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短編

政略結婚のすすめ

作者: 片桐ゆかり

「……それは、レオ様が望んだことですの?」


自分の出した声が震えていると自覚する。思考が追い付かない。

わたし、こと、クローディア・ルナティックは目の前の父親が言った言葉に疑問でもって答える。だって、そんなことあるはずがないのだ。


「レオ様とわたくしが結婚すると、おっしゃるの、お父様」

「悪い話ではないだろう?幼いころからの仲だ。お前を決して不幸にはしない男だと私は思っているよ。――何が不安だい?」


レオ・ブラッドリーは幼馴染と称してもおかしくない相手である。

名門侯爵家の令嬢たるわたくしと、同じく侯爵の位を近々お父上から引き継ぐであろうレオ様は身分つりあっているし、何よりルナテイック家とブラッドリー家の結びつきを強くするという点においては、とても良い縁談である。そしてそれは、わたくしたちが幼いころからそれとなく教えられてきたことだ。

――いずれ、わたくしはレオ・ブラッドリーに嫁ぎ、妻となる。

それは、わたくしがこの世に生を受けて16年のあいだずっと頭にあったこと。けれど、それと心は別だ。

確かにわたくしはレオ様を慕っている。この人がいいと、それこそ物心ついたばかりのような小さなころから。

最初は2歳年上の兄として、そしてそれは恋情へ変わるのはきっと不思議ではない。

侯爵家の子息としてレオ・ブラッドリーはたいへん優秀だった。勉学も、武術も、抜群にできた。なによりも、その容姿だ。社交界で噂になる日がないほどの、美しさ。

男の人であるのに、美しくて。浮かぶ笑みはとろけてしまうよう。

わたくしがその隣に立つのだろう、と思うからこそ、完璧な淑女になろうといつだって必死だった。たしかに、そのおかげでわたくしとの婚約の話が進んでいる。


けれど、知っている。

その眼はいつだって、わたくしを妹としか思っていないのだろうということを。


――きっと、いい家族になれる。

何時も優しく、わたくしに笑いかけ穏やかで幸せな家族をきっとレオ様となら築いていける。そう、自嘲した。


「娘に甘いと、言われるかもしれないが。私は幸せになってほしいのだよ。幸いにもディオールは良き妻に恵まれた。

次は、お前に。この時代に夢見がちだろうが、一人の親としてそう願う。もちろん、家のための結婚でもある。だがね、クローディア。私たちがお前の幸せを第一にと思っているんだよ」

「…お兄様は、ルルーナ義姉さまとうらやましくなる位仲睦まじいですもの。わたくしも、それに憧れております。

ご心配をおかけしてごめんなさい、お父様。――そのお話、わたくしに異論はありません」


そっと目を伏せる。

兄のディオールはルルーナと珍しい恋愛結婚である。政略結婚はいやだと、逃げ回っていた兄が連れてきたのがルルーナだった。巷で流行っている恋愛小説のように一目で恋におち、結婚を決め、という筋書き。そしてなによりも二人が望むまま幸せになれたのは、二人の身分が釣り合ったことだった。

身分、なによりも大切な、それ。きっとわたくしが違う家の出だったらこの婚約はなかったのだろう。好きな人の妻になれるのだから喜ぶべきなのだ。

そう自分を納得させた。


「きっといい家庭をつくっていけますわ」


――家庭は作れても、夫婦には、なれないだろう。

ほほ笑んだ娘に父はそうかとうなづいただけだった。

父の執務室をでてぼんやりと部屋への道を歩く。窓ガラスの向こうには、中庭で仲睦まじく散歩をする兄と義姉の姿。

あんな風に、幸せな夫婦になれるのかしら。震えそうな唇をかみしめることでこらえる。

大丈夫、きっと、大丈夫。そう心の中で繰り返した。


「あの方はわたくしを、愛してはいないのに」


それでもきっと、結婚はできてしまうのだ。家同士の結びつきのために、結婚することが大半でしかない。

わたくしの兄たちが特殊なだけ。だから望んではいけないのだ。


「小説のようには、ならないわね」


ぽつりと口から出た言葉を振り切るように、窓から視線をはずして歩き出す。

颯爽と、けれど優雅に。けして急いでいるようにもだらだらと歩いているようにも見えてはいけない。

動作は礼儀は、教養は、自分を守る壁になる。それが、クローディアの信条だ。

だからこそ家の中でだっていつだって完璧であろうと、した。

それを崩したのは他でもない、レオ様だった。完璧になろうとするあまりふさぎ込んでしまったわたくしを救い上げたのも、内緒だといって同じ馬に乗せてもらって出かけたことも、先ほどの兄たちのように彼の家の庭を二人で散歩したことも。

全部がわたくしを素に解き放ってくれていたのだ。完璧ではないクローディア。それでも、隣にいるときは自然に息ができていた。身分を感じなくてもよかった。


考えすぎて思考が暗い方向へいくのを恐れてわたくしは考えることをやめた。

自分の部屋について扉を開ける前に、つぶやく。

これは呪文。わたくしがわたくしであるための。


「……しっかりなさい、クローディア。わたくしは、きっと、だいじょう」


だいじょうぶ、と声に出す前に、扉が開く。

部屋の主であるわたくしがいないのに部屋にいるなんて、おかしすぎる。

強盗?けれどどうして?ルナティック家の警備は優秀だ。それはどこにも引けを取らない。

その混乱した思考を、目の前の人物がさらに混乱に陥れた。


「父上から話は聞いたか?クローディア?」

「な、レオ様?!」



――先ほどまでわたくしの思考を奪っていた張本人が、まさか自分の部屋から出てこようとは誰が予想できよう。

上ずった声で名前を呼ぶだけしかできないわたくしを見下ろして、驚かせてすまないと謝ったレオ様はわたくしの手をとって部屋の中へ誘った。


「どうしてここにいらっしゃるの?お父様はご存知でしょうか、ご挨拶は…」

「婚約者に会いに来ただけだ。最初に挨拶はさせてもらった。お前と話があるというので、部屋で待たせてもらった」

「わたくしのですの?応接間でお待ちくださればそれなりのおもてなしを出来ましたわ…!レオ様、お茶をいま持ってき、て」

「いい。いらない」

「わ、かりました」


上ずった声のまま顔をうつむける。

身をひるがえそうとしたわたくしの腕をつかんで引き留めたレオ様は、腕を放さないまま、わたくしを引き寄せた。

まるで、抱きしめられてしまっているよう。

そんな夢想を抱こうとして、は、と思い至る。

――わたくしがお父様に呼ばれるまで令嬢の間で人気の恋愛小説を読みふけっていたことを。

そういったものを愛読するものは多い。けれど、それを表立っては言えない。令嬢、あるいは夫人の間でひそかな趣味として流行しているのだ。

そして、それはテーブルに置きっぱなしにしていた。ということはつまり。

おそるおそるテーブルに目を向ければ、読みかけのままテーブルに置かれた小説が目に入る。


「レオ様、あれをお読みになったの?!」

「ああ、これか?今流行のもののようだな」

「……ええと、その…」


もう何も言えず、口ごもる。

呆れられてしまっただろうか。女性関係のうわさが全くないレオ様は、そういった感情や関係に潔癖な思いを抱いているのだと聞く。

本人と話をしたわけではないから真偽はわからないが、それでも、あまりいい感情は抱かれないだろう。



「クローディア?どうした」

「いえ、あの、なんでもありませんわ」



哀しくなって目を伏せた。わたくしが、思いを告げたらどうなるのかしら。

先ほどまで読んでいた小説は、ハッピーエンドが主流のものにしてはめずらしく悲恋を題材にした小説だった。

身分差によって引き裂かれ、ヒロインは思い人を思って身を引き一人静かに旅立ち、思い人はヒロインを思いながら政略結婚を受け入れる。静かな話だった。そして痛い。

知らずヒロインの想いに同調して泣きながら読んだものだ。

そして、わたくしがこの思いを告げたとして、この人を困らせてしまわないだろうか。

そうなるくらいなら、この想いは秘めたまま、飲み込んで生きていく。



「クローディア、聞きたいことがある。それを聞くために俺はここに来たんだ」



うつむいたまま考えこんでいたわたくしははっと意識を戻した。

思った以上に近い距離に、後ずさろうとしてできないことに気付く。

腰を抱えられて、まるで抱き合っているかのような――否、抱きしめられている格好のままでレオ様を見上げる。その瞳は、熱っぽく、わたくしは錯覚を起こしそうになる。



「なんですの、?」

「クローディア、お前は俺と結婚することを望むか?」

「…それは、」


開いた口を閉じる。手足がすう、と冷たくなるのがわかって、それでも逃げないと一度唇をかむ。

もう一度口を開こうとして、わたくしは自分の声が震えてしまったことに嫌悪した。



「わたくしとの婚姻をのぞまないと、いうことですの…?」

「…どういうことだ?お前こそ俺と結婚してしまっていいのか」

「当たり前ではありませんか!レオ様こそわたくしでよいのですか」

「お前がいいから結婚を申し込んだんだ、……ん?」

「………え?」



たっぷり三分ほど、お互いを穴が開くほど見つめ合ったわたくしたちは、言葉の通り混乱していた。

疑問に疑問で返され、しかもそのセリフはなんとなくおかしい。

まるでわたくしが結婚を嫌がっているかのような。

そしてかわした言葉をかみ砕いて理解していくにつれ、わたくしは自分が途方もなく喜びを感じていることに気付く。期待してしまっても、いいのかしら。



「クローディア、お前は俺と一緒になってくれるのか」

「…わたくし、わたくしずっと夢見ておりました。貴方の妻になって隣に立って、夫婦になることを」



夫婦になってくれるのですか、つぶやいた声は掠れていたけれど目の前の人には伝わったらしい。

切なく微笑んだあと、とろけるような極上の笑みを浮かべてわたくしをかき抱いた。

ぴったりとふたり一緒になってしまいそうなくらい、強く。きつく。



「クローディア、愛している。一目見た時から、お前に初めて出逢った時からほしかった。ずっとずっと、この日を待ち望んでいた」

「わたくしも、あなたが好きです」



抱きしめあったまま愛を伝え合う。思いが通じ合うことがこんなにも幸せなのかと、涙でぼやける視界でレオ様を見上げながら思う。

好きです、とわたくしはこの人に伝えてもいいのだ。愛していますとその隣で笑っていいのだ。

自分からレオ様の背中に腕をまわして抱きついた。



「レオ様、お慕いしております。わたくしを貴方のものにしてくださいますか?」

「クローディア、お前がいればそれで俺は生きていける」



そっと腕の力が緩み、わたくしの顔が持ち上げられた。

近づいてくる顔を見続けられず目を閉じれば唇にふわりと触れた、熱。

何度も繰り返される口づけはわたくしを蕩けさせる。ふわふわとした心地に体から力が抜けた。けれど決してわたくしから離したくはなくてきゅ、としがみつく。



「さらっていきたいくらいだ」

「…れおさま、」



舌足らずな口調になってしまったのも仕方ないだろう。こんなに、濃厚な口づけを交わしたことなどこれまでの人生なかったのだから。

そのまま見上げていれば、わたくしを抱きしめたまま持ち上げて、二人でソファーに腰を下ろす。



「もっと早く告げていればよかったな」

「…わたくしも、そう思います」


隣り合って座り、レオ様の肩に頭を預けながら夢見心地でつぶやく。

まるで夢を見ているよう。こんなにも、わたくしは幸せで。先ほどまで考えていた暗い思考がすっと消えていく。


「だからといって、逃がすつもりはなかったが」

「え?」

「お前が俺を思ってなかろうと、俺はお前を結婚をするつもりだったという話だ。杞憂に終わったがな」

「…ええと、同じ気持ちでうれしいですわ」



なんとなく、あまり触れてはいけない話題だと本能で察したのであいまいに笑うだけにとどめる。

気にした様子もなく、わたくしの手を握って額に口づけを落としたレオ様はどことなく満足そうだった。



「ああ、そうだ。クローディア、テーブルの小説だが」

「……ああ?!」



血の気がひく、とはこのことだろうか。忘れていたかったことを思いだし、わたくしは悲鳴を上げて飛び上った。訂正、飛び上ろうとした。

自分の体はいともたやすくレオ様が捕まえてしまったのだが。



「お前が恋愛小説に憧れていることくらい、知っていたが」

「……知っていらしたの」

「隠していたつもりだったのか?」

「だって、あまりあの、よく思われないかなと思って…」

「健全な小説なようだったから別に規制するまでもない。ほしいのならプレゼントしようか?」

「……レオ様も、お好きですの?」



まさかとは思いながら聞いてみれば、真顔で首を振られた。

けれど、その顔に嫌悪感などはうかんでいなくてほっとする。小説を読むことはわたくしにとって息抜きの上で欠かすことのできないものだ。

小説の上でいろいろな恋愛を読む、時にときめき、笑い、そして涙して、そして過ごす時間はかけがえがない。いつも気を張っていたわたくしと、今裏表なく笑いあえる友人たちと引き合わせてくれたものでもある。

だからこそ、これをレオ様が否定しなかったことがうれしい。



「家の母がそれにはまっていて、お前にどうだと言っていてな。テーブルの本、母上も持っていた。…それで、久しぶりに家に来ないか?」

「まあ…!」



驚きで上がる声を抑えられない。

ブラッドリー侯爵夫人は、レオ様の実の母であり、そして誰もが憧れる貴婦人だ。

幼いころから何度かお会いしたこともあってわたくしは彼の方がとても好きだった。そして、そんな素敵なお誘いにもちろん首肯した。



「そうか、なら何日か泊まっていくか?少しでも家になれていたほうがいいだろう」

「レオ様はお優しいです、でもよろしいのですか?」

「ああ、もちろん。あそこはクローディア、お前の家となるのだから」



はい、と笑えばにこやかに、けれど有無を言わせないような笑顔でレオ様は侍女たちを呼び集め準備を始めさせていた。

――もしかしなくとも、これからいくのだろうか。

その思いが出ていたのか、レオ様はわたくしの手を取ってきてくれるか?と弱弱しく聞いた。

なんだか、わたくしが否定するのを恐れるかのような声音にそんな顔をさせたくなくて勢いよくうなづく。そして侍女たちは何も言わず、数日分にしてはやけに多い荷物を作り始めていた。



「まあ、数日なのよ、そんなに持って行っては…」

「構わない。なくて困ることはあっても、ありすぎて困ることはまずないだろう。それに部屋も用意してある」

「そうなのですか?レオ様は支度が早いのですね」

「お前がいつ来てもいいように準備は前々から整えていたからな」



そのまま父に挨拶を、といっても自分がするからとレオ様はわたくしを一足先にブラッドリー家へ向かう馬車に乗せた。

――それからわたくしがルナティック家に帰ってこれたのは、それから数か月後のことになることを、わたくしは知らぬまま。

そしてなにより、ブラッドリー家についたわたくしはレオ様がしていた準備というのが結婚についてのことだったというのを知り、驚愕することになるのだった。



――やることが極端すぎるのですわ!








***

私の中で幼馴染ブームがきているのか、またもや幼馴染を…。

今回は名ばかりの中世でしたが、わたくしという一人称をつかってみたくてみたくて。

そしてちょっと書いているうちにレオがヤンデレちっくになってきたので危うく修正しました。最後のほうに欠片だけはいってますが。

最初はそのまま連れ去って家から出さずにどろどろ甘やかすエンドまでいきそうだったのでした。

そっちもたのしかったです。



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― 新着の感想 ―
[一言] 続編が、見てみたいです。ぜひ、お願いします‼
[一言] いっその事、そのまま身籠りました、的な展開を書いて欲しかった…かも(笑)。
[良い点] ハッピーエンドで安心しました。ヒーローがかなりヒロイン好きでよかったです。 [気になる点] 侯爵けの子息としてレオ・ブラッドリーはたいへん優秀だった。→侯爵家の子息としてレオ・ブラッドリ…
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