【三題噺】男爵と私と日本情緒
この作品は三題噺です。
今回のお題は「お母さん」「セミ」「レバー」になります。
少し短めですが、どうぞお楽しみください。
拝啓、お母さん。
念願だった国立魔法生物研究所に就職して二ヶ月経ちました。
まだまだ慣れないことばかりですが、毎日驚きの連続で退屈する暇がありません。
魔法生物学が誕生して二十年。世に生まれて日の浅い学問だからこそ、先駆者として新しい発見を……
「瀬良さん、エサの時間だよー」
そう言われたかと思うと、私の目の前にレバニラ定食が置かれた。
研究所内の食堂で手紙を書いていた私にこんなものを持ってくる人は一人しかいない。
「博士、私は血液タンクじゃありませんからね?」
書きかけの手紙と筆記用具を片付けながら、これを持ってきた人――清見博士に抗議する。
どこか茶目っ気の抜けない白髪混じりのおじさん博士は、ちくわ天うどんをテーブルに置いて、席につく。
「そんなの当然じゃないか。君は貴重なしゃべる血液タンクさ」
清見博士はアンデッドの中でも吸血鬼を専門に研究していて、私はこの人の部下として働いている。
研究自体はごくごく普通で、順当に研究費を勝ち取れるくらいの成果を出しているのだが、性格にかなり癖があるため、職場であってもあまり顔を合わせたくない人というのが私の評価だった。
「ほら、ちゃんと鉄分を摂らないと、貧血で倒れちゃうよ」
「はぁい……」
どうしてこんなことを言われているのかというと、私の血液は研究対象である吸血鬼のご機嫌を取るために利用されているからだ。いくら健康体で処女だからって、こんな扱いはあんまりだ。
しかし、上司の命令に逆らうとさらに無茶振りされるので仕方なくレバニラ定食を食べ始める。
火の通ったレバー特有のもさもさした食感をご飯と味噌汁で誤魔化しながら食べ進める。
「それを食べ終わったら『男爵』にも食事させておいてね」
博士が七味唐辛子に手を伸ばしながら私に指示を出す。
『男爵』とは、私たちの研究チームが研究対象にしている吸血鬼の通称だ。
本名を頑として言わないので、私たちで勝手に名付けた。
ブラム・ストーカーの小説になぞらえて伯爵でも良かったのだが、清見博士が「そんな大層な爵位をつけなくてもいいんじゃない?」と遠回しにやめろと言われ、男爵に落ち着いた。
「わかってますって」
「最近は機嫌も良いみたいだし、ついでにコミュニケーション能力関係のデータも取っといてね」
「『男爵』と普通に話せたことがないんですけど……」
「それじゃよろしくね」
そう言うと、博士はうどんをすすり始めた。
昼食を終え、私は実験棟の最下層に来ていた。
『男爵』は日光に弱いため、陽の光が届かない地下深くに隔離されている。
無機質な印象与える灰色の廊下を少し歩くと、清見ラボの表札がある実験室が見えてくる。私は首に提げているIDカードを認証機器にかざし、扉のロックを解除する。
実験室の内部は、3分の1が『男爵』の居住スペースで、残りは私たちが実験に使う器具を保管したり、寝泊まりするスペースになっている。
私の血液が入ったパックを保管庫から取り出して自然解凍していると、仮眠室から先輩の坂木さんが顔を出した。
「おはよう瀬良ちゃん……今何時?」
「おはようございます。もう午後3時です」
坂木さんはボサボサの髪の毛を揺らしながら白衣に袖を通し、乱れた服を整える。この人は研究一筋で同性の先輩として尊敬はしているのだが、それ以外のことが全部適当なのはいかがなものかと思う。
「そっかー、もうそんな時間か。『男爵』の様子は?」
そう訊かれ、モニターで『男爵』の姿を確認する。
魔法エネルギーで光を放つ照明、それに照らされている椅子とテーブル、そして半開きの棺桶が映っていた。肝心の『男爵』は、モニターの端に設置されたスピーカーを凝視したまま動かない。死人のように白い肌、黒いワイシャツとスラックスを着ている姿は私たちにとっては馴染みの光景だ。しかし、彼はあそこで何をしているのだろうか。
「あれ、なんかスピーカーをずっと見てるみたいです」
「ん? おっかしいな。ちょっと聞いてみて」
坂木さんの指示でマイクのスイッチを入れ、『男爵』に問いかける。
「『男爵』。どうしてスピーカーを見ているのですか?」
私の問いかけに『男爵』は不機嫌そうに答える。
「この耳障りなノイズは何だ?」
魅了防止のために肉声を加工した音声が室内に響く。
「ノイズ? 坂木さん、何かしました?」
「んー、ちょっと待ってね。パソコン確認するから」
吸血鬼は個体差はあるものの、プライドが高く、人間に対して高圧的な態度を取るのでコミュニケーションを取るのが難しい。身体能力は出自によってかなりバラつきが出るが、肉声による魅了、目を介して対象に影響を与える魔眼、吸血による眷属化能力などが突出して脅威的だ。
ただでさえ慎重な扱いを要求される対象なのに、相手の機嫌を損ねたら何が起きるかわからない。
坂木さんがパソコンを操作し始めてすぐに原因はわかった。
「あ、季節変化プログラムに組み込む予定だったセミの音声を間違って流しちゃってるわ」
「何やってるんですか……」
「ごめんごめん、すぐ止めるから博士には内緒でお願い」
平謝りしながら坂木さんはセミの音声ファイルを止めた。
『男爵』は室内のカメラ――私たちが見ているモニターの方に視線を向けた。
魔眼は映像フィルターを何重にも重ねることによって無効化できるため、モニター越しに私たちを操ることはできないようになっている。
「このような騒音を発する生物が日本にはいるのか」
「ええ、もちろん」
「それを半日近く流す貴様らも大概だな」
「ん? 半日?」
思わず坂木さんを睨むと、曖昧な表情で「あはは」と乾いた笑いを返してきた。
「坂木さん、深夜テンションで作業してましたね」
「いやぁ、これにはいろいろ事情が……」
「してましたね」
「……ごめんなさい」
この人らしくないミスに首を傾げるが、今は『男爵』の機嫌を良くするのが先だ。
私は器とスプーンを取り出し、溶けかけの血液を盛り付ける。
さながら血のシャーベットといったところか。
「『男爵』、今からそちらに食事を運びます」
「機嫌取りをするにしても、もう少しやり方というものがあるのではないか?」
「今日は生娘の血ですよ」
「……苦しゅうない」
彼は話が早いので研究するこちらも助かっている。
テーブルの横にある壁の隙間から血のシャーベットを運ぶ。
差し出されたものを前にして暫しの間動かない『男爵』。
「これは何だ?」
「血を一旦凍らせて少し溶かしたものですけど」
「私が口にするのは人間の体温に近い血液だけだと言ったはずだが?」
「成分上は同じものです。どうぞお食べください」
「くっ……」
『男爵』はわずかに顔をしかめながらスプーンで血のシャーベットをすくい、口に運ぶ。
そしてそれを口に入れた瞬間、彼はモニター越しでも分かるくらい身体を震わせた。
今まで見たことのない反応に、嫌な汗がにじみ出る。
――あれ、私もやらかしちゃった?――
実験棟の崩壊すら予感した私の耳に聞こえてきたのは、意外なものだった。
「これはいいなぁ! 今まで食べたことのない食感だ」
嬉々として血のシャーベットを食べる『男爵』。その夢中になっている姿に思わず脱力した。
「あぁぁぁぁ、死ぬかと思ったぁぁぁぁ」
「ファインプレーだよ、瀬良ちゃん!」
そう言って私にサムズアップする坂木さん。
色々言いたいことはあったが、喉まで出かかったそれを無理やりねじ伏せた。
問題は解決した。私は研究ノートを棚から取り出して、「『男爵』、シャーベット状の血を食す。反応良好」と記した。