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銀汐池のお伽噺

作者: 東 旅雨

 目を覚ますと、すっかり太陽が昇っていた。少し広めの庭くらいの大きさの池があり、その周りを深い緑の木々が囲んでいる。木漏れ日に照らし出された水面が銀色の光を放ち、キラキラと輝く様子は鏡のようだった。彼女はその池のほとりにあるほら穴の中で寝そべっていた。

―――百八十二回目。

 ほら穴の壁の石を削って印を付ける。彼女はここに来てから百八十二回目の太陽を見た。

 池の方まで歩いていると、足にしっとりとした苔の感触が伝わり心地よい。ここには彼女以外誰もいない。チュン、チュンと小鳥のさえずりが聴こえる。いるとしたらこの小鳥くらいのもので、あとは風の音、水が流れる音のみの静寂が永遠と続いていた。

 水面をのぞき込むと、海のような深い蒼の瞳の少女が映っていた。絹のような手触りの真っ白のワンピースを着ていて、美しい黒髪が肩にかかっている。手足が少し透けていて、水面に手を翳すと波紋が映って見えた。

 彼女はこれから何をするというわけでもない。銀色に輝く池を眺めて楽しんだり、ひんやりと冷たい池の水に足を浸して心地よさを感じたり、時には小鳥と戯れて遊んだりして気ままに過ごす。彼女は何も食べなくても平気だし、彼女に指図する人もいない。外へ出ていきたいなんて考えたこともなかった。

 時はゆっくりと流れ、また日が沈んだ。

―――ずっと、今日のような何もない日が続きますように。

 そう祈ると、彼女はまたほら穴で深い眠りについた。


          ***


 一人の少年が鬱蒼とした森の中を歩いている。名をルークという。濁りのない金色の髪に緑の瞳。少し小柄ではあるがその体つきから十分鍛えられていることは見てとれる。

 ルークは名の知れた探検家だった。まだ誰も足を踏み入れたことのない地に赴き、数々の絶景スポットや鉱山、珍しい生き物などを見つけ出し、それを今後利用する者から報酬を受け取っていた。

 どれだけの時間歩き続けただろうか。地図を見ても海岸線がだいたい分かる程度で、詳細が全く載っていない。海岸線ですら本当に正しいかは怪しい。しかしそれは誰も来たことがない証拠で、彼にとっては新たな発見のチャンスだった。最近仕事が不調で大きな成果をあげられていない分、今回の捜索は成功させたいと切実に願っていた。期待と緊張で鼓動がますます早まった。

―――その時。木々の隙間から銀の光が差し込み、ルークは目を細めた。ポチャン、ポチャンと水滴が落ちる音が聞こえる―――


          ***


―――百八十三回目。

 今日もいい天気。無数の葉の隙間から黄金の光が差し込む。少女がほら穴から出て、いつものように小鳥にあいさつをし終えたとき、彼女の目線の先の草がガサッと音を立てて揺れた。

(ウサギか何かかな―――?)

 そう思ったのも束の間、出てきたのは自分と似た姿かたちをした生き物で、少女は驚きのあまり叫ぶこともできずに固まってしまった。

 目先の生き物が目を丸くしてまじまじとこちらを見つめている。

「女の子――?」

 こちらに歩み寄って来ている。恐怖で思わず後ずさりした。

「ああ! 驚かせるつもりはなかったんだ……。僕はルーク。探検家さ。君の名前は?」

 不思議なことに、彼が言っていることの意味も、それに答える方法も知っていた。知っていることに今初めて気が付いた。習った覚えなどないというのに。

「……知らない」

「名前が……ないのか……。じゃあ君はどうしてここに?」

「……それも知らない。気が付いた時にはここにいたから」

「親御さんやご兄弟も……」

「いない。私と同じカタチの生き物を見たのはあなたが初めてよ」

 ルークは面食らったようだ。少女の存在は奇妙そのものだから当然だ。

「……それで。あなたはここに何をしに来たの」

 少女が尋ねた。

「ああ、えーっと……たまたま通りかかったんだよ、そうそう。」

 ルークが目を逸らしながら答える。明らかに怪しい。少女はますます警戒し彼を睨みつけた。

 慌てたルークは突拍子もない方向に話を逸らした。

「そうだ! 君は名前がないと言ったね。僕でよければ今から考えてあげるよ! 名前がないと何かと不便だろ? 君は黒髪だし顔立ちからして……ジャパニーズかな? 目が蒼いけど……」

 しばらく考え込んだ後、

「この間ジャパンに行ってきたときにジャパニーズから教わった文字があるんだ」

と言い、指で地面に「汐」と書いた。

「『シオ』って読むんだ。美しい文字だろう? 確か海に関する文字だった。ほら、ここは海に近いからぴったりだと思って」

 少女は文字をじっと見つめた。言われてみれば美しいような気がしてきた。『ウミ』が何かは分からなかったけれど。

 好きに呼べばいいわ、と少女は呟いた。

 


 日は暮れて、静寂の池を襲った嵐は嘘のように去っていった。

 すっかり疲れてしまったけれど、ひとつだけ心に留まったものがあった。

「汐……か」

 名前を付けられるのは不思議な感覚だ。ふわふわしていた自分の存在が輪郭を持ったような、そんな感覚だった。


          ***


―――百八十四回目。

 今日は曇っているけれど、冷たい風が頬に当たって心地よい。

外に出て小鳥を探そうと辺りを見回すと、静かな池には不釣り合いな異様な存在が目に飛び込んできた。

「やあ! おはよう、汐!」

―――今日の天気も嵐らしい。



「また来たの、なんてそんなつれないこと言うなよ! 友達だろ?」

「そんな関係築いた覚えはないけど。用が済んだら早く帰って。私は静かに過ごしたいの」

 汐に睨まれてふくれていたルークだったが、何を思ったのか急にピタッと動きを止めた。視線の先は汐の足元。

「……嘘だろ」

「どうしたの。急に震えだして」

「足―――汐の足、透けてない? あっ、よく見たら手も?」

 今更何を言っているのだろう、と汐は思った。汐はここで目が覚めたときからずっとこの姿見である。もちろん昨日も。

「私の手足はずっとこうだけど」

「まさか……まさか君、お化け?」

「お化け? ……私はお化けなの?」

 汐はきょとんとしている。

「僕が聞いているんだよ! ……ああ、君にいくつか質問させてほしい。まず、いつからここにいるの?」

「太陽を見たのは今日で百八十四回目」

「半年ぐらいか……その間食事は?」

「何も食べてない」

「嘘だ! 僕はそんな嘘信じない!」」

「ちょっと落ち着いて! あなたが考えてるお化けがどんな物かは知らない。けど、少なくとも私はあなたに危害を加えようとか思ってないから」

 確かに汐は迷惑がってはいるもののルークに危害は加えていない。

 少し落ち着いたルークが「もしかして精霊なのかも」と呟いた。

「セイレイ?」

「うん。池に宿ってる精霊とか。お化けというよりその方がしっくりくるね。汐、人間離れした綺麗さだし……って、あっ、その」

 急に顔を真っ赤にしてうつむくルークを汐は不思議そうに眺めていた。


雲はすっかりどこかへ消えて、太陽の光が真上から差し込んでいた。ニンゲンはこの時刻になるとご飯を食べるものらしい。

 ルークはカバンから箱を取り出した。中には綺麗に詰められた色とりどりの食べ物が入っている。箱を広げると、手を合わせて何か呪文のようなものをぶつぶつ呟いた。

「何してるの?」

「お祈りだよ。ご飯を食べさせていただけることに感謝して祈るんだ」

「ふぅん。ニンゲンって色々大変ね」

 そんなことないよ、と言って笑いながらサンドイッチを頬張った。

「そうだ、汐も何か食べる? あ、その前に食べることはできる?」

「できるとは思うけど。木の実を齧ったこともあるし。でも私は食べる必要ないからいらない」

「遠慮しなくていいって。母さんが作ってくれたシフォンケーキがあるんだ。はい」

 甘い香りのするふわふわの物をポンと手のひらに置かれた。ベージュの生地に茶色い模様が細かく入っている。表面にはこげ茶色のシロップが網目状にかけられ、白いクリームと小さい葉っぱがちょこんと乗っていた。随分手の込んだ作りだ。

「どうして? どうして食べなくてもいいものを勧めるの?」

「そりゃ、汐に美味しいって思ってほしいからさ」

「美味しいとどうなるの?」

「美味しいと幸せな気分になる。それに人と一緒にご飯を食べるのはそれだけで楽しいからね! まあとりあえず一回食べてみなって!」

 汐はしぶしぶそれを口の中に入れた。途端に、フワッと甘い味と香りが広がった。ふわふわの食感が心地よい。木の実を食べたときにはなかった新しい感覚に無我夢中になり、あっという間に食べ終えてしまった。

「何これ……すごい。こんなの初めて」

「ははは! 美味しいでしょ? もう一個食べる?」

 汐はコクコクと頷き新しいケーキに手を伸ばす。



「汐は今までずっとここにいたの?」

「ほうよ(そうよ)」

口にケーキを詰め込んだまま汐が答える。

「出てみたいと思ったことは?」

「ない。私はここが好きだから」

 そうか……とルークはうなだれた。

「じゃあさ、何か好きなものはないの? それを参考にいいもの持ってきてあげられるかもしれないし」

 汐は少し考えてから、言った。

「水。」

「―――水か。水なぁ……」

 ルークは頭を抱えていたが、やがてパッと顔を上げた。

「そうだ! いいこと思いついた! ちょっと来て!」

 ルークはサッと立ち上がると汐の手を掴んで引っ張った。

「ちょっと! 私はどこにも行きたくないんだってば!」

「すぐ近くだから大丈夫!」

「どこ行くの!?」

「海! 海を見に行こう!」



 汐はルークに半ば強引に手を引かれながら森の中を走った。抵抗しなかったのは、汐自身も少し見てみたいと思ったからだ。ウミ。私の名前と関係しているもの。水と関係しているもの。一体どんなものなのか気になって仕方がない。

 森を抜け、視界がパッと開けた。汐は突然の眩しさに目が眩み何も見えなくなった。

 だんだん目が慣れてきて、汐の目に映ったものは、切り立った断崖の向こうに広がる一面の青い絨毯だった。いつもの池に差す木漏れ日とは比べものにならないくらい強い光が海面に当たって四方八方に反射し、波の動きに合わせてキラキラと揺れ動いていた。

 汐は息を呑んだ。視界一杯に広がる水。ザバーン、ザバーンと大きな音を立てて打ち寄せる波は、まるで生き物のように見えた。

「汐、これが海だよ! 凄いだろ?」

 ルークが言った。汐が何度も頷く。

「この海の向こうには別の大陸があって、そこはこことは全く違う世界でたくさんの人がいるし、海の中にだって美しい世界が広がっているんだ」

 彼は、晴れやかな笑顔でこう付け加えた。

「この世界にはもっと楽しいことがたくさんあるよ」


          ***


 その日から先も、ルークは汐のいる池にたびたび訪れた。

 ある時は、探検家として世界各国を回って撮ってきた写真を見せてくれた。ジャパンの土産の花火をしてみた日もあった。体温の低い汐には手持ちの花火は熱すぎて持てなかったが、初めて見た火花の美しさに感動した。またある時は、道中で知り合った旅芸人の少女から買ったという民族楽器を演奏してくれた。風や水の音にはない旋律やリズムというものがこんなにも気分を左右する効果があるなんて知らなかった。

 ルークが来た日は時間が飛ぶように過ぎた。池には賑やかな笑い声がこだまし、かつての静寂が嘘のようだった。汐は一つひとつ『楽しい』ことを覚えていった。


          ***


―――二百十四回目。

 あれからひと月ほど経ち、朝は随分冷え込むようになった……らしい。汐はあまり寒さを感じない体質だがルークがそう言っていた。

 ほら穴から出てルークを探す。ここ十日ばかりルークの姿を見ていない。汐は、十日前を境に忽然と姿を消した彼が気がかりで仕方なかった。

 小鳥が肩にちょこんと乗ってきたので、力なく挨拶してほら穴に引き返す。心にぽっかりと穴が開いたような空虚感。ずっと一人だったのに。今日だって一人でいた頃のように池を眺めて過ごせばいいのに。そうしたいと思わない自分が異様に思えた。

―――そうだ、外へ。外に出れば……

 ルークの家の場所などは分からないが、少なくともここにいるよりは楽しいことを見つけられるかもしれない。そう思いつつ、汐は池を後にした。

 ひと月前に見た海まで出て、海岸線にそって歩いてみる。汐は乾燥が苦手なので潮風に当たっていれば少しはましかと思ったからだ。

 最初は楽しかったけれど、代わり映えのない景色にだんだん飽きてきてしまった。二人ほど人間とすれ違ったけれど見向きもされなかった。



 歩き進めるにつれてだんだん体が重くなる。最初は『疲れ』というものだと気に留めていなかった汐だが、これは流石におかしいと思って足を止めた。心なしか息苦しささえ感じる。

 ふと自分の手を見た瞬間、恐ろしさで震えが止まらなくなった。

「何……これ……」

 自分の手足がいつもよりもずっと透けている。足など膝の上まで色が薄れてきていて、一番下はほとんど見えないくらいだった。

 急いで来た道を戻った。もしかして。ルークが言っていた『池の精霊』という予想が当たっていたのだとしたら。汐の脳裏に嫌な考えが過った。

―――私はあの池を離れると消えてしまうのかもしれない―――


          ***


 池に近付くにつれて、あの嫌な息苦しさは和らいできた。恐る恐る手足を確認すると、普段通りの透明度を取り戻している。

―――やっぱり私は―――

 残酷にも予想は的中してしまったようだ。



 森を抜け、いつもの池にたどり着くと、人がうずくまって座り込んでいるのが見えた。

「ルーク!!」

 汐は一目でルークだと分かった。汐が駆け寄ると、彼は「心配した」と言って弱弱しく微笑んだ。

「来た時、汐がいなくて驚いたよ……。まさか汐が自分から外へ出ていくなんて。何かあった?」

「ごめんなさい! ただルークが最近来なかったから……ここにいるのがつまらなくなって」

「いや、大丈夫だよ。こちらこそ最近全然遊びに来れなく…て…っ」

 ルークがゲホゲホと咳き込みだした。

 慌てた汐に「大丈夫だから」と諭して言葉を続ける。

「汐、ここの池を出る気はない? ここほどではないけれど、静かで綺麗な池のほとりに建っている家があるんだ」

 ルークはひどく辛そうな顔をして言った。汐は戸惑ったが、重々しく首を横に振った。

「ごめんなさい。きっとそれは出来ない……」

 さっき起こった出来事をそのまま話す。ルークは「そうか」と呟いた。諦めにも似た表情を浮かべている。

「いいんだ。突然悪かったね。今のは忘れて……」

 汐は普段と様子が違うルークを見て戸惑った。何か辛いことがあったに違いない。体調も優れなさそうだ。

「どうしたの? 何かあった?」

「僕は―――」

 その時だった。

 ルークはフラッと体のバランスを崩し、地面に倒れ込んだ。

「ルーク!?」

 汐は駆け寄った。彼は激しく咳き込んでいて、額を触るととても熱かった。

―――どうしよう!!

 こんな秘境の地に頼れる人など誰もいない。汐は平気だけれど、日も暮れて冷え込んだ今、ルークにとってこの気温は辛いはずだ。汐はルークを何とか背負い、少しでも風をしのげればとほら穴の方へ向かった。


          ***


 木の枝を集めてきてルークのカバンに入っていた器具で火を付ける。使いかは花火をした時教わった。

 ワンピースの裾を破き、池の水に浸したものをルークの額に乗せる。汐は、これぐらいのことしか出来ない自分が情けなく思えた。

「ありがとう……」

 ルークが言った。さっきよりは落ち着いたようだ。

「隠しててごめんね……」

 苦し気な表情で見つめられる。汐はどうしていいか分からなくなっていた。



 ルークは先天性の重い病気を患っていて、薬が切れると必ず今のような症状を引き起こすらしい。薬が切れたのが昨日。薬を買うお金がなくなってしまったそうだ。

「父さんはとある工場の責任者で……製造過程で使われる機械が故障してね。大きな事故を起こしてしまったんだ……。たくさん負傷者が出て……父さんにも責任が問われて。賠償金とか、色々……」

 それが十日ほど前の出来事だという。

「だからって……薬も買えないくらいお金を取られちゃうなんておかしいよ! ルークは何も悪くないのに……」

 汐は目に涙を溜めて言った。

「そうだね……でも大丈夫だよ。僕の場合症状が出るだけで死にはしないから」

「全然大丈夫そうには見えなかった!」

 汐が叫ぶ。

「ねえルーク。さっき私に住む場所を変えないかって言ってたよね。あれは何のためなの? 何をしようとしていたの?」

「その話はもういいんだ。汐に迷惑はかけられないから……」

「いいえ―――私本当は分かってる。この土地を売るんでしょう?」

 汐はルークを真っすぐ見据えて言った。ルークはもうはぐらかすのを止めた。

「正確にはこの土地を紹介する。その紹介料をいただく……ここは僕の所有物ではないからね。ここは景観が素晴らしい。ここにいると癒される。観光地として紹介すれば間違いなく成功すると思った―――最初、ここを見たときに」

 ルークは、そのためにここに。汐は納得した。

「だけどここは汐の家のようなもので―――」

「構わないわ」

 汐の心は決まっていた。

 口を挟もうとするルークを遮って続ける。

「それでルークが助かるんだったら。それにね、私―――あなたと出会って、楽しいことたくさん知ったら、今までの静寂の中でいられなくなってしまったの。―――観光地になればたくさんの人が訪れるんでしょう? その方が今よりずっといい」

 汐はほほ笑んで言った。ルークはまだ心配そうな顔をしている。

「……一度決定したら後で取り消しはできない。ここの環境が破壊されるかもしれないよ。それでも?」

「私はこの池の精霊よ。環境を破壊したりさせない。必ず守ってみせるから。だから大丈夫」

 ルークは小さく「ありがとう」と言った。そのまま二人は深い眠りについた―――



―――二百十五回目。ルークとの別れの日。

 今日は少し暖かい。柔らかい日の光が辺りを包む。

 ルークは、この池を宣伝し、薬が得られたらまた別のスポットを探して旅に出る、と告げた。

「この池に名前を付けるとしたら……君の名前を付けてもいい?」

 汐はゆっくり頷いた。

「また遊びに来てね、ルーク。―――待ってるから」


          ***


 その後しばらくすると、池の周りは急に騒がしくなった。

 池の周りの木をある程度伐採し、池の周りのスペースを広げる作業や、この池に来るまでの道を作り、整備する作業。すこし離れた場所には店まで建てられた。報道陣が取材に来たりもした。

 毎日多くの人が訪れ、汐は彼らを観察して楽しんだ。

 かつての静寂は跡形もなく消え去った。汐はそれでもいい、と思っていた。

 いよいよ観光地としてこの池のことが発表された。ますます多くの人が訪れる。汐が一人で見ていた銀の鏡は、今ではたくさんの人の顔を映し出している。この美しい景色をうっとり眺める人、はしゃぐ人、絵を描く人。様々な人が訪問しにくるので、毎日飽きることはなかった。

 ただ一つ辛いことがあるとしたら、誰の目にも汐は映っていない、ということだった。


          ***


―――どれぐらいの時が経っただろうか。太陽が昇った回数を数えるのはもう止めてしまった。きっと人間の暦では五年ほど経っているような気がする。

 早朝。まだ観光客の姿は見えない。

 汐は、ほら穴から出て銀に輝く水面を見つめていた。



 その時。


 ほら穴の横からガサッと草が揺れる音がした。池の周りが整備された今、正門以外ではそこだけがこの池を出入りできる場所だった。


「君は全然変わらないんだね」

 ほら穴の陰から懐かしい声が響く。

 汐はそちらに向かって駆け出していった。



「―――おかえり!」


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