血筋だ」

「そうですか……」

「とはいえ、そうなってもお前には勝てなかっただろうがな。勝敗のみを求めた強さに、力など宿らぬゆえ。きっと、今の私ほど強くはない」


 そうかもしれない。

 この父上は、強そうだ。

 私の父上も強かった。

 見るだけで強さが分かるのは、この父上と同じだ。


 でもこの父上からは、私の父上とはまた別種の強さを感じる。


「私が今、強くあれるのは、お前のおかげだ。お前がいたから、お前が今私のそばにいるから、私は昔以上に強くなった。きっと今の私は、若い頃の私よりも断然に強いぞ」


 父上は不敵に笑った。


 私の、おかげ、か……。

 それは私の事じゃないけれど、私はその言葉に心を救われた気分だった。


「ありがとうございます」

「何だ、改まって?」

「言いたかったんです」

「おかしな奴だな」


 頭に手を乗せられる。

 そのまま撫でられた。

 壊れ物を扱うような優しい手つきだ。


「父上、大好きです……」

「そうか……」


 元の世界に帰ったら、一度私の父上に会いに行ってみようと思った。

 もう一度向き合って、できるならやり直してみようと思った。

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