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靄のかかった森の娘  作者: 史月ナオ
第一章 アムラン公国編
2/8

出会い1

 昨日の嵐が嘘のように、空は晴れ渡っていた。

 

 ジュスティーヌは、村で物々交換をして得た食料を麻の袋に入れて背負い、山道を歩いていた。

 山道と言っても、普段ここを通るのはジュスティーヌだけだ。そのため、道幅は狭く、獣道と大して差が無いような、木々に覆われた整備されていない道だった。

 ぬかるみ、気を抜けば足を取られてしまいそうな山道を、ジュスティーヌは息を切らせながらゆっくりと進んだ。


 すでに村を出て半日が経とうとしていた。だが、次の峠を越えれば、ジュスティーヌの住む森が見えてくる。

 森は山の中腹の盆地のようなところに鬱蒼(うっそう)と広がっている。このあたりの山道とは異なって、一年中(もや)に覆われている。一見暗い印象を受けるが、きちんと太陽の光が届くし、山菜や野草、キノコやベリーなど、多くの恵みをもたらしてくれる豊かな森だ。

 

 ジュスティーヌはもう少しの辛抱だと自分に言い聞かせ、峠を越えた。

 しかし、そこで目に入ってきたのは、山肌を(えぐ)るように崩れ落ちた土砂の、真新しい土の色だった。


 幸いなことに、ジュスティーヌの住む小屋よりも遥か手前で土砂崩れは止まっているようだった。

 もしもこんなものに巻き込まれていたら、ひとたまりもなかっただろう。

 昨日は村で一泊して正解だったと、ジュスティーヌが肝を冷やしながら土砂の合い間を歩いていると、その土砂の中で、何かが太陽光を反射して鈍く光った。

 目を凝らして見れば、それは土の中から伸びた人の腕の、その指にはまった銀の指輪だった。

 ハッと息を飲んだジュスティーヌは、背負っていた荷を投げ捨て駈け出していた。

 慌てているために足がもつれて転びそうになるが、そんなことを気にしている余裕はない。

 腕は、間近で見れば男のそれだとわかる、逞しいものだった。恐る恐るその手に触れると、肌は氷のように冷たかった。しかし、微かに脈がある。

 ジュスティーヌは、自分の手が汚れるのも傷つくのも構わずに、素手で泥を掘りだした。

 そうして必死に泥をかいていくと、葉を茂らせた大きな木の枝と幹との間に、徐々に男の上半身が現れてきた。黒いマントを纏ったその男は、泥にまみれた酷い姿だったが、目に見えるような大きな外傷は無さそうだった。

 木の間に偶然体が挟まったことで、空気穴のように気道が確保できていたのだろう。

 ジュスティーヌは男が辛うじて息をしているのを確認すると、慎重に下半身も掘り出した。

 どうにか木の間から引っ張り出した男は、ジュスティーヌよりも遥かに上背があった。

 鍛えていることが一見してわかる引き締まったその体は、けれど、無駄な筋肉は一切なく、どちらかと言えば細身と言えた。ジュスティーヌでも時間をかければ、どうにか小屋まで引きずって運べそうだ。

 だが青年を運ぶ前に、少しだけ辺りを捜索することにする。もしかしたら、彼以外にも土砂崩れに巻き込まれた者がいるかもしれないからだ。

 ジュスティーヌは青年に自分の上着を被せると、彼を寝かせたまま、捜索のために土砂の中を歩き回った。大声を上げては、返事が無いかを確かめながら慎重に見て回る。けれど結局、人の姿はおろか、人の存在を示すような人工的な物は他に何一つ見つからなかった。

 そうして辺りを一通り探し回ったところで、ジュスティーヌはついに探すのを諦めた。

 今優先しなければならないのは、助かったとはいえ虫の息であるあの青年の方だ。このまま彼を放置して、いるのかもわからない他の人間を探し回って、そのあげくに、肝心の青年を死なせてしまっては元もこもない。

 こういう時は、否が応でも決断しなければならない。ジュスティーヌはぐっと手のひらを握りしめた。

 

 投げ出した荷物はあとで取りに戻るとして、まずは青年のところへ戻る。

 さすがに担ぐことはできないため、仰向(あおむ)けにしたまま、両脇の下に手をいれて引っ張るのが良さそうだ。

  青年が頭を打っていてはいけないので、激しく揺らさないよう、慎重に彼を運ぶ。青年の足の方は引きずるような格好になってしまうが、この際、仕方がないだろう。

 そうして青年を引きずりながら、どうにか小屋までたどり着くと、ジュスティーヌはすっかり汗だくになっていた。

 今にも目に入りそうになる額の汗を肩口でぬぐってから、毛織のカーペットが敷かれた床の上に、ゆっくりと青年を横たえた。


 けれど一息つく間もなく、ジュスティーヌは動き出す。

 桶に水を汲んでくると、そこに手ごろな布を浸して絞り、泥まみれになった青年の顔や体を拭いていく。汚れた髪を拭ってやれば、泥の下からは驚くほど美しい、淡い光を放つ金の髪が現れた。

 眉にかかるかかからないかくらいの短めに整えられている金髪は、思わず見入ってしまいそうだったが、そんな暇はないと自分に言い聞かせ、ジュスティーヌは苦心して、汚れた服もどうにか着替えさせた。この小屋には運よく、亡き養父の衣類がまだ残っていたのだ。

 流石に下着だけはためらい、よく乾いた厚いタオルを腰に巻いて、その上にズボンをはかせた。

 父の服は、シャツの袖もズボンの裾も、どちらも青年には丈が足りず、少々不格好だ。養父は決して小柄ではなかったから、それだけ青年の身長の方が高いということだ。


 着替えを済ませた彼を、再び引きずるようにして寝室の寝台まで運ぶと、苦心しながらもどうにか寝台の上に寝かせた。

 身体が冷えた青年のために、毛布を重ねて掛ける。そして、部屋も暖かくするため、居間に戻って暖炉に薪をくべた。

 そこまでやり終えて、漸くジュスティーヌはため息を吐いた。


 次にすべきことは、医者を呼んでくることだ。だが、医者が住んでいるのはとても遠いところだ。

 この森から半日歩いた先にあるバセット村の、さらにその先、村から歩いて二日のところにある街まで行かなければ、医者がいない。

 

 ジュスティーヌは寝室に再び入ると、部屋の隅にある書き物机の引き出しから、小さな缶を取り出した。

 中には、ジュスティーヌがコツコツと貯めてきた銀貨が何枚かと、その何倍も枚数がある銅貨が入っていた。

 しかし、この山小屋まで診察に来てもらうためには、これでも足りないのではないか。そう判断して、ジュスティーヌは家の中にある金目のものをすべて手頃な袋に詰め込んだ。残念ながらあまりお金に換えられそうなものは多くなかったが、それでも、どうにか医者を呼べるくらいはあるだろう。

 パチパチと音をたてて燃えている暖炉の火も、火事にならないように薪を中心に集めておいた。部屋の換気が必要になるよりも先に燃え尽きてしまうだろうが、わずかでも部屋が暖まれば問題ない。

 青年がもしも目覚めた時のために、居間のテーブルの上に書き置きも残した。

 

 準備が整うと、「できるだけ早く戻ってくるから頑張って」と心の中で青年に声をかけ、ジュスティーヌは小屋を出た。

 

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