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百十六話 少しは追いつけたかな?

 逃げた先、私にとってのデッドエンドには、ヴァール・レン・サハスラータが待ち受けていた。


 周囲には、サハスラータの兵士達。

 中には、ちらほらと黒尽くめの連中もいる。

 私を拉致する時に出てきた連中だ。


 兵士達に今来た道ごと囲われ、逃げ道が失われる。


「ヴァール王子……。どうしてここに?」

「まぁ、ここから逃げるだろうと予想がついていたからな。国境を越えられるこの道、使っているのは国衛院だけではないという事さ。そして俺は、この場所を知っていた」


 ヴァール王子が笑みを向けてくる。


「お前達は必ずここを通ると踏んでいた。だから、船で先回りして待たせてもらった。他の道を通られると困るので、後ろからも追い込みをかけさせてな」

「……国は、どうしたの? 今頃、王様が攻め込んでるはずだよ」

「言ったろう? 国の行く末など知った事ではない。欲しいのはお前だ。お前さえ手に入れば、俺はどこへだろうと行ける」

「ならどうして、兵士達が従っているのさ? 国を捨てようとしている人間に」

「忠誠心と言いたい所だがな。どうせ捕まれば反逆罪。なら、俺と一緒に逃げた方がまだ生き残れる可能性は高いからさ」


 くっ……まさか、ここまで私に執着するなんて思わなかった。


「さぁ、もう逃げられない。一緒に行こうじゃないか。船の中でじっくりと、俺という男を刻み付けてやる」


 嗜虐的な笑みで、ヴァール王子は言う。

 そんな王子の視線を遮るように、アルディリアが私の前に立ち塞がる。


 ヴァール王子の表情が不快そうに歪む。


「それはさせない」

「ふん。小物が……。貴様になど用はない。眼中にすらない。そのような卑小な身でありながら、俺とクロエの間に出ようなど身の程を知るがいい。さっさと退け。そうすれば、命だけは助けてやる」

「絶対に、退かない!」


 間髪いれずに、アルディリアは言い切った。


「ほう……」


 ヴァール王子の目がスッと細められた。

 今の彼の顔からは、先程の不快さが消えていた。


 代わりにあるのは、私に向けていたような嗜虐的な笑み……。


「いいだろう。小物がぁ、俺を相手に対等であるかのような物言いをする。その思い上がりも、なけなしの勇気も、諸共にクロエの前で潰してやるのは面白そうだ」


 言うと、王子は腰に佩いていた剣を地面に投げ捨てた。


「決闘をしようじゃないか」

「決闘?」


 王子の言葉に、私は呟いた。


「クロエを賭けて、俺とお前で戦おうではないか。勿論、兵士には手を出させない。勝てば、二人とも見逃してやる」


 そう提案する王子。

 しかし、その隣に立っていた黒尽くめの一人が口を挟む。


「ヴァール様。戯れが過ぎます。そのような回りくどい事をせず、兵をお使いなさいませ」

「黙っていろ。俺の楽しみを奪う事は許さん」

「はっ……。出過ぎた真似を……」

「で、どうする?」


 どうだ? と言うようにヴァール王子はアルディリアへ手を向ける。


「本当に、勝てば逃してくれるんだね?」

「勝てればな。俺の名にかけて約束しよう」

「わかった……。約束だ。僕が勝ったら、逃してもらう」


 言って、アルディリアは手に着けていた手甲を外した。

 地面に落とす。


「ふん。着けたままでも、構わなかったのだがな?」

「不公平を理由に、約束を反故にされたくないからね」

「言うじゃないか。小物が……」


 ニヤニヤとヴァール王子は笑う。


「無残になぶってやる。クロエが俺の物になる所を見せ付け、お前に無力感を刻み込んでやろう。その絶望の中で、屠り去ってやろう」


 どうしよう……。


 今……。

 本来、私に降りかかるはずだった死の運命が、アルディリアに襲い掛かろうとしているのかもしれない。

 止めた方がいいんじゃないか、と思えてならない。


 私が王子の物になるとここで言えば、多分、アルディリアは助けてもらえる。


 そうなれば私はもう、永久にアールネスへ帰る事ができなくなってしまうだろう……。


 でも、ここでアルディリアが死んでしまうのは……。

 その姿を想像すると苦痛が胸を苛む。


 嫌だと思った。

 私は声を張り上げようとして……。


「クロエ」


 先にアルディリアが私に振り向き、声をかける。


「僕は必ず勝つよ。だから、待っててね」


 普段通りに、可愛らしく笑った。


「うん……。わかった」


 私は、そう答えて笑い返す。


 大丈夫な……気がしたんだ。

 このまま送り出しても。


 アルディリアが私から遠ざかっていく。

 彼の背中が離れていく。


 そして彼は、ヴァール王子と対峙した。


 そうだ。

 冷静に考えれば、ヴァール王子の実力は鍛錬を積む前のリオン王子と同程度だった。

 なら、そんなに恐れる事はないのかもしれない。


 アルディリアは、まだ一本取れないとはいえ、今のリオン王子に迫る実力があるのだから。


 互いに、構えを取る。

 兵士達と私に見守られる中、今決闘が行われようとしていた。


「では、始めようか」

「いつでも来い!」


 そのやり取りの後、先手を取ったのはヴァール王子だった。


 ハイキックがアルディリアの側頭部を襲う。


 速い!

 前の時に見た王子の蹴りよりも、数段速くなっている。


 アルディリアは王子の蹴りを腕でガードする。

 が、王子の猛攻はその一撃で止まらなかった。

 そこから息つく間も無く、蹴りの連撃をアルディリアへ殺到させる。


 私はそこで、自分の見通しの甘さを悟った。


 間違いない……。

 蹴りの速度、精度、威力、鋭さ、どれも前より増している。


 くっ、鍛錬を積んでいたのは彼も一緒だという事か……。


 蹴りの連撃を凌ぐアルディリア。

 しかし、最初こそなんとか防げていたが、次第に蹴りが防御をすり抜けてクリーンヒットするようになってくる。


 明らかに、王子はアルディリアの動きの癖を読んでいる。

 この短い間に、ヴァール王子はアルディリアのパターンを掴んでしまったようだ。

 攻撃にフェイントを織り交ぜ、的確に防御の隙間を衝いてくる。


 対してアルディリアは、防戦一方だ。

 時折攻勢に出ようとするが、ヴァール王子は難なくそれを避け、逆にカウンターを決めてくる。


 そして、王子の突き入れるような前蹴りがアルディリアの胴へ刺さった。


 あれは……肋骨が逝った……。


「がはぁっ!」


 アルディリアの口からは、苦しげな悲鳴が漏れた。

 ヴァール王子はアルディリアへの攻め手を止めた。

 一歩退いて口を開く。


「どうした? 威勢がいいのは最初だけか?」


 両手を広げ、無警戒な様子でアルディリアを挑発する。

 アルディリアはそんな王子を睨みつけつつ、構えを取りながら呼吸を整えている。

 今の私にはわからないけれど、白色で骨折を治している所だろう。


「後悔したか? だが、もうお前は戦いの場へ出たのだ。逃げ道は無い。あとはもう、惨めに這いつくばって死ぬ事しかお前には許されていないぞ」

「どう……かな?」


 苦しげな表情に、アルディリアは笑みを作る。


「ふふふ、その調子だ。もっと足掻いて楽しませてくれ」


 笑い、王子はアルディリアへの連撃を再開する。

 またもや、アルディリアは防戦一方となる。


 ダメだ。

 勝てない……。

 やっぱり、行かせるべきじゃなかった。


 そう思った時だった。


 王子が高く飛び上がり、踵落としをアルディリアへ見舞った。


 その瞬間、アルディリアの体が舞を踊るような優雅な動作で翻る。

 王子の踵をひらりとかわし、同時に上へ突き上げた掌底が王子の顎へカウンター気味にクリーンヒットする。


 この動き……アードラー!

 6Pの対空技とよく似た動きだ。


 対空に迎撃され、王子の四肢から力が抜ける。

 あまりの強打に意識を失ったのだろう。


 そのまま受け身も取れずに地面へ落ちる王子。

 追い討ちに踏みつけようとするアルディリア。

 一瞬にして意識を取り戻した王子は、転がるようにして踏み付けを避ける。


 体勢を整えて前を見た時、間近にはアルディリアが迫っている。

 迎撃にミドルキックを放つ王子。

 だがミドルキックは途中で軌道を変え、アルディリアの側頭部を狙い打つ。


 フェイントだ。


 それでガードを固めさせ、攻めの起点とする目論見だろう。


 だが、アルディリアはガードしなかった。

 その代わり、一歩踏み込む。

 蹴りが当たる。

 だが、狙った打点をずらされ、威力の乗り切らない蹴りにアルディリアは怯まなかった。


 膝が瞼の上にぶつかり、流血する。

 それに構わず、アルディリアは王子と密着するような距離へ詰めた。


 そして、腰の捻りを利用したショベルフックが王子の脇腹へ入り込む。


 あれは、リオン王子がアルディリアの対策として考案した技だ。


 恐らく、足を魔力の棘で固定しているのだろう。

 さらに体重と腰の捻り、純粋な腕力を加味した一撃は、相手の体への侵入を易々と許した。


 拳が肋骨へとめり込み、砕き、臓腑へと到達した事が遠目にもわかった。

 背骨を通じ、その破滅的な音がヴァール王子の耳に届いた事だろう。


 私はその時になって、ようやく気付いた。


 相手のパターンを読んでいたのは、ヴァール王子だけじゃない。

 アルディリアもまた、ヴァール王子のパターンを読んでいた。

 そして、あの反撃を可能にした。


 アルディリアはよく見ている。

 今の彼は、とても目がいいのだ。


 それは視力の話ではなく、培われた相手を見る力の事だ。


 今思えば、いつの頃からか彼は相手の動きをよく見る癖がついていた。

 防御を固めて堅実に、相手の動きを見ながら戦うようになっていた。


 そしてアルディリアは今、拳を交わしてきた門下生達の技を物にし、ヴァール王子の動きも見切っている。

 それは彼がこれまでの鍛錬において、相手を見る目を門下生の誰よりも養っていた事の結果だ。


 そして今、この時になって、彼は一人の闘技者として完成したのだろう。


 立つ力を失い、王子はその場で崩れた。


 両手を腹に回し、膝を付き、頭を地面につけている。

 そんな王子に追い討ちをかける事もせず、アルディリアは構えを解いた。

 悠々と瞼から出た血を拭う。

 そして、王子に声をかけた。


「さっきは見逃してもらったからね。僕も一度は見逃してあげる。だから、早く白色で治しなよ」


 王子が顔を上げる。

 忌々しげに、アルディリアを見上げた。

 膝を立て、震える足で立ち上がった。


「小物が……」


 白色で治したのだろう。

 次第に王子の足に力が戻っていく。

 しかし、その顔には相手への嘲りも余裕も見えなかった。

 屈辱に歪む表情で、アルディリアを睨みつける。


「僕は確かに小物だ。僕一人では、多分あなたに勝てないだろう。でも僕は、あなたに勝てる人間を知っている」

「だから、どうした!」


 王子が攻勢に出る。


 対してアルディリアがとったのは、ビッテンフェルト流の構えだった。

 その構えで王子の攻撃を迎え撃つ。


 ビッテンフェルト流の構え。

 でも、アルディリアがそこから繰り出した技は、父上のそれとは大幅に違うものだった。


 相手の動きを見て、後の先に特化した技の数々。

 力が劣るからこそカウンターと連打に頼る戦い方。


 後の先で帰先を制し、怯んだ相手に畳み掛けるような連打を重ねる。

 そういう戦い方だ。


 まだまだ未熟ではあるけれど、それは間違いなく私……。

 クロエ・ビッテンフェルトの動きその物だった。


 そういえば私も、できるだけ見るタイプの人間だ。


 ヴァール王子に勝てる人間、それは私の事で。

 だからアルディリアは、私の技を使っているのだろう。


 そして何より、アルディリアの目指した戦い方がそれだったのだろう。

 だから彼は、見る力を養ったのかもしれない。


 攻防を繰り広げる二人に、もう一方的な力量の差はない。


 互いの攻撃が互いの体へと着実にダメージを与えていく。


 が、互角にも思われた攻防。

 しかしその均衡が次第に崩れ始めた。


 拳と蹴りの応酬が交じり合う中、次第にアルディリアの拳の方が多く王子へ当たるようになっていった。


 そして、最後の一撃が決まる。

 王子の蹴りとアルディリアの拳がぶつかった。

 押し負け、仰向けに倒れる王子。


 そんな王子の顔に、一度飛び上がったアルディリアが全体重を乗せた拳をめり込ませた。


 王子は自分の顔に打ち付けられた拳を引き剥がそうと、アルディリアの手を掴もうとする。


「小物……ごと、き、が……」


 だが、その途中で手の力が失せた。

 ぱたりと落ちる。

 気を失ったのだろう。


 アルディリアの勝ちだ。

 勝ったんだ、彼は……


 拳を収めて立ち上がるアルディリア。


「僕の勝ちだっ!」


 そして、叫ぶ。


 しかし、そのまま彼は仰向けに倒れた。


「アルディリア!」


 倒れたアルディリアに駆け寄る。

 体を抱き起こす。

 アルディリアの体には無数のあざができ、顔には切り傷や擦過傷が残っていた。

 ボロボロの有様だ。


「……並び立つには程遠いけど、少しは……追いつけたかな……?」


 途切れ途切れに、彼は言葉を漏らす。


 わからないよ。

 どういう意味なの?


 どう答えればいいの?


 なんて思っていたら、アルディリアが気を失った。


「わからないけど。でも……格好良かったよ、アルディリア。ありがとう……」


 そう、これで私達は無事に帰れる。

 アルディリアが頑張ってくれたおかげだ。


 その時だった。


「何をしている! 王子がやられた。早く、その者達を捕らえろ!」


 黒尽くめの一人が声を上げた。

 先程、王子の隣にいた奴だ。


「約束が違う!」


 私は叫ぶ。


「指揮者たるヴァール様が指揮不能となったのだ。指揮権は私に移る。前指揮者の約束など、守る必要などない!」


 しかし、黒尽くめは私の言葉を一蹴する。


 兵士達はそのやり取りに戸惑っているようだった。


「その娘はビッテンフェルトだ! 今のそやつは力のないただの小娘。そやつを討って、名を挙げるのだ! ビッテンフェルトを討った英雄としてならば、国へと帰る事ができるかもしれぬぞ!」


 黒尽くめの言葉に、兵士達が私達へ向いた。

 まだ何人かは戸惑っているが、槍をこちらへ向ける人間が少しずつ増えていく。


「ビッテンフェルトなどという幻想に、打ち震える軟弱なるサハスラータをここで終わらせてやる」


 黒尽くめは言い、私は歯噛みする。


 くっ、これまでか……。


 そんな時だった。


「まったく、無様なものね」


 声が石切場に響く。

 それと同時に、兵士達の一角が弾け飛んだ。


 そしてその中から飛び出した人物が、私達のそばへと走り寄る。


「どうせなら、最後までしゃんとしなさいよね。……でも、ちょっと見直したわ。格好良かったわよ。あなたにしては、ね」


 気を失うアルディリアに声をかけたその人物は、軽装の赤い鎧を着て両手にダガーナイフを持ったアードラーだった。

 象形拳が一つ、クロエ拳!

 ヴァールのような物になった時の恐怖が、王子の心に呼び覚まされる。


 そして決闘の間、兵士を一人も逃さずに食い止め続ける先生。

 頑張りすぎである。

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