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靄のかかった森の娘  作者: 史月ナオ
第一章 アムラン公国編
7/8

出会い6

 青年が目を覚ましたのを確認し、エリクは村へと戻って行った。

 青年が失明し、記憶を失っていることに、エリクもとても驚いたようだった。

 驚きながらも、エリクがアムラン公国語交じりの片言のバールリンド語で話しかけると、青年はエリクに合わせて流暢な公国語で返事を返した。それがまたジュスティーヌとエリクを驚かせた。

 ジュスティーヌは、今は亡き育ての母親・アンネがバールリンド人で、彼女からバールリンド語を習っていたので、読み書きも会話もできる。

 エリクも国境近くの村に住むため、バールリンド語が片言とはいえ話せるのだが、青年はなぜ公国語が話せるのだろう。しかもあんなに滑らかに。これではどちらが彼の母国語なのかわからなくなってしまいそうだ。

 昔、このアムランに住んでいたことがあるのだろうか。それとも、外国語教育を受けられるような、それなりの家柄の生まれなのだろうか。

 ジュスティーヌのそんな疑問をよそに、エリクは青年と二言三言、言葉を交わす。

 そうして実際に受け答える様子から、彼がやはり害のない人間だと判断したらしく、当初の話し合いの通り、エリクは村へ戻ることにしたのだ。

 

 

 エリクに連れられて医者がやってきたのは、それから五日後のことだった。

 鼻の下に髭を生やし、眼鏡をかけた中年の医者は、エリクに引かれた馬から降りると大きく伸びをした。

 表情は長い道程にうんざりと言った様子だったが、青年の姿を眼にした途端、驚きですっかり疲れのことなど忘れてしまったようだった。

 それも無理もない。青年の容姿は、こんな山奥の森の中にいるのが不思議なくらい気品があって、それは貴族だと言われても信じてしまいそうなほどだったのだから。

 エリクも、彼の顔色が良くなってきたことを喜んだ。

 青年はここ五日の内に、家の中を歩けるほどに身体が回復していた。

 けれど、転んで床に体を打ち付けたり、家具にぶつけるたびに、彼の手足には痣や切り傷、擦り傷が増えていき、とても痛々しい状態になっていた。

 そして、傷ついていたのは体だけではなかった。彼の精神もまた、痛々しいほどに傷ついていたのだ。

 もともとの彼の性格など知る由もないが、ジュスティーヌの家で過ごす彼は、寡黙と言うにはあまりにも無口で、ジュスティーヌが一方的に話しかけては沈黙が落ちる、その繰り返しだった。

 青年は時折苛立ち、唇を噛み締めて、やり場のない怒りを内に抱えたまま、孤独に沈んでいくようだった。それでも、ジュスティーヌや家の物にあたらなかったのは、ひとえに医者がくることに望みを繋いでいたからだ。

 

 青年は今、ベッドに腰かけ、医者の立てる足音に必死に神経を集中させている。視覚を補おうと、耳を澄ませているのだ。

 医者は彼の前に用意された椅子に座ると、青年に軽く挨拶をして、まずは青年の頭の様子を調べ始めた。

 頭部に怪我がないかを見ているのだろう。そうして頭を見終わると、今度は青年に幾つか質問をしながら、彼の眼を覗き込んだ。

 次に火を入れたランプを青年の眼の前にかざし、再び瞳を覗き込むと、うーむと声を漏らした。

 青年は我慢できなくなったのか、張りつめた顔で医者に迫った。

「先生、俺の目はどうなんだ?見えるようになるのか?」

 医者は、青年の外見とは程遠い荒い言葉遣いに若干戸惑いつつ、それでも、まあまあと青年を宥めて話し始めた。

蟀谷(こめかみ)の傷が原因なのか、或いは長時間、低酸素の状態で土の中にいたせいで、脳に酸素が行きわたらなかったからなのか。はたまた、埋まっている時に土砂の圧力が頭にかかったのか、原因の特定は難しいですな。

 ただ、わずかに瞳孔の反応は見られるのに、本人の申告では全くの暗闇と言うし、おそらくは今あげたことのどれかに起因して、視神経が傷ついたのか、或いは強いストレスに晒されたことで、脳が視機能を停止させたのでしょう。

 視神経が損傷している場合、非常に言い難いが、わたしにはどうすることもできません」

 医者の言葉に、青年は「そんな」と呟き項垂れた。ジュスティーヌも蒼白になって言葉を失った。

 そんな二人の様子に、医者は難しい顔を向けていたが、徐に口を開いた。

「ただ、原因が極度のストレスによるものであれば、回復する見込みはあります。

 それに、視神経の損傷であっても、都には腕の良い眼科医がいると聞くし、もしかしたら治せるかもしれない。こちらは金がかかるが、もしあなた方にその気があるのなら、都に行ってみるといい」

 医者は時折ジュスティーヌを見て、気を使いながらしゃべっていた。

 どう見ても、ジュスティーヌたちの生活では町医者を呼ぶのが精々だと気付いているのだろう。

 都へ行くだけでも金がかかるし、ましてやこんな田舎まで噂が聞こえるほど腕の良い医者なら、見てもらうだけで大金がいるに違いない。だから医者は、叶わない夢をジュスティーヌたちに見せることになると思っているのかもしれない。

 だが、医者の話はジュスティーヌには希望になった。どうにかお金を工面し、青年を都に連れて行ければ、彼の眼が見えるようになる可能性が残されているのだ。

 ジュスティーヌは決意を込めて、一つ頷くと、もう一つの問題を訊ねた。

「それで、彼の記憶の方はどうなのでしょう?」

 ジュスティーヌの揺るがない視線に、医者の方は弱り切ったように肩を竦めた。

「そちらもはっきりとしたことは言えません。原因は先程、視機能の時に挙げたもののどれかでしょうが。言語に関する記憶はしっかりとしていて、言葉の意味すら忘れてしまっているということもないですし、生活に必要な記憶、例えば物の名前だとかも憶えているようだ。だから、自身に関する記憶だけがごっそりと無くなっているということでしょう。

 もちろん、記憶が戻る可能性もあります。何かのきっかけで突発的に全てを思い出すかもしれないし、小さなことを積み重ねるように徐々に思い出すかもしれない。ただ、それが明日なのか、何十年後になるのか、……一生思い出せないのか」

「お前はそれでも医者か!」

 青年が物凄い勢いで医者に掴みかかった。彼にしてみれば、結局医者に診てもらっても何も変わらなかったのだから、頭にくるのも無理はない。

 エリクがどうにか二人の間に入って、青年から医者を引き離すと、ジュスティーヌの方を見た。

「こいつは俺がどうにかするから、ジュスティーヌはあっちで先生に腕を見てもらえ」

 顎で居間の方を示すと、「クソッ!離せ!」と叫んで暴れる青年をエリクは抑えにかかる。

 ジュスティーヌは医者を居間に通すと、寝室の扉を閉めた。

 

 医者をソファーに着かせ、とりあえずお茶を淹れると、医者は冷汗を拭いながら茶を啜った。

「先生、彼のことをどうかお許しください」

 ジュスティーヌが詫びれば、医者は重いため息を吐きながら、こちらが不甲斐ないせいなのだから気にしなくていいと言った。

「……それで、君の腕は?」

 ジュスティーヌは慌てて左腕を見せた。先日の火傷の痛みは無くなったが、その後水ぶくれとなり、ピンクに近い赤色の腫れのような跡が残っている。

 一応、自分でも軟膏を塗っていたのだが、専門家に見てもらえるならそれに越したことは無い。

 医者はジュスティーヌの腕を見て、徐々に跡も消えるだろうと言ってくれた。そして、彼女が使っている軟膏に興味を示した。

 ジュスティーヌが自分で栽培しているハーブや、森で採ってきた薬草を使っていると説明していると、そこへエリクと青年がやってきた。エリクに腕を引いてもらいながら医者の前まで来た青年は、静かに頭を下げて先ほどの非礼を詫びた。 

 医者は青年にも、ジュスティーヌに言ったことと同じ言葉をかけて彼を許した。

 ジュスティーヌは青年とエリクにも椅子を勧め、二人のお茶を用意するため、席を立つ。

 ジュスティーヌがお茶を淹れている間に、エリクは外に繋いでいた馬の荷から一振りの剣を持ってきた。見ればそれは、土砂の中からみつかった、青年のものと思われるあの剣だった。

 汚れを落として装飾など調べれば、何かが分かるかもしれないと、一旦エリクが預かっていたのだ。

 エリクは剣をローテーブルの上に置いて、柄の部分を指し示した。

「ここを見て」

 ジュスティーヌが柄を見ると、そこに薄らとバールリンド語の文字のようなものが刻まれていた。

「…エ…ド?」

 ジュスティーヌの言葉にエリクが頷く。

「もしかして、持ち主の名前なんじゃないかと思ってね。これが君の剣であれば、君の名前かもしれない。エドって名前に心当たりはあるかい?」

 そう言って、エリクは青年を見た。青年はじっと耳を澄ませるようにエリクの方を向いていたが、よくわからないと首を振った。

「……エドか。エドワード、エドウィン、エドガー、エドモンド……」

 医者が、「エド」という愛称になる人名を上げだした。だが、どれにも青年は分からないと首を振る。

「まあ、焦ることはないさ」

 エリクは青年の反応を見ながら笑った。

「でもさ、このまま名前が無いと不便だし、とりあえずエドって名乗ったらどうだ?君に関係がある可能性は高いし、そのうち何かを思い出すかもしれないだろ?」

 エリクの言葉に、青年は「そうだな」と頷いた。そして「エド」という名を反芻しながら、一人考え込んでしまった。

 三人はエドを放っておいて、ジュスティーヌの軟膏の話を始めた。

 医者が、ジュスティーヌさえ良ければ軟膏を分けてもらいたいと言ったからだ。

 効果が高ければ、買い取ってもいいとも言ってくれて、エドを眼科医に見せるお金が必要なジュスティーヌは有難く思った。

 

 医者は一息つくと、村でも診療しないといけないからと、席を立った。エリクも医者を送るため、医者について山小屋を出た。

 ジュスティーヌが見送りのため外に出ると、エリクがそっと近寄ってきた。

「ジュスティーヌ、一昨日、村に変な男たちが来たんだ。旅装だったけれど、帯剣していて、物々しい感じがした。彼らは、四人組の男たちを探していると言っていたよ。アムラン公国語を話していたけれど、片言で、時折混ざってる訛りからみて、おそらくジアンの人間なんじゃないかな」

 声を潜めて言うエリクに、ジュスティーヌにも緊張が走る。

「幸い、聞かれたのが僕だったから、エドが生きていることは伏せて、知らないと答えておいたよ。他の村人何人かにも聞いたようだけど、みんな剣を持っている奴らを警戒して、知らないと答えたそうだ。

 男たちはそれ以上聞かずに、すぐに村を発ったけど、念のため、爺ちゃんから村のみんなにもエドのことは話さないように言ってもらったよ」

「そうだったの、ありがとう」

「みんな、ジュスティーヌのことを心配しているんだよ。エドに何かあれば、一緒にいるジュスティーヌが巻き込まれるかもしれないからさ」

 そう言ってエリクはニコッと笑った。

「この森は害意のあるものは入れないから大丈夫だと思うけど、用心するに越したことはない」

 エリクは視線を、山小屋の周りを囲むように生い茂る木々に転じた。

 この森は、養い親が生きていた頃から、靄がかかり、それが害意のあるものを近づけさせないと言われてきた。

 薬師だった母のアンネが、(まじな)いにも通じていて、森と山小屋を守る呪いをかけたからだと。

 母の薬は驚くほど良く効いた。だから、母が呪いに通じているなんて話がまことしやかに囁かれたのだろう。

 もし本当に母にそんな力があったとしても、これまで動物くらいしか足を踏み入れない場所だったので、真偽のほどを確かめることもなかった。

 けれど、母の薬の世話になった村人たちは、母のいなくなった今でも、森を聖域と見ている節がある。森が土砂崩れに巻き込まれなかったのも、そのおかげだと思っているようだ。

 ジュスティーヌがエドを引き取ったときに、村人たちが大きく反対しなかったのは、村長の言葉だけでなく、母のことも信じていたからだろう。

「うん。気をつけるね。ありがとうエリク。村のみんなと、村長さんにもお礼を伝えておいて」

 エリクはわかったと頷いて、医者と共に、細い道を下っていった。

 

 二人を見送って、ジュスティーヌが室内に戻ると、エドは椅子に腰かけたまま、エリクの残していった剣をそっと触っていた。

「何か、思い出したのですか?」

 ジュスティーヌが声をかけると、エドはゆるゆると首を振った。

「……だが、なんだか、とても懐かしい気がする。それに――」

 エドは立ち上がると、軽く剣を握った。

「こうして握ると、とてもしっくりくるんだ」

 そう言って、エドは剣を顔の前で構えた。その動作には不自然なところが全くなく、彼の身に付いた動作であることは一目瞭然だった。そして、剣を掲げるエドのその姿は、まるで物語の中の騎士のようだった。主に忠誠を捧げる騎士だ。

 ジュスティーヌが何も言えずに見つめていると、エドはため息を吐き、剣を下ろした。

「記憶を無くす前、俺は剣を握ることを生業(なりわい)としていたのかもしれない。だが、こんな目じゃ、例え記憶を取り戻しても、もう元の仕事には戻れないんだ」

 絞り出すように溢れた彼の言葉は、ジュスティーヌの胸を突き刺した。だが、ジュスティーヌの頭の中に、希望を捨ててはいけないとささやく声が聞こえた。

 ジュスティーヌはゆっくりとエドに近寄ると、そっとその手を握った。

「大丈夫です。剣を生業としていたのなら、それはあなたが剣を振るうだけの心の強さも持っていた証です。だから、あなたなら、きっと眼も良くなって、元の生活に戻れます」

 諭すように言葉を紡ぐジュスティーヌに、エドは泣きそうな笑みを浮かべた。「そうだと、いいな」と言いながら。 



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