ラプツィレムの悪夢
It was the very first day whith we truely understood what the "non-humans" are.
──David Granzia, "The Nightmare──What can be seen in the nation of the deads "
7/13/2023
地獄に迷い込んだようだ。
某米国最大手テレビ局記者、デイヴィッド・グランツィアは思わずそう呟いた。人の行いとは思えなかった。ホロコーストですら、ホロコーストですら生き残りがいたというのに。
しかしそれは問題ではないのだ。それすら問題ではないのだ。問題はただ事実それが行われたということ、そしてそれが求められていたということ、それだけなのだ。
ひとっこひとり、いないのだ。生きたひとは、一人も。
地獄だってここまでひどくはないだろう、と当の本人が嘯く。悪魔のように、神のように。死神と呼ばれる彼は囁く。死者への手向けを知らぬかのように。自らしたことに責任を感じないのかとの問いはしかし意味を成さない。彼ら神憑きは、人を殺してはならないのだから。自らの意思では。
神憑きは、人々の一員ではあれど、人間ではない。
それ故の悲劇。それ故の悪夢。
この街、ラプツィレムは死兵旅団の駐屯地にされたのだ。ことによれば独立亜大陸と近年ようやく落ち着いてきたイスラーム国との全面戦争にすら発展しかねなかった事態を、しかし国連軍は許さなかった。
彼らは必要な犠牲だったのだ、と誰かが言うだろう。犠牲にならない者達と、犠牲を生むものたちが言うだろう。
7/2/2023
暑い夏の日のことだった。貧民街では、井戸にみんなが水を汲みに行った。いつものように。小さな女の子が一人、水を溢してしまい母親に打たれた。この地は砂漠に囲まれている。水は、真水は貴重なものなのだ。十二の男の子が一人、水汲みの列に割り込んだ。非礼は非難で報われた。
いつもと同じ風景。
しかし井戸の中身だけが異なっていた。
水が彼らを殺すことになるなど、誰が知っていたろうか。毒ではない。しかしそれは確かに彼らを殺した。死に進ませた。
“死兵旅団"。独立亜大陸の誇る特異能力者の能力。
特異能力者──つまりは人類でない者。
否、当時は未だ独立亜大陸は誕生していない。パキスタンの誇る、霊威能力者。自然許諾を超す力の行使者。SS-DC-01“人形師”。彼女は人間を、あらゆる人間を支配する。もっとも、それは人を支配するのとは異なる概念である。今の世では。
これは、一人の人が国家に勝利しうる世界。個人の所属が外交を変化させる地球の、悪い夢のような物語。
ラプツィレムの悪夢。
人口八十万を超す都市が一つ、消えてなくなった日。
世界が漸く、彼らを知った日。
始めに倒れたのは、靴職人の男だった。街一番とは言えないような、そんな靴屋の店主だった。人々は驚き駆け寄ったが、彼が五秒ほどで起き上がってきた後はあまり気に留めなかった。
彼ら住民を責めてはならない。どちらにせよそのときにはもう、手遅れであったのだから。
次にふらついたのは缶拾いの娘だった。普段からあまり体の強くない少女だったから、いつものことだと流された。しかし、それから三分に一度は人が立ち眩みをおこした。同じ貧民街といえど、事態は初め三時間は知られなかった。
貧民街が街のあちらこちらにあったから。地区が違えば会うことは無い。彼らの世界は閉じている。
皆自らが生きることに必死で他人に興味など持っている暇はなかったから。無論そんな余裕も。彼らの世界に情など不要。もっとも死にたがりは別としてだが。
彼らが五秒十秒で起きあがるから。元より栄養不十分な貧民窟の住民。暫し倒れて疑問に思う者は少ない。たとえその後彼らの反応が少しばかり鈍くとも。たとえ彼らの目がいつも以上に濁っていても。
だから、だから。
誰も、気付けなかった。
気付いたところで無駄ではあったろうが。
そして、声がする。
彼女の、人形師の、声が。
────産めよ、殖えよ、地に満ちよ。ってね。増えなさい、私の子供たち。私はそれを祝福しましょう。
────逆らう者は殺しなさい、私の人形。ここは私の地であるのだから。
この場にいない誰かの声に、死兵たちは即座に従った。彼らに彼女に逆らうなどという考えは端から存在しない。彼らはただ彼女の命の通りに行動するだけの傀儡。
そして、悪夢が。二流恐怖映画のような悪夢が始まる。ようやく、始まる。
化け物は人間を羨み、その手を掴んで引き倒す。死人は生者を妬み、自らの住まう呪われた沼へと引き摺り込む。人形は生ける者を仰ぎ見つつ、此処まで堕ちよと囁く。生きたままに。血は温かいままで。虚ろな眼も、決して見えていないわけではない。生ける人形。人形の心臓はまだ、動いたままなのだ。
人形たちに意識はない。人形たちに望みはない。人形たちに記憶はない。
人形たちに、未来はない。
彼らの脳は、新たな主人を覚えてしまったから。彼らの肉体は、他者からの手助けに順応してしまったから。
そうして、傀儡はふえていく。心臓と脳さえ無事なら良い、と言って。自立する人形はその子を殖やす。手の無事な者は銃を取った。片手と片足さえ無事なら車に乗り込んだ。腰より上だけあれば、車両の中から撃てると言って。五体が無事な者は傷口を塞いで服を着替えて、外に新たな人形を増やしに行った。
そして、それを。その様を。
遥か空の彼方から誰かが見ていた。何かが。それは感情も無く見据えていただけである。観察し、観測して、それだけ。それの役目はあくまで情報を得るところまで。後は地上の分析官なり情報処理用人工知能の役割。
人形たちのふえる様を、人工衛星の無機質なカメラは見ていた。軌道からは、見えていた。
異常は正常に感知された。情報はイスラエルからアメリカ、次いでそこから更に複数の国に送られた。しかし動くのは彼らではない。国際連合、その下部組織にして世界最大の暴力装置。国連軍。戦争強制停止組織、抑止力の極み。彼らの責務は、戦争・内紛の当事者を正義の側を問うことなく殲滅すること。
そして今。
死兵旅団。死者の兵団。
世界最高の人形使いの旗の下に。
地球唯一の人間使いの指揮下に。
パキスタンの抱える戦略級特異能力者、戦略兵器に匹敵する超能力者。
人間兵器。
その下に“無視できないほどの戦力が集まった”、と彼らは判断した。
パキスタンの否定も、意味はない。当事国がラプツィレムを捨てると決定してしまったから。
軍規が要求するのは“当事者の少なくともどちらか一方による同意”。そして三ヶ国以上の別々の出身国を持つ将官が決定に携わること。そもそもが当事国どうしからの要請である必要すらなく。あまりにもあっさりと。
ラプツィレムは、見捨てられた。
悪夢の中を永遠にさ迷え、と宣告された。
功利主義の精神──“最大多数の幸福”のためだと言って。名もなき一般市民のためにと、名もなき一般市民が切り捨てられるのだ。
そして名ばかりの良心が、苦痛を減らそうと画策する。最大戦力による殲滅が選び取られた。
最大戦力。それは核兵器だろうか。都市をまるごと焼き尽くすような戦略兵器だろうか。
否。
今の世で、最大の戦力は個人なのだ。戦略級、それも対国家級と呼ばれる者達。
この時は、死神と呼ばれるものに指令が下った。
そうして呆気ないまでに、人形館での悪夢は終わる。
夢見るものたちは夢からも現からも追放されて。
7/4/2023
そうして、男が一人落ちてくる。汎用の能力とされる[飛行]を使って。
そうして、彼に指示が下る。
その戦略兵器に──大量破壊兵器の紛い物に。
────SS-MD-02“死神”、特殊能力[即死]を広域展開せよ。
その通達は、呪いにも似て。
────了解。
“死”がひろがる。
何も起きてはいないようにも見えるけれども。
人が、獣が、倒れていく。樹が草が花が枯れていく。もしもそんな事を観測する暇があったならば、細菌やウィルスの類いまでその機能活動を停止したことがわかるだろう。
そうして悪夢は終わりを告げられ、おぞましい現実だけがそこに残る。
たった一人で、八十万を越える人を殺した者がいるのだという。
そして彼は、命じられさえすれば同じことを何度でも繰り返せるという、現実が。
しかし目下のところはもっと切羽詰まった問題が山と積まれている。例えば死体の処理だとか。例えばこの土地が元通りになるには少なくとも数十年の時が必要であることについてだとか。
だから、今のところは忘れていられる。
この後起こりうる絶望から、目を背けることができる。
しかし人々よ、心せよ。
悪夢は、繰り返されるから、真に悪夢であるのだと。