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第二話 フレイサイズ・後編

 今の新堂にはわからないことだらけなのだ。困っていないはずがない。

 少し先のことを考えるだけで、もう困窮する。だが、それでも新堂は止まることができない。突き進むだけだ。退路はない。逃げ場もないのだ。死にたくなければ進むしかないという状況で、彼は歩んでいる。

 ふっと小さく息を吐いて、彼は質問を返す。


「それでフレイスピア、あなたは俺を殺しにきたのか」

「この状況では仕方がありません。命令です」

「そうか」


 よろよろと新堂は立ち上がった。右足は痛みがひどい。だが、壁に手をつけば立ち上がれないことはなかった。


「俺を殺すのか」

「私個人としては、あまりそうしたくありません。だから待っているのです」

「何を?」

「もう一人の侵入者が、追撃隊を全て沈黙させることです。階下ではひどく争う気配がします。追撃隊は不利なようですね。彼らが全滅すれば、私が貴方と戦う理由もなくなります」

「そううまくいくかな? 第一あなたはこの研究施設を裏切れないと言っていたではないか」


 新堂はそう言いながら、左手に刺さる短剣を見た。これを抜けば、フレイスピアともフレイサイズとも一応は戦えるほどに身体機能の強化はなされるだろう。だが、あまり使いたくはない。手の内を見せたくない、ということではなく。


 フレイサイズはただ一人だけで追撃隊を圧倒している。足技は使わず、ほとんど手技だけで人間の身体を打ちつける。足や胴体の関節は手技の威力を高めるためだけに使われていた。

 しかし追撃をかけてきた兵士達も、黙ってフレイサイズに殺されているわけではない。前にいる兵士がフレイサイズの攻撃を防御し、その後ろにいる人間が銃を向け、なんとか彼女を倒そうとしている。

 にもかかわらず、フレイサイズの手傷は増えない。彼らの攻撃は全てかわされている。

 前に立って攻撃を防ごうとする兵士の一人に、フレイサイズが右手を伸ばす。目にも止まらない速度で繰り出された拳が彼の顔面にめり込み、後ろに立って銃撃しようとしている兵士ごと吹き飛ばす。彼らは周囲にいる人間をも巻き込みながら飛び出し、最後に階段に落ちて、転がっていく。

 両腕を振り回せば、振り回した数と同じだけの兵士が犠牲となる。まるで手加減もなく暴れ続けるフレイサイズ。


「大した化け物だ。どうしてあれが廃棄されるような事態になりうるんだ」


 新堂が呻く。その質問にフレイスピアが答えた。


「恐らく、それでもカバーのできない欠陥があったからでしょう。たとえばスタミナがないとか、何度か戦うと衰えてしまうとか」

「なるほど」


 一体何人の兵士を倒したのか、フレイサイズの白衣が赤く染まっている。袖元から裾まで、鮮血に染まった白衣が雫をたらしていた。濡れた白衣が気になるのか、彼女はそれを脱ぎ去る。元々、返り血を浴びるのが嫌で白衣を着込んできたのだろう。

 飛び上がればその高さは二メートル近い。その高さから一気に飛びかかり、敵を仕留める。敵に掴みかかれば、たちどころに振り回してしまう。

 恐らくは防弾チョッキさえも着込んだ大人の男を軽々と、である。あげく、それをもって周囲の兵士達をなぎ倒し、壁に叩きつけてぺしゃんこにしてしまうのだ。


 驚異的な膂力と、実力だった。

 気がつけば彼女の前に立つ兵士はいなくなっていた。


 階段の踊り場に一人だけ立っているフレイサイズは、くるりと振り返った。

 階段の上にいる新堂と、目を合わせる。


「あれのどこに欠陥がある」


 新堂はその目をそらさないまま、槍を持つ女に声をかける。

 問われたが、フレイスピアも返答のしようがない。索敵能力にすぐれる彼女は、階下にいる兵士が全滅したことを知っているが、その戦いの詳細まではわからなかった。


「わかりません。その質問の答えが欲しいのなら施設内の書庫を探って資料を見つけ出すか、もしくは研究員の方へお訊ねになるのがよろしいかと」

「そうかもしれない」


 フレイサイズの廃棄原因は不明だった。新堂はそれをフレイスピアから聞き出せないとわかると、ため息を吐いた。

 階下から自分を見上げているフレイサイズ。白衣を脱いだ彼女は、全裸だった。

 灰色の毛皮があるのでそれほど艶な感じはしないが、それでも女性的な曲線が目立っている。

 新堂は自分が着ていた白衣を脱いで、彼女へと放り投げた。白衣を受け取ったフレイサイズは、しかしそれを着込まない。手に持ったまま、新堂のいる二階へと歩んでくる。

 特に親しげな笑みを浮かべているわけでもなく、ただ無表情を保ち階段を上る。


「うっ」


 一瞬逃げようかと思ったが、この足の怪我ではそれも難しい。彼はその場に留まった。フレイサイズに敵意が感じられなかったことも、逃げ出さなかった要因の一つである。

 フレイスピアは二歩下がり、槍を構えた。が、フレイサイズはそちらを一瞥しただけで、特に関心を寄せずにいる。

 フレイサイズはのっそりと新堂に近寄る。まるで、犬のようだとさえ思った。彼女はあっさりと一足一刀の距離を踏み越えて、構えていればすぐさま相手を殺せる位置に入る。

 それでもまだ接近は続く。

 すっ、と腕を上げた。その手はやわらかそうだ。

 新堂は突き殺される危険性を感じない。

 動かなかった。


 血のついた手で、彼女が新堂に触れた。

 新堂は逃げなかった。

 それほど彼女に敵意が感じられなかったからである。そのれっきとした五本指の右手が新堂の胸板に触れる。

 普通の人間のものよりも指が太く見えるのは、恐らく灰色の毛皮のせいだろう。腕の先は白い毛でおおわれていた。新堂はその指を見て、前足のように見えるがやはり手なのだな、などと考えている。そうしている間にもフレイサイズは顔を寄せ、新堂の身体に頭を擦り付けるほどに近寄らせていた。さらなる急接近。

 何をするのか、と思うまでもない。フレイサイズはただ、新堂のにおいを嗅いでいた。

 先ほどの戦い方を見る限りほとんど猫だったのだが、このあたりは犬のようだ。フレイサイズは新堂とは目も合わさず、熱心に彼のにおいを嗅いでいる。

 胸元から徐々に下へ移動して、腹、腰、足のにおいをスンスンと嗅ぎ続ける。そんなところのにおいを確かめてもあまりいいにおいはしないだろうと思ったが、彼女はお構いなしだ。


 やがて彼女は新堂のポケットに目当てのものを見つけたのか、より熱心にそのあたりのにおいを嗅ぎだした。その様子を見て、新堂は彼女が欲しいものを察した。ポケットに手をやり、少し残っていたビーフジャーキーを取り出す。

 今度は奪ったりしなかったが、フレイサイズは新堂の手にとられたそれを、熱心に見つめる。欲しい、くれ。そう言っているように見えた。

 新堂はビーフジャーキーをフレイサイズの口元へ持っていった。彼女は口を開き、それを素直に銜える。餌をもらったことに満足したのか、銜えたままで新堂から離れ、床に腰を下ろして咀嚼し始める。

 それを横目に見て、新堂は歩みを進めようとした。だが、足が痛んでうまく歩けない。


 歩み寄ってきたフレイスピアが新堂の肩を支えてくれる。目は見えずとも、新堂が負傷していることはわかるらしい。


「フレイスピア、侵入者である俺を手助けする意味はない」


 手を貸されて、新堂はそう言った。だが、フレイスピアは離れない。


「見殺しにする理由もありません。どこへ行かれますか」

「ここを離れなければ。しかしその前に、女子トイレへ行ってくれ。人間を一人そこへ隠してある」


 女子トイレ、という言葉に少なからず動揺するフレイスピアだったが、理由があるのならと納得する。彼女は素直にそこへ新堂を連れて行く。

 タイル張りの女子トイレの中、個室に一人の男が倒れている。新堂にフレイスピアのことを頼んだ研究員だ。彼の体を引きずり出し、背中側から腰の辺りに当身を食らわせる。

 彼はうっ、と呻いて大げさに息を吐いた。意識が戻ったのだ。


「この人は、研究員の一人ですね。わかります、私を気遣ってくれる、優しい方です」


 フレイスピアは槍の柄で床を突き、見えぬ目を下に向けた。少しやわらかな表情になっている。新堂は意識を回復した男が落ち着き、状況を把握するのを待った。


「おお、君は」


 研究員は新堂の顔を覚えていた。


「フレイスピアを救出してくれたのか? 君を追ってきているという兵士たちがいたはずだが、それはどうなった?」

「ああ、少し待て。順番に答える」


 いきなり矢継ぎ早に質問をされて、新堂は眉を寄せる。回答をするには少し時間が必要だ。完全にはわからないこともある。


「まずフレイスピアは救出されていない。部屋に踏み込んで少しお話はしたが、彼女は俺と行動することを拒否した。今は侵入者である俺を排除しろという命令を受けて、ここにいる」

「本当なのか」


 研究員は座ったままでフレイスピアを見上げた。盲目の槍使いは頷いた。


「間違いありません。しかし、彼には非常に力の強い護衛がいるように見受けられます。よって、戦いは膠着状態になっており、ある種の停戦協定が結ばれた格好です」


 これは非常に無理のある言い訳だった。誰がどう見ても、フレイスピアは新堂を個人的に気に入っており、そのために戦えない状態になっている。しかし研究員はこの明らかな虚言を突き崩そうとフレイスピアに意地悪な質問をしたりはしない。ああそうかと頷き、納得しただけだ。


「追撃兵はどうなったんだ」


 続いて彼は質問する。新堂は答えた。


「その力の強い護衛が一人で追い払った。フレイサイズだ」

「フレイサイズか。それなら納得できる。fs-01とfs-02は戦闘能力がシリーズの中でも突出していたからな」

「しかし、そのフレイサイズとは意思の疎通がうまくいかない。ここに来たのも何故なのか、全く不明だ。何か理由があるのか、帰巣本能のような」

「さあ、わからない。ぼくはフレイスピアのことを主に見ていたから。君のこともよくわからない」


 研究員はかぶりを振ってそう答える。新堂は怒りをこらえるように両目を閉じ、右目だけを開いた。片目を閉じるのは彼が苛立っている証拠だ。


「まあそれはいい」彼は左目を閉じたまま次の質問をした。「フレイスピアについていくつか質問をしたい、まず彼女はどうすれば言うことをきくようになる?」

「彼女の知能は高い」と研究員は言った。「彼女との意思疎通は容易なはずだ」

「だが、裏切れないと言ったんだ。この施設を裏切れないと」

「ではフレイスピア」


 新堂の言葉を聞いた研究員は立ち上がり、フレイスピアの顔を見た。暗い影のさす顔だった。


「研究施設は君に指令を下そう。今後、この新堂さんの命令に従って、研究施設と戦いなさい」


 さすがにこの言葉に、フレイスピアはすぐに反応できなかった。あまりにも予想外の言葉だったからだ。


「どうしたフレイスピア、命令を復唱せよ」

「今後新堂に従い、研究施設と戦う」


 事務的にフレイスピアは答えたが、まだ顔はぼんやりとしたままだった。


「今後新堂に従い、研究施設と」


 もう一度、フレイスピアは命令を復唱しようとした。が、新堂がそれを途中で制した。


「俺はまだ、研究施設と戦うと決めたわけではない」

「しかし、追撃隊と戦ったのだろう」

「今のところは」


 彼は少し大きな声で反論をさえぎり、話し出す。


「今のところは、ただ真実を知りたいだけだ。俺はここに連れてこられてそれまでの記憶を消されたように思う。俺はなぜこんなところで改造を受けることになったのか、まるでわからない。最初からここで生まれた改造を受けるためだけの存在なのか、それとも何か罪を犯してこんなところへ押し込められたのか、それとも自ら進んで志願したのか、まるでわからん。俺は誰なんだ。それを教えて欲しい、調べてみたい」


 素直な言葉だった。研究員は新堂の本音を少し聞いた気がしたので、首をひねってなんとか新堂のことを思い出そうとした。だが、残念ながら新たな情報は出てこないようだ。


「フレイダガー、君の素性についてはぼくたちもわからない。フレイサイズやフレイスピアについても同じだ。君たちはすでにそういう扱いを受けている者としてここへやってきたから」

「つまりもう、俺の記憶は奪われていたのか」

「そうかもしれない」


 確信のない情報ばかりが増える。新堂は左目を開くかわりに舌打ちをした。


「ともかく、俺はまだ。もうすでにfs-00フレイソウルと戦いはしたが、研究施設を完全に破壊しようという気にはなっていない」

「しかし、すでに追撃隊を追い払ったのだろう。施設側はそういう風に見ているに違いない。今さら降参したって遅すぎる」

「まぁそうだろうな。ただ、俺の言いたいことはわかると思う。この施設全体に確かな嫌悪を感じる。だがまず第一の目的はこれの壊滅じゃない、調査なんだ」

「今のところは?」

「今のところはな」


 新堂が頷くと、研究員はこう言い返した。


「なんにしても、君は施設への反逆を企てた。もうここに戻るようなことはないだろうし、事実廃棄処分が出ているのだからそうしたことはありえない。今後、フレイスピアを連れて行くことに支障はないはずだ」

「何が言いたい」

「フレイスピアのことを頼みたい。ここにいても彼女は処分されるだけだ」


 この男は、フレイスピアの身を案じているのだ。新堂にはそれがわかった。自分と一緒にこの施設から去ること。それに一縷の望みを託している。それはとくに断る必要がない。望むところだ。


「ではフレイスピアを預かる」

「いや、もう彼女は君のものだ。施設は彼女を廃棄したのだから」

「まるでモノのようだな」

「事実、彼女をそうして扱ってきたんだ。とにかくフレイスピアは今後君の庇護の下に入る。施設側から恐らく追撃命令も入るだろうし、狙われるだろう。だがこのままここで廃棄溶液に浸って処分されるよりはずっといい」

「あなたはそれでいいと思っているのか?」


 新堂はその言葉を研究員ではなく、フレイスピアに投げかけた。くるりと後ろを向いて、立っているフレイスピアに問うたのだ。彼女は不意に話を振られて少し戸惑っていたが、すぐにこう返答した。


「そうしていただけると助かります。今後は貴方のために微力を尽くしましょう」

「助かる。俺にはあなたの力が必要だ」


 新堂にそういわれて、フレイスピアは少しだけ笑みを浮かべた。


「足手まといにならないよう、努力いたします」


 よし、と新堂は思った。フレイスピアはこれで完全にこちらの味方になった。彼女は『裏切らない』信念を持っているのだから、今後絶対に施設側に寝返りはしないだろう。最も信頼できる心強い味方だ。


「ではそろそろお暇する」


 研究員に向けて別れの言葉をかけ、新堂とフレイスピアはその場から立ち去った。研究員はその場に留まり、去っていく二人を、特にフレイスピアを見送った。



 新堂たちは階段のある辺りまで戻り、そこにまだ座り込んでいるフレイサイズに声をかけた。


「フレイサイズ」


 彼女は耳をぴくりと動かして反応し、ゆっくりと振り返る。もう逃げ出さず、新堂のそばへ寄ってくる。並んでみると、新堂よりも背が低かった。おおよそ、頭一つぶんは。一五五センチかそこらだろうな、と新堂は思う。身体が触れ合うほどの至近距離に寄ってくるフレイサイズの頭を、何とはなく撫でてみる。白い髪は思ったよりもやわらかだった。当人はといえばなされるがままで、何も言わない。

 そこへフレイスピアが声をかけた。


「新堂さん、フレイサイズは素裸ですね。何か服が必要ではないですか」

「そう思っていたところだ」


 何より目のやり場に少し困る、と口に出しては言わなかったが、新堂もフレイサイズに服を着せる必要性を感じてはいた。彼女の手には新堂が着ていた白衣があるが、それだけでは。


「少し待っていてください。彼女に合う服があるかもしれません」


 言うなり、フレイスピアは来た道を戻っていく。新堂はその場に留まって彼女を待つことにした。数分でフレイスピアは戻ってきた。ハンガーにかけられた服と、ブーツを持っている。


「どうでしょう、これは」


 彼女の持ってきた服は、黒い長袖のシャツに少し長めのスカートだった。膝元までは隠れるだろうから、これとブーツを組み合わせれば下半身の露出はなくなる。だが、シャツやスカートの上から着用するであろう白い前掛けが存在する。さらに黒いシャツもギャザーやフリルで過剰といえるほど飾り立てられている。これはどうも、メイド服らしい。なぜこんなものが研究施設の中に存在するのか疑問だ。


「私と部屋の中にいた研究員の方が、個人的に保有されていたものです」


 フレイスピアは淡々と新堂の疑問に答えたが、なぜそれを知っているのかということは訊かないほうがよさそうだった。メイド服は裏地もしっかりしており、仕事着としての役割を果たせそうなほど丈夫そうだ。これで当面のところ問題ないだろう。

 新堂とフレイスピアは、フレイサイズにメイド服を着せこんだ。フレイサイズは着せ替え人形同然になされるがままだが、服の生地が鬱陶しいのか身体をしきりに揺すっている。それでもすぐに着替えは終った。ブーツを履かせ終わると、少しはなれて全体を眺めてみる。


 きれいなメイドの完成だった。どこの世界からやってきたのかと問いたくなるほど、見事な猫メイドである。

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