エピローグ
「これからどうするつもり?」
外に出たアックスツヴァイは新堂に訊ねた。新堂は生成溶液で無理やりにくっつけた右手の強化ユニットを引き剥がしながら答える。
「やりたいことは、大体やった。あとは、こいつを護ってゆっくり、どこかで静かに暮らすだけだ」
彼はフレイサイズに目をやるが、当の本人は無理やりにくっつけられた左腕を見てしきりに首を傾げている。『生成溶液』の働きによって切断された左腕は接合されているが、まだ馴染んではいないらしい。
「欲がないんだね、新堂。テレビにでも出てみなよ。一躍有名人だよ」
「興味ない。騒がしい毎日は嫌だし、こいつを世間のさらし者にされてたまるか」
新堂はそう言って、さっさと歩き出す。どこを目指しているのかもわからないが、とにかくこの忌まわしい施設から離れたかった。
外はまだ、夜も明けていない。闇の中だった。
「お前こそどうするつもりだ。フレイ・リベンジとしては、もうすることはないのか」
「まあやろうと思っていることはあと一つだけあるけどね」
山の中を歩きながら、アックスツヴァイはふと振り返る。施設は遠くなっていた。闇の中ではもう見えない。随分歩いたものだと感じながら、懐から何かを取り出した。アンテナのついたリモコンのようなもので、何かを操作するための装置と思われる。
「おい、何をするつもりなんだ」
「とどめだよ、とどめ。あいつしぶといから生き返ってくるんじゃないかと心配でね」
言いながら、彼女は軽い気分でスイッチを入れた。
瞬間、爆発音が轟いた。施設があったあたりからすさまじい爆炎が吹き上がり、屋根が燃え上がりながら吹っ飛ぶ。破片が周囲に飛び散り、山火事になるのではないかと心配されるほどの炎が上がっている。
あきらかに過剰な爆発だった。施設は完全に消し飛んでいるだろう。地下部分も恐らく、跡形もなくなっているに違いなかった。
「おいっ」
新堂は目を見開いた後、片目を閉じた。
「多分爆発するだろうとは思っていたが、やりすぎだ。すぐに消防が来るぞ」
「そうだね、新堂。ちょっと火薬の量を間違えたみたいだねえ」
びっくりしたのは新堂だけではないらしい。アックスツヴァイ本人も驚きのあまり、逆に冷静になっている。
恐らくは投げ捨てたショルダーバッグに爆薬が詰めてあったのだろうが、これほどの爆発になるとは全く予想できなかった。施設内の可燃物に引火し、災害が広がったのかもしれない。
「で、どうするつもりなんだ」
「逃げるに決まってるじゃない!」
言うが早いか、アックスツヴァイは一目散に逃げ出した。現場から少しでも遠くに逃げるために、全力を絞っている。新堂とフレイサイズはそれを慌てて追いかけた。
しばらく後、疲労したらしいアックスツヴァイを発見する。新堂は声をかけようとしたが、そのとき、視界の端が明るくなった。
どうやら日の出らしい。
新堂は思わずそちらに目をやった。太陽が昇る。
逃げ疲れたらしいアックスツヴァイも、フレイサイズも太陽に目をやった。黒が青になり、その青を白く裂いて太陽が昇ってくる。フレイサイズからタグをはずしたときも、日の出を見たなと新堂が思い出す。
そこは、山の尾根だった。新堂たちは腰を下ろして、日の出を見守っていた。
「新しい一日が始まったっていうのに、逃亡生活の始まりとはね」
アックスツヴァイの呟きが、新堂に聞こえた。新堂はかつての自分を思い出して、少しだけ笑う。
「さて、行こうか。アックスツヴァイ、お前も俺たちと一緒に来てくれるんだろうな。女手があるほうがいいのだが」
「何それ、お誘いかな。どうしてもっていうのなら、一緒に行ってあげないこともないけど」
新堂の誘いに、アックスツヴァイはまんざらでもない表情をする。フレイサイズだけはそれに対して不満げだが、新堂が頭を撫でてなだめた。
「どこか住むところを確保したいものだな。ジプシーみたいに宿泊施設を渡り歩くのはもう遠慮したい」
「じゃあ身分証明を偽造してでもなんか職を見つけなさいよ新堂。でなきゃ住居なんか確保できないよ」
早速軽口を叩かれながら、新堂は腰を上げる。
朝日が差す山道を、三人は降りていった。車もなく、お金もない道のりだが、晴れやかな気分である。
前途は多難だ。新堂たちのような存在は、社会に歓迎されていない。だが、なんとかなるだろうと今は思えるのだ。それに、彼には護るべき家族が存在する。
ああ、そうだ。あの桐本という婦警さんには、手紙か何かを出しておいた方がいいかもしれない。
疲れがでたらしく、欠伸をしながら山道を下るアックスツヴァイを、新堂はそう思いながら追いかけた。自分以外の女性が新堂の近くにいることが不満なのか、以前彼女が新堂に迫ったことを覚えているのか、どことなく不機嫌な調子でそれを追うフレイサイズ。
呪われた彼女を排斥しようとする存在は、もういない。
炎上する施設から、脱出した存在がある。
左腕を失いながらもなんとか脱出を果たしたその存在は、少年のような容姿をしていた。フレイマーである。フレイシリーズ、フレイ・リベンジシリーズの能力を兼ね備えた肉体に再度憑依して、施設からの脱出を成功させていたのだ。アックスツヴァイの爆破により、他に作成した予備の肉体は全て破壊されたが、この肉体だけは守りきった。
一つでも肉体があれば、何度でも再起は可能だ。フレイマーはまだ、自らの野望を捨てる気にはなっていない。
「どこへ行く、フレイマー」
彼の背後に、誰かが声をかけた。傷ついたフレイマーはその存在に気付いていなかった。驚いて振り返る。
そこにいたのは、犬面の女だった。サイズウルフ。脇腹に傷を負っているが、両腕に鎌を持ち、こちらをねめつけている。
フレイマーは安堵して、笑みを作ってみせた。
「やられたよ。ぼくの秘密の最後の武器まで使ってみせたっていうのにさ。油断大敵とはよく言ったものさ。まあ、またやり直しになるね」
切断された左腕を右手で指差し、そう言った。サイズウルフは頷く。
「そうだ、完璧にやられたとさえ言っていい。またやり直すって言うのか、資金を作るところから」
「ああ、またやり方を変えるさ。次にはあいつらなんか目じゃないほど、強い部隊を作ってやる。もう意志など持たせるものか。命令を完全に遂行するロボットだけの軍を作る方がいいかもしれない」
「そんな資金どこから出てくるんだ」
「この先の地下に、隠してあるのさ。そこからまた地道に増やすしかないけど」
「そうかい」
サイズウルフは、背中から鎌を抜いて、構えた。殺気を放つ。
「その資金は、慰謝料としてもらっていってもいいだろうね、フレイマー」
どす黒い目を向けられて、フレイマーは彼女のたくらみに気がついた。しかし、何もかも遅い。
自分は傷ついている。爆発のあおりも受けなかったわけではない。しかも、相手はサイズウルフだ。まずい。フレイマーは帯電を開始したが、その瞬間にサイズウルフは飛び掛ってきている。
「うっ!」
無言のまま、サイズウルフは鎌を振り切った。電撃の放射よりも早く、フレイマーの体が吹き飛ぶ。枯れ枝のように簡単に折れ曲がったフレイマーの肉体は、茂みの中に突っ込んでいく。傷口から内臓をはみ出させながら飛び、やがて大木にぶつかって止まった。
敵の身体を追ってそこにたどり着くと、彼は無様に地面に転がっている。サイズウルフはとどめを刺すべく、彼の首に鎌を当てた。
「待て、なぜ裏切る」
フレイマーはまだ息があるらしい。そのような言葉を、目だけでサイズウルフを見上げながらぶつけてくる。最期の問いかけかと思いながら、サイズウルフは簡潔に答えた。
「お前が加害者で、私が被害者だからだ。記憶にないとしてもな」
「金など何に使う、お前が」
死にかけている肉体から吐き出された次の問いに、サイズウルフは目を細める。鎌を引き、フレイマーの首を切断してから、答えた。
「簡単だよ」
切断されて、ごろりと転がったフレイマーの首は山の斜面を転がっていった。それを追いもせず、鎌についた血を振り払って、言う。
「娘の結婚資金を用意するのは、親の務めだからさ」
サイズウルフは鎌を肩にかけて、去っていく。資金があるという地下を目指しているのだろう。
一方転がってしまったフレイマーの首は、同じように切断された生首に迎えられた。フレイマーの首と先客は、並びあう。
先にそこにあった首は、フレイソードのものであった。鬼気迫る表情で事切れたはずの彼は、今や自らのしたことに満足したように微笑んでいる。しかしフレイマーの首は怨嗟にひきつっていた。
新堂とフレイサイズ、それにアックスツヴァイは朝日に迎えられて山を下りて行く。
それを見送るのは、サイズウルフ。資金の場所はすぐにわかったのだが、どうやって彼らに渡したものかと思案してしまう。今さらのこのこと出て行くわけにもいかず、迷う。
朝日は、サイズウルフのもとにも訪れている。照りつけてくる太陽に、彼女は目を細めていた。
山の上から、下りて行く新堂たちを見下ろし、彼らがうまくやっていけるように願う。
やはり、娘が父親の味方になってしまえば、妻はのけものになるのだ。「大きくなったらパパと結婚するの」と娘が言ったときのような疎外感。それも仕方がないだろう、こうなってしまった以上。
地面に腰を下ろして、空を見上げる。これから先のことなど、考える時間はいくらでもある。どうでもいいと思い始めていた。
深い空を仰いで、サイズウルフは少しだけ微笑んだ。過去を取り戻すだけの未来を、今、生き始めるために。