閑話 男会
女の子達がクロエの家で集まっていた頃、男の子達もまた僕の家に集まっていた。
参加者は僕、リオン王子、ルクスくん、ムルシエラ先輩、それからティグリス先生だ。
まさかティグリス先生が参加するとは思わなかったけど、だめもとでルクスくんが誘ったら了承してくれた。
「本当は、生徒を贔屓するような事はしちゃいけないんだがな。アルエットがいない家に帰っても虚しいからな。それに、どういうわけかお前達には親近感が湧く」
との事だ。
不思議と僕もその気持ちはわかる気がした。
ヴォルフラムくんも誘ったのだけど、断られた。
これを機に、クロエとの関係を詳しく聞いておきたかったんだけどなぁ……。
そうして僕の家、僕の部屋にテーブルと椅子を五脚運んで、テーブルを囲うようにそれぞれ席へ着いた。
そうして、男達の夜会は始まった。
「そういえばよう、お前ってクロエのどこが好きなの?」
不意に、ルクスくんが僕にそんな事を訊ねてきた。
「えーと、好きも何も婚約者なんだけど」
「そんなもん関係なく、お前はクロエの事が好きだろうが」
「そうだけど……なんでわかるの?」
「見てれば誰だってわかるだろうが」
「じゃあ、どうしてクロエはそれに気づいてくれないんだと思う?」
「鈍いんじゃね?」
単純明快だ。
まさしくそれ以上の理由なんてない気がする。
「で、どこが好きなんだよ?」
しかし、改めて考えるとどうして僕はクロエが好きなのかわからなかった。
「じゃあルクスくんはイノス先輩のどこが好きなの?」
逆に訊ね返してみる。
「別にいいだろ、そんな事」
「僕に聞いておいて、それはずるいよ」
「悪かったよ。……か、可愛い所か?」
聞かれてもわからないけど。
僕から見れば先輩は、どちらかというと「カッコイイ」になると思うんだけどね。
「そんな事はどうでもいいだろうが!」
ルクスくんは顔を真っ赤にして怒鳴る。
話を振ったのはそっちなのに……
「じゃあよ、お前マリノーどう思う?」
「どうって?」
「あの体だよ。いやらしい体してるよな」
胸の前で球体を掴む動作をして、ルクスくんが興奮気味に言う。
「好きな人がいるのに、他の女の人の事も見てるの?」
呆れた声が出てしまった。
「そりゃあ、そうなんだが……。それでもあれは目を引くだろ! どうしても見ちまうよ」
確かに、マリノーさんを見ちゃう気持ちはわからないでもない。
でも、クロエだって負けてないはずだ。
あれ? じゃあルクスくんはクロエの事も見ているんじゃ……。
「クロエの事もそんな目で見てるの?」
訊ねてみる。
思った以上に冷たい声が出た。
好きな人がそんな目で見られていたら、嫌な気分だもの。
そんな声だって出る。
「バカ、クロエは、あれは違うだろ。あいつを一目見て真っ先に思うのは「いやらしい!」じゃなくて「強そう!」だろうよ」
失礼な。
でも、言いたい事がちょっとわかってしまう。
ごめんね、クロエ。
「殿下はどうなんです? あと、ヴェルデイドも」
ルクスくんは王子とムルシエラ先輩へ話を振った。
「私は父上とは違う。見た目で人を好きになりはしない。人の価値は、心根の美しさだ」
「私もどちらかといえばそうですね。如何に美しい人間であっても、心が醜ければ好きになどなりません」
なるほど。
僕がクロエを好きな理由は、見た目とかじゃない。
僕もそっちの考えに近いんだろうか?
でも、やっぱり違う気もする。
身体つきが好きなのか。
顔が好きなのか。
性格が好きなのか。
どれもしっくりと理由として当てはまらない気がする。
どうして僕は、クロエが好きなんだろうか?
「見た目やら、心根やら、お前達はまだ若いな」
そんな時、ティグリス先生が発言する。
「若くねぇあんたは、そんな理由じゃ好きにならないってか?」
ルクスくんが反発するような口調で訊ね返す。
「ああ。愛情を傾けるのに、理由なんてものは必要ないからな」
「どういう事だよ?」
「考えてもみろ。自分の愛する人間がたとえその美点を損ない、失ったとして、それで嫌いになれるものか? 少なくとも、俺はならん」
ティグリス先生の言葉に、ルクスくんは押し黙る。
「人間、良い部分も悪い部分もある。美点も欠点もあるもんだ。好きな相手と言っても、受け入れがたい部分はあるだろう? 好きな部分も悪い部分もあるはずだ。それでも、好きだという気持ちは変わらないはずだ。全部ひっくるめて好きなはずだ。違うか?」
「違わない」
ルクスくんは迷う事無く、強い口調で答えた。
「どうなろうが、俺はあいつが好きだ」
言い切る声には躊躇いがない。
僕は知っている。
イノス先輩は、その体に大きな傷を負っている。
昔の事故が原因らしい。
大きな傷というのは、きっと美点を損ねる事にあたるだろう。
でも、ルクスくんがそれでイノス先輩を嫌う事なんて事はなかった。
むしろ、解消された婚約をもう一度結ぶくらいに先輩への愛情は強いままだった。
美点も欠点も、全部ひっくるめて好き。
その言葉を一番実感しているのは、ルクスくんかもしれなかった。
「そうだろう? 愛情ってのは、良し悪しで測れないものなんだよ。それが俺の考えだ」
答えると、先生は酒を一口含んだ。
それは僕にとっても答えになったかもしれない。
僕がクロエを好きな理由。
いや、理由なんてないのか……。
僕は、クロエが好き。
理由がなくても、その事実だけがあればいいのか。
「それにしても、最近のそなたはずいぶんと強くなったな」
リオン王子が、僕に話しかけてきた。
「あ、ありがとうございます。それでもまだ、勝ち星はいただけそうにないですけど」
「いや、それでもそなたの成長には、私も驚いている」
リオン王子は、僕やアードラーと同じく、クロエから闘技を教わる門下生だ。
最初こそ、組み手では手も足もでなかったのだが、今は勝てないまでもそれなりに勝負ができるようになり始めていた。
リオン王子は、僕にとっていい目標だった。
王子は僕よりも断然に強い。
けれど、クロエほど実力がかけ離れているわけではない。
強いけれど、頑張れば追いつけるんじゃないか。
王子は、遠くて近い目標だった。
そして実際に、僕は追いつき始めている。
「でも、まだまだですよ。僕には、王子のジャブを完全に掻い潜る事ができませんから」
「懐に入られるとそなたの方が巧いからな。接近を許せば拳へ威力を乗せる事も難しい。そうそう抜かれるわけにもいかぬ」
「互いに有効距離が違うから、どうしても場所の取り合いになっちゃうんですよね」
近付けば僕の有利なんだけど、それが難しいんだよね。
「場所の取り合いか……」
それを聞いていたティグリス先生が「ふっ」と笑う。
「何かおかしい事を言ったか?」
王子が先生へ強い口調で訊ねる。
「いえ、何もおかしな事は言っていません。ただ、私もそういう悩みを持った事があったと思い出しまして」
「そういえば、そなたは傭兵の出身だったな。戦いに関しては含蓄もあろう。参考となる意見があるならば、教授願いたい所だ」
「では、恐れながら。一流の闘士となれば、殿下とラーゼンフォルトの仰る事は正しいでしょう。ですが、それ以上を目指すならば間違いです」
「どういう事だ?」
「一流以上の闘士は、得意な距離を選びません」
その言葉で浮かんだのは、クロエとビッテンフェルト卿の姿だった。
僕は一度だけ、ビッテンフェルト卿と組み手をした事がある。
確かその時の戦いの時、ビッテンフェルト卿はずっと僕の有効距離で戦ってくれていた。
思えば、クロエも同じだ。
鍛錬の時は、あえて相手の得意な距離で戦っている。
王子との組み手でも同じ。
王子の有効距離を保ちつつ戦っている。
「たとえば、ラーゼンフォルトのようにリーチで劣っていたとしても、相手が闘士であるならば狙える場所はあります」
「たとえば?」
「相手の攻撃です。相手の拳や蹴りは、向こうからこちらへ近付いてきてくれる部位でもあります。それを狙い打つ、もしくは逆手にとって引き寄せる、そういった方法があります」
なるほど。
確かに、こちらが近付かなくても、あちらから近付いてくる場所だ。
でも、高速で放たれる攻撃自体を狙うなんてかなり難しいんじゃないだろうか。
「相手の攻撃を利用して、リーチの不利を消す。
クロエ・ビッテンフェルトが得意とする戦い方でもあります。
彼女は人並み外れた膂力を持っていますが、その戦い方は繊細です。
力に頼りすぎる事がなく、戦い方には技術が惜しみなく投入されている。
参考になさるといいでしょう」
「思えば、確かにその通りだ。では、近すぎる相手にはどうする?」
「それは、こうします」
先生はテーブルの上にあったリンゴへ、拳を密着させた。
「ふっ!」
次の瞬間、リンゴが弾け飛んだ。
僕と王子は、その光景に驚愕する。
二人で雑談していた、ルクスくんとムルシエラ先輩もその光景に驚いて目を向けていた。
「そなた、どうやったのだ?」
「拳の威力を決める要素は多々あります。それは純粋な腕力であったり、重心の移動であったり、当たる瞬間の体の締め方であったり……。ですが、今は速さの話をしましょう。距離の話をするならば、それが一番わかりやすい」
「速さ?」
「拳は速さによって威力が変わります。拳に威力を持たせるには、加速させる距離が必要になってくる。そして、熟練すればその加速に必要な距離は短くなっていく。いわばこれは、その究極的な形です」
理屈はわかった。
先生くらいに極めれば、距離なんてほとんどなくても威力を出せるという事だ。
でも、これも参考にならない気が……。
「とまぁ、これは極端な例です。もっと、簡単で実用的な技はある。たとえば、回転を利用するという方法があります」
「回転?」
「直線的な打撃ならば距離が必要になってきます。密着されれば、その距離は稼げない。でも、体を回転させれば距離は作り出せます」
わかった。
直線的な動きと違って、回転はその場で起こせる動きなのだ。
例えば腕と体を半回転させるだけで、半回転させた分の距離が稼げる。
その距離を加速に使えば威力を上げられるわけだ。
「予備動作で読まれるかもしれませんが、一度体を捻って拳を引いてからフックを打ち出せば接近されても必殺の威力は出せるでしょう。その予備動作にしても、回避動作に見せかけて誤魔化す事は可能です」
「なるほど。思った以上に良い話を聞いた」
「それは何よりです」
「本当に。僕も勉強になりました」
僕が言うと、先生は小さく微笑み返してくれた。
すごいなぁ、ティグリス先生。
今日、先生と話した事でいろいろとわからない事を知る事ができた。
大人の余裕があって、カッコイイ。
僕も先生みたいなカッコイイ大人の男になりたいよ。
今日は先生と話せてよかった。
この夜会を開いて本当によかった。
翌日。
僕はクロエに昨夜の話をした。
「で、それからも先生から僕の知らない色々な事を教わったんだ」
「へぇ、よかったじゃない」
そんな時、誰かに後ろから肩を掴まれた。
振り返るとコンチュエリ先輩がいた。
「僕の知らない事を手取り足取り教わったですって? その話、詳しく聞かせていただいてもよろしいかしら?」
そんな事言ってないよ。
……なんで、そんなに楽しそうなんですか?
本当は、男同士のちょっとした猥談などを考えていたのですが、先生による男塾みたいになってしまいました。
あと、先生のトンデモ理論はあまり気にしないでくれると嬉しいです。