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靄のかかった森の娘  作者: 史月ナオ
第一章 アムラン公国編
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出会い4

 その晩、ジュスティーヌは青年に付きっきりで看病した。彼の熱は一時下がったものの、夜中に再び高くなった。

 頻繁に何度も薬を飲ませるのは却ってよくない。

 ジュスティーヌは脱水を防ぐために水だけを飲ませ、あとは汗を拭ったり、額の手ぬぐいを取り換えたり、首の後ろや腋の下など太い血管のある部分を定期的に冷やしてやることしかできなかった。

 エリクが手伝おうと声をかけてくれたので、青年の着替えだけお願いした。

 汗を吸った衣服は濡れていて、きっと不快だっただろうから、エリクが残ってくれて助かることばかりだ。

 衣服を替え終わったところで、エリクには先に居間のソファーで休んでもらい、ジュスティーヌは手ぬぐいを換えたりしながら、青年の様子を見守った。

 東の空が薄らと明るくなってきた頃、ようやく熱が引き始め、ジュスティーヌは少しだけ仮眠をとることにした。

 疲れをとるためには、少しの間でも横になった方がいいと考え、毛布にくるまってベッドの横の床の上で丸くなる。眠気はすぐにやってきた。



 そばで何かが動く気配を感じ、ジュスティーヌはビクッと目を覚ました。部屋は眠りに着いた時よりもかなり明るくなっていた。山の端から太陽が顔を出したのだろう。

 それだけを確認して青年の方を向いたジュスティーヌは、驚きでがばりと体を起こしていた。

 青年が、眼を開き、寝台の上に上半身を起こしていたのだ。顔色も、悪くない。

 ジュスティーヌが声をかけようと立ち上がると、青年はハッとしたように顔をジュスティーヌの方へと向けた。

 じっと探るようにこちらを見る青年の瞳は、澄み切った空のような、美しい青色だった。目を閉じている時でさえ、とても美しいと思っていたのに、空色の瞳はさらに彼の美貌を引き立てた。完璧な美とは、こういうことを言うのだろう。

「誰だ!」

 青年は険のある声音で誰何する。青年が発した言葉は、隣国バールリンドの言葉だ。

「この家の主です」

 ジュスティーヌは刺激しないように、ゆっくりとした口調で答えた。青年に合わせて、バールリンド語で話す。

「この家?悪いが、灯りを点けてくれないか?こうも暗くては話も何もない」

 青年の言葉に、ジュスティーヌは息を飲んでいた。部屋は、昇りはじめた太陽の金の光が、矢のように差し込み、眩いほどに明るいのだ。

 最初は冗談かと思った。だが、この状況で冗談を言って何になるというのだ。だから、ジュスティーヌは一つの可能性を考えた。

 青年に近寄ると、彼の前で手を振る。

 青年はジュスティーヌが近づいたことは気配で察し、警戒したようだが、訝しげに「何だ?」と聞いただけだ。

「今、目の前に何が見えますか?」

「何って、暗くて何も見えないじゃないか」

 それが答えだった。彼にとって最悪の出来事が起きてしまったのだ。

 言葉を失ったジュスティーヌを訝しく思ったのだろう。青年は眉間に皺を寄せて、恐らくジュスティーヌがいると思っているであろう方向に声をかけた。

「何だ?どうした?なぜ灯りを点けない?」

「灯りは必要ありません。太陽の光が、部屋を照らしていますから」

「……何を、言っている?」

 困惑したようにそう言いながら、しかし、青年は不意に何かに気付いたように、視線を彷徨わせた。そして、自分の目の前に自身の手を翳すと、「嘘だろ」と呟いた。

「こんな間近にかざした己の手すら見えないのに、お前は灯りを点けずとも俺の傍に正確にやって来られた。……見えていないのは俺だけということか。……俺は、失明したのか?」

 自分が置かれた状況を必死に整理しようとする青年の声は、微かに震えていた。

「わたしにもわかりません。数日の内にはお医者様がいらっしゃるはずですから、その時に詳しく診察してもらえます」

 ジュスティーヌはそう答えるのがやっとだった。

「……医者?それは有難いが……」

 青年はそこまで言って、言葉を途切れさせた。そして俯くとしばし思案していたが、やがて再び顔を上げてジュスティーヌの方を見た。だが、視線はジュスティーヌを正確には捉えていなかった。

「俺は、なぜここにいるんだ?ここはどこだ?」

「ここはアムラン公国の北部にあるバセット村から、さらに半日ほど北西に進んだところにある山小屋です。あなたは嵐の中、山道を馬で進んでいて、土砂崩れに遭ったのです。そしてずっと意識を失っていたのです。覚えていないのですか?」

「……ああ、何も」

 ジュスティーヌの問いにそう答えていると、不意に青年はハッと息を飲んだ。何かに気付いたようだった。

 よかった、何か思い出したのだろう。

 ジュスティーヌがそう思ったのも束の間だった。青年は顔を凍り付かせると、一言、言葉を零した。

「――俺は、自分の名前も憶えていない」

 その言葉は、状況がさらに悪化したことを物語っていた。先ほど、これ以上悪くなりようがないと思ったのは、間違いだったのだ。

 この青年は失明しただけでなく、記憶も失ってしまったというのか。

 信じがたい出来事だが、彼は嘘を言っているようには見えなかった。

 二人は為す術もなく、黙り込んだ。

 だが、ジュスティーヌはすぐに気を取り直した。

「それでも、生きていてくれただけ良かったです。お腹が空いたでしょう?何か食べるものを持ってきますね」

 意識的に明るく微笑んでそう声をかけると、ジュスティーヌは寝室を出て台所に向かうことにする。こういう時は、一人になりたいのではないかと思ったからだ。

 部屋を出る時ちらりと青年を見れば、彼は表情を無くしていた。


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